狼と少女の物語   作:くらいさおら

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第23話

 宿を引き払ったアービィたちは、ボルビデュス城に用意された部屋に荷物を下ろした。

 なぜ、朝まで正座していたか、その前の記憶がおぼろげなアービィは、まだ呆然としている。

 さすがに公衆の面前でティアの正体に関る発言をしてしまっては正座もやむなしだが、必要以上にカリカリしているルティにはお仕置きの理由を聞けなかった。獣化した記憶は無いし……

 

 ティアにこっそりとルティが怒り狂っている理由を聞き出し、アービィは真っ青になって平謝りに謝る。

 一段落したところで、厨房の料理人たちがアービィに材料のことを聞きに来た。

 ようやく機嫌を直していたルティに頼んで、使用人を連れて買出しに出てもらう。

 

 アービィは、別の使用人を連れて、周辺の竹林に筍を掘りに行く。

 まだ初夏というには時期が早いので、筍も充分に見つかった。

 

 米を磨ぎ、磨ぎ汁で筍を煮出し灰汁を抜く。

 夢の中では一晩放置しないと食べられた物ではなかったが、この世界の筍はそこまで灰汁が強くないようだ。

 

 平行して小麦粉を練り、ドゥを二種類伸ばす。

 さすがにハンドトスまではできないので、厚さを変えるに留まるが、記憶を頼りにトスでの広げ方を実践し、料理人たちに後々の工夫を頼んでおいた。

 

 昼の賄はピザトーストを作り、買出しが遅くなったルティが食いっぱぐれ、盛大に文句を言われる羽目になる。

 ルティを宥めるため、デザートに出すはずだったカスタードプリンを作り、料理人たちの度肝を抜いておいた。

 

 アービィとルティが晩餐の準備に追われているとき、ティアはここぞとばかりに伯爵に連れて行かれてしまった。

 伯爵は、レイの参謀としてティアに残って欲しかった。

 ここで、ティアは貸し金業について新たな提案をしていた。

 ただの金貸しではない、低金利長期返済の起業支援の金融政策だ。

 

 これまで金貸しといえば、この世界に金利規制の法がないことをいいことに、高利貸しが横行していた。

 生活苦から借金に手を出し、首が回らなくなり自殺する者や、身売りする者が後を絶たない。

 また、アーガスのような領主が、地味の良い土地を巻き上げるために、無理な金利で金を貸し、その抵当に土地を奪い取るということもまた横行している。

 

 自業自得は放っておけばよいが、無茶な金利には歯止めをかける必要があるし、その規制で悪徳な業者が領地を出て行くことは歓迎できる。

 また、優れた発想を持つ者がいても資金がないせいで世に出られないのは、社会の損失だとティアは言う。

 

 あの見識は並大抵の者ではない。

 伯爵は、ティアのことをラガロシフォンの建て直しに、なんとしても必要な人材だと見ている。

 

 途中から妻のファティインディとレイも加わり、具体的な施政についての相談も行った。

 ファティインディは、勉強のためにとセラスも連れてきている。

 

 セラスは、あの一件以来ティアに懐いていた。

 正面から叱られて怖がっていたのだが、よほどのことを言わない限りあのときのような叱られ方はしないと分かったので、怖いもの見たさもあり周囲をちょろちょろしているうちに懐いてしまったようだ。

 もっとも、既に二度ほど使用人への態度と借り物の扱いについて、雷を落とされていたが。

 教育係としても残って欲しい。そう願わずにはいられない伯爵とファティインディであった。

 

 

 晩餐会は、貴族の家としては異例尽くしだった。

 料理人とサーブ担当は交代でだが、クリプトを含む執事たち、侍女、庭師までの使用人もテーブルに着く。

 当初はアービィが教えたレシピで調理されたものを、使用人まで含め全員がという話だったが、アービィたちがこれまでの感謝の印にということで、このようになったのだ。

 

 今夜も調理服を着込んだアービィは、料理方法や応用についての質問に答えている。

 侍女服を借りて着込んだティアとルティも、必要以上に張り切っていた。今日こそは可愛いって言ってくれないかなぁ……鈍感狼……

 

 宴のあと、厨房を片付けているとき、アービィがルティに近寄り耳元で何かを囁く。

 ティアは、ルティが一瞬で真っ赤になるのを、微笑ましく見ていた。

 それから寝るまでの間、ルティの足取りは地上10cm位に浮かれあがっていたらしい。

 

 

 翌日、アービィたちがボルビデュスを離れる前日、伯爵はアービィたちに詳しい予定を訊ねる。

 もちろん情報収集を兼ねてのことだ。

 

 アービィは、まず教都ベルテロイに向かい、それからは決まっていないが、ラシアスを縦断して火の神殿があるグラザナイへ行くと言った。

 せっかくだから、王都アルギールにも行ってみたいし、できるなら地峡要塞ウジェチ・スグタも見てみたいと思っていると予定になっていない予定を説明した。

 

 ベルテロイまでボルビデュス領からは馬車で三日ほどだ。

 これは伯爵所有の馬車で、クリプトに送らせるつもりでいる。

 ベルテロイからグラザナイまでは最短ルートでも馬車を使っても二週間、歩くだけだと一ヶ月は掛かるだろう。

 

 途中アルギールに寄ると、さらに一ヶ月。

 ウジェチ・スグタ要塞とグラザナイの往復にも一ヶ月は掛かるだろうと伯爵は言った。

 やはり、馬車を調達するか便乗できる護衛の仕事を見つける必要があるだろう、そう考えていると、伯爵からいい情報を教えられる。

 

 ラシアスは、起伏に富んだ地形のため、徒歩による移動は効率が悪い。

 軍を迅速に移動させるためにも、街道は整備されている。

 

 このインフラ整備に乗じて、駅馬車と呼ばれる交通機関が発達しているらしい。

 駅馬車を使えば、徒歩の倍以上の速さで移動できるという。

 

 実は、各駅にはギルドの支部があるため、足取りを掴みやすいという事情もあって、伯爵はできるなら駅馬車を使うといいと勧めてきた。

 もちろん、そのことは伏せてだが。

 

 

 今夜のパーティーだが、これも貴族が開催するパーティーとは思えない次第となっている。

 アービィたちへの感謝を込めて、という意味合いはもちろんのこと、領内の産業に役立つ情報が詰まっているのだ。

 ラガロシフォンに占有させる料理以外は、盛大に振る舞い、領内に広めたいという思惑があった。

 

 家庭料理と呼べる範疇の簡単にできる料理は、単調になりがちな街の食堂や宿の客寄せにも使えるだろうし、菓子は新しい産業を興せるとティアに言われたのだ。

 簡単にできる菓子とお茶を提供し、お喋りが楽しめる店舗をティアは提案していた。

 

 今現在、外で食べる場所は、酒場か食堂しかない。

 きちんとした食事か、酒しか選択肢がないのだ。

 酒場では酔漢が多く、女性や子供だけで安心して行ける飲食店がない。

 

 産業構造が未発達で、一日の労働時間が12時間を超え、まとまった休憩をとるという発想がない世界では、今までそのような喫茶店に相当する店は必要とされることはなかった。

 いや、不必要だったのではなく、発想がなかったのだ。

 

 どんな人でも12時間働き詰め、などということは不可能だ。

 昼食や適度な休憩は、意識せずともそれぞれが取っていた。

 

 それは、態々お茶請けなどを準備していて、それはそれで時間を取られるものだった。

 また、気が向いたときに適当に休憩時間を入れていたため、非効率的でもあった。

 

 その時間を狙った隙間産業というべきものは、これから充分に発展する可能性を秘めている。

 客の奪い合いという競争が起これば、それは様々な技術やサービスの革新を促すだろう。

 そこから出る税収で領内を整備し、関税や個々に掛かる税を下げることができれば、他領からの移民や物流を呼び込むことができるだろう。

 ラガロシフォンに独占させることも選択肢の一つとしてあったが、領内全体を盛り上げ、それを以ってラガロシフォンへ経済効果を波及させた方が収益が上がりそうだと伯爵は考えていた。

 

 

 日が傾き始め、ボルビデュス城の前庭には篝火が焚かれている。

 領主の家族、使用人、領民が入り乱れ、並べられた料理を堪能していた。

 

 さすがに今日は、アービィたちが主賓だ。

 再度、礼服を着せられ、ルティとティアはドレスを着飾っている。

 二人とも、アービィからプレゼントされた髪留めを着けていた。

 伯爵領の名物料理が並び、昨日のレシピを料理人たちが意地に賭けて改良を加えたものもある。

 

 日頃粗食に耐える下層階級の者たちは、ここぞとばかりに食べ物を腹に詰め込んでいた。

 この世にこんな旨い物があったのかと涙を流さんばかりの人々は、これが当たり前にその辺りに転がっている材料や、自らが作り出したり獲ってきた材料から作られていると知り仰天した。

 

 さらには、食べ物だと思ってもいなかった筍が、こんなに旨い物だと知り、また仰天する。

 唯々発想力の違い。日々の暮らしに追われて、心に余裕がないがためであった。

 聡い者たちが筍の調理方法を聞きだし、後に筍料理文化を広めていくことになる。

 

 伯爵やレイは、その現状を改めて認識し、まだまだ領民たちは幸せから程遠いところにいるのだと、愕然とする想いであった。

 セラスも考え方が改まってきたのか、領民たちに必要以上に尊大に振舞うことはなく、周囲を却って疑心暗鬼にさせてしまっていたが、領民たちの生の声を聞けたのはいい経験になっただろう。

 

 

 パーティーが始まって暫くした頃、アービィはルティを会場の端に連れて行った。

 

「あ、あ、あの……さ……髪留め、着けてくれて嬉しいな……。……ルティ、きれいだよっ」

 真っ赤になってそれだけをやっと言うと、アービィは照れ臭そうに走っていってしまった。

 しばらく顔を真っ赤にして、逆上せたようなしまりのない顔で気味の悪い笑みを浮かべ、小さく笑い声を漏らすルティがいた。もう、そこまでいったらキスくらいして見せてよ……

 ティアは、羨ましくも微笑ましく、しかしどこか寂しそうな顔で、二人を眺めていた。あたしにも言って欲しかった、な……

 

 

 アービィは、使用人の中に高位の水の呪文を使える者がいると知り、幾つかの実験をしてみた。

 近くの川で取れたマスに似た魚の腸を抜き、そこに『凍結』を掛けてみてもらった。

 案の定、いい具合に身は凍りつき、暫く放置しておくとちょうどいいルイベができたのだった。

 

 この世界でも、淡水魚は人体に入れば致死性の寄生虫を持っている。

 知識が浸透していない世界では、知らず食べたり、火の通りが甘い状態で食べたりして罹患し、命を落とす者が後を絶たなかった。

 

 当然、ある程度の知識層の間では、魚は生で食べてはいけないという常識がある。

 しかし、この方法を使えば、生であっても充分食用に耐えるようにできる。

 レモンと塩で味付けされたルイベは、革命とも呼べる料理だった。

 厳冬期にしか手に入らない、もしくは永久氷土や氷河から運ぶ財力のある者しか手に入れられない氷が、呪文により簡単に手に入り、何度か続けて使用することで長時間氷を維持することもできた。

 

 蓋ができる金属の薄い筒に牛乳と砂糖、そしてやはりこの世界でもあったバニラビーンズを入れ、氷の上で筒を回転させる。

 想像したとおり、筒の中にはアイスクリームができていた。

 

 

 まずは『凍結』を使った者が、精神力の代償としてアイスクリームを試食する。

 指に取り、口に入れた瞬間に、舌の上で溶けてなくなる食感に、鼻腔に抜ける香り。

 

 彼は思わず歓声を上げていた。

 それにつられ、周囲に人が集まってきた。

 

 アービィは、わざとレイとセラスを後回しにして、伯爵夫妻、使用人、そして領民たちに器を回す。

 あっという間になくなってしまったが、数人の術者が名乗り出て、追加を作り続けた。

 

 散々に勿体をつけて、レイに器を渡した。

 一口食べたレイは、伯爵令嬢の上品さをかなぐり捨て、黙々とアイスクリームを口に運ぶ。

 すぐ、これは売れると判断できたが、領民の多くが知ってしまった以上、ラガロシフォンの占有事業にすることは無理だとも悟っていた。

 何せ、ちょっとした発想の転換だけで、作り方はあまりにも簡単なのだ。

 

 残念さも手伝って、手元にあったアイスクリームを物凄い速さで食べつくしたレイは、お約束の頭痛に襲われていた。

 もちろん、その横には頭を抱えて蹲る、ルティ、ティア、セラスがいた。

 

 

 アービィは、ルイベには確証があったが、アイスクリームはほんの思い付きだった。

 レイは、この新しい味をラガロシフォンの独占にできなかったことを、恨めしく思っていた。

 

 バニラビーンズは、まだ生産量が少なく超が付く高級品であったので、これをラガロシフォンが占有することにしてプレミアを付け、他地域ではバニラなしにしようとアービィは提案し、やっとのことでレイの機嫌を直すことに成功した。

 もちろん、レイにそのような独占欲や独善性があるわけではなく、ラガロシフォンを立て直したいという意識の現われからだった。

 

 埋蔵資源のように限りがある資源と違い、再生産可能な資源は、需要が増えれば供給を絞り高利を貪る者が出る一方で、大量生産方法を開発し、多売により利益を上げようとする者が出るだろうと、ルティは考えていた。

 どちらにせよ、一気に採れるだけとって資源の原資を壊滅させるほどバカではない、持続可能な資源の有効利用方法が社会基盤を強くすると期待するルティだった。

 

 それでも、アイスクリームの味付けに他の果実を使うという発想は、いつのまにか領内全体に広まっていく。

 アービィがちょっとした思い付きで作ってみたアイスクリームは、新たな食文化をボルビデュス領にもたらすことになる。

 

 それだけではない。

 商品の生産、製造用の鉄器の製造や流通、原材料の輸入や製品の搬送に伴う輸送、販売と、ひとつの商品開発が様々な産業の振興に繋がっていく。

 

 攻撃にしか使わないものという常識を破ったこの方法は、呪文の使い方に革命を起こした。

 火の呪文の応用性は知られていたが、他の呪文にごく一部を除き応用性はないと考えられていたのだ。

 後に、黒魔法を使える者で、年齢から冒険者を引退した者や、荒事に性格が向かず知識として習得していた者に新たな雇用を創生し、中には事業を起こす者さえ出るようになる。

 

 

 夜が更けても人々は帰る気配はなく、ボルビデュス城は新たな時代の幕開けを祝うかのように、喧騒に包まれていた。


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