「おおーい! 見てないで助けてくれ!」
涙目で鬼鮫達に手を伸ばすにとり。その短い手が何度も空を掴む様からはにとりの必死さがヒシヒシと伝わってきた。
「一体どうしたんですか?」
鬼鮫が声をかけるとサソリは何も言わずにサソリが実質乗っ取った作業部屋を指差した。
鬼鮫たちは作業部屋に飛び込むが、未完成の傀儡があちこちに散らばっていること以外は何ともなかった。何らかの作業を中断したのか、それぐらいしか思いつかなかった。
「サソリの旦那、旦那が丹精込めて作った傀儡がいたずらでもされたのか、うん?」
小馬鹿にしたような表情をするデイダラ。にとりの襟を掴む力がさらに強くなる。
「あの巻物がなくなっていた」
「何!」
一番最初に反応したのはなくなった巻物を買った角都だ。守銭奴の彼が少ない金で買った物だ。そうまでして角都が手に入れなければならない物だった。
それを奪われた。角都の怒りは凄まじいものだが、いまいち状況が分かっていない飛段と鬼鮫は首をかしげるだけだ。巻物についての説明もされていないからというのもあるが、二人は面倒事に巻き込まれない、または興味のないことにはとことん興味がないから巻物について特に言及はしなかった。
「お前じゃなかったら誰が盗み出すと言うんだ? 傀儡作りに集中していたとはいえ巻物の持ち出しを許すほどのオレじゃないぞ」
「知らないよ! そもそも私たちはあんなものに興味はなかったんだ!」
「ならばお前はこの辺りに物を盗んでいく奴は知っているか?」
そう聞いてきたのは憤怒のオーラを隠そうともしない角都だった。にとりはそれに気圧されながらも、
「今パッと思い当たるのは魔理沙だけだね。でも、あいつは人の目を盗んで物を盗っていく奴だ。あんたに気づかれないように盗っていくのは無理だね」
「ああ、そうだな。お前が作った姿を消す装置を使わなければな」
「だから私じゃないって言ってるだろー! それに魔理沙には私が作った発明品やらを持っていくんだ! 私があいつに協力するなんてのはありえないよ」
「うん? 今魔理沙っつったか?」
大図書館で出会った人間の名前を聞いて身を乗り出すかのように詰め寄るデイダラ。
「え? ああ、そうだけど」
角都とサソリの力強い視線がデイダラに向かう。殺気に近いそれは若いがそれなりの場数を踏んできたデイダラをもたじろぐほどだった。
「……オイラ、紅魔館でそいつに会ったぜ。そいつにぶつかった時に荷物が散らばったが少なくとも巻物はなかったぜ」
鬼鮫が宙に浮かされているにとりを見る。
「ということは容疑者は貴女だけになりますが」
「だからちがーう!」
にとりは暴れるがサソリからは逃れられなかった。
「じゃあ他に誰かいるのか?」
にとりの首を絞める力が強くなる。
「うぐぇ、わ、私が他に知っているのは邪仙だよ」
「邪仙だァー? 何だァー、そいつは?」
今まで興味がなかった飛段が割り込んできた。彼が崇める“ジャシン”に名前が近いからだろう。
「……とりあえず、下ろしてくれ」
「下ろしてやれ」
サソリは渋々にとりから手を離したが、疑惑の目をしたままだった。解放されたにとりは服を払いながら、
「……フウッ、邪仙は邪仙さ。仙人ではあるんだがロクな事をしない奴さ。そいつもウチのアジトに盗みをやりに来たことがあるんだ」
失敗したけどね、とにとりは付け足した。
「一つ聞きますがその人は誰にも知られずに盗みはできますか?」
「うーん、誰にも気づかれずにってのは無理かもしれないけど、あの邪仙は壁を通り抜けれるからなー」
「それはどういうことだ?」
角都が何を言っているのだ、という顔がわずかに見えた。
「何って言葉通りだよ。邪仙は持っている簪で壁に穴を開けてどんなところにでも行けるのさ。それはこのアジトも例外じゃないよ」
「サソリの旦那の部屋はアジトの奥の方にあるんだが?」
デイダラがサソリの部屋がある方向に顔を向ける。にとりは何か諦めたような表情を作り、
「あいつにとっては奥とか手前とかは全く関係ないよ。壁がどんなに分厚くても、どれだけ強固なものでも穴を開けるのさ。アジトの出入り口とは反対側から穴を開けて入ることもあいつなら出来なくもないんじゃないかな。それに穴の大きさも自由にできるらしいから隙を見て手だけを出して取れると思うよ」
「プライバシーも何もあったもんじゃねーな、うん」
(八雲紫もこっそり盗むけど言わない方がいいよなぁ)
にとりが思い浮かんだ人物はおおよそ思い付くことが全て出来てしまうのだ。考えるだけ無駄だった。にとりはそれ以上考えることをやめた。
「他にって……思い当たるのは本当にそれだけだ。誰にも気づかれずになんて、そんな、奴は」
そういえばあと一人いたな、とにとりは思った。だが、その人物が盗った確信も証拠もなかった。物を拾ったり持って行ったりすることもあったが、今回の犯人かどうか決めつけられない。
「いるんだな」
再びにとりの襟首を掴むサソリ。襟首を掴まれるのには慣れているにとりだが、流石にこうも何度も掴まれるのは嫌になる。にとりはぶっきらぼうに、
「あー、一人いたよ。誰にも気づかれずに物を取っていけるのが。今回取ってったのはそいつかもしれないだろうね」
「そいつは誰だ?」
「こいしだよ、古明地こいし」
角都が反応する。怒りや殺気も薄くなった。
「古明地だと……」
「ああ、そういえばあんたは下でさとりに会ったって言ってたね。そうだよ、その古明地だよ」
「何だ? ってこたー、そいつらは姉妹かなんかか?」
「そうさ、心を読む姉のさとりと心が読めない妹のこいしの古明地姉妹として幻想郷では有名さ。ちなみに、こいしが傷付いたら姉のさとりを含めた地霊殿の連中が黙っちゃいないだろうね」
相手が悪かったね、とにとりは小さい声で付け足した。角都は顔を歪める。さとりにはすでに記憶と心が読まれており角都がどんな人間か相手に伝わっている。そして、その記憶の中には角都では倒すのが難しい人物がいる。それを再現できるとなると今の角都では厳しいだろう。
「しかし、心が読めないとはどういうことだ? うん」
「こいしにはね、心がないんだ。本当の意味で」
「心がない?」
「そう、心がないから先の行動が分からない。無意識の塊なんだ。その無意識を操ることでどこにでも行けるし誰にも気づかれない能力を持っている。それを防ぐことはほぼ不可能に近いよ。何せ幻想郷の賢者たちにも一杯喰わせたことがあるからね」
にとりはその時のことを語った。
曰く、幻想郷の中でもかなりの権力と実力を兼ね備えた妖怪や人間たちが大きな宴会を開いたことがあった。宴会は非常に盛り上がり酒がそこそこ進んでいる時に、持ってきたはずの酒や料理がいつの間にか無くなっている。その中には宴会のメインの酒も無くなっていた。それに怒った賢者であり宴会を開いた張本人の紫は犯人を探させたが、いつまで経っても見つからず、こいしが地霊殿にいるさとりに盗んだ酒や料理を見せびらかしたことで発覚した。
さとりはすぐにこいしと一緒に謝罪をし、紫も古明地姉妹の宴会のしばらくの間、参加禁止にすることで場を収めたのだった。
「……その無意識ってのがまだよく分からねーが、それならサソリの旦那が気づかなかったのも無理はないか」
デイダラは優しく言うが、サソリの心の中で煮えたぎっている怒りは冷めることなく、獲物を求めていた。
こうなってしまっては止まらないだろう、とデイダラは思った。
その時、いつの間にかアジトの出入り口に立っていた飛段が、
「なー、そのこいしってのはどんな恰好をしてんだー?」
つまらなそうな声でそう言った。顔も外に向いているようで盗まれた物の興味はつゆほどもなかった。
「あー、そうだな。髪は緑色だね、姉のさとりと同じように拳ほどの眼が何本かの管に繋がれているよ。大体肩から腰の辺りにあるかな? どんな服を着てるかは知らないよ? 服は着替えるものだからね」
「そうか、じゃーあいつがこいしって奴か」
アジトから半分身体を出した飛段が言った言葉に他の四人が飛び立つ鳥のように飛び出し、続いてにとりもアジトから逃げるように走って出て行った。
「アイツだ。ほら、あそこで虫捕まえよーとしているあのガキだ」
飛段はアジトからそこまで離れていない日当たりの良い河原を指差した。そこからは夏のジメジメとした暑さが見ただけでも伝わってきた。
「どこだ? どこにいる?」
「あん? 角都、お前見えてねーのか。あそこにいんだろ」
角都は目を細めて飛段が指差す場所を懸命に探すが、そこには人が誰もいないようにしか見えない。
すると、にとりが助け舟でも出そうと、
「こいしは子どものような単純な奴にしか見えないらしいけど」
そう言いながら目線だけを飛段に向けた。鬼鮫もどこか可哀想な人を見る目になった。
「オイ! 何だ、角都! その目は!」
「やはりお前は馬鹿だと再認識しただけだ」
「んだとォーッ!?」
「しかし、本当にいるんですか? ただの河原にしか見えませんが」
「もしかしてアイツか? オイラにはぼんやりとしか見えないぜ。影しか見えないとか、そんな感じだ」
デイダラが口にすると、騙し絵のトリックが分かったかのように他の三人にもこいしの姿が目に映るようになった。その見た目はどこにでもいそうな少しやんちゃな少女だ。
「なんだありゃ? ただのガキじゃねーか、うん」
「なるほど、こうして意識して見なければ確かに色々と盗むことができますね」
「……オレはあんなガキに出し抜かれたのか?」
そのこいしと思われる人物が茂みにいる蝶を捕まえて口に入れようとする。すんでのところで蝶はこいしの手から逃れた。こいしは悔しそうな顔も落胆した顔もせずに彼女の興味が次に移っていく。
「……巻物を持ってるような感じはしないな。あれ結構な大きさだったよな、うん」
巻物は大の大人の肩から腰の辺りまでの、到底子どもが持ち運べるような大きさではなかった。
「じゃー、アイツは犯人じゃねーってか」
やる気のない飛段がアジト内に戻ろうとすると、デイダラがこいしに近づいていくサソリの存在に気が付いた。
「サソリの旦那!? いつの間に」
「巻物の大きさについて話している頃にはもう動いていましたが」
鬼鮫が話している間にもサソリはどんどんこいしとの距離を詰めていく。
「おい、ちょっと待て! あいつ何するつもりだ!?」
にとりが泣きそうな声で叫ぶ。しかし、サソリはすでにこいしの目の前に立ち、こいしもまたサソリに気が付いた。
「あれ? お兄さん誰ー?」
こいしは能天気に話しかける。手に持っている白い花を振り回して、ただそれだけで楽しそうだった。
それに対して、サソリは無防備なこいしに向けて腕を伸ばす。向けられたこいしはキョトンとしているとサソリの手の平から針が三本飛び出した。針には毒が塗られていた。
狙われている自覚がなかったこいしは避ける間も無く胸に針が刺さる。
「うっ!」
すぐに麻痺毒が効いたのか河原にうずくまるようにして倒れて意識を失ったこいし。サソリはそれを確認すると辺りを警戒しながらこいしに近付いていく。
「あー、……これで犯人じゃなかったらどうするんだよ」
「そん時はそん時だろ」
事態を重く考えていない飛段がぶっきらぼうに答えた。にとりは頭を抱えると幽霊にでも取り憑かれたような重い足取りでアジトに戻っていった。
「はぁーッ、あんたらと関わってたら本当に命がなくなりそうだよ」
「何をいまさら言っている……向こうも終わったようだ」
デイダラたちが見ると、いつ取り出したのかサソリは手に持っていた縄でこいしを後ろ手で縛り上げているところだ。
「さて、あとはあいつから巻物の在り処を聞くだけだな」