暗い場所、狭い場所。
「お母さん?」
不安な声を出す。
ガタガタと揺れていた筈のその場所は、突然動きが止まって静かになった。
最近、よく夢を見る。
一番多いのは、私達が殺してきた人達の夢だ。
だからこれは、いつもよりはマシかもしれない。
「どうかしたの?」
「静かにしなさい。……こんな所で賊に会うなんて。もう少しでお金が出来るのに」
真剣な表情で私の口を抑えるのは、懐かしい母の手。
母は私達を囲むカーテンから外を覗いて、にが虫でも噛んだような顔をする。
それと同時に聞こえてくる、人の悲鳴。辞めろとか、殺さないでとか、助けてくれとか、聞いてるだけで怖くなるような言葉達。
命が無くなる音。
「今しかない。命が一番大事よ。……シノア、良く聞きなさい」
「な、何? お母さん」
恐怖で頭がいっぱいになって、私は母にしがみ付いた。
悲鳴なんて聞いた事がない。血の匂いをこんなに嗅いだ事もない。
怖い。
怖いけれど、母の真剣な声に私は耳を傾ける。
いつも少し厳しかった母の声。私には母しか頼れる人がいなかった。
「私が竜車を出てから少ししたら、助けを呼びなさい。大声で。出来る?」
「お、お母さんは?」
「私があの賊を引き付けるわ」
優しい手で私を撫でると、母は外の様子を眺める。
「よし今ね……。良い? シノア。私が出てから直ぐはダメよ? ちょっとしたらだからね!」
「ちょ、ちょっと待ってよお母さん。嫌だよ怖───」
「静かにしなさい……っ!」
必死な顔で私の口を抑える母。そんな顔を見て、幼い私は怯える事しか出来なかった。
母は必死になって私を助けようとしてくれている。
だけど、私は怖くて何も出来ない。母の言う通りにする事しか出来ない。
これは、後で聞いた話。
私達は家族で旅行の途中だった。
キャラバン隊の竜車に乗せてもらって、お母さんは行き先はお楽しみだって教えてくれなかったのを覚えている。
父と妹は違う竜車に乗っていて、その時───
「た、助───」
「嫌ぁぁぁ! 辞めて、殺さないでぇ!! 嫌ぁぁあああ!!」
───お母さんも、他の竜車に乗っていたキャラバン隊の人達も、父も、妹も。皆、悪い人に殺されてしまった。
まだあの時の事を覚えている。あの時の音を覚えている。あの時の匂いを覚えている。
私を助ける為に、竜車を飛び出た母。
そうして私が、言われた通りに声をあげようとした時に、母の悲鳴が聞こえた。
嫌、辞めて、殺さないで、嫌。
嫌な音、嫌な匂い、見たくもない景色。
「お母……さん……?」
小さな私にも、その意味が分かってしまう。
「た、助けて! 助けて!! お母さんを助けて!!」
でも、無意識の内に私は叫んだ。母との約束を果たす為に、大きな声で叫んだ。
母が死んでしまった事くらい分かっている。だけど、力のない私にはそうする事しか出来ない。母に言われた事しか出来ない。そんな自分が、私は嫌いだ。
当たり前だけど、助けは来ない。
その代わり、地面を靴が擦る音が聞こえる。血の水溜りを踏む音が混じった音だ。
その音が、ゆっくりと近付いてくる。
「嫌……嫌だ、お母さん……お母さん!」
まだ小さかった私だけれど、それでも死が何なのかは何となく分かっていた。
それ以上に、ずっと聞こえる悲鳴が恐怖を掻き立てる。お父さんや妹も、殺されてしまったかもしれない。
母の悲鳴を最後に消えた音が、何を意味するのか分からない訳でもなかった。
殺される。
どうしようもない現実を突き付けられ、恐怖で私は動けなかった。
穴という穴から溢れ出る情けない液体。逃げようと足だけは踠いて、濡れた床を滑らせる。
次の瞬間、カーテンが雑に開かれて夜空を照らす星達の光が射した。
「んだ、ガキか……」
「───ひっ」
静かな男の人の声。血の色みたいな赤い髪。その髪は眼を隠す程に長くて、覗き込む鋭い瞳が私を睨み付ける。
その人は、背中に人の背よりも長い刀を背負っていた。
殺される。
そう分かっても、幼い私には何も出来なかった。
「綺麗な顔してんなぁ。しかも白髪ときた。なるほど、こりゃ確かに高く売れそうだ。大当たりってか?」
私を観察する様に上から下まで視線を下ろすと、男は納得した様な表情を見せる。
この人は私達を殺しにきた人じゃない。なら、助けにきてくれたのかもしれない。
震える身体をなんとか持ち上げて、私は歯が鳴る口を精一杯開いた。
「───た、助け……助けて……下さい! おか、お、お母さんが……お母さんが!」
「ガキ、このキャラバン隊を襲った連中は俺が追い払ってやった。が、残念ながら他に生きてる奴はいねぇよ」
だけど、その人は冷たい声でそんな言葉を落とす。
お母さんも、お父さんも、妹も、キャラバン隊の人達も、皆死んでしまった。
「ぇ、ぁ……ま、ぁ……っ、お、お母さんは?」
「あそこで倒れてる奴、そうだろ?」
男が指差した先を見ると、そこにはお母さんの服が血だらけで置いてある。
その服からは手と足が生えているのに、顔だけがない。真っ赤になったお母さんの服を、首がない人が着ていた。
「ぇ、お母さん……いないよ? 服だけ置いてある」
「確り見ろ」
言われなくても、見えている。
ただ、信じたくなかった。
裕福な生活はしてなかったし、むしろ貧乏だったと思う。
それでも私は母と父と妹と、幸せに生きていたつもりだったのに。
それが、終わってしまった事を信じたくなかった。
「そこに転がってる女の首、お前の親だろ?」
「ぃ、嫌……嫌ぁぁあああ!!」
人は簡単に死んでしまう。生かす事より、殺す事の方が簡単だ。
頭を刺されたら死ぬし、身体に穴が開いたら死ぬし、爆弾に巻き込まれても死ぬし、頭に穴を開けられても死ぬし、身体中を生き物に蝕まれたら死ぬし、首を落とされたら死ぬし、自分で自分を刺しても死ぬ。
本当に、簡単に、人は死んでしまうんだ。
「俺がキャラバン隊を襲ってた奴を追い払わなかったら、お前も同じ目に合ってたかもな。……さて、どうするよ。俺はギルドにこの事を連絡しに行こうって思ってんだが、付いて着て証人の一人にでもなってくれたら当面の面倒は見てやるぜ?」
選択肢なんてない。
竜車の外は人の死体ばかりで、嫌な匂いに囲まれている。
「お父さん達は?」
「知らねぇ。置いてくぞ」
父や妹もこの中にいるのだと思うと吐き気がした。
でも、生きてる人はいない。それだけは一目で分かる。
「ま、待って! 置いてかないで!」
「よーし、決まりだ。俺はクライス・アーガイル、宜しく」
それが、私と彼の出会いだった。
孤児だった私を引き取ってくれたのも彼で、私が一人で生きていける様にハンターとして育ててくれたのも彼。
師匠は、クライス先輩は私の命の恩人。私を育ててくれた家族。
「死にたくないか?」
「うん……」
「ならハンターになれ。この世界は弱肉強食だ。でもな、それは強い奴が弱い奴を食うって意味じゃねぇ───」
そして、私をギルドナイトにした人。
「───この世界は強くないと生き残れないって意味だ。死にたくなきゃ、強くなれ。死にたくなきゃ、俺が強くしてやる」
彼はいつも口癖のようにそう言う。
その言葉を信じて私は強くなろうと努力したし、そうして力をつけた事が間違った事だとは思わない。
だけど、私が今している事はなんだ。
私は死にたくなかったから強くなって、その力で人を殺している。
本当は色んな人を守るハンターになりたかった。あの人みたいに、誰かを救える人になりたかったのに───
「───
ここは何処だろう。
私は、何処に向かっているのか。答えはまだ、分からない。