「何ィ!? お前の本気の蹴りを食らって死ななかっただと!?」
バン、と机を叩く音が居酒屋に響き渡る。他の客たちが何事かと音のした方へ顔を向けた。皆の食事の手を止めてしまったことに音を立てた張本人は慌てて「何でもない」と言い、向かい合わせに座っている人物に向き直る。
「それは本当なんだろうな」
「ああ、口から内臓が飛び出るぐらいに蹴ったんだが、そいつらたぶん生きているさ」
顔がすっぽり隠れる程の大きな盃を片手に赤い顔をした鬼、星熊勇儀が酒気を帯びた息を吐きながら続ける。
「でも何で生きてるって分かるんだ? そいつらの姿を見たわけじゃないんだろ」
「いやなに、あいつらが吹き飛んだ場所が騒がしくてな、あんまりうるさいもんだから皆で見に行こうって話になったんだよ」
勇儀は二人が吹き飛んだ方向を顎で指すと萃香も釣られて顔を向ける。二人が飲んでいる場所はバルコニーになっていて旧都の喧騒が直に聞ける特等席だ。
大量の酒が入ったせいで意識ははっきりしていないが、萃香はそこがどこかを思い出した。
「うん?あっちは確か地底湖じゃあなかったか? あそこには湖の主がいたがその人間たちはどうやってあいつから逃げたんだ?」
地底湖には鬼達が地底に住処を移すずっと前から主が住み着いていた。そこに気晴らしに散歩をしていた萃香たちが鉢合わせて、一悶着あった。死人こそ出なかったものの、地底湖の主が気に入った萃香たちは暇になったらその主に喧嘩を売っては電撃で返されるのが日常だった。
「いや、あいつらは逃げてなんかいなかったさ」
「へ? 逃げてない? ……まさか!」
「ああ、だから地底湖に着いた時は驚いたよ。なんせあの主の心臓が抉り取られていたからな」
勇儀の言葉に萃香は頭が鈍器で殴られたような衝撃を受けた。霊夢辺りの人間ならばともかく、外の世界から迷い込んで来た人間が鬼といい勝負をする地底湖の主から逃げるだけではなく、逆に殺して心臓を奪った。普通の人間にできる芸当ではない。
勇儀が話している人間が、上で会った人間たちと同じ仲間だとしたら、霊夢に止められてでも喧嘩を売ればよかった、と後悔するがもう遅い。
「勇儀、その人間たちが着ていたのは黒い服に赤い雲が描かれたやつで間違いないんだろうな?」
「ああそうだ、間違いない。他の奴らにも聞いてみろよ、同じ答えが返ってくるからさ」
「しかし、なんでまたそんなこと聞くんだ? お前なら知っていると思っていたんだけど」
「いや、知ってはいたが、まさかそこまでとは思っていなかったんだ。それと、私がさっき言った服を着た人間達が最近
「ふーん、ま、私には関係ないが」
興味のないものはとことん興味がない鬼は酒がなみなみと入った盃をグイっと一気に飲み干し重い溜息を吐いた。
「あの人間達はもう地上に出てんだろうな。あー、萃香。あいつら引き留めてりゃーよかったか?」
萃香は不敵な笑みを浮かべた。それは決して酒のせいだけではなかった。目の前の彼女の魂胆が手に取るようにわかった勇儀は優雅に返す。
「いーや、そうとは限らないかもしれんぞ」
「うん?何でだ?」
「そいつらはな、人間にしてはとてつもなく強いらしい。勇儀の蹴りで死ななかったのがその証拠だ」
「……確かに私の蹴りで死なないのは只者じゃないがそこまで強くはなかったぞ。いや、でも向こうはほとんど無抵抗だったからなー。あの人間たちの拳を受けてからにすりゃよかったなァ」
実際に対峙した勇儀は何となくではあったが、蹴り飛ばした二人の強さを読み取れた。かなり力を入れた蹴りで死ななかったのだから、防御はもちろん相手の攻撃の面もそこそこあるだろうと推測した。
「そうでもないさ、あいつらは紅魔館って所で大暴れしてあの吸血鬼を怒らせたみたいだ」
「……萃香、お前何でそいつらのことをそんなに知ってるんだ?」
「ああ、昨日か一昨日に山の鴉が取材だとかなんかで神社に来てた時に聞いたのさ」
山の妖怪は基本、山でトップだった鬼には逆らえない。胸倉を掴まれてニコニコと笑う萃香に、文は自分の知っている情報を全て話した。
それによると、幻想郷には少なくとも例の服を着ている人間は五人以上いるとのことだった。
「ほう、そんでそいつが喋ったのはそれだけか?」
「いや、他にもあるさ。あいつは金髪の人間を見ていたらしい。私も神社で会ったさ。そいつは爆発する何かを操るらしい。なかなか面白そうな奴が来ているじゃないか。はあーっ、本当、神社で一戦やりたかったなー」
萃香の溜息とともに、酒の匂いが追加される。
「霊夢の奴、あいつといた時はなんか機嫌がよかったんだけどな。人間が人里に下りてからは素っ気ないいつもの霊夢に戻っちまったさ」
萃香はもの寂しげな目をする。目の前の鬼は盃に酒を移して、口に持っていってそのまま空になるまで呑み込んだ。
「ぷはっ! 何とかしてあいつらと一戦できないか。まぁ、いない相手にいつまでも固執している場合じゃないな」
「そうだな」
勇儀は最後の酒瓶を持った。瓶の底でチャプチャプと虚しい水音が聞こえた。すでに飲み干してしまったらしい。しょうがない、と思って勇儀は店員を呼ぼうとした。
「姐さーん!!」
けたたましい旧都の酒屋町を一人の鬼が走り抜けた。酒も入り気分に酔っていた妖怪たちはいい雰囲気を切った鬼に空になった酒瓶や使い終わった箸を投げた。
鬼はそれらを無視して、バルコニーから顔を出していた勇儀たちを見つけると、他には目もくれずに店先に駆け込んだ。
「姐さん! 奴らが、奴らがまた来やがった! あの鬼殺しの人間だ! しかも仲間を二人連れてきやがった!」
「おや噂をすれば何とやらだ。どうする勇儀、行くか?」
「当たり前だ! あん時は蹴り飛ばしちまったが、萃香の話を聞いたら俄然逃す気はねーなァ!!」
勇儀は残りの酒を一気に飲み干した。エンジンを取り入れた彼女の姿を見て、萃香はニッと笑う。
「それじゃ、行こうか」
「おう!」
勇儀は酒瓶で埋め尽くされている机の端に金を置いて立ち上がった。二階から降りて、店から出た二人は橋の方角から逃げる妖怪たちとすれ違う。
彼らを見送りながら、心臓の鼓動が早くなっていくのが感じられた。
◇◆◇
「あいつ! あのデケー方がオレと角都を蹴り飛ばした鬼だ!」
指差された勇儀は「ガハハッ」と笑う。鬼は拳を合わせて、ポキポキと音を鳴らす。
「とすると、彼女たちがあなたが言っていた鬼ということですか?」
「ああ、前は油断したが、今回はそうはいかねーからなァ!」
鬼鮫が周りを見渡すといつの間にか、憤怒の表情を隠そうともしない何人もの鬼が飛段たちを逃がさないように囲んでいた。唯一の逃げ道は橋に通じる道だけだ。
「ハッ、親玉が出てきたからって急に強気になりやがって。てめーら全員ジャシン様に捧げてやるよォ!」
背中の大鎌を抜いて、刀身をさらけ出した飛段は足を肩幅に開いて戦闘態勢に入っていた。
「飛段さんたちに殺された鬼たちの仇討ち、といったところですか?」
「いやー、それについては大丈夫だ。あんたが考えているようなことは何も思っていないし、やろうとは思わない。妖怪の世界は弱肉強食。弱い奴が悪いんだ。それは鬼にも当てはまる。それだけだ」
背の高い鬼がそう言うと、周りの鬼たちもそれに同意するかのように頷いたり、人間をせせら笑ったりしていた。闘いは避けられそうになかった。
イタチがどうにか話し合いで解決できないか、と考えていると、鬼鮫がズイと前に出る。
「飛段さん、イタチさんをお願いします」
「あぁッ!? てめーはどうすんだ! こいつら殺るのかァ!」
「ええ、こうも立ち塞がっては闘いは避けられないでしょう。それに、私の術は集団戦に向いているので」
それを挑発と捉えた周りの鬼たちは罵倒や悪口を浴びせる。声が大きくなり、勇儀が手を上げて止めた。
「ほぉーっ、あんたが闘るのかい? ま、確かに
鬼鮫は沈黙で返した。飛段は「ジャシン様の分は残しておけよ」と言って、イタチを無理矢理背負って、近くの家屋の屋根に飛び乗った。
「……二人逃しちまったけど、すぐに追いついてやるよ」
「そう焦らないでください。すぐに終わらせますよ」