虎眼転生-異世界行っても無双する-   作:バーニング体位

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若年篇
第七景『無双(むそう)(ゆる)虎参(とらまい)り』


 他流試合心得

 

 稽古磨きの為の試みとして立合申候上(たちあいもうしそうろううえ)

 勝負の善悪(よしあし)によって意趣遺恨(いしゅいこん)の儀

 決して有之(これある)まじく(そうろう)

 他流のもの丁重に扱うべし

 (たお)す(殺す)ことまかりならぬ

 伊達(派手、ハンサム、男前)にして帰すべし

 かかる者の姿は『虎眼流強し』を世に知らしめ

 道場の名声を高むるに至れり

 

 “虎眼流道場訓”より抜粋

 

 

 

 

 

 甲龍歴423年

 

 “剣の聖地”

 一年中雪に覆われたこの過酷な大地は、初代“剣神”が“剣神流”を起こし、道場を構えた事からそう呼ばれるようになった。

 中央大陸最北西端の岬にある剣神流の総本山。

 流派を問わず、剣士であるなら誰もが一度は訪れたいと思う場所。

 

 剣神流総本山として栄えた剣の聖地であったが、一度水神流にこの地を奪われている。

 百年程前に当時の“水神流”総帥である“水神”が同じく当時の剣神と決闘、勝利してこの地を奪い取ったのだ。

 しかしその水神も次代の剣神に敗れ、聖地は再び剣神流の手に戻った。

 

 それ以降、当代最強の流派がこの聖地に居座って剣を教える場となった。

 最強の剣士に剣を教わり、あわよくばその最強の剣士を倒し、自分が最強となる。

 そんな野望を持つ剣士たちも“剣の聖地”を訪れるようになる。

 

 しかし当代剣神ガル・ファリオンが剣神の称号を継いで以来、挑んできた剣士達を片っ端から斬り伏せた事でその野望をぶつけてくる者はいなくなった。

 現在は将来有望な剣士の卵が各地より集まり、若き才能達が日夜猛稽古に明け暮れる場所となっている。

 

 

 

 

 エリス・グレイラットの朝は早い。

 

 剣の聖地にて日々稽古する剣神流の内弟子達は専用の宿舎で寝泊まりしている。

 誰よりも早く起きて朝の一人稽古に向かうエリスは、道場から一時間程歩いた所にある岬にて剣を振るっていた。

 

 ボレアスの名を捨て、剣の聖地に来て以来欠かさず行っている朝の一人稽古。

 無心に剣を振る。

 型も何もない、ただ無心に剣を振る。

 余計な雑念が無いその素振りは、薄皮を一枚一枚貼り重ねるように乙女を強くしていた。

 

「……ちっ」

 

 エリスは舌打ちを一つした。

 無心に振りつつも、雑念は隙を見てはエリスの中に入り込んでいた。

 

 

 3年前──15の時にルーデウスに“初めて”を捧げた後、“剣王”ギレーヌ・デドルディアに連れられ剣の聖地に来て以来、エリスはルーデウスを思わない日はなかった。

 

 6年前の転移事件の後、共に魔大陸に転移し、スペルド族のルイジェルドに出会い、3人で共に冒険の旅をしたあの日々──

 魔大陸から始まったエリスの冒険の日々は、転移事件から3年後……フィットア領へと帰還した事で、その長い旅路を終える。

 

 フィットア領へ帰還したエリスはそこで両親や祖父を失った事を知った。

 一人ぼっちになってしまった事を知ってしまった。

 共に旅をしたルイジェルドや、フィットア領で再会したギレーヌやボレアス家執事アルフォンスも他人にしか見えなかった。

 でも、ルーデウスだけは違った。

 エリスは冒険の日々で大きな存在になっていったルーデウスを愛していた。

 泥にまみれつつ、常に一生懸命で、困難な事に出会っても決して諦めずに向かっていったルーデウスを愛していた。

 エリスにはもうルーデウスしかいなかった。

 

 だから、エリスはルーデウスと家族になろうとした。

 本当の意味で家族になり、寂しさと悲しみを忘れようとした。

 

 フィットア領に帰還した夜、強引に誘い、初めて“重なり合った”時にエリスは気づいた。

 ルーデウスは、小さかった。

 己を貫く帆柱(・・)こそは逞しいものであったが、ルーデウスの体はエリスより小さかった。

 エリスはそこで初めて大きな存在だったルーデウスが自分よりも年下なのだと理解した。

 行為の途中から、か細く、折れそうになっていったルーデウスが自分より幼かった事を理解した。

 こんなにも幼かったルーデウスが、ずっと守ってくれていた事を理解した。

 

 そして、エリスは自分がルーデウスに相応しくない女だと気づいた。

 このままの自分ではルーデウスの負担にしかならないと感じてしまった。

 自分よりも幼いルーデウスに、家族を失った不安と自分の欲望をぶつけてしまった事を恥じた。

 

 家族にはなれたかもしれない。

 でも、それ以上の関係にはなれない。

 夫婦になりたかった。

 吊り合いが取れる、本当の意味で対等な関係になり、守って守り合える関係になりたかった。

 

 “強くなろう──ルーデウスと肩を並べられるようになるまで”

 

 ルーデウスに勝てなくてもいい。

 でもせめて、吊り合える女になりたい──

 そう思ったエリスは、重なり合った次の日にはルーデウスに黙って姿を消した。

 そしてギレーヌの勧めに従い、この剣の聖地へと赴いた。

 強靭な剣士となるべく、狂気ともいえる鍛錬を己に課すようになった。

 

 剣士(エリス)魔術師(ルーデウス)

 一般的なそれとは男女が逆だが、エリスはそれで良いと思っていた。

 

 成長し、強くなり、もう一度会えたら。

 

 そして、二人であの“龍神”を倒したら。

 

 その時こそ、家族の一歩上、夫婦となるのだ。

 ルーデウスの子供を産んで、幸せに暮らすのだ。

 

 そんな想いが、日々エリスの中で脈打っていた。

 

 

「ふぅ……」

 

 素振りを終え、一息つくエリス。

 入門してからの日々は、この“狂犬”とも言えるエリスの性質()を着々と研いでいた。

 しかし、エリスは己の成長に全く満足していない。

 

 入門し、師匠である剣神ガル・ファリオンから言われた事を思い出す。

 

『ただ無心で剣を振れ。無心で剣を振って、疲れたら座って休んで考えろ』

 

『考えるのに疲れたら、また立ち上がって剣を振れ』

 

 剣神に命じられたそれをエリスは愚直に守って剣を振っていた。

 そして振っていく内にそれまで感じていなかった“剣を振る事の難しさ”を感じるようになった。

 

 小さな頃は、勉強なんかより剣を振る事の方がずっと簡単で自分に向いていると思っていた。

 その考えは今でもそう変わっていない。

 自分には勉強より、剣を振る方が性に合っている。

 

 だが、剣を振る事は勉強より簡単ではなかった。

 思えば人に教えられる分だけ、勉強の方が簡単なのかもしれない。

 

 もっと速く振れるはず

 もっと強く振れるはず

 それが、どうしても上手く出来ない。

 

 3年前の自分よりは、きっと速くなった。

 でも、ギレーヌはもっと速い。

 ルイジェルドはもっと速い。

 剣神はもっともっと速い。

 そして、“龍神”はそれ以上に速い。

 

 エリスは座って考える。

 何十回、何百回、何千回も剣を振っては座って考える。

 己が打倒を誓った強大な存在に届くまで後どれくらい剣を振ればいいのだろう。

 

 疲れた時に、ルーデウスの事が頭にちらついた。

 

「……ちっ」

 

 また舌打ちをする。

 見れば、もう何度目か分からなかったが、手の豆が潰れていた。

 懐から布を取り出し、無造作に巻いた。

 

 エリスは日々の修行を辛いとは思わない。

 3年前、“赤竜の下顎”での事はいつだって思い出せた。

 あれに比べれば、なんでも耐えられる気がした。

 ルーデウスが死にかけ、龍神に手も足も出なかった事で感じたあの時の無念に比べれば。

 

 エリスは冒険の日々で、自分達が死とは無縁だと考えていた。

 ルーデウスは強い。ルイジェルドも強い。

 彼らがいれば、自分も死なない。

 そう考えていた。

 シーローン王国でルーデウスの妹、アイシャ・グレイラットとその母リーリャを助けた後、アスラ王国領へ入る際に通った“赤竜の下顎”で龍神と出会うまでは。

 

 龍神はいきなり自分達を攻撃してきた。

 そしてルーデウスは死にかけた。

 もし、あの龍神の連れの少女が気まぐれをおこしていなければ。

 あるいは龍神が治癒魔術を使えなければ。

 ルーデウスはいなくなっていただろう。

 

 怖かった。

 自分は足手まといで、ルーデウスの荷物になっている。

 エリスはその時、そう感じていた。

 

 それでも尚、エリスはルーデウスを神格化していた。

 殺されかけても、ケロッとしてまたあの龍神と戦う事を想定していたルーデウス。

 

 エリスはそれが理解できなかった。

 理解できず、とにかく怖くなってルーデウスの傍にいた。

 傍にいなければ、この大きな存在となったルーデウスがいなくなってしまう気がした。

 ルーデウスに、置いて行かれてしまう気がした。

 置いて行かれてしまう事を想像し、ひどく辛い思いを感じていた。

 

 だから今の修行は辛くはない。

 痛みも、辛さも、もどかしさも。

 そして今、一人でいることも、傍に彼がいない事も。

 あの時感じた辛さに比べれば、この修業の日々はなんと“生温(ぬる)い”事だろう。

 

 

「ルーデウス……」

 

 ぽつり、とエリスは呟く。

 それ以上は、ルーデウスの事を考えないようにした。

 エリスは考えるのが苦手だからだ。

 深く考えてしまえば、自分が容易く“折れる”であろう事を無意識に理解していた。

 ルーデウスと深く繋がったこの“赤い縄”を手繰り寄せようとすると、エリスは心地良い至福に包まれる。

 しかし、今のエリスにその縄を全て手繰る事は許されなかった。

 

 エリスはまた立ち上がり、剣を振りはじめた。

 強くなる、ただそれだけの為に。

 一切の雑念を、振り払いながら、剣を振っていた。

 

 

 

 

 しばらく剣を振った後、エリスは道場へ戻ろうとした。

 呼吸を落ち着け、汗を拭う。

 手拭いに顔を埋め、しっかりと汗を吸い込ませる。

 

 顔を上げたら、遠くから一人の少年がこちらへ近づいてくるのが見えた。

 徐々にはっきりと見えてくるその少年の姿に、エリスは固まった。

 

 少年は白髪(・・)の総髪を結え、一本のショートソード、そして一本の()を腰に差していた。

 背はエリスよりもやや高く、その所作は鍛え込まれた肉体を感じさせていた。

 よく見れば、右手の指は常より一本多い6本の指(・・・・)をしていた。

 少年の装いはよくある冒険者風ではあったが、一つ大きな違いがあった。

 少年が羽織っていた“羽織”は、エリスが見たこともない装束だった。

 そして羽織りの後ろには、決してこの世界の人間が読めぬであろう未知の言語(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)が書かれていた。

 

 

 “異界天下無双”

 

 

 力強い筆跡で書かれていたこの六文字は、もしこの人の世界で日本語を解する者がいたらそう読めただろう。

 

 しかしエリスにとって羽織りに書かれた文字はどうでも良かった。

 その少年はエリスを固まらせる程の顔立ち(・・・)をしていた。

 

 少年は虎を思わせる冷たい視線でエリスを見つめていた。

 愛する男によく似た少年が発する怜悧な視線に、燃える“狂犬”は凍りついたように動く事が出来なかった。

 

 赤い縄が、エリスに絡みついていた。

 

 

 

 

 


 

 剣神流道場では朝の稽古を行うべく、剣聖の認可を受けた剣神流高弟達が集まっていた。

 当主である剣神がまだ道場に見えてない間、剣聖達は各々稽古前の準備をしている。

 黙想する者、木剣を振り準備運動をする者、仲の良い同門と剣術について語らう者……

 道場の入り口では、その剣聖達の様子を見つめる一人の“ド派手”な装いの男がいた。

 

 北神流“北帝”級剣士“孔雀剣”オーベール・コルベット。

 数週間前、この北帝級剣士は剣神の求めに応じ剣の聖地へと赴いている。

 北帝が剣の聖地へと訪れたその理由は、エリス・グレイラットに北神流剣術を叩き込む為。

 

 七大列強第二位“龍神”オルステッドを倒す──

 入門初日にそう言い放ったエリス。

 剣神は己がかつて屈辱を味わった龍神に打倒を掲げたエリスの心意気を気に入っていた。

 そして龍神打倒という目的を助ける為、あらゆる手段でエリスを鍛えていた。

 剣神流の合理的ともいえる術理はあえて教えずに単純な鍛錬のみを言い付け、その“野生”を極限まで高め、“合理の外にいる存在”を打倒する為の手段を講じていた。

 

 龍神オルステッドは何故だか分からないが、この世界に存在する全ての剣技、魔術を使用する事ができる。

 その全ての技を使える龍神に対し、剣神流のみで太刀打ち向かうには圧倒的に不利。

 ゆえに、剣神はまず北神流に対しての対処法を学ばせる為、北帝オーベールを呼び寄せていた。

 

 エリス一人の為に態々他流の帝級剣士を呼び寄せた事は、他の剣神流門弟達にとって不満を感じさせる事もあった。

 だが、元々北神流とは三大剣術の中ではやや異端扱いされており、中でも“奇抜派”と呼ばれる者達は正当な剣術を扱う剣神流の人間からは見下される事が多かった。

 “孔雀剣”オーベールはその奇抜派筆頭剣士であった為、2日もしない内に門弟達はその不満を感じる事は無くなり、淡々と自身の稽古に打ち込むようになった。

 もっともエリスは道場の中では“浮いた”存在であった為、やっかみは感じさせる事はあっても仲間として見られる事は無いエリスに誰が稽古をつけようと門弟達は知った事では無かった。

 

 

「……戻ってきたな」

 

 オーベールは道場の外を見やる。

 エリスが岬から戻ってくるのが見えた。

 そして、見慣れぬ一人の少年がエリスについてくるのも見て取れた。

 

「ふむ。エリス、そちらの御仁は一体どなたかな?」

 

 挨拶もせず、道場へ入ろうとしたエリスにオーベールは声をかける。

 この不遜な“狂犬”の態度に、オーベールは出会ってから3日で慣れてしまっていた。

 

「道場破りよ」

 

「は?」

 

 しかしエリスが放った一言はオーベールを固まらせた。

 稽古前の準備をしていた剣聖達も、その一言で一斉に空気を張り詰める。

 剣呑な空気が漂う中、エリスはお構いなしに道場へ入る。

 自身の木剣を手に取り、道場の端に座って黙想を始めた。

 道場の入り口に取り残された白髪の少年とオーベールに、門弟達の視線が集まる。

 

「エリスじゃ話にならないわね」

 

 そう言いながら道場の入り口へと進む一人の女剣士がいた。

 “剣聖”ニナ・ファリオン。

 当代剣神ガル・ファリオンの一人娘であるこの可憐な乙女は、現在エリスよりも一つ年上の19歳。

 16にしてすでに並ぶ者のない才を持つと言われた剣聖であり、20歳になる頃には剣王と呼ばれ、25歳になる前に剣帝になるであろうことは間違いないと言われていた。

 

 エリスが来るその日までは。

 

 ニナはエリスが剣の聖地へと赴いた初日、父である剣神から立合いを命じられ、エリスの冒険者仕込みの“野蛮”な戦法に屈辱的な敗北を味わっている。

 エリスの強烈な拳を受け、腹を蹴られ、馬乗りにされ、容赦の無い殴打を受けた。

 小便を漏らし失神し、不様な姿を晒したその日以来、ニナはエリスを憎み、一方的にライバル視していた。

 もっともエリスはニナの事など全く眼中になかったのだが。

 

「御用のおもむきは?」

 

 ニナは入り口に佇む白髪の少年に声をかける。

 その言葉尻は、やや熱いものを滲ませていた。

 

「……剣神ガル・ファリオン殿に、一手御指南つかまつりたく候」

「ッ!」

 

 道場にいる誰もが、白髪の少年が発した言葉に凍りつく。

 少年の透き通るような声色が道場に響いた直後、門弟達が発していた剣呑な空気は猛烈な殺気へと変わり、白髪の少年に突き刺さっていた。

 エリスだけが、我関せずと黙想を続けていた。

 

「へぇ……それで、いつやるのかしら?」

「本日この場──」

 

 少年が言い終える瞬間──

 ニナの拳が少年の顎先へと伸びた。

 刹那の瞬間、無様に伸びる少年の姿を想像したニナはほくそ笑む。

 

 

 だが──

 

 

(え?)

 

 

 次の瞬間、ストン、と腰を落としたのはニナの方であった。

 この状況に戸惑うニナが、自分の拳を上回る速度(・・・・・)で抜き放たれた“虎拳”が己の顎先を掠めたのだと気付いたのは、腰を落としてから数秒経ってからであった。

 この神速の“虎拳”は傍で見ていたオーベールの目をもってしても鮮明ではなかった。

 

「ハァッハッハッハー! ニナ! お前寝ぼけてんのか! 自分から不意打ち仕掛けて尻もちつくとは!」

 

 羞恥で真っ赤に染まったニナを、快活な声で笑う一人の男が道場に入って来た。

 当代剣神ガル・ファリオン。

 ニナの父であり、天衣無縫ともいえるこの剣神は“剣王”ギレーヌ、“剣帝”ティモシー・ブリッツを引き連れズカズカと道場の正面へと設けられた剣神流当主が座る席へ向かう。

 ドカっと腰を下ろした剣神は、その視線を白髪の少年へと向けた。

 

「立合いが望みか」

 

 直後、その快活な空気はガラリと変わり、発せられた言葉は先程まで高弟達が発していた道場の空気をより危険な物に変えた。

 剣神は口元に笑みを浮かべながら、射殺さんばかりに少年を睨みつける。

 少年は道場の入り口にて依然として静かな佇まいを見せていた。

 傍に腰を落とすニナには目もくれず。

 

「久しく道場破りなんて来ていなかったからなぁ……エリスが来てから、剣の聖地も賑わうようになったもんだ」

 

 剣神はくつくつと喉を鳴らし、言葉を続ける。

 少年はただ黙って剣神を見据えていた。

 

「間抜けな娘を一人のしただけじゃ腕前は見れねえし、もう2、3人、相手してもらうぜ」

 

 そんな少年の姿を見てますます口角が上がった剣神は、相変わらず尻もちをついている“一人娘”に視線を向けた。

 

「どいてろニナ」

「……はい」

 

 冷たく、容赦ない言葉。

 道場では親子の情など一切無く、そこにあるのは厳格な師弟関係のみ。

 父の言葉に娘は消え入りそうな声で応えていた。

 

 “剣帝”ティモシー・ブリッツの次男、“剣聖”ジノ・ブリッツが木剣を手に、白髪の少年の元へと向かう。

 やや剣呑な顔つきで少年を見つめた後、少年に木剣を差し出した。

 白髪の少年はジノから木剣を受け取った後、腰の大刀をジノに預ける。

 丁寧な手つきでそれを受け取ったジノは、道場の入り口にある剣立てに大刀を置いた。

 その後、従姉弟でもあるニナの元へ向かい、手を貸す。

 羞恥と悔しさで顔を歪め、涙を浮かべるニナにジノは黙って肩を貸していた。

 

「エリス」

 

 ニナがジノに連れられ道場の隅へと腰を下ろしたのを見て、剣神は黙想を続けるエリスに声をかける。

 声をかけられたエリスは、ゆっくりとその瞼を開いていった。

 

「お前がこの小僧の腕前を確かめてみろ。よーいドンで始めろよ。不意打ちもいいが、ちゃんとした剣の実力も見てみたい」

「……ふん」

 

 剣神の言葉を受け、木剣を手に取りゆっくりと道場の中央へ向かうエリス。

 その表情は、朝方見せていた悩ましげな様子は一切感じられず、ただ目の前の“敵”を倒すべくその獰猛な視線を向けていた。

 白髪の少年は泰然とその視線を流し、木剣を手に道場中央へと向かった。

 オーベールやギレーヌ、ティモシーはそれぞれ剣神の左右に座り、この尋常ではない空気を出している少年をじっと見つめる。

 

「出来ますなぁ……この少年は」

 

 オーベールは少年の中央へ向かう“只者ではない”足さばきを見て、そう呟く。

 横に座るティモシーもそれを受け黙って頷いていた。

 しかし剣王ギレーヌは、道場に来た瞬間からその少年の風貌に驚きを隠しきれないでいた。

 

(似ている……)

 

 9年前。

 あの時、ルーデウスを一撃で昏倒させたあの幼子……

 昔の仲間であったパウロの若い頃の面影を良く見せるこの少年に、ギレーヌは記憶に鮮明に残るあの幼子を思い出していた。

 しかし、記憶にあるあの子の髪の色はゼニス譲りの美しい金髪だったはずだ。

 道場の中央に佇むこの少年は、ギレーヌの記憶に残る金髪の幼子とは違い、真っ白な白髪であった。

 混乱するギレーヌに構わず、少年とエリスの立合いは始まろうとしていた。

 

「そういや流派と名前を聞いてなかったな」

 

 剣神が道場に向かい合う少年とエリスを見ながら言った。

 少年は、木剣を構えながら剣神の言葉に応える。

 

「“無双虎眼流”……ウィリアム・アダムス(・・・・・・・・・・)

「無双……こがん流……?聞いたこと無いな。北神の一派か?」

 

 ウィリアム・アダムスと名乗った少年が言った聞きなれぬ流派に、剣神は北神の門派の一つだと思いオーベールに問いかける。

 

「北神流にそのような門派はありませんな」

 

 しかしオーベールも、“虎眼流”などという流派は聞いたこともなかった。

 虎眼流とは一体どのような剣を使うのか……。

 オーベールのその瞳は、ウィリアムに対する興味で溢れていた。

 

「歳は?」

「14で御座る」

「若いな。いや、俺がお前さんくらいの歳にはもう剣王くらいにはなっていたか」

 

 剣神は見た目より若いウィリアムに増々興味が沸いていた。

 

「ま、歳や流派なんて本当はどうでもいいんだけどな。それじゃ、ウィリアムとやら」

 

 剣神は合理的な発想で物事を進める。

 オーベールと同じように、未知の術理を使うかもしれないウィリアムを楽しげに見つめていた。

 

「その“虎眼流”とやらを見せてくれ……始めっ!」

 

「うらああぁぁぁぁッッ!!」

 

 剣神の号令の直後、弾かれたように猛然と突進したエリス。

 ドガッと、凄まじい音が道場に鳴り響いた。

 

「……ッ!」

 

 しかし突進したエリスに、数歩だけ前に出たウィリアムはその振り下ろし切る前のエリスの猛撃に木剣を合わせる。

 ギリッギリッと、互いの木剣が軋む音が道場に響いていた。

 

(初撃を合わせられたが……エリス! そのまま押し切ってしまえ!)

 

 鍔迫り合いとなった状況に、ギレーヌはエリスの好機を見出す。

 この狂暴な“狂犬”は剣の聖地へと来て剣聖の称号を得て以来、その腕力は同じ剣聖達と比べ物になく。

 単純な力だけでいえばギレーヌと遜色ないレベルにまで来ていた。

 

(潰すッ!)

 

 エリスは木剣ごとウィリアムを倒すべく、渾身の“闘気”を乗せる。

 

「ッ!?……ぐぅッ!?」

 

 しかし、エリスは闘気を乗せようと力んだ瞬間、背骨から煮えた鉛を流し込まれた(・・・・・・・・・・・・・・・)かのような激痛に襲われ、全く動く事が出来なかった。

 

(どうしたエリス! 何故動かない!?)

 

 ギレーヌは突然硬直したエリスに戸惑う。

 剣を合わせながら、脂汗をかき、苦悶の表情を浮かべるエリスは尋常の様子では無かった。

 

(まさか、魔術を使われたのか!?)

 

 ギレーヌは自身の右目を塞いでいる眼帯を外した。

 ギレーヌの右目は『魔力眼』という魔力を直接眼で見ることが出来る魔眼である。

 その瞳は巧妙に隠蔽された魔術の行使もひと目で感知する事が出来た。

 しかし、いくら魔力眼を行使してもウィリアムが何かしらの魔術を使っている様子は一切感じられない。

 増々混乱するギレーヌと同様に、オーベールや剣帝以下の門人達もエリスの様子に戸惑っていた。

 剣神だけが、冷静にウィリアムの指先を見ていた。

 

 この時──木剣を握りしめ、剣を合わせているエリスの拳に、ウィリアムの指先が絡みついていた。

 ウィリアムの指先が押さえているのはエリスの右手の僅か二箇所(・・・・・)に過ぎない。

 しかし、何故かその程度の所作でエリスの動きは完璧に封じられていた。

 

 “骨子術”の一つ“指溺(ゆびがら)み”

 

 異世界の人間には到底考えられぬであろう、日本武道(・・・・)の真髄ともいえる柔の業。

 人体の経路を利用し、指先一つで容易に人を制圧できるこの技術は、剣神でさえ見ただけではその理を解明する事は出来無かった。

 

「ガァッ!!」

 

 バシンッと鋭い音と共に、エリスの人差し指と中指を握ったまま強烈な足払いをしかけるウィリアム。

 エリスの身体は一回転し、道場の床に激しく叩きつけられる。

 ボキッボキっと、生々しい音を立て、エリスの指はへし折られていた。

 

 

「それまで!」

 

 剣神の止めの言葉が道場に響く。

 構わず立上がろうとし、闘争本能を滲ませるエリスだが、ウィリアムはエリスの二本指を掴んだまま、その動きを封じていた。

 

「グッ……ウゥゥゥッ!」

 

 獣のようなうめき声を上げながら這いつくばり、必死に立ち上がろうとしていたエリスであったが、もはや誰が見ても“詰み”であった。

 

「エリス。勝負ありだ」

「……ッ!!」

 

 剣神の言葉を受け、ウィリアムはエリスの手を離した。

 エリスの折れた指は、骨が露出していた。

 

 ウィリアムは悠然とエリスに黙礼する。

 エリスはそれを無視し、血を滴らせながら、道場の端へと向かった。

 同じく道場の端にいたニナの隣に、乱暴に腰を下ろした。

 

「エリス……指の治療を」

 

 ニナはあまりにも痛々しいエリスの指を見て、普段よく思わないこの“狂犬”を思わず労る。

 しかし、エリスはニナすら無視し、歯を食いしばらせてウィリアムを睨んでいた。

 

「エリス……」

 

 ニナは、エリスが涙を流しているのを見てしまった。

 その涙は、決して指の痛みから来るものではないと解ってしまった。

 

 エリスは冒険の旅をしていた頃、何度もルーデウスと模擬戦をしている。

 勝ったり負けたりしていたが、ルーデウスが“予見眼”を取得してからめっきり勝てなくなってしまった。

 エリスはあの時感じた悔しく、辛い思いを、このルーデウスによく似た少年に負けた事で再び催してしまった。

 

 エリスは剣の聖地に来て、初めて涙を流したのだ。

 

 

「いやー強いなぁお前さん」

 

 剣神は未知の体術を行使するウィリアムを見て、増々楽しそうに体を揺らす。

 

「どうだった? その娘っ子は」

 

 涙を流すエリスに構うこと無く言葉を続ける剣神。

 ウィリアムは顔を上げ、ただ一言言葉を紡いだ。

 

 

「縄に繋がれた狂犬(いぬ)に、遅れは取らぬ」

 

 

 エリスは愕然とした。

 何故……何故、この少年は私の“赤い縄”が見えたのか。

 他の剣神流の剣士達、オーベールやギレーヌでさえこのウィリアムの言葉には首をかしげた。

 しかし、エリスだけはその言葉の意味を解っていた。

 だれにも言ったことがない、あの“赤い縄”を……どうしてこの少年は、見えてしまったのか。

 

 エリスは涙で滲む目で、ウィリアムを見る。

 視界が滲んでよく見えなかったせいか、その姿はルーデウスに似ていた。

 愛する男から、エリスは自分の大切な感情を否定されたような気がした。

 

 エリスはやがて俯き、嗚咽を噛み殺すように泣いた。

 ニナやジノ……周りの剣聖達も、エリスの様子をただ黙って見ているしかなかった。

 

 

「おもしれえなぁ。ひと目でエリスの“縄”を看破したか」

 

 剣神だけが、楽しそうにウィリアムに話しかけた。

 エリスの突進を外した体捌き、見慣れぬ体術……剣神はこの未知の術理を使う少年剣士が楽しくて仕方がなかった。

 

「よし! んじゃ、そろそろ俺が相手に」

「師匠。ここは私が」

 

 意気揚々と木剣を掴み、立ち上がろうとした剣神に横に座る“剣帝”が待ったをかける。

 

「ティモシー……おまえな、師匠が出るって言ったら黙って見送るのが弟子の努めだぞ」

「弟子である前に義弟ですので」

 

 剣帝ティモシー・ブリッツは剣神ガル・ファリオンの妹を娶っている。

 弟子であり義弟でもあるティモシーは、剣の聖地で唯一剣神に直接意見を言える存在であった。

 

「偶には弟子(おとうと)に譲ってみてはどうです?」

 

 歯に衣着せぬ物言いに剣神はむすっとした表情で浮かせた腰を下ろした。

 

「……ま、おまえさんがやられたら俺が出ればいいだけの話だしな」

「ご冗談を。今日は師匠(義兄上)の出番はありません」

 

 木剣を掴み、剣帝ティモシーが立ち上がる。

 ギレーヌは剣神に勝るとも劣らない程の不満の表情を浮かべていた。

 

「ギレーヌ、ここは私に」

 

 ティモシーはギレーヌを見て笑みを浮かべながら話しかける。

 ギレーヌは妹弟子の仇を取りたくて堪らなかったが、この兄弟子の笑顔に絶大な信頼を寄せていた。

 

「……剣帝殿。不様な姿は見せないでくれよ」

「承知している」

 

 ティモシーは道場の中央へと進む。

 向かい合った両者の間は、歪みが発生するかのように空気が渦を巻いていた。

 

「剣帝ティモシー・ブリッツと申す」

「虎眼流、ウィリアム・アダムス」

 

 短い言葉を交わし、両者は距離を取り木剣を構えた。

 開始の合図は無い。

 言葉を交わした時点で、既に勝負は始まっていた。

 

「いざ!」

「……」

 

 裂帛の気合と共に剣を上段に構えるティモシー。

 それを見たウィリアムは、木剣の握りを僅かに変えた。

 その握りは、右手の人差し指と一本多い(・・・・)中指の間で剣の柄を挟み、まるで猫科の動物が爪を立てるかのような異様な掴みであった。

 

「シッ!」

 

 凄まじい速度の袈裟斬りがウィリアムに放たれる。

 身体を倒し、その袈裟斬りを躱したウィリアムは、即座に反撃の横薙ぎを見舞った。

 その横薙ぎを見切っていたティモシーは剣の柄でそれを受ける。

 ガッっと柄に木剣が当たる鈍い音が響く。

 響いた次の瞬間には、ウィリアムは次なる斬撃を見舞う。

 再び放たれた横薙ぎは、剣の柄を滑らせながら放たれた(・・・・・・・・・・)事でティモシーの目測を上回る伸びを見せていた。

 

「ッッ!」

 

 しかし、ティモシーの尋常ではない身体能力はその横薙ぎを倒れ込む事で当たる寸前に躱す。

 更に、倒れ込みながらウィリアムの伸びきった右手を狙い剣を振る。

 ウィリアムは即座に右手を引き、その流れ斬りを躱した。

 

 

 体勢を立て直し、再び距離を取る両者。

 この神速の攻防を目視出来たのは、剣神、北帝、剣王の3名のみである。

 ニナやジノら剣聖達……そして顔を上げ、試合を見つめていたエリスにはその攻防を満足に“視る”事は出来なかった。

 

「は、速すぎる……」

 

 ジノは剣帝である父と伍する程の剣速を見せたウィリアムに驚愕の表情を浮かべていた。

 剣神を除けば、父ティモシーは剣の聖地で最も速く剣を振る事が出来る。

 その父と互角の攻防を繰り広げたのは、自分より年下の14歳。

 父に命じられ、特に目標も無く剣術を続けていたジノであったが、自分もそこそこの才気がある事を自覚していた。

 しかしジノはそれまで培ってきた自信が音を立てて崩れるのを感じていた。

 

(あの妙な掴み……速き上に伸び来たる。間合いに入るのは危険か……)

 

 ティモシーは距離を取った事で冷静にウィリアムの戦力を分析する。

 ウィリアムの掴みは全くの未知の術理であったが、百戦錬磨の剣帝は即座に対抗策を導き出した。

 

(狙うは拳……我を打たんと伸び来るあの拳を、奴を上回る速度で断つ!)

 

 ティモシーは木剣を腰に当て、闘気を練る。

 

 剣神流奥義“光の太刀”

 

 剣神流剣聖以上に伝授されるこの奥義は、闘気を乗せる事により文字通り光速の抜き打ちを実現していた。

 そして、剣帝が使う光の太刀の“速さ”は剣聖達が使うそれとは比べ物にならない。

 剣帝より上回る速度で光の太刀を放てるのは、全剣神流剣士の中で剣神のみであった。

 

 

左様(さよ)か」

 

 ウィリアムはティモシーの構えを見て、木剣の構えを変える。

 右手の掴みをそのままに、左手をやや持ち上げ……人差し指と中指で木剣の剣先を挟む。

 

 みしり

 

 左の指で挟んだ木剣が、異様な音を立て軋む。

 ウィリアムのこの構えは、道場の空気を凍りつかせる。

 その場にいる誰もがこの構えに圧倒され……呼吸を忘れるかのごとく引き寄せられていた。

 常人を遥かに超える闘気が練られていく。

 尋常ではないその誘引力は、剣神ですら逃れられなかった。

 

 

「虎眼流“流れ星”」

 

 

(こ、これは……ッ)

 

 この手を見たティモシーは、みるみるその顔に死相を浮かべた。

 脂汗を大量にかき、呼吸が乱れる。

 

 流れ星とは、ティモシーにとっての“死の流星”──

 

 ティモシーは、剣士の本能でそれを感じ取っていた。

 

 

 剣神流の極意を悉く身につけた剣帝級剣士の全細胞が

 

 

 これ以上の戦闘を拒否していた。

 

 

 

 

()……」

 

引き分けで御座る(・・・・・・・・)

 

 

 虎が剣帝の言葉を遮った。

 薄い笑みを浮かべ、剣帝の面目を保ったのは

 いかなる魂胆があってか。

 

 

 虎の不気味な思惑に、道場は水を打ったように静まりかえっていた。

 

 

 

 

 


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