教都ベルテロイは、南大陸の中心に位置する都市国家だ。
南大陸で信仰される唯一神マ・タヨーシを祀る神殿がその中心にあり、周囲は教皇や枢機卿の住居や各施設が点在する。
第八十七代教皇フェウエルフェダル・タンゼンデを中心に、四人の枢機卿が補佐を勤め、大陸の安寧を祈願している。
タンゼンデ教皇は、北の民を含め、唯一神マ・タヨーシの加護の元、争いのない平和な世の中を望んでいるが、四人の枢機卿はそれぞれの思惑を胸に秘めていた。
両大陸の融和を望むカーナミン枢機卿は、他宗教の存在を消極的ではあるが容認しており、タンゼンデ教皇の信任が厚く、次期教皇と目されている。
デナリー枢機卿は、北の民の教化を第一義に考えており、それはそれで幸せを思う心から出ているためか、熱心な布教に力を入れ、決して武力による教化を望んでいるわけではない。
スキルウェテリー枢機卿は、唯一神マ・タヨーシの教えこそこの世の真理であり、従わぬ者は力で征服するべきと考えていた。
他の宗教の存在を認めず、原理主義に近い思想で、次期教皇の座を狙っているといわれている。
あの、バードンの上司でもある。
ルビン枢機卿は、強烈な主義主張はなく、それぞれの考え方には中立を保っている。
凡庸であることにも才能が必要であるかのように、枢機卿団内の意見が偏りがちになると、いつのまにか教皇の意志に沿うように調整する不思議な力量を持っていた。
教都は、軍事的にも政治的にも四ヶ国から独立し、その防衛は各国からの派遣軍が担っている。
神殿を中心にして東西南北に伸びる大通りは各国からの主要街道で、それぞれの街道を国の位置から時計回りにひとつずつずれた国の派遣軍が守りについていた。
インダミト街道はビースマックが、ストラー街道はインダミトが、ラシアス街道はビースマックが、ビースマック街道はラシアスの軍がそれぞれにある関所に詰めている。
各国からの派遣軍は、近衛の第二師団と規定され、指揮官としての駐在武官は王族と取り決められていた。
何れかの国が教都を自国勢力としないための人質であり、融和のためでもある。
インダミト王国からは、第二皇太子パシュース・アローマンシュ・インプラカブル・バイアブランカ。
ビースマック王国からは、第三王子フィランサス・フルイタン・リシア・ブルグンデロット。
ラシアス王国からは、第三王子ヘテランテラ・ハイドロトリケ・ネツォフ・グランデュローサ。
ストラー王国からは、紅一点、第三王女アルテルナンテ・リラキナ・ミリオ・サウルルス。
以上の四名が、派遣軍の指揮官として、外交官としてベルテロイに駐在している。
駐在武官と枢機卿の互いが表立った支持を表明することはない。
しかし、インダミトがルビン卿、ビースマックがカーナミン卿、ストラーがスキルウェテリー卿、ラシアスがデナリー卿を支持しているのは、公然の秘密だった。
各国から伸びる街道は、大陸経済の大動脈となっており、様々なモノとカネが半径5kmの小さな都市国家に流れ込んでくる。
ほしいモノがあればベルテロイに行け、と言われるほどの商都にもなっていた。
それだけのモノとカネが流れ込めばそれに伴う利権も発生し、神殿を祀る都市とは思えない裏の世界も存在していた。
歴代教皇は、形ばかりの取り締まりのみで半ば黙認していたが、現教皇の代になり少しずつ違法な、良心に反する取引は締め付けられて姿を潜めつつあった。
改革を行えば、それによって失われる利権を持った者は反抗する。
それぞれの利権団体から、枢機卿や司祭団への賄賂、抱きこみといった工作が続けられている。
ボルビデュス城でのパーティーの翌日、朝靄の煙る中に馬車を見送る人影があった。
レヴァイストル伯爵を始めとして、レイ、セラス、ファティインディや、家中の主だった者が馬車を見送る。
クリプトが御者台に座り、馬車を操っていた。
アービィとルティ、ティアは馬車に揺られている。
出発に際しては、レイがまだティアを口説き、セラスはすっかり懐いてしまったのかティアの服の裾を握って離さなかった。
「ティア、残ってもいいのよ」
ルティがからかったが、何か言うとセラスが泣き出しそうだったので、ティアは黙っていた。
「巡礼の後、ここへ落ち着いてはどうかね? 君たちなら、騎士の待遇で迎えるよ。ティアもそれまで待っていてくれるだろうし」
アービィとルティには、伯爵から声が掛かっていた。
さり気にティアを置いていかせようとしていたが。
ボルビデュス領ならば、落ち着くにはいいかもしれない、と考えながらルティは涙の跡をそっと指でなぞっていた。
アービィも内心ではここに骨を埋めてもいいのでは、と思っている。
ティアは、魔獣を必要としてくれる人が居たことに、素直に驚いていた。
エサ探しの旅の途中で見聞きした知識が、人の役に立つとは思ってもいなかったからだ。
クリプトが戻れば、レイはラガロシフォンに向けて旅立つ。
予想以上の困難が待っているだろうが、レイにとっては良い花嫁修業となるだろう。
しかし、その成果はレイの個人的な評価だけではなく、ラガロシフォンの人々の暮らし、命に直結するものだ。
失敗は許されない。上手くいかなかったからゴメンナサイでは、済まされないことだ。
アーガスは王都エーンベアに異動し、伯爵旧知のパストリス侯爵に預けられる。
ごく近い将来ラガロシフォンに戻らなければならないため、軍事的な見習いよりは財務を見習わせたほうが良いと考え、財務卿の部下であるパストリス侯に預けられることに決定していた。
ボルビデュス家下屋敷に住み、暫くは伯爵家からの送金で過ごさねばならないが、パストリス侯の判断次第で宮中での仕事も任されるようになるという。
そうなれば、給金で暮らすことも可能だろう。
ティアが言ったとおり、親元で甘えたまま過ごすよりは、世間の目が厳しいエーンベアで修行させたほうが良いとレヴァイストル伯は考えたのだった。
セラスは、当分は親元だが、数年後にはレイ同様縁談も来るだろう。
それまでは、伯爵の仕事を見せ、時には名代に使い、世間を見せておこうと考えているようだ。
三日の行程は特に問題もなく、魔獣の襲撃も彼らにはいい呪文の修練になっていた。
ベルテロイに着く頃には、三人ともレベル1の呪文が八回使えるようになっていた。
アービィはレベル2の黒魔法『凍結』を一回、ルティはレベル2の白魔法『治癒』が一回、ティアは二回使えるようになった。
戦闘中に怪我を負っても、ある程度であればその場で直せるようになっていた。
ベルテロイのインダミト街道関所に到着後、クリプトはここから帰ることになっている。
ティアは弓矢の手ほどきをしてもらったクリプトに、父親にも似た感覚を抱いていた。
もちろん魔獣に親子の関係があったわけではなく、世間一般で言う父親とはこういうものか、と言う感覚に過ぎないが。
別れに際し、気付かないうちに涙が流れていたことにティアは驚き、自分の感情を抑えきれずに困惑していた。
クリプトが手を振りながら遠ざかっていく。
三人は、馬車が見えなくなるまで、ゲートの前で見送っていた。
それはボルビデュス領を出るときの立場を、すっかり逆にしたかのようだった。
関所はクリプトの口利きのおかげで、たいしたトラブルもなく簡単に通過できた。
教都の中心に向かうにつれ人通りが多くなり、活気を感じるようになってくる。
神殿を外から見物し、信仰心のかけらもないティアとアービィが神殿の庭園で待っている間、それなりの信仰心を持つルティは参拝に行った。
ティアは、神と言う存在は感じたことはあるものの、他の宗教を認めないばかりかその神と崇める対象を悪魔扱いすると言う宗教に、胡散臭さを感じ取っている。
誰が何を信じようと勝手だし、それを否定する気もない。
それ故に、自らの教義のみを正しいとして、他を同化させようとしたり、否定することを理解できないのだ。
魔獣にとってみれば、どうでもいいことでしかなかった。
生きていく上で、信じられるのは自分の力だけ。
力及ばなければ死ぬだけだと思っていた。
死後についても、地獄というものがあるのならそこに行くのだろう、と漠然と思っている。
そもそも自分自身、地獄から這い出てきたようなものだ。
罰が当たるのなんのと、気にしながら生きていく必要はない。
そのくせセラスには、偉そうに説教していたが。
結局のところティアにとっては、大切に思う相手が嫌な思いをしないことが正しい行いだ、という程度のことだ。
「ね、アービィ、面倒ね、人って。こんなモノ作って、それに縋らないと生きていけないなんて」
アービィは、面倒ね、に対する答えを持っていなかった。
彼は、神という者が解らない。
神が全てを創りし者であるならば、何故、自分のようなモノを創ったのだろう。
必要なかったんじゃない? と問いかけてやりたい。
人への試練と言うが、護るならいらないじゃん、と思う。
異教徒だって、神自身が創ったんじゃないの? と聞きたい。
最初から創らないか、なんで滅ぼさないの? と思う。
結局アービィは、矛盾を感じているのだ。
彼は、神や宗教に対して、まだ明確な考えは持てないでいた。
確かに良い人ばかりなんだよなぁ、アービィは思っている。フォーミットにある教会の神父さんなんて、僕が人狼って知っても優しくしてくれたし。あんな人ばかりだといいんだけどな。
ルティがなかなか出てこないので、庭園内を二人で散歩する。
「ね、アービィ、こうしてるとあたしたち恋人みたいに見えるかな?」
盛大にアービィが咽返り、挙動不審になる。
アービィは、それまでティアに感じていなかった距離が、気恥ずかしさから遠くなった気がした。
「慌てないでよ。ルティが帰ってくるまで、練習させてあげる。……それくらい、いいでしょ?」
「いや、あの……なんかドキドキしちゃって……獣化しちゃうよ……」
それを抑えるための練習でしょ、と今度はティアが盛大に噴出す。
どうやらからかっていたらしい。
遠くに二人を探すルティが見えた。
アービィは安堵して、ルティの方に駆け出した。どうやら助かった、か、な?
ティアは残念なような、安堵したような複雑な表情を浮かべ、アービィを追う。いいじゃない、ちょっと、くらい……
とりあえず懐は暖かいのだが、これからラシアス縦断が待っている。
当然、移動には宿泊費以外にも馬車代が掛かる。
うまく仕事があればいいが、見通しが立つまでは極力節約する必要があるだろう。
街の中心からは少し離れた宿を取り、三人は荷物を置いて街に出た。
食事は宿に併設された食堂で摂れるので、まずは酒だ。
酒場に突入しようとしたルティとアービィをティアが引き止め引き摺っていく。
「まずは、ギルドでしょっ!!」
さっきのドキドキがまだ止まらないのか、珍しくアービィから飲みに行こうとしていた。
そして、その反動か、ティアが真面目になっている。
二人は不承不承、ティアは仏頂面でギルドに向かい、依頼リストを眺める。
各国の第二近衛師団が駐留しているだけあって、周囲には大して危険な魔獣は出ないようだ。
「ろくな仕事がないわねぇ。これじゃ宿代だけ稼ぐようなもんだわ。早めに次の街に行ったほうがいいかもね」
溜息混じりにティアが言った。
昨日、勢い込んでギルドに行ったはいいが、ろくな仕事が残っていなかった。
改めて朝から来てみたのだが、一日でそうそう良い仕事が舞い込むはずもなかった。
「そうねぇ……ま、もう二、三日はいてもいいんじゃない?」
ルティは、あまり真面目に依頼書を見ていない。
何か別のことを考えているようだ。
この時点でアービィは別行動している。
ルティは、アービィがどうしているか、そればかりが気になっていた。
ルティのやる気ない態度にやきもきしながら、ティアは日々を過ごしている。
アービィは何を考えているか、朝、宿を出るとすぐ別行動になってしまう。
ルティは、落ち着かない態度で、依頼書を適当にしか見ていない。
いきおいティアが仕事を選ぶが、ルティはいい返事をしない。
アービィにも合流後に相談するが、こちらも心ここにあらずと言った風情だ。
三日目の朝、ギルトに行く気配も見せない二人に対し、ついにティアは暴発した。
「どうしたっていうのよっ!! いったい、二人とも……っ、どうして……仕事探そうとも……しないのよ? アービィはどっか行っちゃうし、ルティもそればっかり気にして……あたしが邪魔なのは……」
分かってるのよ、の一言が、どうしても怖くて言えず、黙ってしまう。
感情が高ぶっているのか、その後は言葉にならず、えぐえぐと泣き出してしまった。
アービィは困ったな、という顔をしているが、そのまま立ち尽くすだけだ。
ルティは宥めようとするが、ティアは相手にせず部屋に閉じこもってしまった。
部屋の前で溜息をついたルティは、アービィと連れ立って宿を出て行った。
ティアは悲しかった。
仲間だと思っていた二人が、何か隠している。
まさか、ここでティアを置いて消えてしまうことはないと信じたかったが、あまりにも二人の行動は不自然だ。
ギルドはひとつしかないから別に依頼を受けているはずはない。
自分から消えてしまおうかとも思ったが、ここまでの旅の記憶はティアにその勇気を持たせなかった。
ティアは怖かった。
自分が必要とされていないんじゃないか、邪魔じゃないのだろうか、と。
二人の気配がドアの外から消えたことが分かると、ティアは酒瓶を取り出した。
夕方、二人が宿に戻ると、ティアはまだ部屋にいるようだ。
ノックしてみるが返事はない。
ドアを押してみると、鍵が掛かっていない。
中に入った二人が見たものは、ベッドに膝を抱えて座り、すすり泣きしているティアの悲しそうな姿だった。
まず、アービィが、ティアの前に土下座した。
続いてルティも。
ティアは、いよいよ別れを切り出されるのかと覚悟した。
おずおずとアービィが何かの包みを差し出した。
受け取りたくはないが、つい受け取ってしまう。どうせ、当座の生活費でしょ、手切れ金ね、手切れ金……
頭を上げたルティが、ごめんなさいと言い、開けてみて、と続けた。
ティアが恐る恐る包みを開けると、その中から眩く輝くラミアのティアラが出てきた。
言葉が出ない。
口をぱくぱくさせ、ティアはティアラと二人の顔を見比べた。
「実はね、伯爵からここはいろんな商品が集まるところだって聞いていたんだ。で、着いてからすぐ、ルティが神殿近くの店で見つけたんだよ。 でもさ、本物かどうかなんて、僕たちは鑑定士じゃないから分からないでしょ。お店の人が信頼できる人なのか、いろいろお喋りしてみたり、周囲の店の人に聞いてみたりしててさ」
アービィが心底済まなそうに言った。
「で、その間二人で消えるのも変じゃない? あたしはティアと一緒にいることにして、アービィが聞き込みって言うのかな、それしてて。今日、確信が持てたんで、買いに行って来たのよ。なんだかんだいって、あたしたちのせいでティアのティアラを失くさせることになっちゃったじゃない? いくら、ティアがいいよって言ってくれても、ね」
ごめんなさい、てへっ、とルティが続けた。
ラミアのティアラは、普通の人間が持っていても安っぽい造りで、輝きはほとんどない。
それが、ラミアが身に着けていたり、ラミアの手の届く範囲にあれば、ラミアの妖気に反応して自らが光を発しているのではと思うほどの輝きを見せる。
以前ティアの正体がばれたときも、そのせいだったのだ。
「驚かしてやろうって思ってたんだけど、却って悪いことしちゃったね。ごめんなさい」
「……てへっ、じゃないわよ……ばか……」
ティアは涙が止まらなくなり、左右に首を振るだけで、その後は言葉を出すことができなくなってしまった。
「でね、しばらくは仕事漬けになっちゃうけど、いいかな?」
ルティが言う。
晴れやかな笑顔で、ティアは頷いた。