旧都の中心地、灼熱地獄跡の真上に建てられた地霊殿は飛段が訪れた紅魔館よりも広いか、それと同等の大きさの建物だ。
巨大な窓がいくつも見られ、おおよそ住人が二人しかいないようには見えない程に立派だ。その地霊殿の入口に辿り着いた二人は壮大な装飾を施された玄関に向かった。
飛段が自身の倍近くある扉を開けようとすると、扉が内側に開いた。開けたのは紅の髪から猫耳が生えた少女だった。三つ編みのおさげとスカートの下から覗いている二本の黒い尻尾をぶらつかせて近付いてきた。
「見てたよー、お兄さんたち。凄いねー、あの勇儀たちを相手にあそこまでやれるなんて」
「何だ、てめーが『古明地さとり』か?」
「いやいや、あたいは違うよ。あたいはお燐、さとり様のペットさ。さて、河童から話は聞いているから、さとり様の力で記憶を戻すんだろう? ここで立ち話するのもなんだし、中へお入り下さいな」
「何でてめーが河童のことを知ってんだ? あいつがそこまで速いかァ?」
中へ歩を進めながら飛段が聞いた。二人が中に入ったことを確認したお燐は扉を静かに閉める。
「河童たちのところとここを繋ぐ通信機があるのさ。それで大抵のことは伝わるんだ。ああ、そうそう。こいし様はさっきここに着いたよ。酷い目にあったって言ってたねー」
「……あいつ、いなくなったと思ったらもう着いてたのかよ。ッたく、勝手な奴だ」
三つ足の鳥を描いたステンドグラスが敷かれた床を割らないように進んでいると、廊下が終わり広い場所に出た。
全ての部屋に通じているように感じる程にこの大広間から枝分かれしている。広間の中央には人が横に七、八人も広がれそうな巨大な階段が佇んでいた。
こちらに気が付いたのか、一人の少女が手すりに手を預けてゆっくりと降りてくる。
「あ、さとり様!」
その少女は薄紫色の髪をボブカットにして、服は水色の服にピンクのセミロングスカートが揺らめいていた。
見目麗しい容姿だが、何よりも目を引くのが身体から伸びたコードの先にある目だ。宙に浮いた目は半開きの少女とは違って、二人を見極めるかのようにはっきりと開けている。
「遠路はるばるようこそ。お燐からお話は聞いています。そちらのうちはイタチさんの記憶を戻すのですね。お燐、下がっていいですよ」
「……はい」
イタチが一歩前に進み出た。迷いなしの動きだった。
普通の人間だったのならば、相手のことを聞いているとはいえ、自らの身体を預ける行為は僅かながらに抵抗はある。しかし、イタチにはそれがない。さとりのことを信頼しているといってもいい行動だ。
「急いでいるのでしょう? 安心してください。いくらさとり妖怪といっても、心は読めたとしても人の記憶まで操ることはできませんので安心してください。貴方の記憶を戻したらすぐに解放します」
「なら、とっとと––」
「記憶を戻すといっても、そう簡単にはいきません。私がこれからすることは非常に危険かもしれません。もしかしたら貴方の心に支障が出るかもしれません。ああ、それと。こいしには私から伝えておきます。こいしが窃盗をしたのが事実かどうかはともかく、気を抜いているといなくなってしまうので、なるべく刺激をしないようにしておきます」
「そうか、なら––」
「はい、準備は出来ていますのでこちらへどうぞ」
「……角都が言ってた通りだな。会話がやりずれェ」
「会話にならないことはさとり妖怪にとって日常茶飯事ですから」
飛段は締まらない表情を浮かべて、後頭部をボリボリと掻いた。
「ッたく、角都の野郎。こうならこうだって言えよな。やりにけーんだよ。……おい、何ボーッとしてんだ」
ポカンとした表情を浮かべていたさとり。コードの先にある第三の目がパチパチと瞬きさせて飛段の真意を測ろうとする。そして、さとりは目を見開いた。感情の起伏が少ない彼女が素顔を見せることはあまりない。
もし、お燐やお空がこの場にいれば驚いていただろう。それほど珍しいことだった。
「……いえ、ここまで正直な方は今までいなかったので」
「あん? そりゃどー言うことだ?」
「貴方が
さとりは小さい手を口元に持っていき、クスリと笑った。その笑顔は彼女自身の美しさも相まって、人間をも魅了するものだ。飛段には通じなかったが。
突然、さとりの目は真剣そのものになった。そしてイタチの方に向けると言葉を発した。
「イタチさん、何かを思い出そうとした時に頭が痛くなったり、記憶が戻りそうになった時に拒否感はありましたか?」
「……いえ」
「なるほど、もう少しで思い出せそうなのに最後のピースが埋まらないような、そんな感覚が襲ってくるのですね。分かりました、それならば、あの方法でイタチさんの記憶を戻しましょう」
「……本当に会話いらねーな」
飛段の言葉にクスッと笑ったさとりは「私についてきてください」と言って、階段を登り始めた。
◇◆◇
さとりは二人を連れてとある部屋に入った。その部屋は向かい合った椅子が二脚と扉の側に一脚あった。
主な家具はそれだけでとても殺風景な部屋だ。さとりは向かい合っている椅子に近付き、背もたれに手を置いた。
「今から行うのは記憶の潜行です」
「何だそりゃ?」
「端的に言えば、心の奥底に眠っている記憶や感情を呼び起こすことです。いくらさとり妖怪でも他人の記憶を操ることはできませんから」
飛段は顔が横になるほど頭をひねった。
「……つまり、どういうことだ?」
「事故や心的障害で閉ざしてしまった心を解放するのです。ただし、無理矢理に心をまさぐると心にダメージを与えてしまいます。そうならないようにイタチさんの心を誘導して彼自身を取り戻すのです。精神的ショックで心を閉ざし、記憶を失っていたならばこの方法は取りませんでしたが」
「なんか思っていたのとちげーな」
「人だけではなく、生き物の心はデリケートなんです。適当に扱ってしまうとその人の心に強い影響を与えるんです。そして、それは私も例外ではありません」
「じゃあ、何だ? 一か八かになるってことかァ?」
「簡単に言えば、そうですね。イタチさん、もし私が貴方の中に潜っても記憶が戻らないどころか、精神に異常をきたしてしまう可能性があります。貴方はそれでもやりますか?」
イタチはただジッとさとりの目を見つめた。無言の圧力が辺りに降りかかる。
「フウッ、そうですか。やるのですね。分かりました、ではすぐに始めましょう」
さとりは反対側にある椅子を指差して、
「イタチさん、そこの椅子に座って目を瞑って下さい」
指示された通りにイタチはさとりとは別の椅子に座って、ゆっくりと目を閉じた。
手持ち無沙汰の飛段はつまらなそうにしながら、扉の近くにある椅子にドカッと座った。「くあー」と欠伸をしてさとりたちのやり取りを見ている。
準備を終えたことを確認したさとりが、イタチの正面に立って、
「では、いきます」
目を瞑って、イタチのひたいと自身のひたいを合わせた。