天界
一面に草が生い茂り所々木や剥き出しの岩が覗いている。眼下には雲海が広がっており、まるで別世界にいるようである。いや、いるのである。
ここは天界と呼ばれ、そこに住む天人は皆輪廻転生の輪から外れている。天人達は毎日毎日音を奏で、踊り、歌って暮らしている。危険と呼べるものは何もないゆえに天国とも呼ばれる。
そんな天界の外れに二人の人が立っている。一人は赤い触手のようなものがついた黒い帽子に赤いフリルがついた薄いピンク色の服と羽衣を着ている。
もう一人は暁特有の黒生地に赤い雲が描かれた服だ。二人とも女性であり、向かい合っている。少なくとも和気藹々とした雰囲気ではない。
「……では、どうしてもここから去らないのですね?」
「ええ、彼には指一本触れさせはしないわ」
「では、力ずくでいかせてもらいます」
(……全く、何でこんなことになってしまったんでしょうか)
暁の女性に話しかけた竜宮の使いの妖怪、永江衣玖はこの状況に至るまでのことを振り返った。
◆
暁の紅一点、小南は青々とした草原の上で目が覚めた。
辺りを見渡し自分の最後の記憶を思い出した。
「……ここはどこ?それに……私は死んだはず」
目の前に広がる雲海に小南はここは天国なのでは?と考えたが自分の足元に寝ている人物を見てその考えを撤回する。
「長門‼︎」
小南の足元に寝ている人物は外の世界で彼女がずっと支え続けていた暁のリーダー、長門だった。
痩せ細っている長門はまるで死んでいるかのように眠っている。小南は最初は長門が死んでいるのではないかと胸が張り裂けるような思いだったが、かすかに胸の辺りが動いているのを確認すると小南は一呼吸置き彼を安全と判断できる場所を探した。
紙でできた絨毯のようなものが浮かび小南が歩くスピードと並行して紙の絨毯も移動している。長門はそこに寝かせられており、傷がつかないよう細心の注意を払っている。
これは小南の術によるもので、彼女は紙を自在に操ることができる。攻撃はもちろん、敵の拘束、偵察など紙で大抵のことが可能なのだ。
長門を運びながら歩いていると、人が通れるほどの洞窟が視界に入った。ここまで生物を見ていないものの、洞窟の中には何もいないという確証がないため油断はできなかった。
洞窟に入ると湿り気を帯びた空気が肌に触れるが、小南は構わずに入った。
奥行きが十メートルほどの洞窟の中は最奥辺りで円形に広がっている。光があまり届かず暗くなっているが、それが逆に見つかりにくくなっている。
行き止まりで長門をゆっくりと降ろすと小南は壁を背に腰を下ろした。
しばらくそのままの状態が続いたが、とある来客によって小南は動かざるを得なかった。
長門は今身動きがとれず、動けるのも守れるのも小南一人である。小南は長門を守るため一人洞窟を出た。
◆
天界のとある天人に仕える竜宮の使いの妖怪、永江衣玖は
「ねーえー!衣玖ーっ!まだ駄目なのーっ!」
「総領娘様、そのような言葉は慎んでください。あと一時間きっちりと勉学に励んでもらいます」
衣玖が仕える不良天人、比那名居天子の勉強会の見張りである。
この天人、一族の功績により天界の居住を許され、一族は天界に居を構えた。
当然、この天人も地上から移り住んだが、人間であったがために退屈の日々を送っていた。そこで、天子は異変を起こしそれを解決しにくる人間達を相手した、ということを起こしたことがある。
そのことがあってからは、天子を反省させるために勉強会を開いているがあまり効果はない。
(トイレ行きたい、って言って抜け出せるかな)
天子はこの勉強会をどうやって抜け出そうかと考えているように。
衣玖は外来人達を好奇心が強い天子の目に触れさせないようにしたい。絶対にロクなことにならないからだ。
外来人達がここに来ないように伝えるのが一番だが、勉強会の途中のためにそれはできない。かといって外来人達がここに来るかもしれないのだ。
早く伝えなければいけない、と考えた衣玖は人を呼び、見張りを立てると……
「総領娘様、私は少し用事があるので失礼いたします」
「ちょっと衣玖!アナタだけズルい!」
「総領娘様、言葉を慎んでください。それと、くれぐれも抜け出そうとは思わないでくださいね」
衣玖はそう言い残し部屋を出た。
「うぐぐ、衣玖〜」
「総領娘様、勉強はまだ終わっておりません」
「うるさい!私トイレ!」
「総領娘様!」
天子はそう告げると、乱暴に扉を開けズンズンと聞こえるような足取りで廊下を歩いていく。
当然のようにトイレには行かず、天子は家を出るときだけこっそりと抜け出した。
◆
天界の外れで小南を見つけた衣玖は地上へ下りてもらおうと口を開いた。
「(
そう言われた小南は衣玖の言い方に不快感が込み上げたが、元からそうするつもりだった。
「ええ、そのつもりよ」
「そうですか、ではお連れの方もお願いできますか?」
「‼︎」
ここには衣玖と小南以外誰もいない。衣玖の言う小南の連れとは長門しかいない。
長門の存在に気が付いている衣玖に小南は警戒の度合いを最大限にまで上げた。衣玖のことを何も知らない小南は長門に何をされるか分からない。
衣玖の言い方でここを追い出す方法は力ずくではないか、と思った小南は衣玖に長門を会わせるわけにはいかなかった。
「彼に手は出させない!」
「……ただここから出ていってほしいだけなんですが」
◆
天界の外れにある洞窟、その奥にいる長門は目を覚ましていた。長門の目は波紋状になっており、薄い紫色をしている。
長門は小南がここを離れた理由を知っている。小南が彼の元を離れて数分、洞窟に足音が響いた。
長門の耳にそれは入ってくるが、長門は動けない。足音が長門の前まできてその音を出した張本人は立ち止まった。
「……誰だ」
「ねぇアナタ、外から来たんでしょう!ちょっと私に付き合ってくれない?」