狼と少女の物語   作:くらいさおら

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第27話

 修羅場の後、すっかり拗ねてしまったルティの機嫌を直すため、翌日丸一日中の買い物に付き合わされ、アービィは疲れ果てていた。

 その間、反省の意味を込めて、ティアは宿に謹慎という形でアービィとルティをくっつけ、のんびりと一日を過ごしている。

 アービィは、ルティが仲間外れにされたことに拗ねていると思いこんでいたので、話はさらにややこしくなっていた。

 ルティも、照れくささからはっきり言えなかったので、いつの間にかそういうことになってしまい、どちらもティアを苦笑させることになった。

 

 

 予定よりさらに一日遅れでビースマックへ向かう三人に、声を掛ける者がいた。

 

「おや、これは奇遇だ。二度ならず三度とは、何かしらの縁がありますかな?」

 ターミナルでハイスティが親しげに話しかけてくる。

 王都で合う機会はほとんどなかったが、偶然またビースマックへの行程を一緒に過ごすことになった。

 

 馬車の中では王都であったことを、互いに話す。

 ハイスティもあまり商売にならず、これ以上いたとしても小銭稼ぎにしかならないとみていた。

 滞在費と交通費を考えると利益にはならないので、この国を出ることにした、ということだった。

 

「あ、そうそう、治安も悪いですからな」

 ハイスティは、溜息をついた。

 あまりその実感はなかったアービィが聞き返すと、先日の馬車で一緒だった家族連れが、何者かに襲われ亡くなったということと、町外れで首のない死体が発見されたということを知らされた。

 

「なんで……? なんであんな……良い人たちが……っ?」

 ルティは自分を励ましてくれた気の良い母子を襲った悲劇にしばし呆然となり、悲しみに涙を堪えられなかった。

 

「これは……余計なことを言ってしまいましたかな。申し訳ない」

 心底済まなそうにハイスティが頭を下げる。

 

「いえ……ハイスティさんが……やったわけでも、悪いわけでもないんですから……頭を上げてください……」

 余程ショックだったのだろう、ルティの顔からは血の気が引き、呼吸も荒くなっていた。

 周りの客に断り、少し詰めてもらってルティを横にして寝かせる。

 

「ルティ、次の駅まで少しお休み」

 アービィはルティの手を握り、そっと髪を撫でた。

 この国に来て以来、痣のことを訊ねてきた人が二人死んだ。

 母子はアービィに直接聞いてきたわけではないから、巻き添えになったとも言える。

 

「あの話はあまりしない方が良さそうですね、見せないに越したことはないですな」

 ハイスティも同じことを考えたのか、暗い目になったアービィに耳打ちする。

 アービィも同じことを考えていたので、肯くしかなかった。僕は不幸を運んでるの?

 

 

 コリンボーサ宰相は、焦燥感に苛まれていた。

 短期間に、国内に放ってあった宰相直属の密偵が、既に八名消されている。

 どこかの国が「勇者」に気付き、腕利きを送り込んでいるようだ。

 

 灰色の髪と瞳の若者の情報は、グラザナイ以降途絶えたままだ。

 おそらく、消された密偵は近くにいたはずだから、若者は王都にいたのだろうが、コリンボーサまで情報が届いていない。

 

 彼が抱えている密偵のうち、腕利きのほとんどが北の大地に放たれている。

 国内に残った者は、少々腕の劣る者が多い。

 

 功を焦ったり、連絡が甘かったりと、不満は多いが、現状では致し方ない。

 それでも、家族を装わせて三人組で動かしていた密偵を消されたのは、痛い。

 

 それぞれが人に溶け込む技術に長けていた彼らだけでなく、彼らに付けていた腕利きの連絡係を纏めて始末されてしまった。

 若者の確保を任せていたチームが、きれいさっぱり消滅していた。

 怪しい人物の目星はついているが、彼らで手に負えないのであれば、北に潜らせた腕利きの密偵を呼び戻さなければならない。

 

 今、北からその者たちを抜くのは危険すぎる。

 コリンボーサは側に控える者に、連絡は密に、そして無理はせず些細なことでも連携を駆使し、正体を悟らせぬことを注意しろ、と命令するのが精一杯の対応だった。

 

 自らの膝元を荒らしてくれた礼は、後で利子を付けてたっぷりとしてくれよう。

 国同士の話になっても。な。

 

 

 アービィは、ハイスティから話を聞いて以来風呂を控えている。

 もちろん入浴はしているが、浴場に人の気配があれば控え、入浴中に人の気配を感じれば不自然にならないように早めにあがる。

 背中を見せないように気遣いながらの入浴は、却って気疲れを増すようになっていた。

 

 深夜、宿を抜け出し、人目を避けて山に分け入る。

 周囲を確認してから獣化し、風を巻いて山道を走る。

 なにも考えられなくなるまで、山中を走りたかった。

 

 僕は……不幸を運んでるの?

 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ

 誰かを不幸になんかしたくないよ

 

 いくら走っても、思考はぐるぐる回るだけだ。

 ルティは、あれから沈んだままだ。

 ティアは、放っておくしかない、そうしてあげて、と言う。

 

 僕は……ルティを慰めることすらできない……

 このまま消えてしまいたかったが、ルティへの恋慕がそうさせなかった。

 

 僕は……ルティの側にいたいから……

 なんて自分勝手なんだ……

 

 ルティの為なんかじゃなく……

 自分の為じゃないか……

 

 獣化した彼の脚で、踏破できない山などない。

 悲しげな狼の遠吠えが、山に木霊した。

 

 

 ビースマックへの行程は順調だった。

 一度、崩れた道の補修に行き合い、一日の遅れはあったが、ほぼ予定通りに進んでいる。

 

 ルティは、数日鬱ぎ込んでいたが、今は元通りになっている。

 アービィは夜に走っているせいか、馬車の中ではうとうとしていることが多い。

 

 ルティもティアも、アービィが酒を飲まず、夜消えていることには気付いていたが、放っていた。

 二人とも、あの話を聞いて一番つらいのはアービィだと解っているからだ。

 

 ハイスティは、楽しく過ごせるはずの道中を暗いものにしてしまった罪悪感からか、三人とは距離を取っている。

 同情でも憐憫でもない視線でこちらを見るハイスティに、三人は多少の気不味さと、放っておいてくれることへの感謝の視線を送っていた。

 

 

 フロローを発った連合派遣軍は、大きな遅れもなくグラザナイまで到着していた。

 その内側には、かなり危険な問題をはらんでいるが、まだ表面化してはいない。

 

 派遣軍の中には、国という派閥とはまた別に、幾つかのグループができあがっていた。

 指揮権をラシアスが持つことに、良しとしないグループ。

 何れも良家の子息が多く、かさばるプライドと無駄な自信が、指揮権がないことに不満を抱かせていた。

 

 この戦で一旗上げてやろうともくろむグループ。

 地方貴族の子息や、男爵クラスの下級貴族が、さらに大きな領地や爵位を求め、派遣軍に参加していた。

 彼らは、今回の戦が防衛を主体としており、侵攻戦が計画されていないことに、大きな不満を抱いていた。

 悪いことに、指揮権を欲するグループの中にも防衛戦であることに不満を抱く者が多数いた。

 

 それぞれの中に幾つものグループがあり、やがてその細かいグループは離合集散を繰り返し、薄汚い陰謀と共に派閥と融合し、派遣軍の中で大きな勢力となっていった。

 ラシアスの危機をわが国の危機と同義だと考え、使命感に燃えた若い貴族や騎士たちは、そのグループがいくつかの勢力を形成する様を苦々しい思いで眺めていたが、数の力に押し負かされ、それ以上のことはできなかった。

 

 

 ランケオラータ子爵は、言いようのない不安と戦っている。

 自国軍中に戦乱を望むグループが存在することは当然掴んでいるし、その中心にアーガスがいることも解っていた。

 

 インダミト国軍の中でアーガスが行った工作に乗った愚か者のグループが、毎夜幕舎を訊ねてきては北の大地への侵攻を進言していた。

 今回の派遣の意義を説き、南の大陸には北を侵攻する意志がないこと、補給や戦線の維持の困難さを説き、その度に追い返している。

 

 しかし、アーガスがストラーの貴族たちに接近してからと言うもの、その進言攻勢がぱたりと止んでいた。

 あの名誉欲の権化が、自分の説得くらいで功を諦めるとは思えず、ストラーの侵攻勢力と結んで何かを企んでいることまでは想像に難くないが、その正体が掴めない。

 

 万が一、二ヶ国の軍から先走りをする者が多数出た場合、残る二国に合わす顔がないだけでなく、事態の収拾に残る兵を投入しなければならないかもしれないのだ。

 自軍相打つ事態だけはなんとしても防ぎたい。

 

 幕僚に命じ、アーガスやストラー貴族の周囲を探らせてはいるが他国の壁は厚く、その情報は上辺だけのものでしかなかった。

 もちろん、ストラー側でも探ってはいるのだろうが、態々自軍の恥を晒してくるほどあの国は融通の利く国ではない。

 ここはひとつ、自分が悪者になるべきか。

 彼には、まだ決断できずにいた。

 

 

 レヴァイストル伯爵は、二通の手紙を前に苦り切っている。

 一通はパストリス侯爵、もう一通は宰相ウルバケウス公爵からのものだった。

 パストリス侯爵からの手紙には、アーガスが派遣軍に参加したことと、彼の身を案ずる言葉、言外にぼんくらが消えてくれたことへの安堵を含めてだが、教育が不充分なまま手元から離れさせてしまったことへの詫びが記されている。

 

 そして、問題は宰相からの手紙だ。

 内容は、アーガスから提出された離縁状についての問い合わせだ。

 今のところ宰相がそれを止めているが、王にこの一件が知れてしまえば大ごとになってしまう。重臣の嫡男が離縁するなどという醜聞は、国の威信に関わる一大事だ。ボルビデュス領にとっても、大打撃になる可能性が高い。そして、離縁が成立してしまえばアーガスは貴族ではなくなり、指揮権どころか義勇軍の一兵士に成り下がってしまうのだ。宰相は、そのことを理解したうえでの離縁なのかと問い合わせていた。

 もちろん、レヴァイストルが認めればそれまでだが、本当にそれで良いのか、握りつぶすなら今だけだと、聞いていたのだった。

 

 彼にはアーガスの思考が読めていた。

 おそらく、馬鹿息子は派遣軍の中で戦功を挙げ、上位の爵位を得ることを目論んでいる。

 

 戦功を挙げ、より大きな領地を手に入れることで、自らを冷遇した父を見返そうとしているのだろう。

 どこで教育を違えたか、レヴァイストルは暗澹たる思いだった。

 

 アーガスに軍事の才はない。

 それ故に、パストリス侯に付けて財務を学ばせ、領地を堅実に経営させたかった。

 もちろん、財務の才とてあるとは思えないが、最低限必要なことだと思ってのことだ。

 

 それに、アーガスの持つ身体能力は、圧倒的に軍務に向いていない。

 剣の修練はさせたものの、自分に勝つ相手とは絶対に試合をやらない。

 

 そのせいか、すぐ相手が見つからなくなり、ひとりで修練する羽目になってしまった。

 幼少の頃より自分が一番でなければ、我慢ならない性格だったのだ。

 競う相手がいなければ、いつでも一番になれる。

 

 少しでも厳しい稽古を付ける師範も、すぐ解雇している。

 楽しかできない性格でもあった。

 

 そのアーガスが軍で戦功を挙げるなど、夢のまた夢であろう。

 軍師としての才は、身体能力とは関係ないのだろうが、アーガスに軍師が勤まるような知識教養はない。

 父は、その悲しい現実を知悉していた。

 レヴァイストル伯は、パストリス侯への詫び状を認めつつも、息子への対処を如何にすべきか頭を悩ませていた。

 

 

 夕刻、ビースマックの国境が近づき、馬車は最後の駅に停車する。

 ラシアスとビースマックの国境の町ソロノガルスクの中心にあるターミナルに降り立ったアービィたちは、その日は宿を取り、翌朝徒歩で町外れにある国境の関所に向かった。

 

 アービィは、表面上いつもの快活さを取り戻していたが、時折考え込んだような表情を見せることがある。

 できるだけ、痣のことに触れないようにしてはいるが、もしかしたら自分の出自に関ることで悪いことがあるのではないかと考え込ませてしまうのだ。

 

 ハイスティは馬車を降りるとすぐに、ここから先は、私の担当ではないので、と言って去って行った。

 数日はここに滞在し、商売の動向を探ってから越境するらしい。

 

「名残惜しいのですが、いつかまたお目に掛かることもあるでしょう、どうぞご無事で」

 在り来りの別れの言葉だったが、その前の商人の言葉に、ルティは何とはない不自然さを感じていた。担当?

 

 関所は両国を行き来する人々で、賑わっている。

 普段であれば、入出国審査などないに等しいと聞いていた。

 

 国内経済を国外の資源や商品に依存するラシアスで、関所の審査を必要以上に厳しくすることは、経済の首を絞めるようなものだ。

 余程の重犯罪者が逃亡したということでもなければ、ほとんどフリーパスといっていいだろう。

 

 ところがこの日は、余程のことが起きたのだろう。

 ラシアスから出る人の列は、なかなか前に進んでいない。

 

 列に並ぶ人々からは、不満の声が上がり、役人たちがそれを宥めている。

 いつもであれば、隣町に行くような気軽さで国境を越えることに慣れている人々は、役人に掴みかからんばかりの勢いで不満をぶちまけている。

 

 まさか、この程度で軍による鎮圧を依頼することもできず、宥め役を押し付けられた役人の受難は、当分終わりそうもない。

 何が原因なのか気になったティアが、並ぶ人々に声を掛け聞いて歩くが、犯罪者だの要人通過だのいろいろな説が飛び交っていた。

 

「ただね、ちょっと気になるのが、痣のある若者を探しているって話もあるのよ」

 

「ちょっとイヤね。アービィが何か言われるわね、それは。別に犯罪を犯してきたわけじゃないから、構わないんだけど……痣があるって判ったらどうする気かしら」

 ティアが聞きつけてきた話に、ルティが疑問を呈する。

 

「ここまで大掛かりに検問まがいなことしてるんだからねぇ。ひょっとしたら、王都に連行とかあるのかもね」

 ティアが言うと、アービィは悲しそうな顔になる。

 

「僕が何かしたって思われてるのかなぁ……」

 しょんぼりとしたアービィが呟く。

 もし、獣化していたら耳が伏せ、尻尾は垂れ下がっていたことだろう

 

「大丈夫よ、アービィ。あたしに任せて。これの使い道って、いろいろあるのよ」

 ティアは、荷物からティアラを取り出し、懐に忍ばせる。

 

 

 朝方から並び、太陽が真上を過ぎた頃、ようやくアービィたちの審査の順番が回ってきた。

 出国審査官は、今まで繰り返された退屈な質問を彼らに投げる。

 

 ティアは、その直前にティアラを着け、アービィとルティの陰に隠れるようにして、周りに聞こえないように小さく妖術の呪文を唱えている。

 審査官がいくつか質問をするうちにティアが前に出ると、審査官のティアを見る目が粘っこいものに変わる。

 豹変したといっていいかもしれない。

 

「通っていいですか?」

 

「まだ、質問は終わっていないが……」

 歯切れ悪く、審査官が言う。

 

「何も、問題はありません。通っていいですか?」

 ティアが審査官の額に指を伸ばし、そして再度言った。

 

「ええ……、どうぞ……なに……も……問題……は……ない……」

 アービィたちは、痣に付いて一言も質疑応答をせず、国境を通過した。

 

「ねぇ、なにやったの?」

 好奇心いっぱいの顔でルティがティアに聞く。

 

「今頃、あの審査官、あたしの裸でも思い浮かべてるんじゃない? 本当は、あのままおっぱじめちゃうための妖術なんだけどさ。ここでしちゃうわけにもいかないでしょ? それに選ぶ権利はあると思うの。で、最後に駄目押しでイメージを被せながら、ここを通してって言ってみたのよ」

 ティアは、既にティアラを外し、荷物の奥底にしまいこんでいた。

 審査官に気付かれないように『誘惑』を掛け、ティアの思い通りに誘導していたのだった。

 

「イメージって……ティアの裸?」

 

「ううん、してるところ」

 ティアの答えに、ルティが一瞬で真っ赤になった。

 

「こんなに上手くいくとは思わなかったわ」

 ティアはそう言って、笑う。男なんてこんなものよ。

 なんとなく、背筋が寒くなったアービィだった。

 

 ラシアスに大きな火種を残したまま、ビースマック最初の町エッシンフェルゲンを目指し、三人は歩き出した。


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