妖怪騒動があった翌日、人里はそれがなかったかのように活気にあふれていた。
真夏の晴天にも負けない張りのある声が飛び交い、主婦たちが店に吸い込まれていく。
冷風機がある店は繁盛して、さらに人を呼び込んだ。夏向けの商品が販売されているところならなおさらだ。
暑さには妖怪も敵わないようで、店に入る客の中には彼らも混じっている。人間たちに気付かれないようにしているが、人間は他人に構っている余裕はなく、誰が人間で誰が妖怪なのかを気にかける様子はなかった。
汗を大量にかいて働く人間たちの中にナナシの姿もあった。彼はうどん屋を手伝っている。冷たいうどんに見目麗しい優男がいることで、商売に拍車がかかっている。
一人の女性客にうどんを運んでいるところを華扇は遠くから見ていた。昨夜渡した薬が効いているか見に来ていたが、杞憂に終わっていることに安心する。自分も一杯食べていこうと店に入ろうとした時、華扇の後ろから声がかかった。
「やっと見つけたぜ! うちはイタチ! こっちはお前を見つけるために西に東に走ったんだぜ、コラ!」
聞き慣れない名前に思わず華扇は耳を傾ける。華扇の後ろにいたのは二人の人間の男だった。一人は金髪の男、もう一人は青みがかった肌の図体がでかい男だ。
二人が着ている服を見て、華扇はナナシと二人を何度も視線を移す。二人が着ている服は同じ黒い衣に赤い雲の模様が入った服で、ナナシが着ていた服と同じだった。ナナシの服は近所のおばさんたちに古着を分けて貰っていた。
お世辞にも綺麗とは言えない服だったが、ナナシは喜んでいた。
うどんを食べていた人たちも、デイダラが着ている服が昨日の騒動の発端になった二人と同じ服だと気が付き始める。
うどんを作る手を止めて従業員の何人かがナナシと一緒に店から出てきた。ナナシは店の前にいる華扇を見つけた。
「……あなたたちは?」
華扇がイタチの前に立ちはだかる。店の名前が入った前掛けは外しているようだった。
「私は干柿鬼鮫。ここに来る前にあなたとコンビを組んでいましたが、それも覚えていないようですね」
「……オレはデイダラだ。忘れたとは言わせねーぞ、お前の弟のサスケにも世話になったからなァ、うん」
「サ……スケ?」
イタチは頭を押さえて前後不覚に陥ったかのように、身体がふらつく。
「どうやら本当に記憶喪失のようだ。サスケのことを聞かれても分からないとは」
「とにかく、さっさと終わらせるぜ。うん」
華扇が三人の間に割って入ってきた。
「ちょ、ちょっと待ちなさい! 彼をどうするつもりですか!?」
「実はとある事情がありまして、彼の力を借りなければいけないのです。大丈夫です、すぐに終わりますから」
「でも! 貴方たちが言っていることは信用ができません!」
「用事が終わったら好きなところに行かせてやるから心配ねーよ。記憶戻すために色々とやるけどな、うん」
なおも食い下がろうとする華扇をナナシは引き止めた。
「いいんです、華扇さん。私は自分のことを知りたい。私は一体どんな人物でどんな世界を生きてきたのか。
ナナシは華扇を落ち着かせるために笑ったが、華扇は彼がどこか遠いところに行ってしまう気がした。二人の元に歩いていくナナシを横目にデイダラが、
「フン、お前の記憶が本当に幸せなのか、聞いてみたいぜ」
状況をイマイチわかっていない群衆がざわつき始め、その内の何人かがどこかへ走っていった。この暑い中よく走れるもんだとデイダラは思った。
「これ以上の長居は面倒事になりそうですねェ、早いとこお暇しましょう」
何人かが走っていったということは、里長あたりに知らせに行ったのだろうと、鬼鮫は判断した。人が集まってくると厄介ごとしか起きない。里の人間たちに短い別れの挨拶をしている彼を少しだけ見て、足早に歩く。
デイダラも後からついていき、遅れてナナシも彼らの後を追った。
華扇は去っていく彼の後ろ姿をただ眺めることしかできなかった。
◇◆◇
人里からの帰り道は、デイダラが暑い暑いと愚痴をもらしていたこと以外には問題はなかった。鬼鮫は空を見上げて、それほど経たない内に雨が降るだろうと思った。
鬼鮫とデイダラはイタチを河童のアジトに連れて戻ると、不機嫌な飛段が出迎えた。アジト内にサソリと角都の姿はなかった。飛段が「角都は用事がある」と言った。
「同じ服を着ている彼もアナタたちの、いえ、私たちの仲間なのですか?」
「本当に記憶喪失なんだな、しっかし最初の言葉が仲間とは笑わせてくれるじゃねーか」
大鎌を枕にして横になっている飛段が言った。彼の手には手にはこいしを結んでいるロープの端が握られている。
「あんたがこいつらの言っていたうちはイタチか、ずいぶんイケてるじゃないか」
にとりが彼の顔ジロジロと見る。河童たちから見てもイタチの顔はいいらしく、部屋の外には河童が何人か覗いていた。
「ところで私は何をすればいいのでしょうか?」
「そいつに写輪眼で幻術をかけるんだが、記憶がねーから術のかけ方を覚えてねーだろ」
飛段が椅子に縛り付けられているこいしを指差す。靴が片方脱げていて、少し先に雑に置かれていた。靴をブラブラさせて遊んでいる時に落ちたのだろう。
イタチは訝しげな目で飛段を見る。その中には熱く燃える炎があった。
「なぜこの子にこんな仕打ちを?」
「あん? この子だと? 見た目だけで判断すんなよ、バーカ。こいつは盗っ人だ。しかも、目を離すと消えるんだからな」
助けて、と視線を送ってくるこいしをイタチは信じられないような目で見た。人里にいた時も人を見た目で判断しないようにしてきたが、この少女がそのような人物にはとても見えなかった。
「しかも、無意識でやってるから、こいつ自身何をしているのかわかってねーとよ。ホントにふざけたガキだぜ」
正義や悪にとやかく言うつもりはないが、はたしてこの子はそのどちらかに傾いているのか。自分はどうすればいいのだろうか。イタチはただ迷い続けた。
「ところで本当にあるんですか? 彼の記憶を戻す方法が」
「戻るかどうかは分からないけど、私が知ってる対処法は二つ」
にとりはそう言って指を一本立てる。
「まず一つ目は幻想郷一と言われる薬師がいる永遠亭に行くこと。だけど、今回の場合はそいつの記憶喪失が治るとは限らないから、必然的にもう一つの方法になるね」
二本目の指を立てる。
「こっちも記憶喪失が治るかどうかはわからない。でも、私はこっちの方がよっぽど可能性があると思っている」
「それで、そっちの可能性がある方法ってのはなんだ? うん」
「それは、そいつを地の底の地霊殿の古明地さとりに見てもらうことだ」
にとりの言葉に飛段を除いた“暁”メンバーが反応した。飛段も前の会話を思い出し、疑問を口にする。
「そいつは心を読むっつー妖怪じゃなかったかー?」
「ああ、そうさ。だけど、さとりなら心の奥底のことにあることまで引きずり出すことができる。忘れてしまった記憶や封じておきたい記憶も含めてね。そして、さとりに記憶を思い出すきっかけを掘り起こしてもらえば、後は記憶を取り戻せるだろう。それと、こいしも連れて行ってくれ、頼むから」
にとりは未だに縛られているこいしを見た。捕まった当初は飄々としていたこいしも、丸一日縛られるのは流石に嫌だったらしく、先程から膨れっ面だ。
「なら、今度はそのさとりって奴のところに行かなきゃなんなーってことか、面倒くせーな」
「しかし、イタチさんの記憶を戻すにはそれしかないようですね」
「ただし気を付けてくれ。こいしに向ける意識がなくなると、こいつは途端に縄から抜け出してしまう。だから地底に行くのはこいしを見張れる奴だ」
にとりはプクーと頬を膨らませているこいしを見る。
「と、なると」
「地底から出てきた角都は今ここを離れていていつ戻ってくるか分からない。そして地底のことを知っているのはもう一人の飛段で、この盗人を見つけられるのも飛段だけ、か。うん」
デイダラがそこまで言って、イタチ以外の視線が飛段に集まった。
「あ、おれかァ?」
「地底に行ったのは、今ここにいる中ではお前だけだ」
「めんどくせーな、この河童が行けばいいだろ?」
飛段は大鎌の柄でにとりを指した。指されたにとりは素早い動きでドアにしがみついた。
「ちょっと待て!! 私はあんなところなんか絶対に行かないぞ!!」
「だそうだ。行きすがらお前の好きな変な宗教の儀式でもやればいいだろ。オイラは
飛段が抗議したが、話は勝手に進められた。
「心配なので、私も行きましょう。私はイタチさんとコンビを組んでいたので、少しでも記憶が戻る手助けになれればいいですが」