とあるギルドナイトの陳謝【完結】   作:皇我リキ

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【三章二節】少年の過去

 泣き疲れて、私はベッドに座る。

 

「一日しか、経って……ない?」

「ですね」

 私が落ち着くまで、ウェインはずっと私の側に居てくれた。

 

 

 ある程度落ち着いてから、私はウェインの言葉を思い出す。

 一日も放置してごめんなさい。彼はそう言っていた。

 

 まるで地獄にでもいる様な感覚は、体感時間をどれだけ引き伸ばしていたのだろう。

 私が何日にも感じていたあの時間は、たかが一日にも満たない時間だったらしい。

 

 

「でも、まぁ……しょうがないですよ。初めて人を殺したんですからね」

「そう……」

 こんな感覚を、私はこれからずっと引きずって行くのだろうか。

 

 

 だとしたら、地獄だ。

 

 

「それでも、この有様を見る限りは相当辛かったんでしょうね……。落ち着きましたか?」

 そう言うウェインに釣られて、私は自分の家を見渡す。

 

 

 あたり一面に散らばる嘔吐物に、割れて散乱した皿やビン、バラバラになった椅子、散らかった衣服。

 とても人の住む空間には見えないこの場所は、私が一日で作り上げた場所かと思うとどうしようもない虚無感を覚えた。

 

 ふと割れた鏡を見てみると、自分の酷い姿が映る。

 はだけたインナー、崩れて雑な髪、涙でボロボロな顔、嘔吐物で汚い身体。

 

 こんな格好で私はウェインに抱き付いていた訳だ。女としてどうなんだろう。それを理解した瞬間、色々な物が吹き飛んで───

 

 

「きゃぁ!?」

「えぇ!?」

 ───今更恥ずかしくなって、私はウェインを殴り飛ばした。

 

 

「……っぁ、し、しま、ご、ごめんウェイン!」

「嘘……だろ。こんの、本気で殴りやがりましたね……」

 地面を転がるウェイン。力の加減すら出来ていない。

 

 床に散らばる嘔吐物でスーツを汚しながら立ち上がるウェインの表情は、困った様な呆れたような───でも何処か安心したような表現。

 

 

「ご、ごめんって……本当、ごめん……」

「あ、いや……まぁ……良いですよ。ただ、スーツが汚れてしまったので洗わせて貰いますよ? シノアさんの服も。後部屋の掃除もしましょうかね。……シノアさんはお風呂でも入って顔洗ってきて下さい」

 そう言うウェインはスーツを脱いで、近くに転がっていた衣類を片っ端から集め出す。

 私のだらしない姿には興味もないのか、そうですか、貧相な身体で悪かったですね。

 

 

「……掃除、頼んで良いの?」

「このままにしておく訳にも行かないでしょ。お風呂は長めに入ってきて良いですよ、僕がやっておくんで。あー、何も言わずにお言葉に甘えて下さい。何も企んでません」

 別に疑ってないんだけど。

 

 そう言ってくれるなら、甘えるとしようか。

 

 

「ごめん。……ちょっと、お願い」

 そうとだけ断って、私は浴室に向かった。

 

 入ったままで温くなった湯に火を焚べる。

 その間にその温い湯で身体を流して、顔を洗った。

 

 

「……キツいなぁ」

 人を殺す事がそんなに甘い事だと思っていた訳じゃない。でもこれは、想像以上にキツい。

 

 本当に壊れてしまうんじゃないかって思ったし、実際にこのまま誰も来てくれなかったら壊れていたと思う。

 

 

「ウェイン、珍しく優しかったな」

 そんなに長い付き合いじゃないけど、私にとって彼は初めて会った時の印象が大きい。

 いきなり喧嘩を売って来て、私に銃を向けて来たあの彼だ。

 

 口は軽いし飄々としてるし。

 

 

 ただ、本質は違うのかもしれない。彼の抱擁は、暖かい。

 

 

「……っぁ。な、ぬぁ、何考えてんの私!? ったく、もぅ、あぁ!? 何安心しちゃってんだか。……はぁ」

 優しいな、あいつ。

 

 

 温い湯で身体を流してから、湯と一緒に身体を温めた。

 

 

 結構な時間、入っていたんじゃないかな。

 

 落ち着いて湯から出て、着替えてから浴室から出る。

 

 

 癖でシャツ一枚で出てしまったけど、部屋の掃除を終えて何故かエプロン姿をしていたウェインと目が合っても、彼はなんの反応もしなかった。コイツ。

 

 

 

「サッパリしました?」

「……おかげさまで。で、何してる訳?」

 ウェインがしているエプロンは私の物ではない。というか私はエプロンなんて持ってない。

 と、なるとそれは彼の自前と言う事になるのだが。さて、どんな目的でそんな物を着用しているのだろうか。

 

 

「晩御飯作っていあげてるんですよ。大分身体も弱ってそうですし。精の付くものを、ね」

「……あ、ありがと」

 この前来た時もそうだったけど、そういえばウェインは意外にも料理が出来るんだよね。

 

 

 ふと、辺りを見てみる。

 

 散らかっていた筈の部屋は新居のように片付けられていて、机の上には飲んで下さいと言わんばかりのお茶が一杯。

 

 

「あ、それ飲んでくださいね。飲みやすいお茶を選んだつもりです。戻し過ぎて水分も足りてないでしょう?」

「あ、ありがとう……」

 何このドン引きするくらいの優しさ。

 

 ていうか、この完璧なまでの家事スキルは何だ。コイツは家政婦か? 

 

 

「はい、サシミウオのソテーです」

 そうして机に置かれる、シー・タンジニャで出て来そうな料理。

 それを机に置くだけ置いたら、彼は使った食器の片付けをしだした。

 

 

「え、えと、食べて良いのかな……?」

「冷めないうちに食べる」

「あ、はい……」

 勢いに流されて思わず改まってしまう。今の私は弱い。

 

 

 出された料理は、お店で出ても文句のない品物だった。

 程よく火の通ったサシミウオは弱り切った私の口でも簡単に噛み切れる歯応え。

 

 薄めの味付けは食べやすくて、何も入ってなかったお腹にすっと入っていく。

 

 

 

「……ごちそうさま」

「食べたらとっとと寝て下さい。身体を休めて、気を落ち着かせて」

 食器を持って行く彼は、軽くそんな事を言いながら布団が綺麗に引いてあるベッドを指差した。

 

「寝ろって」

「シノアさん、僕が悪いんで強くは言えないんですが一日あんな状態だった訳で身体はボロボロでしょ? 明日は仕事をしてもらわないといけませんし、今日はもうゆっくり休んでくれませんかね?」

 食器の洗い物を終わらせたウェインは、私の前に立ってそう言う。

 そうやって、視線で寝ろと諭す彼は私の手をとってベッドの所まで引っ張った。

 

 

 そうして私を座らせてから無理やり寝かせて毛布をかけて、彼は振り向いてからこう口を開く。

 

 

「今日は、ゆっくり寝て下さい。明日また来るんで。……それでは」

 そう言われて、私は胸が締め付けられるような気持ちになった。

 

 彼が居なくなってしまうのが、とても心細く感じる。無意識に、手が伸びていた。

 

 

「待って」

「はい?」

 私は彼の服の袖を掴む。

 珍しく驚いたのか、素っ頓狂な声を出すウェインに私はこう続けた。

 

「……私が寝るまで、側にいて…………くれないかな?」

「一緒に寝ろと? 僕一応男なんですけど、そういう意味で捉えても良いですか?」

「……っぁ、ぇ、ぅぇ、と、そこまで、は、言って、ないけど!?」

「分かってますよ」

 そう言うとウェインは、そのままその場に座り込んだ。

 

 私に背を向けながらだけど、その手だけは伸ばしたままの私の手を握ってくれる。

 

 

「これで良いですかね」

「……う、うん。ごめん」

「いえ」

 それから、どれだけの時間が経っただろうか? 

 

 寝ようと意識すると、中々寝付く事が出来ない。

 それに、寝てしまうと()()()がまた聞こえるんじゃないかって、不安になった。

 

 

「寝れないんですか?」

「……ごめん。帰って、良いよ」

 これ以上は、ウェインにも迷惑だろう。

 そう思ってそんな返事をしたんだけど、帰って来た返事は突拍子もない言葉だった。

 

 

「昔話をしましょうか」

「え?」

 どうして、そんないきなり。

 そんな疑問が口から出る前に、彼は勝手に話しだす。

 

 いつものように飄々とではなく、重くゆっくりとした声で。

 

 

「僕の母は、知り合いの竜人達と一緒に加工屋を経営する人でした。そして、父はそこそこ優秀なハンターだった」

 ウェインが語るのは、そんな話。

 

「母は加工屋として自分が雇う竜人達や彼らが作る武器に誇りを持っていた。僕も誇らしいと思う商売人でしたよ。顧客も多かったし、母は整備も出来たので竜人達からの信頼も厚かった。……ただ、父の方は少し性格に問題があって。上手くいかない時は酒と暴力に溺れ、僕や母に手をあげる事もしばしばあった」

 重い声を出す彼の視線は、どこかここじゃない遠くを見ているようだった。

 

 

「でも、僕はそんな父も尊敬していたんですよ」

「……なんで?」

 そんな人を尊敬できるのだろうか? 

 

 

「僕はね、ハンターになりたかったんです。父のような優秀なハンターになって、モンスターを狩って、それを母に渡して武器を作って貰う。そんな生活が僕の夢でした。父はそれをやっていたし、母も父の為にと竜人達と一生懸命武器や防具を作った。父が無事に帰って来るために防具を、父がモンスターと戦う為に武器を。そんな母の姿を見ているのが、僕は好きだった……」

 言い終わると、ウェインはその場で向き直って私と視線を合わせる。

 

 ランプを消して明かりの少ない部屋だけど。確りとその瞳には私の眼が映っていた。

 

 

「ただ、僕にはハンターとしての才能がなかったんです」

 ハンターとしての才能。

 

「勉強はしました。まだ戦う事もないだろう飛竜から古龍の事まで。本を読み漁って、情報を叩き込んだ。でも、いざ本当に戦ってみるとね、身体が全く動かなかったんですよ。なんて事はない、僕はただハンターには向いていなかっただけ。……だからかな、あんな酷い父親もハンターとしては優秀だったから尊敬していた」

「そう……」

 

 羨ましい。

 グラビモスを倒した私に、彼がそう言っていたのを思い出す。

 

 そういう事だったんだ。

 

 

「これは、僕が初めて人を殺した日の事です」

「え?」

 そして続いた彼の言葉は、そんな事。

 

 ウェインが、初めて人を殺した日。

 

 

 その言葉の前の話が頭の中で繰り返される。

 

 

 まさか───

 

 

「五年前。僕がお使いから家に帰ったらね。加工屋の竜人達と、母が……殺されていました。ギルドナイトの人が居て、現場を見て回ってました。動かなくなった母の身体を見て、僕は泣き崩れた。悔しかった。守れなかったのが。……せめて犯人を見つけてやろうって、無駄に回る頭で犯人を探したんです」

 言い終わると、彼は一旦目を閉じた。

 まるでその日を思い出すように、ゆっくりと明けた眼に映る私の眼。

 

 

「死体の傷は、切り傷を火で焼いた様な傷でした。僕の故郷で、その頃そんな傷を付ける武器を持っているのは一人しかいなかった。そして、加工屋で働いていた僕はそれを知っていた。誰よりも、その人を知っていた」

「お父……さん?」

「その通り。その日のうちに僕は、母が作ってくれたハンターボウを担いで父を問い詰めました。貴方が殺したんですか? ってね」

 私の手を握る彼の力が、少し強くなった。

 

 

 嫌な話を、彼はしてくれている。私も、無意識に彼の手を強く握っていた。

 

 

「父はあっさり認めましたよ。そして、こう言った。『あいつが作ったこの鈍がモンスターに効かなかった所為で、俺はギルドで恥をかいた。だからキレたら、あいつはその武器は悪くないって言うからよ。試しに斬ってやった。まぁ、人間程度なら斬れるって証明は出来たな』なんて……そう言ったんですよ」

「そんな……」

 ハンターは、簡単に人が殺せる。

 

 

 堅牢なモンスターの甲殻を傷付ける為の武器は、並の刃物なんかとは比べ物にならない殺傷力が必要だ。

 

 

「その武器は、母や竜人達が丹精を込めて、父の為に全てを注ぎ込んで作った物だ。それは、その誇りは、モンスターに向けて振る物だ。それを彼は、鈍だと言って……母に向けた。許せなかった」

 だから、ハンターは人に武器を向けてはいけない。

 

 

「僕はその日、その場で、父を……殺しました」

 そして重くのしかかる、そんな声。

 

 

 母を殺した仇。でも、それは一部では憧れていた尊敬する父親。

 そんな人物をその手で殺めた彼はその日、どんな心境だったのか。

 

 

 その答えは、直ぐに彼の口から漏れてくる。

 

 

「初めは、清々しかった。本当に、良い気分でした。でも、倒れて動かない父親を見ていると……それが急に動き出すんじゃないかって思えて来て怖かった。父や母の声が聞こえ出して、狂いそうだった」

 そう言いながら、彼は向き直ってまた遠くを見た。

 

 彼だって、私と同じ。そういう事。

 

 

「それで、その現場で鉢合わせたのがクライス先輩でした。彼は僕をスカウトして、僕はギルドナイトになった……」

 私から目を逸らしながらも、彼は無意識に伸びていた私の手を握りながら話し掛けてくれる。

 妙に暖かい手が、確りと私の手を握ってくれていた。

 

 何故だろうか、安心する。

 

 

「……ウェイン。私のお母さんはね、密猟者のハンターに殺されたらしいの」

 なんでかな、私は無意識にそんな事をウェインに話していた。

 話す必要なんて感じられなかったけど、ただ無意識に口が動く。

 

「言ってましたね」

「ギルドナイトになった日、その犯人を探して殺してやりたい。私はそう思った……。でもね、今は怖いの……。人を殺すのがこんなに、重い事だなんて……思わなかった。殺した人の声がずっと聞こえる。ずっと耳から離れない。眼を閉じたら射殺したあの男の顔が浮かんでくる。怖いんだ。怖い……怖いよぉ……。……もぅ、嫌───」

 突然、彼は私の頭を撫でた。

 

 

 ゆっくりと頭を撫でてくれる彼の手は温かい。

 

 そうして耳元で、こう囁く。

 

 

「シノアさん、君の部屋には僕しかいません。僕が保証します。ここには誰も居ない。誰も喋らない。……だから、今日はゆっくり休んで」

「……ウェイン」

 震える手を、肩を、漏れる涙を、彼は止めてくれた。

 

 

 それで、私は安心出来て。

 

 

 ゆっくりと、意識は溶けて行く。

 

 

「辛かったら、辞めても良い。そうやって傷付く心がある内は、まだ戻れます。……おやすみ、シノアさん」

 戻れるだろうか。

 

 

 ただ、今は深く───深く沈んで行きたかった。


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