狼と少女の物語   作:くらいさおら

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第17話

 早朝、一行は二台の馬車に分譲し、エーンベアを出発した。

 一台目ではアービィとルティがレイを、二台目ではティアとクリプトがレヴァイストル伯爵を護衛する。

 もっとも、伯爵自体が戦力に数えて良いほどの武勇を誇るので、ティアは回復役に徹していても充分だ。

 それぞれの馬車には侍女が二名ずつ分乗し、身の回りの世話をする。

 

 休憩地でのテーブル設置や水汲みなどの力仕事は、アービィとクリプトの仕事だが、男手が二人とも同時に離れるわけには行かないので、アービィは雑事を引き受けるつもりでいる。

 野営時の不寝番も、基本的にはクリプトとアービィの仕事だが、深夜までと早朝はルティとティアが担当することになった。

 

 まず、北東に向かいバイアブランカ王家直轄領内のホルボーン村を目指す。ここまでは三日の行程だ。

 次いで北の山岳地帯を抜け二日の行程で東の商業都市ティムス、さらに北東へ進み二日でアーガストル・シンプレックス・ヴァン・ボルビデュス・ラガロシフォン子爵の居城があるラガロシフォンに到着する。

 ここに三日滞在した後、いよいよレヴァイストル伯爵領ボルビデュスに到着する14日間に亘る旅の予定だ。

 

 

 途中、小さな集落もあるが、伯爵が宿泊できるような格式の宿があるのは、ホルボーン、ティムス、ラガロシフォンしかない。

 行程に余裕を持って組むか無理をするなりの調整をすれば、小さな宿で宿泊することもできるのだが、伯爵は宿に無駄な気を使わせることは望まない。

 このため馬車の平均的な速度で走った場合、そのような村は通過するようにして、領地への往復は野営が何度か入るようになっていた。

 もちろん、通過してしまう村に対する気遣いも忘れず、食料等はそこから購入するようにしている。

 伯爵にとっては野営することも楽しく、相手に迷惑を掛けたくないからのことであって、宿の格式に不満を持つからではないのだ。

 

 宿に限らずこの世界では、庶民が行く施設、貴族が行く施設と格の違いと区別があり、下手に格が違う宿を利用すると、却って相手に迷惑が掛かってしまう。

 かつて伯爵がまだ若かった頃、何気なく小さな集落の宿に一晩泊まったことがあるが、宿の主人を始め使用人までが就寝時に宿の外の地べたに寝てしまったのだ。

 貴族と同じ屋根の下に寝るなど、不遜な身の程知らずの行いだ、と言うことだった。

 

 当時子爵だったレヴァイストルがいくら、気にしないから、と言っても、後々子爵様と同じ屋根の下に寝たという話がどこからか伝わり、役人から問答無用で罰を受けるか判ったものではないと、宿の人々はほうほうの態で逃げ出してしまった。

 

 またあるとき、道端にある茶屋に立ち寄り水を求めたときも、店員の少女は水の入ったその店で一番上等の器を盆に載せ、自らの頭より高く差し上げ運んできたものだった。

 高貴な方が口にするものが、庶民の頭より低いところにあるなどとは許されるものではない、ということである。

 

 すっかり辟易したレヴァイストルは、それ以来公的な移動の際には自領以外では野営を好むようになった。

 それなりの格の宿でも、投宿した際には町村の有力者が押しかけ、お機嫌伺や陳情にやってくるので、それはそれで面倒だとも思っているが。

 

 しかし、庶民にその態度を取らせることこそ貴族的振る舞いであると、態々そのような宿に泊まり、怯える庶民を酒の肴にする貴族も多い。ひどい場合に言い掛りをつけては金を払わずにいたり、娘を差し出させる者もいるとも聞き及んでいた。

 アーガストルにはいつも厳しく言ってはいるが、伝え聞く話にはあまりよい評判はなく、心配は募るばかりだ。

 

 

 出発した当日は、慣らしも兼ねているため、王都のほど近いグラース河の広大な河川敷で野営する。

 クリプトはもちろん、伯爵も手馴れた手つきで火を熾し、野外での食事を楽しんでいた。

 

 夜半、小規模なゴブリンの襲撃もあったが、これも伯爵が先頭に立ち撃退してしまった。

 護衛の必要なんか無いじゃないの、と思うアービィたちであった。

 それでもそれぞれが適切に呪文の修練に励むことができるので、旅の終わりにどれほどの上達があるか、楽しみになっていた。

 

 翌日の野営時には魔獣の襲撃もなく、行程の遅れを出すことなく、ホルボーンに到着した。

 ホルボーンの宿に入り、一頻り有力者の相手を済ませた後、一行は夕食までのゆったりした時間を過ごしている。

 クリプトが宿のロビーで寛いでいると、ルティが話しかけてきた。

 

 剣の指導をして欲しい。

 ルティの願いは、アービィを守ることができる武技も身に付けること。

 アービィの戦闘力そのものに心配は無いが、アービィ一人が全てと戦えるわけではない。

 ティアも充分な戦力だが、ルティは自分でアービィを守りたいと願っている。

 少しでもアービィの負担を減らしたい。上手く言葉にできないのですが、呪文での助力だけでは不安なのです。

 

 いきなり後ろから、偉い、と大声と共に大きな掌がルティの背中を叩いた。

 レヴァイストルが満面の笑みを湛えてルティを見下ろしていた。

 

 私が稽古を付けよう、という伯爵の言葉にルティは恐縮する。

 伯爵は大剣をよくする。

 愛剣は、ルティ同様の両刃のブロードソードだ。

 クリプトも剣を扱うが、レイピアを得意としていた。

 それであれば、同種の剣を使う者が稽古を付けるべきだ、というのが伯爵の意見である。

 

 ルティの返事も聞かず、部屋に取って返した伯爵は、愛剣を腰に佩きロビーに戻ってきた。

 こうなっては遠慮するわけにも行かず、ルティは剣を取りに戻る。

 宿の裏庭に出た伯爵とルティは、まず小手調べとばかりに立ち会った。

 

 殺す気で来なければ腕前が判らんからな、と言う伯爵に対し、ルティは全力でも敵いませんからと言い、全身に殺気を漲らせ飛び掛った。

 裂帛の気合と共に剣を振り下ろすルティだが、伯爵は軽く捌き続ける。

 十合ほどの打ち合いの後、伯爵はルティの剣を弾き飛ばした。

 

 肩で息をするルティに対し、伯爵は息も乱れていない。

 それは当然だろう。

 幼少の頃より、父や騎士たちから厳しく武芸を叩き込まれ、四十半ばになっても鍛錬を欠かさない伯爵と、あくまでも我流で剣を振り回すだけのルティでは、呼吸法、動作の効率、筋肉の使い方、全てが違う。

 

 一朝一夕に上達はしないがな、と伯爵は言い、剣の基本からルティに指導を始めた。

 構えから始まり、打ち込み、引き戻し、薙ぎ、払い、受けと一連の動作を細かく指導する。

 熱の入った指導は終わる気配を見せず、伯爵の方針で旅の途中は全員が同じ食卓を囲むことになっている食堂では、『おあずけ』を喰らった一行がスープの湯気が消えていくのを恨めしそうに見詰めていた。

 もっとも侍女たちは、この時とばかりに伯爵様と同じテーブルで食事を取るのは不敬ですと宿の主人が言ったことにして、他の食堂でさっさと食事を済ませていたが。

 

 

 翌朝、まだ陽が昇る前に、ルティの部屋のドアが激しく叩かれた。

 筋肉痛に悲鳴を上げるルティがやっとのことでドアを開けると、そこには満面の笑みを湛えた伯爵が、剣を携えて立っていた。

 さぁ、朝の鍛錬だ、と半泣きのルティを引き摺って裏庭に出る。

 

 昨夜同様、熱の入った鍛錬が終わると、伯爵は爽やかな笑顔で、ルティは半死半生で朝食の食卓に着いた。

 クリプトから話を聞いていたアービィが心配そうに、ティアとレイが笑いを噛み殺し朝の挨拶をする。

 クリプトは、伯爵が毎朝剣を振っていることは知っているので、平然と挨拶をしていた。

 もちろんクリプトも伯爵も、ルティから「アービィを守りたいから剣を習っている」という理由に関しては口止めされていた。

 アービィもなんとなく察してはいるが、ここは口出しすべきではないと言うことくらいに空気は読める。

 ティアは、明日からあたしも弓の練習をしようかな、と思っていた。

 

 

 ホルボーンを出ると山岳地帯に入り、馬車の速度は落ちる。

 途中小さな村で食料を買い足し、山道の開けた場所に野営地を定めた。

 

 行程上無理をした場所なので、既に陽は落ち、足元が危ない。

 火だけ熾し、簡単にレーションだけで食事を済ませ、早めに寝て翌朝早く出ることにした。

 

 夜間、花を積みに行くことは危険が伴うため、女性陣は水分を控えているので、かなり喉が渇くようだ。

 野営時は男性女性で馬車を分けるのだが、女性陣の馬車からは長い間話し声が聞こえてきた。

 

 寝付けない侍女の一人が窓の外を眺めていると、馬車から20m程離れたところに影があった。

 不寝番のクリプトがすぐ気付き、ルティとティアを起こすように侍女に伝える。

 気配を察知した伯爵とアービィが馬車から飛び出し、それぞれに剣を構える。

 

 焚き火の明かりの中に入ってきたのは、全長が3mほどの大熊だった。

 

 伯爵を背後に庇い、アービィが前に出る。

 下手に弓を射て手負いにすると厄介なので、ティアは馬車に待機していた。

 ルティも侍女たちの護衛に馬車に残り、アービィとクリプトが並び、背後に伯爵が控える。

 

 緊張のあまり獣化しそうだが、全身の力を抜き、とにかくリラックスする。

 焦げ臭い殺気が押し寄せてきた瞬間、アービィは跳躍し、熊の一撃を避ける。

 アービィを狙って振り下ろした腕にクリプトの鋼線が絡まり、目標を見失った熊の態勢を大きく崩した。

 ほぼ同時にアービィの跳躍に合わせて、水平に打ち出された伯爵の剣が熊の顔面を捉える。

 

 熊は片腕で顔を掻き毟り、もう片方の腕で大地を叩こうとするが、クリプトの鋼線が腕を切り落とした。

 大地を叩こうと振り上げた腕が消え、動きが鈍る熊の背中に、アービィと伯爵の剣が再度打ち下ろされる。

 

 ティアが呼び出され、残酷ですが、とクリプトに言われ、動く標的に弓を射る。

 15m程の距離から放った十本のうち、六本までが命中し、熊が再度暴れ始める。

 クリプトの鋼線が熊の首に巻き付き、クリプトが腕を振ると重い音を立てて熊の首が地面に転がった。

 

 翌朝、熊の死体を全て馬車に積み、ティムスに向け出発した。

 もちろん、黎明期から伯爵にしごかれて、ルティは死にそうな顔で馬車に揺られている。

 

 

 道中、リザードマンが襲ってくるが、ルティを前面に出し、適度に呪文で回復させながら撃滅する。

 たった二日であるが、ルティの動きには無駄がなくなり始めていた。

 ティアは内心焦りを覚えてしまい、夜にでも弓の修練をしようと心に決めていた。

 夕暮れが近付く頃、商都ティムスの城壁が遠くに見え始めた。

 

 

 ティムスの宿で、熊の処理を依頼した。

 熊は、肉はもちろん、胆嚢と掌は特に高く売れる。宿の主人が銀貨十五枚で売捌いてきてくれた。

 レヴァイストル伯爵は手数料として主人に銀貨五枚を渡し、残りをアービィに渡してくれた。

 三人は恐縮しつつも、臨時収入に大喜びする。

 ここでも有力者たちの挨拶があり、それを無難に捌いた後夕食となった。

 

「次はご子息の領地ですね」

 アービィが、何気なく確認する。

 

「うむ、寄らないわけには行かないのだがな。皆の前で恥を掻くことが無ければ良いのだが」

 

「ティア、ルティも、兄様には気をつけてね。たいした実力も無いくせに、手だけは早いんだから」

 ティアの胸を見ながら、レイが二人に言う。あたしは見もしないのっ!!?

 

 

「レイ様、僕たちは別に宿を取ったほうがいいんじゃないですか?」

 ルティとティアの心配もあるが、一介の冒険者が話に聞くような子爵の屋敷に泊まることで、何かしら余計な問題を起こさないかが心配だった。

 主に、ティアが何かやらかすのではという心配だったが。

 

「それがねぇ、どんな風の吹き回しか、城に泊まれって言ってるのよ。いつもは、絶対城には足を踏み入れさせないくせに。多分だけど、ルティとティアがいるからじゃないかなぁ」

 またティアの胸を見ながらレイが言った。またっ!? あたしは見ないのっ!?

 

 夕食後、怒りを何かにぶつけるかのように、いつもより激しく剣を振るルティの姿が見られたとか。

 

 

「ルティ、昨夜は太刀筋が乱れておったが、心に迷いでもあったか?」

 翌朝、鍛錬が終わったあと、伯爵がルティに声を掛ける。

 しっかりバレていたが、まさか自分のコンプレックスのせいだとは言えず、言葉を濁す。言えません、乳のせいだなんて。

 

「ま、だいたいは……解った……が……、剣を持つ……ときは、心を静める……ようにな」

 伯爵、笑いを堪えながら言わないでくださいっ!!

 朝食時、本気で泣きそうなルティがいた。

 

 ティムスからラガロシフォンまでは、余裕のある行程なので食後暫くゆっくりしてから出発することにした。

 出発までは自由時間となったため、アービィは街に出かけた。

 

 ふと思いつき、アクセサリーショップに行き、ルティとティアに髪飾りを買って帰った。

 ティアには、ティアラでなくてごめんね、と付け加える。

 アービィから髪飾りを受け取り、嬉しそうに髪に飾ったルティは、それからしばらく気味の悪い笑みを浮かべていた。

 

 

 翌日の昼前に、ラガロシフォン領入り口の村グラギリスに到着した。

 ここは通過だけだが、その分昼食用の食料を購入する。

 村での買い物を済ませ、通りを馬車で通過しているときから、レヴァイストル伯爵とレイの表情が曇ってきた。

 

「アービィ君、買い物を頼んでしまって済まなかったね。ここでは私やレイ、クリプトは顔を知られているのでな。伯爵家の馬車から降りてきたのだから、当家縁の者ということは判ってしまうが、それでも我々が行くよりは気を使わせずに済む。特に、この村ではな」

 それはそうだ。領主の父当人が買い物になどきたら、村中がパニックになる。

 せめて、使用人か、依頼を受けた者である必要はある。

 

「ところで、買い物をしていて、村人たちから何か感じ取ったかね?」

 アービィは食料を買った店の店主の態度を、思い返す。

 必要以上に謙った態度。五十に手が届こうかと言う男が、まだ二十歳にもなっていない少年にぺこぺこしていた。

 無理矢理貼り付けたような愛想笑い。頬の筋肉だけで作ったかのようで、決して目は笑っていなかった。

 店も慌てて片付けたような、雑然とした感じだ。

 それを伯爵に言った。

 

「そのとおりだよ。見たまえ。通りも一応はきれいだ。が、不必要に積み上げられた木箱や樽が、家々の壁を隠している。不自然な土の色も、慌てて埋め戻したのだろう。アーガスの差し金だろう。さっき買ってきた店は、品揃えはどうだったかね? 値段は? 品質は? 他にもすれ違う民の挨拶だ。少しでも早く、私たちの前を離れたいと言う気持ちが透けて見える」

 つまり、と伯爵は続ける。

 私は怖がられている。と。

 畏怖ではなく、怖がられているのだ。

 万が一、領主の父を怒らせるようなことがあれば、間違いなく死罪。

 

 アーガスは、領地の経営が上手くいっているように見せたいのだろう。

 小言を言われたくないのだ。

 

 改めて見てみれば、村は荒廃しているようにも見え、人々の目に生気がない。

 畑のあちこちには、大きな岩や切り株が放置されている。

 それなりに整備されている畑は、領主の直轄で小作農が管理しているのだろう。

 

 関税が高いとも言われている。

 ラガロシフォン領はボルビデュス領に内包されているから、ボルビデュス領の関税以外は掛からない、はずだ。

 直接他国から入る物流にのみ、ボルビデュス領と同額の関税をラガロシフォン領では徴収できる。

 どうやら、それにはボルビデュス領より高い関税を、さらにボルビデュス領から入ってくる物流にまで、関税を掛けているらしい。

 

 そういえば、さっき買った食料も、ずいぶんと高かった。

 ラガロシフォン城が近づくに従い、レヴァイストル伯爵の表情は、険しくなる一方だった。


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