狼と少女の物語   作:くらいさおら

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第16話

 明日は、レイたちを護衛して、この街を出る日だ。

 アービィたちは、クリプトと落ち合い、必要な物資の買出しに出ていた。

 携帯食料の他、次の村まで日持ちするような生鮮品も買い込む。

 その後、ボルビデュス家の上屋敷に行き、伯爵と顔合わせすることになっていた。

 

「緊張するわ」

 ルティが呟く。

 

「ルティ、地は出さないでね」

 ティアが茶々を入れ、アービィが同意する。

 

「失礼ね、こんな礼儀正しいレディを捕まえて、なんてことを言うのよ」

 クリプトが苦笑しながら、馬車に誘い、三人を屋敷に案内した。

 

 

 屋敷の入り口でレイに再会し、ひとしきりお喋りをした後、応接間へと案内された。

 白髪の混じり始めた薄い栗色の髪に、がっしりした体格の人物が、ほぼ同時に応接間に入ってくる。

 丁寧に借り揃えられた鼻の下の髭が、この人物に風格を与えていた。

 40代半ばだろうか、髪と同色の瞳から放たれる鋭い視線は、アービィたちの人となりを見極めようとしているかのようだ。

 

 三人は慌てて立ち上がり、多少ギクシャクしながら挨拶をした。

 完璧な作法でアービィたちに答礼すると、三人の前のソファーに腰を下ろした。

 

「ようこそ、いらした。私がインダミト国伯爵、レヴァイストル・シンピナートゥス・ヴァン・ボルビデュスだ。まぁ、腰を下ろされよ。レイから話は聞いている。実に頼もしい人物であるとな。長い旅になるが、その間よろしくお願いする」

 ここでも貴族が平民に頭を下げるという、実に反則な行動が見られたが、レイのおかげで免疫ができていた三人は平静を装って頭を下げる。

 

「既に、娘がやってしまったようだな?」

 それを見て、レヴァイストル伯爵は豪快に笑った。

 

 暫く世間話をするが、厳つい印象とは裏腹に、気さくな人物でもあるようだ。

 領民たちのことを想う気持ちが、言葉の端々から伺える。

 アービィは護衛の人選について、クリプトに聞いた疑問と同じことを伯爵に尋ねたが、それにはクリプトと同様の答えが返ってきた。

 

 翌日の出立の時間を打ち合わせ、屋敷を辞する。

 屋敷を出る際、追いかけてきたレイが三人を買い物に誘い、クリプトが馬車を用意する。

 

 アービィは女の子三人の買い物がどのような結果を招くか、ここまでの旅で思い知らされていた。

 ルティとティアの二人に付き合うだけで、討伐より疲れてしまう。

 街中の護衛は、クリプト一人でおつりが来るというものだ。

 適当な言い訳を付け、宿の前で降ろしてもらおうと、クリプトにアイコンタクトを送る。

 が、死なば諸共でございます、という視線しか帰ってこなかった。

 

 たっぷり半日買い物に付き合わされたアービィは、既に疲れ切っていた。

 馬車があるおかげで荷物持ちこそ免れたが、いつまでもアクセサリーや服を選ぶ三人をただ待つだけの時間は苦痛でしかない。

 それどころか、これはどうだ、あれはどうだ、とアービィの服まで選び始めた。

 着せ替え人形にされたアービィを、クリプトは微笑ましそうに眺めるだけで、一切助けはしてくれなかった。

 辛抱でございます。おふたりの今後のために。

 

 何がおふたりだ、と心の中で毒付くが、決して悪い気分ではない。

 それでも疲れることは疲れる。

 アービィは、自分の装いに対して興味がなく、実用本位のものしか選ばない。

 それでここまで来ていたし、片田舎のフォーミットでは、たいしたものがないというのも理由のひとつだった。

 

 そんなアービィに、レイがとんでもないことを言い出す。

 兄様の領地に寄るときには、歓迎のパーティもあるのよ、嫌だけど、と。

 護衛の分際で、そんなもの出られない、嫌なら断ろうよ、と言ったが、そうもいかないらしい。

 礼服一式を買い揃えられ、アービィは暗澹たる気分になっていた。

 もっとも、予期せずドレスを手に入れることができたルティとティアは狂喜していたが。

 これでアービィも少しはあたしを見直すかしら。

 

 明日は早いから、と、夕食後は軽く飲むだけで、それぞれの部屋に戻り、荷物を整える。

 アービィは、礼服一式を眺め、途方に暮れていた。

 そこへ、ドアをノックする者がいる。

 

 どうぞ、と答え、アービィはドアを開けに立つ。

 ルティやティアなら、ノックしつつも、無遠慮にドアを開けるだろう。どうすんだ、僕が脱いでたら。あ、殴られるだけか。ティアだと危ないかもね。

 

 ドアを開けると、そこには以前会ったロングコードを着た男が立っていた。

 身構えるアービィを押しのけ、テーブルに着き、酒瓶と干し肉を並べる。

 

「何をしている? 早く、来い」

 警戒しつつ、アービィがテーブルの反対側に着くと、男は苛立ちながら言葉を続ける。

 

「気が利かない奴だな。グラスぐらい出せ」

 

 

「人の姿をしている奴を切り刻む趣味は無ぇ。座れ」

 当面の害意がないことが解り、アービィは男と対面する。

 30歳になったくらいか。

 短く刈り込んだ銀髪に、黒い瞳。

 彫りの深い顔だ。

 双眸には強い意志が湛えられている。この前見た目と同じだ。

 

 

「なんで、この間、いきなり、あんなことを? えっと、……?」

 グラスを並べ、男が持ってきた酒を注ぎながら、アービィが問う。

 

「バードンだ。家名はあるが捨てた。孤児だからな。ラシアスのマ教孤児院で育った」

 聞かれもしないことを喋り始め、呆気に取られるアービィからグラスを引っ手繰り、バードンは続ける。

 

「俺の両親と姉、弟は人狼に食い殺されたんだ」

 返す言葉が無いアービィは、黙って続きを促す。そりゃぁ気の毒だったけど、そんなこと僕に言われたって困るよ。

 

「俺は、孤児院に放り込まれた。それからは在り来りのことだ。それを苦労だなんて言ったら他の連中に殴られちまう。だがな、俺は誓った。お前等人狼は、ただの一匹も生かしちゃおかねぇってな。俺の両親を殺した人狼は、たったの一匹だ。冷静に考えりゃぁ、他の人狼にとっちゃ八つ当たりだろうな」

 じゃあ、放っておいてよ、と心の中で想いつつ、アービィはグラスの酒を舐めた。

 

「俺は、孤児院で育った後、そのまま教会に入って、聖騎士団に入った。お前等を殺す業を鍛えるためだ」

 しかし、厳格な規律を持つ騎士団は、バードンの性には合わなかった。

 彼は騎士団からはみ出してしまうが、教会の悪魔祓い組織が彼を放ってはおかなかった。

 個人の戦闘技術を徹底的に叩き込み、正規の悪魔祓いとしてではなく、人の間に隠れ住む悪魔を暗殺する、独立した殺し屋に彼を作り上げた。

 

「俺は、俺みたいな子供を、これ以上出したく無ぇ。だから、親の仇以外の人狼だってぶち殺してぇんだ」

 僕は人を喰いたいなんて想ってない。言いがかりだ。

 喉まで出掛かった言葉を飲み込む。

 そんなことを言っても、この正義の人には口先だけの誤魔化しにしか聞こえないはずだ。

 

「それに、お前知ってるか? 中途半端にしか獣化できない人狼ってな、人と人狼の間にできた子供なんだぜ」

 聞きたくない。

 それがどういうことか、アービィには想像が付く。

 

 今までに、平和的に人狼と人が愛を交わしたなんて聞いたことが無い。

 どう考えても、人狼が人を無理矢理犯した結果だ。

 百歩譲って、人を騙した結果だ。

 愛の結晶と信じている者が獣化したときの、母親の気持ちは想像に余りある。

 愛を注ぎ、慈しみ育てた子供が、悪魔の化身だなんて。

 

 アービィが、ルティとの一線を越えられない理由でもある。

 

「親も不幸なら、そんな生まれ方をした子供も不幸だ。迫害され、呪われ、醜く歪み、人を呪う。呪われれば呪い返すだろ。それが次を生み出す。そんなもの断ち切らなきゃならねぇのは解るな?」

 人狼同士に連帯感など無い。

 アービィは頷く。もし、僕の前に人狼が立ちはだかって、ルティを傷つけようとしたら、躊躇い無く殺せるよ。

 

「俺は生きてる限り、一匹残らず狩り尽くしてやる。それだけの力は身に付けたつもりだ。てめぇも、手も足も出なかったようにな」

 出さなかっただけだけどね。もっとも人の姿じゃあなたには敵わないけど。

 アービィは心の中で呟く。

 

「弱い者を切り刻んでも面白くねぇ。強えぇ、人狼の溢れかえる自信を踏みにじってやらなきゃ、俺の気が済まねぇ。正々堂々と、小細工など弄さずな。だから、てめぇが人の姿である限りは、手を出さねぇでいてやるよ。だから、必ず、次は狼になれ」

 

「あなたと戦う意志はないよ。その必要を、僕は認めない」

 アービィは、これまでのことをバードンに話し、今後も一切人に仇成す気など無いと言った。

 ルティと二人、穏やかに暮らせる場所を探しているだけだと。

 もちろん、バードンが理解してくれるなどとは考えていないが、言わずにはいられない。

 

「へっ、そんな言い分聞いて、はいそうですか、なんで言ってたら、俺の商売はあがったりだ。そんなことで見逃すとでも思ってるのか?」

 視線が切り結び、もし二人の視線が熱を持つなら、周囲は燃え上がっていただろう。

 

「アービィ、いる? あ……お客さん? 失礼しました」

 突然ルティが入ってくるが、バードンの姿を見て背を向けた。

 

「あ、どうぞ、お気になさらず。もう、お暇しますので」

 アービィに相対していたときとは、別人にしか見えない柔和な顔が、ルティに振り向く。

 柔らかな物腰で挨拶したバードンは、アービィに一瞥をくれ、部屋を出て行った。

 

「誰?」

 バードンを見送ったルティが聞いた。

 

「うん、この前、町で知り合った人。見送りに来てくれたんだ」

 眠り損ねちゃったから一杯やろうよ、と、その場を取り繕う。

 納得できないルティにグラスを渡し、バードンが持ち込んだ酒を注ぐ。

 

 早く寝ないといけないんだけどな、と思いながら、アービィは礼服の話でルティの気を逸らしていた。


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