「終わらせる? ハッ、そんな大層な口を叩くのは久しぶりだね。なぁ、萃香。あんたはこんな言葉を最後に聞いたのはいつだ?」
「ちょっと前に聞いたばかりだよ」
萃香はポキポキと骨を鳴らした。久々の戦いに胸が高鳴る。さらに相手の力が未知数であれば、それはいいスパイスになる。
「それじゃあ、見せてもらおうか! 外の世界の人間の力を!」
萃香は拳を振りかぶると同時に大地を思い切り蹴った。彼女の中では軽く蹴ったが、人間の鬼鮫からはとてもそうは思えない力だ。鬼鮫は後ろに飛んで避けると印を結ぶ。
その鬼鮫の正面から勇儀がありったけの力を込めた拳を叩き込もうと駆け出していた。空中ではそれを避けることは叶わず、鬼鮫の顔面に渾身の一撃が直撃した。
周りから歓声が上がるが、勇儀は違和感を抱いた。まず、感触があまりない。鬼鮫の図体からして考えられない程に彼は軽かった。なぜと思う暇もなく、鬼鮫は勇儀の拳と地面とで板挟みになってすぐに、彼は煙となって消えた。勇儀の側に萃香が歩いてきた。
「おや、今のは偽物だったのか?」
「いつ入れ替わったんだ? 手を合わせて何かやっていたのは見えたがー」
勇儀が言い終わる前に、彼女は地中から這い出た手に引きずり込まれた。隣にいた萃香も同時に大地に埋めようと手を伸ばしたが、萃香は自分の足もとから身体を霧化させた。
地面から出てきた手が先程対峙していた鬼鮫のものだと判断した萃香は、近くの長屋の屋根に乗った。
「おおい、隠れてないで出てこいよ。それともすぐに終わらせるって言葉は嘘だったのかい?」
萃香は首だけになってしまった勇儀を見下ろした。
「勇儀、大丈夫か? 私が引っこ抜こうか?」
「ハハハッ! いやー、油断しちまったよ。あの人間、こんなことができるのか。面白い奴だな」
勇儀の目が萃香の横に動いた。萃香もつられて見ると、不気味な笑みを浮かべた鬼鮫が立っていた。
「『土遁・心中斬首の術』です。この術で、お二人を晒し首のように並べて終わらせるはずだったのですが、やはり簡単にはいきませんか」
「おう! 私ら鬼はそう易々と捕まらないよ。で、次は何をするんだ?」
鬼鮫は勇儀の方に向いて印を結んだ。
「『水遁・爆水衝波』」
鬼鮫の口から大量の水が吐き出される。それは首だけになった勇儀を溺れさせるには十分な量だ。勇儀は瞬く間に波に飲み込まれた。鬼鮫たちを囲んでいた鬼や妖怪にも水は広がり、旧都の一部が浸水し始めた。
「なっ! お前!」
咄嗟に突き出したパンチは華麗に避けられた。鬼鮫は向かいの長屋の屋根に降りると、
「これで一対一ですね。アナタたちのことは聞いています。これだけやっても死なないそうですね」
「……ああ、これぐらいで勇儀は死なないさ。むしろ鬼を本気にさせちまったお前が可哀想に思えてくるよ」
「チャクラがあまり回復していないので、このような手を取るしかないんですよ」
「そのチャクラってのはよくわからないけど、お前からは力が漏れ出ているのほよくわかるよ」
鬼鮫が水で埋まりつつある旧都を見下ろした。
「お仲間を放っておいていいのですか? あのままだと溺れ死にますよ」
「なぁに、勇儀はあれくらいじゃあ死なないよ。それよりも自分のことを心配した方がいいよ」
「そうですねッ!」
鬼鮫は助走をつけて屋根から飛ぶと、萃香の位置まで一足で着いた。見た目の図体からありえない跳躍に萃香は驚くが、すぐに気合を入れ直した。
久方ぶりの歯応えのありそうな人間に一層に興奮した。
「オオラァッ!!」
「ふんッ!!」
鬼鮫の攻撃は間に割って入ってきた腕であっさりと防がれた。しかし、衝撃までは防げなかったのか、萃香の足元の瓦が陥没して
「いいパワーじゃないか! だけど! 足りないなぁッ!!」
萃香の反対の腕が相手の襟首を掴んで、そのまま瓦に叩きつけた。屋根は限界を迎えたのか、音を立てながら崩れ落ちた。
先程まで誰かが宴会でもやっていたのか、部屋の中は料理と酒が転がっていた。舞い上がった粉塵で床ぐらいしかよく見えない。
「どこに?」
「こっちだよ!」
声がしたと同時に、鬼鮫は腹に拳を食らった。まともに受けたそれは鬼鮫の身体を宙に浮いて、窓から放り出された。
腰の高さまで張った水の上に着水した鬼鮫は、口から血を吐いた。打撃を受けた箇所からは痺れが抜けない。
「ガフッ、あの小さな身体で角都さんより力が強いとは。全く、本当に油断ができませんねェ」
ズン、と地面が揺れて、水で埋め尽くされていた旧都も揺れた。鬼鮫はまさかと思い、勇儀を埋めた辺りを見た。そこには水を吸って重くなった服をものともしない勇儀が仁王立ちで構えていた。
「どうやら鬼を甘く見ていたのは私の方だったようですね。あの土遁の術は自力では脱出が出来ないんですがねェ」
「ほーう、そうかい。今の技に破られない自信があったかい。それは悪いことをしたね」
「ご心配なく、布石は打ってあるので。私の自慢の術はとってあります」
「なら、早く見せてくれ。鬼は相手の技からは逃げない。そして真正面からぶっ叩く!」
萃香が屋根から飛び降りて、ザブンと音を立てた。鬼鮫を挟む形になった。周りを囲んでいた鬼たちの姿は見えなくなっていた。
(長引けばこちらが不利になりますね。かと言って術を連発すれば、先にバテてしまう。二人を集めて一撃で決める必要がありますね)
鬼鮫は印を結び始めた。萃香と勇儀はそれに反応して駆け出したが、水に足を取られて上手く進めない。
「『水遁・水鮫弾の術』!!」
二人の鬼の足元の水が生命を吹き込まれたかのように動き出し、たちまち鮫の形になった。鋭い歯が鬼の脚に噛み付いた。
「うおッ!?」
水の鮫に引きずられて勇儀は水中に沈んでいった。
「勇儀!? クソッ!」
小さな拳が鮫の頭を直撃する。その衝撃は鬼鮫の辺りまで届いた。
鬼鮫が繰り出した鮫は、彼女たちにとってこの程度の攻撃は何てことのないものだが、勇儀は先程まで水の中にいたのだ。さらに大量の水を飲み込んでいる。体力を奪われ、通常のコンディションではない分、戦闘に遅れが生じる。
勇儀はただならぬ気迫を見せていたが、実際は痩せ我慢をしているだけだった。
「あんの馬鹿、人間に見栄を張るからだ」
「次はアナタの番ですよ」
萃香は拳同士をガツンとぶつけた。
「あんた、結構やるね。侮っていたよ」
◇◆◇
鬼鮫と別れた飛段とイタチの二人は喧騒で沸き立つ旧都の大通りから離れた長屋の屋根を走っていた。身体を前のめりにして両腕を後ろに伸ばして走る飛段の姿をイタチは不思議なものを見る目で見ていた。
地上地底を結ぶ縦穴から吹き込んでくる湿った空気が肌にチクチクと刺してくる。あれだけ賑わっていた旧都は悲鳴と怒号、何重もの足音があちこちから聞こえてきた。“暁”がやって来たことが旧都中に広まったようだ。
「ッたく、鬼鮫の野郎、生贄を独り占めしやがって。そろそろジャシン様に贄を捧げねーといけねーのによォ」
イタチの目は飛段の手から伸びた紐の先を見つめている。その先には小さい輪っかを作った紐があるだけで、飛段はそれに気が付いていないようだった。
「そういえば、こいしさんが姿を消していますが」
「あぁ? あのガキならこうやって紐で結んで……って、いねェーッ!?」
すぐに足を止めて紐を手繰り寄せるが、こいしはどこにもいない。にとりからは絶対に意識を逸らすなと言われていたが、結果はこのザマだ。
「いつからだ、いつの間にいなくなったんだ、あのガキは」
「地下に潜るまでは確かにいました。けれど、縦穴を降りていた頃には、もう……」
「クソッ! だから子守りは嫌なんだよ!」
飛段の愚痴は地底の底に吸い込まれる。
いなくなったものはしょうがない、と飛段は再び駆け出した。イタチもそれについて行く。正面から吹いてくる風がいやに冷たかった。
地霊殿は二人の目の前に迫っていた。