旧都
幻想郷の地下にあたる旧都では毎日とても賑やかだが、その日、旧都の一画では異様な雰囲気に包まれていた。
旧都の大通りの真ん中で一人の人間の男が地面に倒れている鬼を見下ろしている。人間は手に血濡れた大鎌を持っており、服の前が開いている。逆に鬼の方は何も持っておらず虫の息であった。
「マ、待テ、待ッテクレ」
「残念だったなあー、ジャシン教じゃ半殺しは戒律で駄目だと決まってる。そのまま死ねェ!」
命乞いをする鬼を人間は無視して大鎌を振り上げとどめを刺そうとする。しかし、大鎌は鬼に向かって振り下ろされず、男自身の胸を刺すように振り下ろした、かに見えた。
「おぉっと待った」
「あん?」
「タ、……助カッタ」
男は大鎌が貫く前に声をかけられ大鎌を振り下ろす手を止めた。
「そいつはもう負けを認めているだろう。喧嘩は終わりだ。……あんた立てるか?」
「ダ、ダメダ。足ガヤラレテ動ケネェ」
「そうかい、じゃあ治るまでじっとしてな」
「……アァ」
男を止めた人物は額に大きな一本の赤い角が生えており、肩と胸をはだけた着物を着ている。男はその人物を一目で鬼と判断し、頭を抱えた。
「かーっ、また鬼か。ここは地獄かよ、勘弁してほしーぜ、ホント」
「アッハッハ!ここが地獄かと言われたらまぁ地獄だと言うしかないねぇ。それにお前の言う通り私は鬼だよ」
「ゲーッ、マジかよ。オレァ地獄に落ちちまったのかあー」
「ああそうだ、ここは地獄だよ。今は旧都って呼ばれているけどな」
男に鬼と言われた少女の名は星熊勇儀。伊吹萃香と同じ妖怪の山の四天王の一人であり、ここ旧都を牛耳っている。
「ま、旧都だか何だか知らねーがオレは殺戮できればそれでいいんだがな」
「へー、物騒なことを言うじゃないか。私はあんたみたいな正直者は嫌いじゃないねぇ」
勇儀の人間の男に対する第一印象は悪くなかった。だが、勇儀は気になることがあった。
「……ただ、あんたは鬼を二人ほど倒したらしいが、どうやったんだ?」
男は鬼を二人殺している。勇儀は目の前の人間がどうやって殺したのかが分からなかった。
「あ、姐さん!気を付けてくだせえ。その人間は得体の知れねぇ術を使うんでさぁ」
勇儀が人間のことに疑問を抱いていると、男と勇儀を取り囲んでいる野次馬の一人の鬼がそう言った。
「オイ!
「ヒィ!」
男は鬼が言った言葉に怒り、鬼は得体の知れない男に恐縮する。
「儀式?」
勇儀は目の前の人間を改めて見た。
男の肌は黒色に骸骨を被ったような模様をしている。所々怪我があるが、男は痛がる素振りはなく平然としている。
そして、男は円形の中に三角形が描かれた陣の上に立っている。
「……儀式だか何だか私にはよく分からんが、
「はあーっ、てめーらさっきから神聖な儀式をコレだのソレだのと言ーやがって。神への冒瀆だぞ‼︎」
「へぇーっ、あんたの言う神聖な儀式は人殺しかい?」
「おーよ、ジャシン教は『汝、隣人を殺戮せよ』が教義であり、殺戮がモットーなのよ」
男はジャシン教をやや自慢げに語った。
勇儀は最初は目の前の人間をただの人間と見ていたが、今は面白い人間として見ている。
そして、前に地底にやって来た人間達みたいに楽しいことになりそうな予感を感じている。
「アッハッハ!面白い人間だ。……おっと、自己紹介がまだだったな。私は勇儀、星熊勇儀だ。昔は四天王って呼ばれてたんだが……、まぁいいや。私はあんたと闘いてぇ。勝負といこうじゃねぇか!」
勇儀が人間に喧嘩を売る、というのは滅多にないことであり、周りの野次馬はざわついた。
「……あーー、やっとまともな奴が来たと思ったら、てめーもさっきの鬼共と一緒かよ。オレは暑っ苦しいのと意気込みみてーなのぶつけられんのはオレはイラっっとくるんだよ。ぜーんぶぶっ壊したくなる」
「じゃあ、それごとかかって来なよ。あんた、売られた喧嘩は買うタイプなんだろう?」
「…………」
男は勇儀の挑発に乗る様子はなく、大鎌を持ち直した。
「うん?あんた、何をするつもりだ?」
「てめーの喧嘩を買う前にやることがあんだよ。まだ儀式は途中だからなー」
男は倒れている鬼に目を向け、手に持っている大鎌を自らの胸に刺した。
「なっ!」
勇儀は人間の行動に心臓が止まりそうになった。
この世に存在する大抵の生物は心臓を刺されると死んでしまう。それは、幻想郷でも同じことだ。
だが、男は心臓に大鎌が刺さっても倒れない。勇儀は目の前で起きている光景が信じられなかった。
「ゲハハハハハッ‼︎この感覚だァ‼︎他人が死ぬ時のこの感覚……最高だァ‼︎」
男は恍惚とした表情を浮かべ、胸に大鎌が刺さったまま余韻に浸っている。
「……グッ、……アッ……」
地面に倒れていた鬼は突然胸を抑えて苦痛に顔が歪んだ。そして、力尽きて何の反応もしなくなった。
「オイ⁉︎どうした⁉︎大丈夫か⁉︎」
勇儀が鬼に話しかけるが、鬼は何も返さず沈黙を貫くだけだった。
「そいつはもう死んじまったよ。儀式の生贄になったからなァ!」
「……何だと」
勇儀は人間に対して強い怒りを抱いた。男と鬼の勝負はすでについていたのに男は鬼にトドメを刺したのだ。
だが、勇儀は同時に男はどんな方法で鬼を殺したのかが分からなかった。男は自分の体に大鎌を刺したのに死んだのは鬼だった。それらのことから勇儀がこの現象について考え込んでいるとーー
「姐さん!そいつは今やったのと同じ方法で他の鬼も殺したんだ!」
野次馬の中にいた鬼が勇儀にそう言うと、勇儀は妖怪の山で四天王をやっていた頃を思い出す。
勇儀はその時に闘った妖怪の一匹に似たような術を掛けられたことがあった。
似たような術と状況から勇儀はある答えにたどり着いた。
「……そういうことか」
勇儀がたどり着いた答え、それはーー
「呪術、か」
「おいおいおいおいおいーっ!なーにチンタラしてんだァ、さっさとかかってこいよ。てめーも儀式の生贄にしてやるからよォ!」
肌の色がいつの間にか戻った男はいつまで経ってもかかってこない勇儀にイラついていた。
喧嘩を売っておきながら拳の一つも飛んでこないことに自分から仕掛けようとした男だったがーー
ドガッ‼︎ ガシャン‼︎ ガララララ‼︎
勇儀に仕掛けようとした男は乱入者に蹴りを入れられ大通りに並んでいる居酒屋に突っ込み、さらに家屋を三つほど貫通した。
野次馬と勇儀はいきなりの乱入者に緊張が走った。
「……貴方は?」
勇儀は人間に蹴りを入れた人物に話しかける。乱入者は鬼を三人殺した男と同じ服を着ており、頭巾とマスクをしている。
「この馬鹿の連れだ」
返ってきたのはそんな言葉だった。
「……連れってことはあんたは今さっき吹っ飛んでった人間の仲間ってことになるよなぁ」
「ああ、そうなるな」
勇儀は男を睨むが睨まれた男の方は意に介さない。男には殺気がなく、闘おうという雰囲気もなかった。
「姐さん‼︎そんな奴ぶっ殺しちまえ‼︎」
「イヤ、オレガ殺ス」
「さっきの人間は流石にくたばったみてぇだな。そいつなら俺でも殺せそうだ。ぎゃはははは!」
怪しい術を使っていた人間がいなくなった瞬間、新たに現れた人間に周りの野次馬が煽り立てる。
「あんたらは引っ込んでな!こいつは私がやる」
「あ、姐さん。……わ、分かりました」
「ヒィ、ス、スミマセン」
勇儀が鶴の一声で野次馬を黙らせた。ここら一帯には勇儀より強い妖怪はいないため、勇儀に逆らう妖怪は一人としていない。
勇儀は新たに現れた人間の男に視線を向ける。先程の人間は吹き飛んだにしてもこのままでは勝ち逃げになってしまう。鬼がいいようにやられて黙っているはずがなく、鬼達を殺した落とし前をつけさせるために仲間の男に近づこうと勇儀が一歩踏み出した時ーー
「うおおおおィ‼︎誰だァ‼︎オレを蹴り飛ばしやがったのはァ‼︎覚悟はできて……って角都ゥ⁉︎」
「……黙れ、飛段」
居酒屋から大鎌が胸に刺さったまま男が出てきた。飛段と呼ばれた男は自分を蹴り飛ばした男を見て驚いた。
何故なら外の世界でコンビを組んでいた角都だったからだ。
「痛てっ」
飛段は胸に刺さった大鎌を軽い感じで引っこ抜く。
(……何だあいつは?……まさか不死身なのか?)
勇儀は飛段が大鎌を引っこ抜いたのに全く堪えていない様子を見てそんなことがよぎる。不死身はこの幻想郷にもいるが、目の前の人間は勇儀が知っている人物ではない。
「おいおいおい角都ゥ、てめーも地獄に落ちてたのかよ。『地獄の沙汰も金次第だ、望むところ』とか何とか言っておいてカッコ悪ぃぜー」
「黙れと言っている」
角都の真似をしながら言った飛段にイラつく角都だったが、特に何もせず何も言わなかった。普段、この二人の口喧嘩は『死ぬ』『殺す』といった物騒なものだが、いつもとは随分と大人しい角都に疑問を抱く飛段だが、ここが地獄だから角都が大人しいと考えた飛段だった。
「…………」
「…………」
少しの間沈黙が続き何となく微妙な空気になったが、角都が飛段の襟を引っ掴みその場を去ろうとする。
襟を掴まれた飛段は抵抗するが、角都の引っ張る力が強く引きずられる形で連れていかれる。
「お、おい角都!何すんだ!まだあいつをジャシン様に捧げてねーぞ。離せって」
「五月蝿いぞ。ここで暴れるのは少しマズいことになる。引くぞ」
飛段は騒ぎ立てるが、角都は構わずに引きずる。
「おっと待ちなぁ!飛段、って言ったな。あんたには
飛段を引きずる角都に勇儀が待ったをかけた。勇儀は飛段がトドメを刺したことに少し不服があるが、喧嘩であるために死者が出ることは
ただし、人間にやられた、というのが気にくわない妖怪達が今角都と飛段を取り囲んでいる。勇儀はこのままでは二人の身体がバラバラにされてしまうのが容易に想像できる。それ故に勇儀は自らが喧嘩を挑むことで、他の妖怪に手を出させないようにしている。
「……オレはここで暴れるつもりはない。
「おい角都ゥ‼︎さっさと離せよ、おい‼︎」
勇儀は今ここで二人に喧嘩を売り、あえて買わせることで二人を救おうとした。だが、飛段はともかく、角都という人間の方が乗り気ではなかったため失敗に終わった。
「姐さん!やっぱり俺にやらせてくれ。鬼が人間に殺されたことが知られちゃあ俺達ぁお終いだ。せめて仇は取らせてほしいんだ」
「そうだ!妖怪が人間に舐められることはあっちゃあならねぇ。姐さんがやらねえならこの俺が」
「イヤ、俺ダ」
野次馬の妖怪達が飛びかかろうとして二人を殺そうとした時ーー
「ギャアアアアアッ⁉︎」
勇儀が視線を写すとそこには角都が野次馬の妖怪の一人を片腕で持ち上げている様子が見えた。
周りの妖怪達(勇儀も含む)がその光景に驚いているが、その理由は角都の腕が分離していたからだ。角都の腕からは黒い糸のようなものが生えており、人のモノではないということが周りを恐怖させた。
「な、何だ……ありゃあ?」
「し、知らねぇよ。アイツは人間じゃないのか?」
角都が持つ秘伝忍術〈地怨虞〉が妖怪の胸元に取り付き、糸のようなものが妖怪の心臓に侵食する。
「ガアアアアッ‼︎アッ……グッ……ギャアアッ‼︎」
ブチッ‼︎ ミチッ、ミチミチッ! ブチチチッ!
旧都の一画で妖怪の断末魔と肉が千切れる音が響き渡り、二人の人間を取り囲んでいた妖怪達の威勢もなくなった。
「ガッ!……ッ」
妖怪はビクンと大きく痙攣すると、ピクリとも動かなくなった。
妖怪が死んだ原因はあまりにも分かりやすくあまりにも味わいたくないものであり、旧都の妖怪達にとって忘れられないものであった。
「ヒ、ヒィ!し、心臓を抜き取りやがった⁉︎」
「お、おい!その心臓をどうするつもりだ!」
角都は抜き取った心臓を己の胸の中に入れて心臓をストックした。これで、角都の心臓は二つとなり一回は死んでも生き返る体になった。
場は騒然としており、野次馬は二人から離れる妖怪と二人を恐れる妖怪に分かれた。
勇儀はその場を動かずにただじっとしており、二人を見つめ続けている。
「……角都、おめー何で暴れねーんだ?それにストックを補充とかどうしたんだよ」
「黙っていろ、飛段。今は地上に出ることが最優先だ」
「あァ、地上⁉︎ちょっと待て角都、
「……今頃気づいたのか、ここは幻想郷と呼ばれるところだ。確かにここは地獄だが、地上には出られる。さっさと行くぞ」
「……そうかよ。だったらな角都、手ェ離しやがれェ‼︎」
飛段は未だに引きずられたままであり、角都は〈地怨虞〉をしまい地上への道を探す。
飛段は角都の手を離そうと大鎌を振り回したりして暴れるも、角都には届かず罵声を浴びせることぐらいしかできない。
「角都ゥ‼︎いい加減離さねーと痛い目見るぞォ!こんのひじき野郎がァ‼︎」
「……黙れ、飛段。殺すぞ」
「おうおう、やっとそれを言ったかよォ。角都ゥ、おめーホントは寂しかったんじゃないのかー?」
「…………」
ゴッ‼︎
飛段の頭に(土遁・土矛での)鉄拳を振り下され、飛段は避ける間も無く気絶する。
野次馬が少なくなった大通りを飛段を引きずりながら歩いていると二人の前に一人の鬼が立ち塞がった。
「……お前もしつこいな、通してもらうぞ」
「そいつはできねえなぁ、せめて拳一発入れさせてもらうよ。それで手ェ打ってくれないかい」
手をパキパキと鳴らして勇儀は二人に近づいて行く。三人の周りに妖怪達の姿はおらず、遠巻きに見ている。
「ふん、たったそれだけで済むならやればいい。そんな程度ではオレは死なん」
「……言うねぇ、手加減してやろうかと思ったがやめた」
人間に舐められたことで二人を救おうとしていた自分が馬鹿だったと知った勇儀は腕ではなく、脚に力を溜めた。
「勇儀の姐さんが本気出すぞ‼︎逃げろーっ‼︎」
「ウワーーーッ⁉︎」
勇儀が本気を出すことを知った妖怪達は一目散に逃げて行く。
危機を感じた角都は構えるが、それよりも早く勇儀の蹴りが炸裂する。
「吹き飛びなあーーっ‼︎」
ド ゴ ッ ‼︎
「ぐっ⁉︎」
勇儀は渾身の力で角都を蹴り飛ばした。
動きにくい着物を着ているとはいえ勇儀は鬼である。勇儀の蹴りの威力は凄まじく、角都の身体は大きい放物線を描いて旧都の上を飛んでいく。
◆
地底湖
角都は蹴りの衝撃で心臓を一つ失い、最後の心臓を守るために〈土遁・土矛〉を発動する。
ドガッ‼︎
〈土遁・土矛〉を発動したすぐ後に角都は地面に叩きつけられたが、術によって身体は衝撃から守られた。
角都は起き上がり、状況を確認する。
勇儀の蹴りによって地底湖の近くまで蹴り飛ばされたらしく、周りには誰もいない。心臓が一つだけとなった角都はすぐにでも心臓をストックしたいところだが、地上に出ることと飛段と再び合流することを優先する。
地底から出られることは古明地さとりから聞いているために、慌てることはないが地底は妖怪が跋扈しているのでなるべく早く地上に出て手持ちの金を換金してもらう必要がある。金は角都にとって何よりも優先するものだからだ。
角都がこれからのことを考えていると、角都が飛んできた方向から飛段が飛んできた。
「ぬぐえっ‼︎」
角都は飛んできた飛段を避けたために、飛段は頭から地面に突っ込む形でめり込んだ。
「痛ってーなァ、
飛段は地面にめり込んだ体を起こし、土を払いながら悪態をつく。
「飛段、今は地上に出ることが最優先だと言ったはずだ」
「ん、おい角都ゥ!てめーオレが飛んでくるのが分かってんなら受け止めるぐらいしろよ‼︎」
「お前はその程度では死なんだろうに」
「うるせー、殺せるなら殺してほしいぜ、ホント。…………」
コキコキと首を鳴らしながら伸びをする飛段はある気配に気付く。
「……角都」
「ああ、分かっている」
二人は地底湖の中の存在に身構える。飛段は大鎌を右手に持ち、角都は攻撃を警戒して〈土遁・土矛〉を発動する。
「オオオオオオッ‼︎」
地底湖の中から出てきたのは人を丸呑みにできる程の大きい口を持ったオオナマズだった。
「はっ!この湖の主ってところか。ジャシン様に捧げるにはちょっとばかし臭えか」
「オオオオオオッ‼︎」
バチバチバチバチッ‼︎
「…………」
オオナマズの身体から電気が発生しているのを角都は見逃さなかった。
「じゃあいくかー、角都ゥ!」
飛段は大鎌を構え直して仕掛けようとする。
「待て、飛段。こいつはオレがやる」