「はあっ」
博麗神社に一つのため息が響く。神社はそれほどに静まり返っていた。
華奢な身体を畳の上に預けて、夏の日差しから守っていた。縁側から投げ出された両足は安定せずにブラブラさせている。机の上には心許ない数の菓子が、この気温で乾ききっていた。
時折林から冷たい風が吹いてくるが、それだけではこの夏を乗り越えられる気はしなかった。
「霊夢もため息をつくんだねー、霊夢はそういうのは殴って発散させると思ってた」
相も変わらず鬼の萃香は酒が入った瓢箪を手に持ち、霊夢と同じく畳に寝転んで巫女の様子を眺めていた。
「あんた、私を何だと思ってんの? 誰だってため息ぐらいつくでしょ? 私は人間だから色々抱え込むし溜まってくる。適度に息抜きするのが一番よ」
「そうかな? それだけじゃない気がするけど。やっぱりあの人間が気になるのかい?」
あの人間とは最近博麗神社を去った人間のことだ。
なんだかんだでいい雰囲気だったのでそう長い時間がかからずにくっつくのではないか、と萃香は予想していたがそう簡単には人間はくっつかない。
すっかり魂が抜けた博麗の巫女を酒を片手に眺めながら萃香が考えていると、何者かが階段を上ってくる気配を感じ取った。霊夢も気がついてそちらに目を向ける。
姿を見せたのは神社を去った人間と同じ服を着た二人組だった。
客は境内に誰もいないことを不思議がっているようで、キョロキョロと辺りを見回している。
「なぁ霊夢、あの服」
「ええ分かってるわ」
着ている服は同じだが、二人から放たれている
霊夢は乱雑に放り捨てていた草履を履くと、物怖じもせずに二人の方へズカズカと歩いていく。
赤い雲を付した衣の人間が霊夢を見つけるとこんにちは、と頭を下げ霊夢も釣られて頭を下げる。
「私たちは、うちはイタチという人を探しています。この神社にいると聞いたんですが」
「うちはイタチ? 誰よそいつ」
聞いたことのない名前に霊夢は首をかしげる。苗字も名前も知らないが一人だけ霊夢には思い当たる人物が浮かぶ。もしかして彼のことを言っているのだろうか、と考えていると頬をほんのり赤く染め、両手を頭の後ろで組んだ萃香がややフラフラの足取りで近づいて来た。
その目は二人を見極めようと真剣な目つきだった。
「……なぁなぁ、人に何か尋ねる時は先にそっちから名乗るんじゃーないのかい?」
萃香の姿に驚いたのか、わずかに目を見開く二人。
「これは失礼しました。私は干柿鬼鮫、以後お見知り置きを」
「……デイダラだ」
二人は明らかに萃香を警戒している。萃香もそれをわかっているし、それを楽しんでいる。
「私達が探している『うちはイタチ』というのは……少し目付きが悪く長い黒髪の男で私達と同じ格好を着ていると思われる人ですが」
思われると言ったのは、もしかしたらすでに彼は“暁”の服を脱いでいるかもしれなかったからだ。他に何か特徴はあったか、と鬼鮫は記憶の中の、うちはイタチの像を思い浮かべていた。
「……あいつイタチって名前なんだ」
霊夢は右手の甲の上に顎を乗せてしばらくの間、この数日内のうちはイタチの記憶を遡る。
彼に家事を手伝ってもらったり、買い物や庭掃除をしてもらったりと彼に申し訳ないと思いつつも、霊夢はお礼だけしか言えなかったことを思い出した。
「名前をご存知なかったので?」
「ええ、あいつ記憶がなかったの。自分の名前まで忘れてたから」
二人は互いに顔を見合わせると、霊夢に少し詰め寄る。
「彼は今どこに?」
「何日か前に人里に下りてったわ」
「また振り出しか! うん!!」
イタチを探して幻想郷の端から端までを探したデイダラは、彼がいる場所をやっと掴んだと思ったら、
たらい回しにされている気分だった。
しかも、情報を集めにいったサソリと角都が向かった人里にいると言うのだ。デイダラが怒るのも無理はなかった。
「あんたら一体何者? お友達ってわけじゃなさそうだけど」
「彼とは数年コンビを組んでいました。こちらに来た時にバラバラになってしまったようで」
「で、今更やって来て何の用? 貴方からは何か悪意みたいなのが匂ってくるんだけど」
神社にピリッとした空気が漂う。蝉の鳴き声がやけに静かに聞こえた。
「はい、実は私達が所有していたある巻物が盗まれたのです。すぐに犯人を捕まえましたが……知らないの一点張りなんです。イタチさんはその盗っ人から情報を吐かせられる唯一の人です。人に情報を吐かせることになるので悪意といえば悪意ですね」
「へぇ〜、今の今まで関わらなかったのにどうしてまた急に?」
霊夢の目にはイラつきと怒りの表情がこもっていた。
「最初は私達も彼に会う気はありませんでしたよ。幻想郷では皆自由に生きようとなっていたんですが、そういう訳にはいかなくなったので」
やれやれといった顔つきで話す鬼鮫に霊夢は質問をする。
「……何であいつなの?」
「彼は他人に幻術をかけることができます。彼にそれを使ってもらい盗人から情報を聞こうとしているんです」
「盗人ならボコボコにして吐かせればいいじゃない。回りくどい方法は私嫌いなんだけど」
いつの間にか霊夢はお祓い棒を持って振り回していた。やると決めたらトコトンやる霊夢に萃香は苦笑いになった。
「その盗人が問題なんだ、うん。たしか……古明地こいし、だったか?」
博麗の巫女はその名前を聞いて頭の中の人物目録を漁るが、該当する人物はいなかった。仕方なく萃香に目で促す。萃香はしょうがないな、とつぶやいて、
「古明地んとこのか、そりゃまた災難だ。あの子に目を付けられたら誰も逃げられないからね」
ケラケラと笑う鬼。霊夢も思い出したかのようで、真夏で熱くなった頭を押さえる。
「しかし何で盗人があのこいしちゃんだと分かったんだ? あの子のやることは誰もわからないはずなんだけど」
「そこは取っ捕まえて白状させたんだ。とは言っても白状したのは盗んだことだけだがな。拷問するわけにもいかねーからな、うん」
「それはすごいね、それに賢明な判断だ。捕まえるだけだったら盗人の姉のさとりは怒らないよ」
「やっぱりそうなのか?」
(こいしを捕まえたことは確かにすごいが、こいつ正直過ぎないか? もう一人の方はそうでもないけど……しかし、地底にいる鬼を殺したのは少なくともこいつらじゃないな。別の奴らか?)
萃香の心の中には復讐心はなかった。これは妖怪特有の弱肉強食の考えに基づいている。弱い者は強い者に何をされても文句は言えない。
それゆえに殺された鬼は弱者の烙印を押され、誰も復讐しようとは考えなかった。さらに鬼だけでなく妖怪同士で横の繋がりが深いものは少ないことも理由の一つに当たる。
空が茜色になりつつあった。蝉のほとんどは鳴りを潜めて夜に備えていた。
「しかし、もう夕方ですか。時間が経つのがあっという間ですね」
「……あそこに戻った方がいいか、うん」
「あそこって、どこだい?」
瓢箪を傾けてチビチビと酒を飲みながら、萃香が言った。
どうせ長くは秘密には出来ない、と考えた鬼鮫はそれでも少し考えて、
「……河童たちのアジトですよ」
「へー、今度久々にあいつらに挨拶にでも行こうかねぇ」
「やめときなさい、だけどよくあいつらのアジトなんかに入れてくれたわね」
「実は、先程名前が上がったサソリという人の技術を河童たちが盗もうとしたことがありまして、それ以降彼に頭が上がらなくなったのです」
「ふーん、そうなんだ」
霊夢は境内を見回した。石畳には落ち葉が何枚も落ちていた。
「アンタ、それでいいのか。幻想郷を守る巫女だって聞いたぞ。うん」
「霊夢は自分に関わらなければ基本、どうでもいいんだよ」
日はすでに広大な山に一部を隠していた。それを確認した鬼鮫は、
「さて、お暇しましょうか。完全に日が沈めば、妖怪たちも活発に動き出しますので」
「そうだねー、特に人間の肉が好物な妖怪に気を付けてなー。ま、アンタらなら大丈夫だと思うけど」
行きと同じように帰りも歩いて帰る二人。鬼に目を付けられると何をされるかわからないので、粘土の鳥は使わなかった。
離れていく二つの影を少しだけ視界に入れていると、萃香が鳥居に向かってフラフラとだが歩いていく。
「あれ? 萃香もどっかに行くの?」
「うん? あぁー、そうだよ。ちょっと地底に、ね」