空も地面も、視界の全てを覆い尽くす白。
雪山。
フラヒヤ山脈と呼ばれる、大陸北部に位置する山脈地帯の事を狩人達はこう呼んで親しんでいる。
場所によっては一年中雪の残る寒冷地帯で、そんな環境に適応するように進化した強力なモンスター達が生息する狩場でもあった。
私が装備するこのフルフル装備も、多くはこの雪山に生息している。
「シノア、ブランゴ一匹行った!」
「分かった!」
そして、このブランゴというモンスターもその一種だ。
雪に紛れ込む白い体毛。牙獣種の中でも知能が高く、連携を好む小型モンスター。
しかしこのブランゴというモンスターの厄介な所は高い知能と連携よりも、もっと恐ろしい所にある。
「ドドブランゴ相手にしながらコレはキツい!!」
ブランゴというモンスターは小型モンスターに位置するけれど、小さくても私達と同じ体長を持つモンスターだ。
そしてこのブランゴ達には、群れを統率するリーダーが存在する。
───ゴゥゥォォォ!!
咆哮。
群れのリーダー。
ブランゴの体格を遥かに超え、小型の飛竜種にも匹敵する体長を持つ大型モンスター。
ドドブランゴ。
それが、私の前で咆哮を上げたモンスターの名前だった。
「───んなろぉ!!」
目の前には巨体。背後からはブランゴ。
なりふり構っていられる状態ではなく、私は愛刀───斬竜剣アーレーを横振りに振り回す。
身体ごと捻り一回転。背後のブランゴを叩き斬って地面にシミを作ってから、ドドブランゴの頭に大剣を叩き付ける。
そうしてドドブランゴがリーダーたる証、その長い牙を切り飛ばした。
大剣の一撃は重い。一撃当てるだけで何かしらの成果が出るこの武器が、あまり考えて戦うのが得意ではない私には合っている。
悲鳴を上げるドドブランゴ。
自慢の牙を失って怒っているのか、その吐息が激しく私の髪を靡かせた。
「アーシェ!」
「……ブランゴが逃げてく。シノア、もしかしてやってくれた!?」
そこで私は、この狩場で共に戦う仲間───アーシェ・ネインに声を掛ける。
彼女はギギネブラと呼ばれるモンスターの素材を使った防具を身に纏うライトボウガン使いの狩人で、私が狩人として独り立ちした頃からの友人だ。
こうしてパーティで狩りに行くのだって珍しくなく、今回もこうして二人で『ドドブランゴの狩猟』を目的としたクエストを受注している。
「ナイス、シノア!」
「ここからが本番だよ」
ところで、このアーシェから聞いた話だけど、ブランゴ達を統べるドドブランゴには面白い生態があるらしい。
というか、コレはドドブランゴではなくブランゴの生態だけど。群れの長であるドドブランゴの持つ牙はリーダーの証で、その牙を失ったドドブランゴにブランゴは一切従わなくなるのだ。
───ゴゥゥォォォ!!
再び咆哮。
私が牙を折ったせいで、従えていた筈の群れは散り散りになってしまっている。
それが許せないのか、ドドブランゴは怒りの形相で腕を振り回して私に突進してきた。
「シノア!」
「───つぅ」
私は愛刀を咄嗟に前に突き出し、ドドブランゴの豪腕が大剣の腹に直撃した瞬間───身体を捻って攻撃を逸らす。
イナシと呼ばれる狩人の技術で、攻撃を受け流した私は納刀してドドブランゴの背中を追った。
「取った!!」
背後からの一撃。大剣の一撃は重く、私に攻撃をいなされたドドブランゴは背後からこの一撃を後ろ足に叩き付けられる。
悲鳴を上げ、それでもドドブランゴは私を殴り飛ばさんと振り向き側に剛腕を振るった。
私はそれを咄嗟に大剣の腹で受け止める。今度はイナシは出来ない。何度も攻撃を与え、弱りきっていたとしてもまず体格が違う者どうしの力比べだ。
「……っぅ!」
「待っててシノア!」
私がドドブランゴの剛腕を受け止めている間に、アーシェはライトボウガンを構えてその引き金を引く。
そんな光景に、どうしてもあの日の光景が頭を過った。
ウェインのボウガンから放たれる銃弾。狩人の防具を突き破り、その身体に穴を開けた銃弾。
今は狩猟中だと、頭を横に振る。
そんな私の目の前で、ドドブランゴは突然痙攣して動きを止めた。
麻痺毒を相手に叩き込む麻痺弾が効いたらしい。この時点でドドブランゴから勝機は消える。
生物が例外なく弱点とする頭。
私の目の前で、そんな弱点を丸出しにドドブランゴは動けない。
持ち上げる大剣。
── …………ぐ……ぞ……ぁ゛…………人にするな゛といぃ゛な゛ら゛、テメェはゃ゛るのかぉ゛……っ!! ぐぃ゛…………ぁ゛ぁ゛──
ドドブランゴの表情が、あの時の男と重なった。
私が憎いだろうか。群れからの信頼を失くされ、命まで取ろうとする私が。だけど、私はハンターだから───
「───ごめんね」
その命を奪わなければならない。
◇ ◇ ◇
ジョッキがぶつかって、心地よい音が鳴る。
「私がブランゴを押さえてる間にシノアがドドブランゴの牙を折る。うん、完璧な作戦だったね」
「ブランゴが一匹こっちに来なければ完璧な作戦だったね」
「ごめんって!」
「嘘だって。周りの沢山のブランゴを押さえてくれたから、私は殆ど何も考えず動けたんだよ。ありがとう、アーシェ」
ドドブランゴ討伐の帰り。私達はタンジアギルドと位置を共にする酒場───シー・タンジニャで乾杯をしていた。
「ふへへー、それほどでも」
「調子が良いな……。でも、良い気晴らしになったよ」
「そりゃ良かった。しかし……シノアがギルドナイト、ねぇ」
綺麗な黒い髪を肩まで伸ばした私の親友。アーシェは、シー・タンジニャのウェイトレスさんに注文を頼んだ後、頬杖をつきながらそう呟く。
私がギルドナイトになってから初めての狩り。
そもそもギルドナイトは決まった日に仕事をしなくてはいけない訳ではなく、こうして普段通り過ごしても良いとウェインに聞いたのがこの狩りの始まりだった。
ならばと気晴らしに、クエストボートに置いてある適当なクエストを普段から狩りを共にする彼女と受けようと思ったのである。
ついでにクエストの様子をウェインは趣味悪く気球船から覗いていたらしい。
その感想はというと───
「どっちがドドブランゴか分からなかったです。ドドブランゴの攻撃を大剣で受け止めるとか、おかしくないですか? ドドブランゴがシノアさんの攻撃を受け止めていたんじゃないですか?」
───とか、凄く失礼な事を言われた。
誰がドドブランゴだ。
「あくまで守秘義務はないけど、周りに知られると仕事に影響するかもしれないし。他言無用ね?」
「シノアが難しい言葉を使っている……」
「怒るよ?」
「ふふ、分かってるよーん」
と、適当に返事を返しては飲み水を口にする親友。
「なんかギルドナイトの存在そのものを信じてなさそう」
「勿論、信じていますとも。逆らったら暗殺とかされちゃうかもだし!」
「偏見だよ」
口ではそう言うけど、偏見ではない。確かにギルドナイトの仕事の中にはそういう仕事が含まれている。
だけど私は、それを今のアーシェじゃないけど面白半分の都市伝説だと思っていた。
だけど現実は違う。
あの日、確かにウェインは私の目の前で人を殺した。
それが正しい事なのかは分からない。だけど、そうしないといけない理由はなんとなく分かってしまう。
そんな事をアーシェに言える訳もなく、私はギルドナイトの本当の仕事がどんな仕事なのか彼女に伝えられずにいた。
「しっかし、G級に手が届きそうと言われているシノアが今度はギルドナイトか。シノアがどんどん遠くなっていくなぁ。私程度ではもうお側に置いてもらえないかもしれませぬぅ」
なんて、肩を落としてみるアーシェ。
そんな明らか様な演技をされても、私は苦笑いしか出来ない。彼女は分かっていて言ってるのだろう。
「私の背中を任せられるのはアーシェくらいだよ」
「むふん、そう言ってくれると信じておったぞよ! そもそもシノアみたいなパワープレイに着いていける人なんてそうそう居ないもんね」
誰がドドブランゴだ。
でも、本当に狩りの時は彼女に助けられている。
パワープレイがどんな意味かは知らないけど、私はここぞという時に無理を通して戦う事が多い。
危ない場面が多い私だけど、後ろからサポートに徹してくれる彼女がいるからこそ無理も無茶も通す事が出来るんだ。
「お待たせしましたニャー! こちらハレツアロワナのソテーになりますニャ。シノアさんはいつも通りタンジア鍋をどうぞニャー!」
そんな話をしていると、調理が終わった料理をウェイトレスさんが持って来る。
私達が向かい合って座っている机より少し背の低い獣人種───アイルーのウェイトレスさんが、一生懸命背伸びをして料理を机に置いてくれる姿はなんだか微笑ましい。
「ごゆっくりどうぞニャー!」
と、伝票を机に置くとキッチンへと消えて行くアイルー。
その小さな背中に癒されながらも、私は今日の料理に視線を移すのだった。
「シノア……またそれ?」
タンジア鍋を見ながら、呆れたように目を半開きにするアーシェ。
彼女の言う通り、私がここで頼む物は決まってこの料理。
タンジアの港のレストラン、シー・タンジニャの伝統名物料理であるこのタンジア鍋はこのレストランの屋根の上で絶えず火に掛けられた巨大な鍋で作られている。
そこから注文毎に装われるこの鍋は滋養強壮栄養補給にもってこいの素晴らしき鍋料理。この鍋以外に何かを頼む必要があるのだろうか。
「本当脳筋なんだから」
「誰がドドブランゴだ」
「最早ラージャンだよ」
酷い。
「アーシェの料理は? 何それ……ハレツアロワナって、あのハレツアロワナ?」
「ん? そだけど?」
私の質問に首を傾げながら返事をするアーシェ。
首を傾げたくなるのは私だ。だって、ハレツアロワナって確か───
「ハレツアロワナって確か、あの絶命時に爆発するっていう……カクサンデメキンみたいなお魚だよね?」
「そうだけど? どったよ」
おかしいと思わないのか。
「だ、だって、なんで爆発して無いの? 絶命時に爆発するんだよ?」
「そりゃ、料理する為の加工過程で爆発しないようにしてるからに決まってるじゃん」
「ぇ、そんな事出来るの?」
「お主はやはりドドブランゴじゃったか」
酷い。
「えーとね。ハレツアロワナやカクサンデメキンって、絶命時に爆発するんだけど。冷凍保存からしめる時にその器官を潰すと爆発したりはしなくなるの」
「ソウダッタネ、シッテタケド?」
「それで料理に使うんだけど、釣ったこの二種類の魚に消費期限があるの知ってる?」
無視ですか。私の強がりは無視ですか。
「消費期限?」
「シノア、まさかボックスの中にカクサンデメキンとか放置してないよね? 冷凍保存されてるからって、アレほっておくと消費期限過ぎて死んじゃって爆発するよ?」
何その危険なアイテム。ボックスに入れておかなくて良かった。
「大剣振るのに使わないから、ボックスには入ってないよ」
「その腕と剣があれば何でもええんかお前は」
否定はしない。
「まぁ、良いや。……これでシノアが少し賢くなった事を期待して、ご飯冷めないうちに食べちゃお」
「うん、考えるより箸を動かした方が楽だしね」
「あ、ダメだこの人多分理解してないわ」
そんな事はない。
そんなこんなで私達は食事を済ませる。
タンジア鍋は今日も美味しい。
「一人でクエストに行くの?」
食事を終えた後、アーシェはそのままクエストに行くからと隣接しているギルドの受付に立って出発の手続きをしていた。
ガンナーの彼女にしては珍しく一人で向かうという話に、私は少しだけ心配になってしまう。
勿論彼女の腕を信用していない訳ではない。ただ、やっぱり人が死ぬ所を見てしまったからだろうか。
「まぁ、一人だけど。動きの遅いグラビモスだし。ガンナーの私なら適任でしょ?」
「グラビモス、か。確かに」
グラビモスは巨体だけど動きは遅いモンスターだ。鎧のような岩の甲殻を持つ事から刃の通りが悪く、私みたいな剣士には荷が重い。
だけど、遠くから攻撃出来るガンナーならグラビモスとの相性は悪くないのである。心配は無用かもしれない。
「ただ、これ元々下位のクエストだったらしいけど……下位ハンターの子が二人も犠牲になってるらしいんだよね。だから、気を付けて行ってくるよ」
「大丈夫なの……?」
「二人共ガンナーだったらしいけど。確かブレスに当たったとかなんとかだし……私は大丈夫だよ」
両手を上げてそう言うアーシェ。
曰く、ギルドはこれ以上犠牲を出したくないという事で腕利きのガンナーである彼女に依頼を出したのだとか。
ギルドもアーシェも考えての事なら、私が口出しする事でもない。それにアーシェの腕は私が一番知っているから、間違っても万が一なんて事はない筈だ。
「ニャー、飛行船がちょっと混み合ってましてニャ。出発まで少し待って欲しいですニャ……」
そんな訳で彼女の見送りだけしようと思ったんだけど、なんだかギルドの飛行船場が慌しい。
「どうしたの?」
「帰って来るはずの飛行船が一機帰って来てないのですニャ。飛行船が足らずに、ハンターさんの出発も遅れ出すし……うニャぁぁ」
私が聞くと、そんな返事が返ってくる。なんだか大変そうだが、私に出来る事はない。
「どうしたんだろう?」
「飛行船を持ち逃げとかだったら絶対に許さないニャ。クビにしてタンジア鍋の具にしてやるニャ」
そんなタンジア鍋嫌だよ。
「はーいアーシェさん船が空きましたニャー! ご乗車下さいニャー!」
「あ、了解!」
ただ、スタッフアイルー達の必死なフォローのお陰で出発の遅れは微々たる物になっていた。
それでもアイルー達の表情には死相が浮かび、未だに帰って来ない同業者への殺意がみえかくれする。
逃げ出したアイルーさんの暗殺が次のギルドナイトとしての仕事にならない事を祈るばかりだ。
「ほいじゃ、ささっと行って睡眠弾で寝かしてタル爆弾、麻痺弾から拡散弾で祭り上げてくるわ」
「グラビモスが可哀想」
「私の心配をしろー!」
「ふふ、大丈夫でしょ。それじゃ、またねアーシェ」
「うん。またね! シノア」
なんて、軽い挨拶で私はアーシェを見送る。
間違っても、彼女に万が一の事は起きない。
私はそう信じていたし、疑わなかった。なんなら、気にも止めていなかったと思う。
でも───
「行ってきー」
「行ってらっしゃい」
───それが、私達が交わした最後の会話になったんだ。