1. 地底再び
イタチの記憶喪失を治す為にイタチと鬼鮫、飛段はにとりに教えられた地底への大穴から地霊殿へ向かっていた。
地底に行ったことがある飛段を案内役になっているが、地底の全てを知っているわけではないし地底から出てきたルートも違っていた。
そのせいか、飛段は「あっちだったか? こっちだったか?」と地底へ導くはずの二人を惑わせていた。
右往左往する飛段を見て早々に不安になった鬼鮫はため息混じりに話しかけた。
「飛段さん、本当にこっちで合っているんですか?」
「う、うるせーッ! オレはこっちから出てねーんだ! 分かるかッ!」
本来ならただ下に下に降りて行けば簡単に着く地底だったが、飛段の案内と地底に住む妖怪達が自分達の住処に掘った横穴によって通常の数倍の時間が経過していた。
横穴ばかりを歩くのは時間の無駄だと思った鬼鮫は飛段を無視して下に向かおうとすると、
「一応聞いておくけど」
「……妖怪は本当にどこにでもいますね」
イタチが上を向くと大穴に降り注ぐ真夏の太陽を遮るようにして二人の少女がゆっくりと降りて来た。
三人が家の屋根を見上げるほどの角度で首を持ち上げると少女達の姿がはっきりとしてきた。二人の少女の内の一人は金髪のポニーテールに大きな茶色のリボンをつけて黒の服の上にこれまた茶色のジャンパースカートを着ている。その少女が手のひらに通した糸を滑らせながら身体を上下逆さまにしてこちらに向かって来ていた。
もう一人は緑色のツインテールで白装束を羽織りこちらも糸に釣られて降りてくる桶の中に入っていた。何とも奇妙な光景だが、この幻想郷ではこれも日常なのだろうか、と鬼鮫が思っていると少女が口を開けた。
「あんたたちは一体何の目的で地底に降りようとしているんだい? 特にそこのオールバック」
「あ? 何でオレなんだ?」
飛段は不思議そうに首をかしげる。
「……あんた、それ本気で言っているの? あんたともう一人の覆面が鬼を三人ほど殺っただろう。私は聞いただけなんだけど」
少女は一定の距離を取って、特に飛段を警戒している。妖怪の中でも最強の位置にいる鬼を倒したのだから当然のことだった。
桶の中でうずくまっているもう一人も無言のまま訝しげな表情を顔に出している。
「あんたらが地底で何もしないって言うなら、私は何もしない。暴れるつもりならこっちは容赦しない。私たちの居場所はもうあそこしかないからね」
「……何もしねーよ。こっちはさとりって奴に用があるんだ」
先ほどから黙っているイタチを見て言った。イタチはどんな人か見極めようとでもしているのか、
「……そうかい、なら通っていいよ」
「信じるにしては、いやにあっさりし過ぎていませんか?」
「鬼を殺した不死身のあんたたちに勝てると私が思っているの? 私はそんな無謀なことはしないわ」
「さっき容赦しないって言ってなかったかー?」
「それは私たち土蜘蛛が一斉におそいかかることを言ってるんだ。二人だけで挑まないよ」
少女二人は元来た道を戻るようにスルスルと上へ上がっていく。見えなくなるまで上がっていくと思われたが、蜘蛛の少女が途中で糸の動きを止めた。
「ああ、そうそう。一番下に降りて行くと、橋が見えてくる。そこを渡れば旧都だ。変な奴もいるけど気にすんな」
「失せろ失せろ」
飛段の手で払うジェスチャーをした。少女が消えてからしばらくして「ああ、そうするよ」と返ってきた。
「橋ですか、こんな殺風景なところに作るとは随分と物好きですねェ」
「殺風景だからこそ、見栄えをよくしたかったのではないでしょうか?」
「そうかもしれませんね」
そこからは早かった。ただ降りればいいだけだったからだ。あまりにも早過ぎて十回飛んで着いたくらいだ。
飛び降りるように降りていく二人を追って、イタチもゆっくりと降りていたが、身体が覚えていたのかすぐに二人と同じように飛び降りて行った。
◇◆◇
「……妬ましいわ」
「開口一番がそれか」
橋の手すりにもたれかかり、手のひらを顎の上に乗せてどこか遠いところを見ている少女は、水橋パルシィと名乗った。
橋の向こうからは、妖怪たちの陽気な声が聞こえてくる。その中には怒号なども混じっているが、いつものことなのかすぐに止んだ。
目的地が近い証だ。早速橋を渡ろうとすると、パルシィが立ちはだかる。
「何の用だ。こっちは用があるんだよ。どけッ!」
「それはこっちの台詞よ。ああ、妬ましい。特にそこの黒髪。何でかは知らないけど、貴方はとても妬ましいわ」
指を咥えたパルシィはイタチばかりに視線が向いていたが、大鎌を構えている飛段と目が合うと、両腕を上げた。
「貴方たちで踊らせてやろうと思ったけど、やめたわ。鬼をも殺せる力を持っている奴には流石に手は出さないから」
「鬼は相当の実力と地位を持っているようですね、先程から飛段さんの姿を見て引き上げていきますよ。これなら手早く済みそうですね」
「妬ましい貴方たちに質問するわ、何の用があってここに来たの?」
パルシィの緑色の真っ直ぐな目が三人を見定めている。敵には容赦しない姿勢が表れていた。
鬼鮫が一歩前に出て、
「いえ、侵略するような考えはありませんよ。ただ、地霊殿という所に用があるのです」
それを聞いて、パルシィの目からは興味がなくなった。
「あっそ、ならさっさと行って。あんなところに用がある奴はろくな奴じゃない。だから私を巻き込む前に行って」
飛段が背負ってある大鎌に手をかけたが、鬼鮫が止めた。何事もなく進めるなら、それに越したことはないからだ。
去り際にイタチが頭を下げた。
◇◆◇
三人は薄暗い地底の中でとても華やかな街に出た。その街は旧都と呼ばれていて、鬼を含めた忌み嫌われた妖怪たちによって築き上げられた街だ。道沿いに並ぶ長屋からは酒と料理の匂いが流れ込み、それに付いてくるように妖怪たちの騒ぐ声が聞こえてくる。しかし、今はそれが旧都から消えていっている。
「きゃーーッ!!」
「うわーーッ!!?」
街の住人たちが飛段を見て、悲鳴を上げて逃げていくのだ。飛段はジャシンに贄を捧げられるとばかり思っていたので、尻尾を巻いて逃げていく妖怪を冷めた目で見つめた。
「どいつもこいつも意気地がねーなー、本当に人間から恐れらてきた妖怪なのかー?」
「鬼を三人も殺せば誰だって逃げるのではないですか? もっとも、私は鬼を見たことがないので何とも言えませんがねェ」
飛段が旧都にいることが知れ渡ったのか、本通りには妖怪一匹どころか犬も通らない死の街へと変わった。
「おッ! あの一番でけーのが、地霊殿じゃねーか?」
色とりどりの提灯と二階建ての長屋が並ぶ通りの向こうに薄っすらと一際大きい建物が見える。地霊殿だ。
目的の建物がどこにあるか分かった途端に、走り出そうとする飛段。歩いている二人に催促するために彼は振り向いた。
「おい、早くしよーぜ。オレはこんなことさっさと終わらせてジャシン様に贄を捧げなきゃいけねーんだよ」
鬼鮫は仕方ないお方だ、と口にしながら付いていく。イタチも久しぶりに走ろうかと考えていると、通りの奥に二つの影があった。
「おや? あの人たちも案内人ですか? 一人は私も知っていますが」
「あん? ……ゲッ!?」
飛段が鬼鮫に釣られて顔を前に向けると、そこには地霊殿への道を塞ぐように仁王立ちしている二人の少女がいた。二人はかなりの身長差があり、まるで子どもと大人が手を繋いで散歩にでも行くようなそんな様子だった。
「よぉーッ、また会ったな!」
「あんたらが勇儀の言っていた鬼を殺した人間で間違いないか?」
鬼の少女達は健康な歯茎まで見えるほどにニカッと笑った。