何かが壊れる音がした。
「あのキャラバン隊を襲った賊ってのはな───俺なんだよ」
目の前で太刀を握る男性は、口角を吊り上げて笑う。
私はそんな信じられない事実に、一瞬刃を離しそうになった。
自らの横腹に突き刺る太刀。掴んだこれを離せば、きっと次こそ命を奪われるだろう。
だからそれだけはしないように、私は力をを入れ直した。手が切れて地面に血が垂れる。痛みは不思議と感じなかった。
「なんで……」
「そりゃ、お前、生きる為よ。俺が生きる為にあのキャラバン隊の奴等を皆殺しにしたのさ」
違う。そんなのは違う。
先輩がそんな事をする訳がない。先輩はそんな人じゃない。
私の記憶が、私の思い込みがそれを否定した。
だって、そんなのおかしいじゃないか。彼は私を助けてくれた。私をここまで育ててくれた。
「嘘だ! 先輩は私を殺さなかった。先輩は私を助けてくれてんだ……」
「んなもん都合が良かったからに決まってんだろ! 俺は正義の味方でもなんでもない、ただの悪党よぉ」
「そんな……」
これまでの先輩との記憶が脳裏に浮かぶ。
私を救ってくれた時のこと、厳しく育ててくれた時のこと、一人前のハンターとして見送ってくれた時のこと、私をギルドナイトに誘ってくれた時のこと。
それが全部、都合が良かった? 先輩に利用されていただけ?
理解が出来ない。先輩が私を助けた理由が分からない。
「あの時、あのキャラバン隊はとんでもねぇ宝を運んでいたのさ。それはそれは価値のある宝よ。売れば相当な金になる宝だ」
「それを……奪う為に?」
そんな事のために───
「……そうだ」
そんな事のために、キャラバン隊の人達を───
───お母さんを殺した。
「そしてその時にキャラバンの護衛をしていたのがモッスだ。俺はまずモッスを半殺しにして、従わせた。……死にたくなけりゃ俺に一生逆らわずに、常に俺の問いかけには「モス」と答えろってなぁ!」
なにそれ。意味が分からない。
「そしてキャラバン隊を襲い、見事に宝をかっさらったって訳よ」
そんな物の為にこの人は命を切り捨てたのか。
「……どうだ? 俺が憎いか?」
何の罪もない人達の命を、私が大切だと思っていた人が───
「テメェの母親を、家族を殺した男が目の前にいる。憎いか? あぁ? 憎いかよぉ!」
お母さんを、私の家族を───
───それでも。
「……っぅ!」
突き刺さった太刀が捻られる。激痛が走ったが、私はなんとかその太刀を握った。
「憎いだろう? 殺したいんじゃねーのか? 母親の仇を取りたいんじゃねーのか? 悔しいだろうなぁ、だがお前は何も出来ない。俺には勝てない。俺が全てを教えたからだ。お前は俺に勝てないように育て上げたからだ!! もっと憎め、恨め、呪え! それが今お前に出来る唯一の事よぉ!!」
「───めない、です」
それでも。
「……あ?」
「憎めないです」
「は?」
「憎めないです。恨めないです。呪えないです。……だって、先輩が私を生かしてくれた。ここまで連れてきてくれた。どんな理由だとしても、私は先輩がいたから生きてるんだ。……そんな先輩を憎む事なんて出来ない。なんで助けたんですか!? なんでモッス先輩も私も殺さずに助けてくれたんですか!? クライス先輩───師匠!!」
───それでも、私は彼を憎めなかった。
私にとって彼は全てだったから。
彼が居なければ今の私はないから。
彼の居場所が私の居場所だったから。
「……お前、バカだな」
ただ、彼は冷たい声でこう続ける。
「この際だから教えてやるよ。冥土の土産に持ってけ。地獄でモッスに愚痴れ。……お前とモッスを生かしたのはな、俺にとって都合が良かったからだ。宝は奪ったがそのままじゃギルドナイトに捕まって殺されちまう。だからモッスを脅して、俺は通りすがりのハンターで賊からお前を守ったって設定にさせた訳よ」
それで、犯人は未処理。
「お前はガキだったから騙しやすい。モッスだけでなくお前の証言もあったから俺はこうして
あぁ、本当に私はバカだ。
こんな人に、こんな奴に憧れていたのか。
これが
「ウェインは?」
「僕もモッス先輩と同じ立場ですよ。いや、まぁ、クライス先輩側の人間なんですけどね。言いましたよね? 僕がギルドナイトになったのは父を殺した時だ。ところで人に対モンスター用の武器を向けるのは許されない罪の筈。では、なぜ、僕がこうして生きていてギルドナイトをやってるか?」
ただ傍観していた彼は、いつも通りの口調で言葉を落とす。
選びもせず、ただ淡々と、真実を述べていく。
「クライス先輩的にとって都合が良かったからです。手足のように使える駒が欲しかった訳でしょうね。まぁ、つまり、僕はどちらかといえばどちらでもないというか、中立と言ってしまえば中立というか、そんな感じです。あー、ついでに、ファルスさんも僕と同じクチですよ」
ウェインの助けはない。分かりきってはいたけど。
彼は私がギルドナイトになってから、いつだって側にいてくれた。
励ましてくれたし、私を救ってくれたけれど、それが全部私を見張るためだったっていう事なんだろう。
私はなんでここに居るんだ。
「さて、聞きたい事は聞いたか? 思い残す事はないな?」
なんでここに居るんだろう。
「……思い残す、事?」
そうだ、なんで私はここに居るんだ。
なんで私はギルドナイトになったんだ。
「なんで私をギルドナイトにしたんですか? 態々私を、事実を知ってるモッス先輩に近付けたのはなんで? ハンターとして育てたあと、放っておいたって良かった筈。先輩にとって私が、キャラバン隊から私を救った事の証人としか価値がなかったなら、先輩がギルドナイトになった瞬間に私に用はなくなるはずですよね? なんでですか!! クライス先輩!!」
「うわーぉ」
「……ウェインお前、シノアに何かしたか?」
「バカ言わないで下さいよ。僕は言われた事しかしてません」
何?
あなた達はまだ何を隠してる?
「……。……んなもん、お前が、死ななかっただけだろ? あぁ、そうだ、お前が死ななかっただけだ」
「私が、死ななかった?」
どういう意味だ。
「そうさ、そうだ。俺はお前が死ぬように何度も仕向けた。お前は俺が試練を与えてるとでも思ってたのかも知れねーがなぁ! 本当は俺は……お前に死んで欲しかったのさ!! でもお前は無駄にしぶとかった。全然死にやしない。何をしたって帰ってきやがる。化け物が、虫唾が走るぜ、だったらこの手で殺してやるよ! いや、初めからこうすれば良かったよなぁ!!」
あぁ、そっか。
そうなんだ。
少しだけ、少しだけ、まだ、少しだけ信じていた。
クライス先輩は、私の師匠は私を試してるんだと。
そんな事を心の隅で信じてしまっていた。
でも、この人は本気だ。
本気で私を殺そうとしてる。
そうか、そうなんだ。
それなら、それで良いかな。
だって、私の全てはこの人だったんだ。
「もう逝け」
この人の居場所が私の全てだったんだ。
「……さよならだ、バカ」
この人の言葉が私の全てだったんだ。
──ガキ、このキャラバン隊を襲った連中は俺が追い払ってやった──
私を救ってくれた人だ。
──俺はギルドにこの事を連絡しに行こうって思ってんだが、付いて着て証人の一人にでもなってくれたら当面の面倒は見てやるぜ? ──
私を育ててくれた人だ。
──この世界は弱肉強食だ。でもな、それは強い奴が弱い奴を食うって意味じゃねぇ。この世界は強くないと生き残れないって意味だ。死にたくなきゃ、強くなれ。死にたくなきゃ、俺が強くしてやる──
私をここまで連れて来てくれた人だ。
だから私は───
「死───」
「あ゛ぁ゛ぁ゛っ!!」
銃を取り出したクライス先輩の手を掴んで銃口をずらす。そのまま私は横腹に刺さった太刀を自分の身体に押し付けた。
前に進む。驚いた顔のクライス先輩に寄って、私は彼を睨み付けた。
「───な!?」
「……先輩、言いましたよね。死にたくないならどうしたら良いかって。教えてくれましたよね」
彼の言葉を思い出す。
──死にたくないなら強くなれ、逃げてんじゃねぇ。前に出て、自分を守る為に戦え! 立て!! 戦い方は教えただろうが!! そのままじゃ殺されちまうぞ。死にてーのかテメェは!! 立て!! 立って自分を守れ!! ───そいつを殺せぇ!!! ──
その通りだ。
───だから私は、死なない。
「テメ───」
「だから私は───」
右手で大剣を引く。逃げようとする先輩を左手で掴み上げた。
「───あなたを殺す!!」
そして大剣を振り上げる。鮮血が散って、彼の左手が地面に落ちた。
「……うわぉ」
クライス先輩が倒れる。私は立ったまま、自分に突き刺さったままの太刀を引き抜いた。
不思議と痛くないのは何でだろう。それよりも、胸の奥が痛いんだ。
身体よりも、心が痛いんだ。
「バ……カな……。……俺が…………負けた?」
「……終わりです、クライス先輩。……罪を償って」
私はその頭に銃口を向ける。左肩を抑える彼は、目を見開いて後ずさるけど、私はその足を踏んでそれを止めた。
「……ふ、ふざけんなぁ、ふざけんなよおいぃ!! こんな所で俺が死ぬかよ!! おいウェイン!! 何してやがるこいつを殺せぇぇえええ!!!」
「いやいやぁ、何言ってるんですかぁ? 僕は中立ですよ。というか、僕に何の得もないですし」
そう言うと思ってたよ。
多分ウェインは素で中立なんだろう。他人のあれこれに関わる気はない。
というよりは、自分の事すらどうでも良い。
でも、あの優しさは何だったんだろうね。今は、どうでも良いか。
「くそ……くそ…………こんな筈じゃ……俺は死なない。何もかもぶっ殺して、俺が生き残るんだ。ふざけるな……ふざけるなよテメェ!!」
「ウェイン、この場合って報告書どう書くんだっけ?」
「モンスターの生態調査中に不慮の事故でギルドナイト二人が死亡、ですかね。あ、シノアさんが僕も殺すなら三人ですけど」
そうか。
なら、二人だね。
「ふざけるなぁ……ふざけるなよちくしょう。……お、俺を殺すのか!? テメェをこれまで面倒見てやったのは誰だと思ってやがる!! テメェが死ねよ!! 俺の代わりにテメェが死ねよぉ!!!」
「先輩───いや、師匠」
「……んぁ? ぁ───」
彼の頭に銃を突き付ける。この距離なら外さない。外れない。
「言い残す事はありますか?」
「……。……お前は、これからどうする?」
さっきまで叫んでいた先輩は、静かに、冷静にそんな言葉を落とした。
これから。
これからか。
これまで通りギルドナイトを続ける。
でも、ギルドナイトってなんだ? 私はここに居続けるのか?
「……お前は正しい。俺なんかよりよっぽど正しい。正しい事が出来る人間だ。お前ならなれる、俺がなれなかった……本物のギルドナイトに。正義面した悪党じゃなくて、本物の正義の味方になれるだろうぜ。はっはっ、滑稽だねぇ、悪党の俺が育てた奴が正義の味方になる。俺を殺して、俺を踏み台にして、お前が生きるってか。はっはっ、はっはっはっはぁっ!!」
正義の味方、か。
「私がそんなものになれると思いますか?」
「なれるさ。俺という大悪党を殺せば、お前ならなれる。これからはお前がここのボスだ。お前が導いていけば、正しい事が出来るだろうぜ。何せお前は育ての親の罪も裁く事が出来る人間だ。さぁ! 殺せよぉ!! テメェの正義で俺をぶち殺してみやがれぇぇえええ!!!」
引き金に指をかける。
後はこの引き金を引くだけで、この人は死ぬ。
これまで何度もしてきた事だ。
これまで何人も私は殺してきた。
許されない人を、許すべきでない人達を、何人も殺してきた。
それで良いんだ。それが
「……最期に言いたい事は?」
この言葉を聞いたら、私はこの人を殺そう。
そして、私はギルドナイトになる。
正義の味方、か。
「───かった」
「さようなら、師匠」
私はただ死にたくなかっただけだ。
だからこの人についてきて、こんな所に来てしまった。
それでも、きっと、私も彼も、同じだったんだと思う。ただ、死にたくなかったのだろう。
だから、私は、この引き金を───
ギルドナイトという人達を知っていますか?
ギルドナイトと呼ばれる人達がいた。
ギルド専属の狩人として、選ばれた凄腕のハンターが集まり未知のモンスターの調査や密猟者の取り締まりをする───それが私達ギルドナイトの表向きの仕事。
でもそれは、表向きの仕事。
その引き金を引くのは誰だろう。
「ごめんなさい」
───私は、その引き金を引いた。