狼と少女の物語   作:くらいさおら

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第18話

 レヴァイストル伯爵は、苦り切っていた。

 来る度に酷くなる息子の領地の様子。

 民は極貧に喘ぐが、息子は何の対策も練っていない。

 

 それどころか税を集めろとの号令ばかりで、何故税収が落ちているのかの原因を考えることもない。

 何も自ら鍬を振るえと言っているわけではない。

 土地から収穫が上がらない、店舗の売り上げが上がらないといった直接、間接の原因を探り、対策を練り、民を指導しなければならない。

 

 日々の暮らしに追われる民に、原因の追究や、対策といったことまで任しているのであれば、貴族など不要で害悪でしかない。何せ、生産性皆無の『職業』であるからだ。

 戦乱の時代であれば、領民を守るために剣を振るう『職業』という解釈もできた。

 しかし、現代における貴族とは領地を経営する『職業』だ。

 自らは職業、例えば商業や農林水産業、工業に携わることなく、徴税という特権の下に、領民の暮らしを守りながら、その税を給料として生活する『職業』であるといえる。

 もちろん、現代でも野盗や魔獣といった脅威から領民たちの安全を守るために、それぞれが養う軍を率い先頭に立って戦うことも重要な職責のひとつでもある。

 

 アーガストル子爵は、特権階級であるという一点にのみに立ち、領民の幸せや安全などは二の次だった。

 領民にとっては、貴族に傅き全てを投げ出して尽くすことこそ、無上の幸せであると信じていた。

 

 自分は、レヴァイストル・シンピナートゥス・ヴァン・ボルビデュス伯爵の子息である。

 父の威光に逆らい得る者は、精々がところ、王族や爵位が父より上の一部貴族だけだ。

 父の努力や、それに伴う信用といったものが作り上げた威光にぶら下がり、自らは努力する必要などなく、権力とは転がり込んでくるものだと思い込んでいる。

 当初は父を真似て善政を敷こうとしていた彼だが、ストラーの貴族や一部の思い違いをした貴族と付き合ううち、どこかが狂い始めた。

 

 領民が父に対し膝を折るのは、無理のない税と共に福祉という見返り、さらには安全の確保、公正な裁判といった、多大な努力があるからこそであって、彼のような無策無為な貴族に対し、本気で尊敬の念を抱く者など皆無である。

 それでも彼は、王族や貴族同士の付き合いを通して見てきた振る舞いのうち、平民に対して威厳を持って接するという点だけを、貴族らしさとして真似していた。

 

 

 ラガロシフォン城に馬車が到着し、レヴァイストル伯爵一行はアーガストル子爵の出迎えを受けた。

 護衛であるアービィたちは、もちろん貴族の出迎えを受けるような立場ではないが、父の到着とあっては子爵であろうと城門まで迎えにくるのは当たり前のことである。

 

 伯爵とレイは応接間に、クリプトとアービィたちは次の間に通される。

 扱いに差が出るのは当たり前のことなので、特に彼らに不満はない。

 不満があるとすれば、この後歓迎のパーティーなどに出なければならないことだ。

 もっとも、ルティは脳天気にドレスが着られることを喜んでいるが。

 

 子爵と伯爵に型どおりの挨拶を交わしている間、アービィたちはクリプトからいつくかの注意を受けていた。

 別に敬意など払う必要などございませんが、態度だけは作法に従っていただきたく存じます。

 妹君もおいでですが、こちらに対しても同様。

 やたらとご自分の権勢を誇示したがる方々でございますので、ご機嫌を損ねると余計不愉快なことになり兼ねませんのでな。

 

 どうやらクリプトも、この二人に対して敬意というものを抱いていないようだ。

 が、悲しいかな宮仕えの身、叩き込まれた作法と主人への限りない敬意が、出来の悪い子息の前での態度を嘲りに変えずに済ませていた。

 

 作法などとは無縁の生活を送ってきたアービィとルティは、クリプトによる即席のマナー教室の生徒となっていた。

 パーティーの際は、ぼんく……いえ、子爵様がお二人に不埒な真似をしないとも限りませぬゆえ、護衛というお立場をご利用なさり、できる限り伯爵様かレイ様のお側におられますよう、とティアをちらりと見てから、クリプトは言った。

 あぁ、クリプトさんまでっ!! またティアだけっ!? あたしはっ!?

 

 

 陽が沈む頃、ラガロシフォン城の広間を喧騒が埋めていた。

 伯爵の来訪とあって、近隣の村や城下の有力者たる騎士階級のものや、隣接する領地を持つ貴族たちも、パーティーに訪れている。

 

 無理矢理礼服を着せられたアービィは、なんともいえないこそばゆさを感じていたが、ルティやティア、レイは、感嘆の思いでアービィを見上げている。

 175cmのがっしりした偉丈夫。きちんと刈り揃えた髪を丁寧に整えられた涼やかな顔立ち。

 貴族の振る舞いを身に付けていないだけで、その点を除けばどこに出しても恥ずかしくない立ち姿だった。

 もっとも『その点』が一番問題じゃないか、とアービィもルティも思っていたが。

 

 パーティー会場に入り、所謂上流階級の者たちの中に放り込まれたアービィたちは、居た堪れないほどの居心地の悪さを感じていた。

 なぜ、このような場に平民どもが、と言う視線。

 または、ルティとティアを値踏みするような視線。

 何れにせよ、長くは居たくない場である。

 

 伯爵は、貴族の仕事ともいえる親善外交のための会話に忙しく、レイはさりげなく縁を求める男どもを当たり障りないように交わすのに忙しい。

 いつしか、三人は壁際に追いやられ、酔っ払わない程度に酒を飲んでいた。

 

 会場を出て行くタイミングを計っていると、アーガストル・ラガロシフォン子爵がグラスを片手に、三人に寄ってきた。

 クリプトに教わったように、当たり障りのない挨拶をする三人に、アーガストルは尊大な態度で答礼する。

 そして、言わずにおけばいいものを、恩着せがましく話し始める。

 

「ようそこ、我が領、我が城へ。いかがかな、パーティーは楽しんでおるかね?本来なら、君たちのような立場の者が、このような場に立てるものではないからな。父上の護衛ということで、特別に許可しておいた。精々、楽しんでいってくれたまえよ」

 伯爵と同色の髪と瞳。

 しかし、伯爵とは大きく違う弛んだ頬、二十を越えたばかりだというのに突き出しつつある腹、鋭さのない欲が澱んだ瞳。

 おそらく、領民の貧困など考えずに、美食飽食に励んだ結果であろう。

 そして、伯爵とは比べ物にならない貧弱な腕。

 おざなりの剣の稽古しかしていない。鍛錬を積んでいるとはお世辞にもいえない。

 アービィたちは、腹の底から湧き上がる不快感を必死の努力で隠し、頬に笑みを貼り付けていた。

 

「レディ、護衛の仕事は楽しいか?」

 ルティとティアをねっとりとした視線で眺めながら、アーガストル子爵は言った。

 アーガストルの問いに、言葉すらもったいないと思う二人は、短く肯定の返事をする。

 

 この若者と女は、姓が同じところを見ると片方とは姉弟か夫婦、片方が恋仲か。

 それを喰らい尽くされて、嫉妬の炎に焼かれる姿を見るのも、また一興。

 いくら抗いたくとも、貴族であるこの私に逆らう愚か者などいるはずはないな。

 自領内の痩せ細った鶏がらのような女どもとは、大違いだ。

 こちらの胸など、そうそうお目に掛かれるものでもない。

 あちらは多少劣るが、まぁ貧弱というわけでもない、とアーガストルはと腹の中で考える。

 

「そんな汚れ仕事より、どうだ、この城に入らぬか? 我が側室ともなれば、後々の伯爵側室ぞ。悪い話ではあるまい?」

 呆れ返って笑いしか出てこない二人に、よく考えておきたまえと言って、アーガストルはその場を離れた。

 七対三の割合でティアと胸を見比べられたルティは、心底嫌そうな顔でアーガストルの背中を見送った。

 

 ……ティア、やっちゃっていいわよ。思いっ切り搾り取っちゃいなさいよ。

 

 ……イヤ。選ぶ権利くらいはあると思うの。

 

 ルティはアービィもちょっとは怒ってくれてもいいのに、と思って振り向く。

 そこには、にこやかな表情で、分厚いオールドグラスを握り潰したアービィがいた。

 

 

 ようやく嵐が去ったと思うまもなく、今度は嫌味な態度の女の子から声を掛けられた。

 

「お姉様の護衛って、あなたたち?」

 相手は子供とはいえ貴族であるし、クライアントの娘であり、妹だ。

 最低限の礼を失わないように、三人は自己紹介し、挨拶をする

 

 こちらも伯爵やレイと同色の髪と瞳を持った、十二、三歳ほどの少女。

 長い髪を縦ロールに巻き、全体にゆるやかにウェーブが掛かっている。

 まだ成長途中の肢体は、レイを見れば将来が楽しみだ。

 ドレスの腰に手を当て、低い身長をものともせず軽く顎を上げ、斜めに見下ろすように立っている。

 セラストリア・アリーナ・ボルビデュスよ、と名乗り、やはり値踏みするような視線を送ってきた。

 

「もうね、退屈でしょうがないの。私の護衛に鞍替えしない? 北の大陸を征服しちゃいましょうよ。ったく、身の程知らずな、あの連中を返り討ちにして、ついでに我が領にしちゃいましょ。あんな連中、いなくなったら良いと思わない?」

 思わない。

 何を言い出すのかと、三人は呆気に取られる。

 どちらの大陸であっても、民は生きることに必死なのだ。

 南の大陸への侵攻を許せるわけではないが、三人とも北の民の気持ちくらいは、解っているつもりだった。

 大陸への侵攻、防衛のどちらに正義があるわけではない。

 何も撃退しないでも、平和的な解決策もあるんじゃないかとも、アービィたちは思っている。

 

「どうせ、私もどこかに嫁ぐ身よ。伯爵領は手に入らないの。だったら、何か大きな手柄でも立てて、王族辺りに嫁ぎたいじゃない? ストラーの王族なんかだったら、ここよりいい暮らしが出来ると思うの。手伝わせてあげるわ」

 逆らうの? 私は伯爵令嬢よ、と言い、さぁ、答えなさい、と迫ってくる。

 どうあしらうか、三人が頭を悩ませていると、レイが不穏な空気を察知して人垣を掻き分けてきた。

 

「セラス、無茶なこと言わないの。この方たちは、あたしとお父様が護衛にと依頼した方たちよ。あなたのおもちゃにするために連れてきたんじゃないの。だいたい、立場を利用して相手に答えを迫るなんて、脅迫よ」

 レイがセラスを窘めるが、父の溺愛を一身に受けた少女は、そんなことどこ吹く風だ。

 

「お姉様、私は名誉を与えようとしてるのよ。平民が貴族の役に立てるなんて、この上ない名誉じゃない。護衛みたいな地味~な仕事より、よっぽど嬉しいはずなの。決まってるわ、そんなこと」

 その態度は不遜すぎるわ、というレイに、お姉様こそ平民に甘い、そんなことでは嘗められるわ、というセラス。

 お互いに視線が火花を散らし、互いに、今夜は意見してあげる、と言って、睨み合いながらその場から離れていく。

 

 ごめんなさいね、楽しんでね、と三人に言うレイに、なんで貴族が平民に謝るのよ、と文句をつけるセラス。

 ざわめく会場の真ん中で、額に指を当て俯く伯爵の姿が見られた。

 

 

 夜も更け始め、広間からは少しずつ人が減り始める。そろそろお開きの時間だろうか。

 ……アービィ、他の女の子に目を奪われちゃって、あたしは目に入らないの?

 ……初めて着たドレス、似合わないかなぁ?

 

 

 パーティーは、クリプトの心配をよそに、とりあえずは無事に終わった。

 パーティーの後、伯爵と共に剣の鍛錬に励むルティの横で、クリプトから弓の手ほどきを受けるティア。

 ルティはここまでの旅の間、伯爵の指導でかなり剣の腕が上がっている。

 たった数日とはいえ、基礎から叩き込まれたことが効いているようだ。

 

 ティアも弓についてクリプトに相談したところ、適任の熟達者はいないが基礎くらいであれば、とクリプトが教官役を買って出てくれたのだ。

 こちらは魔獣補正のせいか、かなり上達が早い。

 ダガーについても手ほどきを受けているので、そちらも腕が上がりそうだ。

 

 

 深夜、城内に最低限の警備の兵だけを残し、皆が寝静まった頃、ティアの部屋に忍び込もうとする人影があった。

 もちろん、パーティーの際、ティアに目を付けていたアーガスだ。

 

 合鍵を用い、静かに。だが、鈍重な足音を立て、部屋に忍び込む。

 当然、ティアは気配で目を覚まし、待ち構えていた。

 あからさまに撃退してしまっては、後々面倒なことになりそうなので、あくまでも寝ぼけたことにする。

 

 アーガスがベッドに寄りかかり、ティアの髪に手を触れる。

 まだだ、ここで飛び起きては、目を覚ましたと思われてしまう。

 気持ち悪いが、もうちょっとの我慢だ。

 

 起きる気配がないと判断したアーガスが、ティアの唇に自分の唇を近づけた瞬間。

 

 石と石がぶつかり合うような音がした。

 

 ティアは、顎を引き、腹筋だけで上体を一気に起こしたのだ。

 力いっぱいの頭突き。

 アーガスは、言葉を発することなく気を失ってティアの上に崩れ落ちた。

 

 一呼吸入れ、大きく息を吸い込んで悲鳴を上げる。

 

 慌てて警備の兵とアービィ、ルティが部屋に飛び込み、伯爵、レイ、セラスが遅れて飛び込んでくる。

 

 ティアに覆いかぶさるように失神しているアーガスと、どうしていいか判らず困惑する兵を見て、レヴァイストル伯爵は再度額に指を当ててしまった。


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