私は心の底から出てきた恥辱と屈辱から作業机に突っ伏した。あの人間にやられた傷が痛むが、屈辱に比べれば屁にもならない。
時計をチラッと見ると、六時を少し回っていた。昼が長い夏でもそろそろ日が暮れてくる時間だ。
「うああああァーー」
頭をグシャグシャに掻いていると、作業部屋の扉が開いて見知った顔がひょっこりと現れた。
「さっきからうるさいわよ、文」
「……そっちこそ何勝手に人の家に入っているんですか? 覗き見妄想新聞屋」
「も、妄想新聞って! 人間にコテンパンにされたあんたのことが心配で……って違う! え、えーっと、そう! たまたまだから、たまたまこの辺りをうろついていたらあんたのことが何となーく気になっただけだから」
覗き見は否定しないんですね。それにしてもずいぶんと回りくどい、もう少しマシな言い訳はなかったんですか?
最近、はたてが書く新聞が評価されてきているのに、こいつはいつまでも閉じ籠っているから自分がどう見られているか分かっていない。これだから本当にはたては。
「あやややや、そうですか。こんな私を心配して家にまで押し掛けてくるなんて……まだ友だちが出来ていないんですね」
はたてが手に持っていた丸めた新聞を投げつけた。別に痛くとも何ともなかった。
「うるっさいッ!! それで何されたのよ? 私が知っているのはあんたがデカい木に顔から叩き付けられたことだけなんだけど」
「……そこから見ているんなら説明はいらないでしょ。陰湿女に見られたのが今の私には一番の屈辱です」
机に顔を伏せたまま答えた。別にはたての顔を見なくてもその表情は容易に想像できる。
「い、い、陰湿って。あんた! 私をそんな目で見てたの! あなたはそんなんだからまともな記事を書けないのよ!」
「そんな性格だから友だちなんてできないんでしょう」
言い終えると同時にガタンと音がした。顔を伏せていたから、詳細はわからないがはたてが膝から崩れ落ちたのだろうと思った。
「しかし、人間相手にいくら油断していたとはいえ、あれは思い出すだけでも恥ずかしい」
「あんたをやった人間たちって、鬼を殺した奴らと同じなんでしょ? それだったら人間にやられた言い訳ぐらいにはなるんじゃない?」
どんな人間にやられたとしても、『天狗』が『人間』にやられたことに意味があるんだけど、こいつはそれを分かっているのだろうか。
そこまで考えて、机の上に乱雑に置かれた記事を汚していたことに気が付いた。整理しようとすると、部屋のドアが開いた。
「その人間たちが問題なんです」
部屋に入って来たのは番犬の椛だ。手には私の新聞が握られている。
さっきから人の部屋に勝手に入っているが、この二人に人権とかプライバシーとかはないのだろうか。
「……おや、はたてさん。あなただったのですか。こちらに誰かが入っていくのを見たので用心のために来ました。最近はあの人間たちのせいで山はピリピリしています。はたてさんも気をつけてください」
「来たわね、覗き魔」
「覗き魔とは失礼ですね。私は監視と警備という立派な使命があるのです。あなたのようなデタラメな新聞記者とは違うのです」
「よく舌が回る犬っころね。警備隊長の座に就いていなければ貴方の恥ずかしいところが写った写真をばら撒いていたところですよ」
顔を半分だけ向けて言ったが、椛は私を無視して、
「いえ、私がここに来たのは、ただ単純に彼らのことについて聞こうとしていただけなんですが」
「あ、そうだ! 椛は文を倒した人間たちについて何か知ってることない?」
「ああ、覆面の人間と死神が持っている大鎌を背負った二人組の人間のことですか? 私、見てましたよ」
思わず身体を起こしてキョトンとしている椛を見上げた。
「えっ? 今なんて?」
まさかあれを見ていたのか? まずい、そうなるとあそこまで見られているのか!?
「へぇ〜、あんた見てたんだ。ねぇ、教えて教えて!」
「あああァァーーッ!! 駄目ですッ! 駄目ですってばッ!」
椛の口を閉じさせようとしたが、はたてに止められた。なんでこいつは引き籠もりのくせに力は私より強いんだろうか。
「はい、文さんが二人の人間と話しているところから始まりました。何を話していたのかは分かりませんでしたが、話し相手が文さんなので……ごく当たり前のように話は終わり、または決裂して人間たちが文さんに襲いかかりました」
「ふーん、それでそれで?」
「ムーッ!? ムーッ!?」
これ以上は本当にまずい! どうにかして話を止めないと!
「まず人間たちの動きですが、覆面の男が浮いている文さんに腕を飛ばしました」
「ちょっと待って、なんかいきなりおかしいんだけど。何? 腕を飛ばしたって」
無情にも椛の口は動き続ける。
「そこは、他に表現方法がなくて……ともかく、その人間の腕からは黒い触手みたいなものが生えていて、それで切り離した腕をある程度は操作できるようなんです。そして、それに気を取られていた文さんは既に地面を潜っていたもう片方の腕に気付かず、地面から飛び出した時には、速さが自慢の文さんもそれに反応できなかったようで、その、足首を掴まれて……」
「何? 何かあったの?」
「その、覆面の男が文さんを振り回して、文さんは……スカートを、必死に押さえて、そのまま抵抗できずに、スカートを押さえたまま大木に顔をぶつけられました」
あああああああああああっ!!!!
「あははははははッ!!」
「笑うなァーッ! 羽もぎ取るわよッ!」
「あはははッ! それでッ! その後ッ! どうなッ、たのッ!ゲホッ!」
そこまでツボに入ることだろうか。しかし、もうバレてしまったことだ。はたての拘束が解けても両手と両膝は床に触れ続けた。
「その後、人間たちは気絶した文さんのことで何か言い争っていました。おそらくですが、
天狗を殺したことが広まれば、上層部は天狗の威信とプライドにかけてあの人間たちを殺すだろう。覆面の男は私を殺して“天狗殺し”の称号をとるか、お互いに何もなかったことにして平和に過ごすかで天秤にかけたのだ。
覆面の男は相当賢いかもしれない。
「あははははッ!!」
いつまで笑っているんだろう、こいつは……。
「……はたてが毎晩毎晩何をしているのか、ここで話してもいいですか?」
「はあッ!? なんであんたが知ってるのよ!?」
「おや、おやおやおや? 私はただ言葉を口にしただけですよ。何かやましい事でもあるんですか?」
「あ、あ、文ァーーーッ!!」
羞恥と憤怒を混ぜたような顔のはたてが飛び掛かってきた。そして、その勢いを利用してはたてを背負い投げの要領で床に叩きつけた。
「私が受けた痛みはこれよりももっとすごかったですよ」
「〜〜ッ、痛ッたいわね!」
腰を押さえて立ち上がるはたて。携帯電話は死守していたのか無傷だ。
「それにしても、あなたはそこまで見ていて何もしないのはどうかと思いますけどね」
「文さんだったので」
私だからなんだっていうんだ? こっちは頭がかち割れるかと思うぐらいに痛かったというのに。
「それで、そのことを上に報告したの?」
「いえ、していません。……上は妖怪が人間にやられるなんて露ほども思っていないですし」
「はあーッ、上はそこまで腐っているのですか? ウチにはまともな妖怪がいませんね」
「ちょっ、ちょっと! なんてこと口走ってるのよ! 今のことが聞かれたらあんたただじゃ済まないわよ!」
天狗だけではなく、妖怪の縦社会は絶対だ。今の私の発言なども場合によっては日の目を見ることができない程に過激なものだ。でも、上の腐敗具合に対して不満を抱いている天狗は少なくはない。むしろ、増えていく一方だ。
「別に何とも思っていませんよ。それに私はしばらくジッとしてます。それと、しばらくは永遠亭にお世話になりますから」
「え、ええ。そうね、そうしておいたほうがいいわ」
「私も同意します。……そこを抜け出したりしませんよね?」
「しませんよ、今回は藪を突き過ぎましたから、本当に休みます」
「……ふーん」
二人の疑惑の目がいつまで経っても向けられた。私のことをそこまで信用できないのか。二人にそう言ったら、
「「でき(ません)ないわ!」」
ここまではっきり言われるときますね。