とあるギルドナイトの陳謝【完結】   作:皇我リキ

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【三章一節】少女の涙

 人の死体を初めて見たのは、私がクライス先輩に出会った時だった。

 

 

「ねー、お母さん。お父さん達は?」

「多分後ろの竜車に居るわよ。私がシノアを独り占めしたいから、別の竜車に乗って貰ったの」

 キャラバン隊の竜車に乗って、私達家族は村から旅行に向かっている。行き先は大きな街だって、お母さんは嬉しそうに話していた。

 

 他の家族───お父さんと妹は、別の竜車に乗っているらしい。

 

 

 いつも少し厳しいお母さんだけど、その日はそんな事を言うものだから「変なのー」と首を傾げる。

 

 

 

「街に着くの、楽しみだね。お母さん」

「そうね、楽しみだわ。とても沢山お金が貰えるのよ」

「おかね? たくさん?」

「えぇ、とても沢山。あなたは特別な娘だから」

 そう言って私の頭を撫でるお母さん。

 

 私と、妹の髪の毛は白い。

 だけど、お母さんとお父さんの髪の毛は黒い。

 

 

 お母さん達はよく、私達は特別だと言っていた。その意味は、今もよく分からない。

 

 

 

 その日の夜。

 キャラバン隊は、無法者の狩人(ハンター)達に襲われる。

 

 

「嫌ぁぁぁ! 辞めて、殺さないでぇ!! 嫌ぁぁあああ!!」

 その時のお母さんの声を私は忘れられなかった。

 

 

 

「そこに転がってる黒髪の女、お前の親だろ?」

「ぃ、嫌…………嫌ぁぁっ!!」

 人が死ぬ時の声、音、血の匂い、冷たい空気。全部、覚えている。思い出してしまった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

  ──あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁぁぁぉ!! あ、悪魔……ぁ…………ぉ、お、お前ら、人間じゃねぇ!! ふざけるな!! この悪魔! 悪魔がぁぁ!! ──

 ──ふざけるな糞がぁぁあああ!! 殺してやる。殺してやる殺してやる殺してやる!! ──

 

 

 目を瞑っても、意識を閉ざしても。

 例え起きていたって、何をしていたって、頭からあの時の光景が離れない。

 

 

「ぅ…………ぅぇぁっ……うぉぇっ」

 口に入れた物は、お腹に届く前に口から戻って来る。

 

 部屋に散らばった液状の携帯食料は、全てそれだった。

 

 

「……はぁ…………はぁ……は……っ……ぁぁ」

 それでも身体は栄養を欲する物だから、喉を通らない物を水で無理矢理押し込む。

 

 

 

 あれから、何日が経っただろうか。

 

 

 ギルドナイトとして、初めて人を殺めた日。

 その日、帰宅してから私は一度も部屋を出ていない。

 

 あの日からずっと同じ調子で口に物を入れては吐き続けて、私の家は知らず内に嘔吐物だらけになっていた。

 吐いては食べて、吐いて、水で飲み込んでは吐いて、吐いて。そんな事を繰り返す。

 

 

 次第には自分が起きているのか、寝ているのか、それすら分からなくなって来て。

 時間の感覚もあやふやになり、あれからどれだけの時が経ったのかも分からない。

 

 

『なんで……殺したんだ』

「……っぁ!?」

 声が聞こえた。

 

 男の声。低くて、怨みのこもった声が聞こえる。

 

 

『人殺し』

「違う…………わ、わた、私……は……違う……」

 声が聞こえる方へ振り向く。でもそこには誰も居ない。

 

 当たり前だ。

 この暗い部屋には、他に誰も居ないのだから。

 

 

『悪魔』

「……や、やめ……て…………違う、違うの……私が殺さなきゃ……それが、仕事で…………だって、だって、だってだって……」

 それでも聞こえてくる声。

 

 気持ちが悪い。

 

 気味が悪い。

 

 

「あぁぁ……!!」

 声を振り払うように腕を上下させても、それは空気を切るだけだった。

 

 

『殺した』

 違う。

 

 

『お前に殺された』

 違う。

 

 

『人殺し』

 違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う。

 

 

「───私じゃないって言ってるでしょ!! 悪いのはあんたでしょ!? あんたがアーシェを殺したんでしょ!? 殺されて当然だ!! あんたが悪いあんたが悪いあんたが悪い。私は悪くない! 私は違う! 私は私は私は私はぁぁあああああ!!!」

 聞こえてくる声が消えない。

 

「消えろ……消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ!! 消えろ!! あぁぁ……!! 消えろぉ!!!」

 苛立ちで、手元にあったあらゆる物を掴んで何処かに投げる。

 

 

 皿が割れる音がした。ビンが割れる音がした。何かがぶつかる音がした。

 

「ゔぁぁあああ!!!」

 嘔吐物を掴んで、地面に叩き付ける。

 

 近くに投げる物がなくなって、最後に私は座っていた椅子を床に叩き付けた。

 

 

「……っうぉぅ、ぇええ……っ。おぅぇぇ…………っ、はっ……はぁ…………はぁ……ぁぁ……」

 もう胃には吐くものも残されていなくて。

 一通り暴れ回った後、私は胃液を吐く。

 

 

 

「……はぁ……はぁ…………っひ、ぁぁ……はぁ…………んぅ…………何してるんだろ、私」

 家にある携帯食料は、全部食べてしまった。全部、戻してるし。

 

 そろそろ何かを食べないと、身体が持たない。

 

 

 それが分かっているのに身体は動かなかった。

 

 

 嘔吐物と胃液と、散らばった色々なもので汚くなった床に身体を転がせる。

 

 

 いっそ、このまま死んでしまったらどれだけ楽だろうか。

 

 

 

『人殺し』

 

 

「……また」

 声が、消えない。

 

 

『人殺し』

 

 

「……うるさい」

 

 

『人殺し』

「……黙れ」

 

 

『人殺し』

「……お願い」

 

 

『人殺し人殺し』

「許してよ……」

 

 

『人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺───』

「───あああああああぁぁぁぁぁあああああああああああ!!!!」

 

 

 私は、何をしたのだろうか。

 

 

『……シノア、大丈夫? もー、ダメだよまたこんなに散らかして』

 次に聞こえたのは、そんな声だった。

 

「…………アーシェ……い、居るの? 生きてたの? 無事だったの? アーシェ……私…………私……アーシェ、アーシェ!」

『ねぇ、シノア』

「何? ねぇ、アーシェ。隠れてないで出てきてよ。私、私とんでもない事を……助けて…………ねぇ、助けてよ……アーシ───」

『なんで、一緒に来てくれなかったの?』

「───ぇ」

 何、言ってるの? 

 

 

『シノアが助けてくれなかったから、私は───死んじゃった』

 視界に映る、あの日見たアーシェの死体。

 

 

 色々な物で頭がごちゃごちゃになって、視界が真っ暗になる。

 

 

「───!」

 声にならない、音にならない、そんな絶叫が響いた。

 

 

 

 暗い。

 

 

 深くて暗い。

 

 

 手を伸ばして届く場所には、何もない。

 

 

 ──戻れなくなりますよ……? ──

 本当に、戻れない。

 

 

 ここは何処だろう。

 

 

 ここは、地獄か。

 

 

 人殺しが行き着く、場所か。

 

 

 

「あぁぁ……あぁぁああ…………あぅぁあぇぉあぇぉあぅえあああ……」

 いっそ、このまま死ねば、楽になるだろうか。

 

 

「うわ、汚っ」

 唐突に、そんな言葉が耳に聞こえた。

 

 やけにハッキリと聞こえるその声と同時に、ランプでも灯したのか部屋が明るくなる。

 色が付く視界の先は、人が住むような空間にはとても見えず、ただただその言葉のままだった。

 

 

「……生きてますか?」

 視界の上から聞こえる、そんな声。

 

 

 ベージュのギルドナイトスーツに、短い黒い髪。

 童顔の青年は、心配したような表情で私の顔を覗き込む。

 

 

「……残念ながら」

「……そうですか」

 そう返事をすると、彼は被っていた羽帽子を乱暴に地面に投げ捨てた。

 落ちどころが悪かったのか、帽子は私の嘔吐物の上に乗って嫌な音を立てる。

 

 それを見て汚いな、なんて自分で思っていると、急に身体が持ち上がった。

 

 

「っぁ!?」

 無理矢理腕を引き上げられて持ち上げられた私の身体は、そのまま彼───ウェインの腕に抱えられる。

 背中と、私の頭に回される彼の手は妙に暖かい。心身共に弱っていた私は、彼にされるがままに抱擁を受ける事しか出来なかった。

 

 自然と、枯れたと思っていた涙が溢れてくる。

 

 

 

「……だから、言ったのに」

「……」

 ──戻れなくなりますよ……? ──

 

 

 本当に、戻れなくなっていた。

 それどころか、どんどん深く沈んで行く。

 

 

 後悔しても、後悔しても、後悔しても、戻れない。

 

 

「……ぅっ……っ、ぅ、ぁ……ぁぁ」

「一日も放置してすみません。報告書を書かなければいけなかったので。……いや、言い訳ですね。一人にしてごめんなさい」

 そう言いながら、彼は私の後頭部をその手で撫でた。

 

 男にしては小さな手が、でも暖かい手が、優しい。

 

 

「今は、泣いて下さい。思いっきり叫んでも良い。僕が全部聞くから、全部吐き出して」

 そんな暖かさが、人の温もりが嬉しくて、枯れた筈の涙がまた溢れてくる。

 

 

 私は、恥も苦痛も何もかも忘れて泣き付いた。彼の胸の中で、我も忘れて。


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