虎眼転生-異世界行っても無双する-   作:バーニング体位

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第五十四景『怒死(どし)

 

 執着(とらわれ)がある内は奥義開眼は至難の道。

 風、空、地、火、そして水。

 五大に関わる全てを敵刃に見立て過ごすべし。

 常人ならば気がふれるやもしれぬが、それを成す為にあらゆる執着を捨てよ。

 魂を解脱した無為自然──正しく水の如き境地へ至れば、水神の妙諦は自ずと歩み寄るもの也。

 

 

 

(執着ね……)

 

 水神レイダ・リイアは、初代水神レイダルが残したこの教えを静かに反芻していた。

 剥奪剣界という初代を除く歴代水神が成し得なかった神業。しかし、そのような快挙を成し遂げたレイダですら、レイダルの技量、その生き様には遠く及ばないと自覚していた。

 無論、この教えを忠実に守ったからとて、レイダルに勝さる技が身につくとも思っていない。

 そもそもレイダルに言わせれば、斬ろう、勝とうという気すら邪心であり、不要な執着と断じていた。

 深い海の如きレイダル剣境は、常人の枠から逸脱しきれぬレイダでは推し量れぬものだった。

 

「勝負が終わり……命があればアラ不思議と思えるくらいじゃ駄目ってことなんだろうねぇ……」

 

 そう独りごちる老女剣客。

 まだまだこの年齢(とし)になっても心気の修行は続いている。死ぬまでそうなのだろう。

 その表情は、つい先程まで人外と死闘を演じていたとは思えない程、穏やかなるものだった。

 

「やれ」

 

 岩くれに腰を下ろすレイダ。穏やかな表情には戦闘に()()したという達成感は感じられない。

 内心、勝とうという執着は捨てきれていなかったと、密かに自省をしていた。

 

「ガルの坊やなら鼻で笑いそうな心構えだね」

 

 ふと、若き頃共に切磋琢磨した剣神の姿が思い浮かび、苦笑をひとつ漏らす。

 かの剣神に言わせれば、執着こそが勝利の核心となる。

 飢餓感にも似た執着。何かを得る為の、その野心の全てを一刀に込め、対手を屠る。

 これも、ひとつの真理なのだろう。

 言わば、最強という頂きを、それぞれ違う道から歩んでいるだけにすぎない。

 

 もっとも、相性というのもあるのか、剣神と自身が仕合えば五回に一回は勝ちを拾えるかどうか、といった有様なのは、レイダも十分に自覚していた。

 現時点では人族最強の男なのだ。剣神ガル・ファリオンという大剣客は。

 そういえば、カールマンのせがれはどうなんだろうね。

 ガルの坊やより単純明快なのかも。あの英雄小僧は、まったく。

 

 益体もない事を思考し続けるレイダの眼前には、およそ原型を留めていない鬼三頭の屍が存在していた。

 

 雹鬼。

 胸部を十文字に截断。幾重の斬撃により切断面の癒着間に合わず。

 

 虹鬼。

 脳天から真っ二つに截断。爪牙、水神に届かず。

 

 霓鬼。

 胴を袈裟から截断。丹波流、水神流に敗北。

 

 剥奪剣界という異世界の絶技を前に、衛府の鬼共は敗滅した。

 生気を喪った霓鬼──谷衛成の死に顔は、何か諦観めいた哀愁を漂わせていた。

 思えば、彼らはどうにも手応えが無いような──レイダはそのように戦闘を振り返っていた。

 例えるのは難しいが、必死であり決死の戦いに赴く者特有の特攻精神のような──結果が何も変わらない無益な戦に臨む者のような。そして、死を必然として受け入れ、その死を粛々と受け入れるような。

 そのような無常観。そして、どこか安寧を思わせる死に様であった。

 

 列強に準じる実力者を前に為す術もなく敗れた異形異類。しかし、もし彼らがもっと生命(いのち)を燃やすような戦いを見せていたら。加え、時と場所が(たが)えば、躯を晒していたのは己であったかもしれぬ。

 此度の戦いは、言わば不意打ちのようなものだ。相手に臨戦態勢を取らせず、己の最強技の術中に嵌めた結果。

 そう思考するレイダ。とはいえ、レイダにとってこの鬼共との戦いは、あくまで前哨戦でしかなく、それは必定の結果でもあった。

 かの神のお告げでは、本当に討ち果たすべき存在は、この後に──

 

 ズシ

 

 と、大地を踏みしめる音。

 視線を向けるレイダ。

 老女剣豪の(まなこ)に、白毛を靡かせた虎の姿が映った。

 

「……」

 

 体躯から蒸気のような気炎を発する若虎。

 追従する兎二羽の姿が陽炎の如く揺らいでいる。

 旅装束の下にひしゃげた鉄を纏う二本差しの虎は、鬼共の惨状をひと目見た後、レイダをじっと見据えていた。

 

「名乗りはしないよ。これは尋常の立ち合いじゃあないからね」

 

 一体いつの間に立ち上がったのか。腰掛けていたレイダは剣を構え、虎と兎を剥奪剣界の射程に収めていた。

 対する虎──ウィリアム・アダムスは、弟子であるナクルとガドへ控えるよう目配せをする。

 兎達は師匠を信頼しているのか、黙ってそれに従っていた。

 

「抜きな。それくらいは待ってやる」

 

 歩みを止めたウィリアムに対し、レイダは剣士としての矜持を慮ってか、そのように言葉をかける。

 事実、抜刀するまでは、水神の秘奥は発動しないつもりだった。

 その後は、まあいつも通りだ。

 一ミリでも動きを見せたら、膾斬りにするまで。

 

「……」

 

 しかし、ウィリアムは剣の柄を握るのみ。抜刀はせず、半身立ちのまま不動を保つ。

 

「どうしたんだい? この後に及んで臆したとでもいうのかい?」

 

 挑発するレイダを無視し、ウィリアムは不動を保ち続ける。

 その後もいくらか言葉をかけるも、虎は石仏の如く沈黙不動を貫いていた。

 

「……」

「……」

 

 死臭が漂う中、妙な静寂が辺りを包む。数瞬、あるいは数刻か。

 時間の流れすら曖昧になるほど、水神と若虎の対峙は続いていた。

 

 更に時は流れ。

 老女の首筋に一筋の汗が噴き出た時、レイダはようやく己が虎の術中に嵌り、不利な状況に陥った事を自覚した。

 

「随分……」

「……」

 

 呟くレイダを、変わらず無視するウィリアム。

 その表情は曖昧なものであり、目の前のレイダを敵として認識しているかどうかも怪しいものだ。

 同時に、レイダの両碗が少しだけ震えた。

 剣を構えるレイダの両碗。老境に差し掛かったその身で、長時間剣の重みを受け続けるという()()。無論、六面世界の剣士が闘気を巡らせている状態ならば、それは全く問題とはならない。

 

 問題は、レイダが剥奪剣界という究極奥義を発動待機状態にしているという点だ。

 それは常の構えより遥かに体力を消耗せしめる行為であり、まったく構えを見せないウィリアムに比べ、大いに不利な状態であるのは明白。

 

 虎は待っていたのだ。

 レイダが消耗し、自ら剥奪の結界を解くのを。

 姑息な戦法である。

 しかし、兵法者としては堂々たる振る舞いであった。

 

(仕掛けるか、こちらから)

 

 一瞬、そう思考するレイダ。

 しかし、レイダはこの長い対峙の間、ウィリアムの戦力を正しく分析していた。まったく構えていないウィリアムであったが、僅かに半身に開いた所作は、いつでも撃剣を放てる事も。

 剣術者の戦いでは後の先を取った方が有利であるのは、この異世界に於いても不変の(ことわり)である。レイダの剣先が伸びた瞬間、ウィリアムの神速の抜き打ちが返されるのは必定。

 

 それを防ぐ?

 いや、無理だろうね。

 光の太刀程ではないが、あれの剣速は、多分あたしより速い。なんだい、あの猫のような握りは。

 ま、よしんばあたしの方が速くても、先の先じゃあね。

 

 剥奪剣界とは対手の初動に反応し、幾重もの斬撃を返すカウンターの剣法。

 後の先を極めた剣技である以上、こちらから仕掛けてはその優位性が崩れてしまう。

 加えて、仮にこちらの先の先が速かったとしても、相手がそれに耐えきってしまえばこちらの敗北は確定的となる。

 

「……」

 

 レイダはじっとウィリアムの損耗した鉄身──傷ついた拡充具足不動を視る。この超鋼(はがね)に、水神の魔剣技は通るのか。これは、やってみなければ分からない。

 加えて、既に不動の重さは、虎の俊敏性に微塵も影響を与えていないようだ。むしろ、鎧に込められた怨念じみた意思が、虎の身体能力を向上せしめる始末だった。

 

 つまるところ、対峙した瞬間から趨勢は虎に傾いていた。

 恐らくではあるが、ウィリアムは視ていたのだろう。

 鬼三頭と水神の戦いを。そこで、水神の剣理も看破していたのだろう。

 

 加勢にも行かずただ傍観していたウィリアムを非情者として詰るのは筋が違う。

 ウィリアムは手を出さなかった理由はひとつ。

 鬼達を、同じ日ノ本由来の武芸者として扱っていたのだ。

 武芸者同士の戦いに乱入するのは無粋。

 ウィリアムはそう断じていた。

 

 それに。

 

 彼らは、既に終わっていたのだ。

 彼らの使命は、もはや果たせなかったのだ。

 ウィリアムは生前の鬼達にそう伝えられていた。

 救世の魔子の気配が完全に消失した時点で、彼らの存在意義は無くなってしまったとも。

 ならば一矢報いる為と、この世界に散らばるとある“龍神の勾玉”を集め、悪神への道筋をつける旅路に同行したのは、生命を救われた恩義と同時に、ウィリアムもまた悪神への意趣返しを誓っていたから。

 

 だが、鬼の躯を見て、ウィリアムは無常なる想いを抱いていた。

 己の執着(とらわれ)が。

 それが、またひとつ消え失せた。

 ならば、己は──。

 

 水神流と虎眼流。

 共に無念無想と水月の心境を併せ持つ、けだし剣技。

 相手の出方を読み、その意図を察知して先手を取るのが常道としているのならば、この場合先に仕掛けた方が不利になるのは明白だった。

 

 かくして。

 両者は長い間、立木のように佇立したままだった。

 

「……」

「……」

 

 チリリリと、この辺りに生息する岩雲雀が数羽現れ、両者の肩に止まり呑気に羽繕いを始めた。

 鳥たちにとって心気の消えた人間は石仏と同じ。

 だが、両者は戦闘を完全に停止していたわけではなかった。

 互いの観受の気を、水面下で探り合う。

 

 ほんの僅かな()()()があれば──

 

 

「お師匠様ッ!」

 

 

 突として響く水王乙女の声。

 分厚い旅装束を纏い全力で駆けて来たからか。

 それとも、実祖母が死臭漂う得体のしれぬ死体の周りで、これまた得体のしれぬ若者と対峙する異様な光景に出くわしたからか。

 息を荒げ、混乱する水王イゾルデ。

 

 そして、彼女が現れたと同時に、両者は動いていた。

 

 火花が飛び散った。

 それから、金属が重なる音。肉が斬られる、生々しい音。

 勝負は、一瞬で決まった。

 

「ああ、惜しかった……」

 

 先に仕掛けたのはレイダだった。

 そして、斬られたのも、レイダだった。

 

「あらら……」

「お師匠様ッ! おばあちゃんッ!!」

 

 腰を落とすレイダに駆け寄るイゾルデ。イゾルデはレイダの腹部が真一文字に斬られ、血流と共に臓物(はらわた)がこぼれ落ちる様を目の当たりにしていた。

 腹部の切断だけでは中々に死ねぬもの。半日以上は苦悶に苛まれるだろう。

 だが、半日は生き永らえる事ができる。

 イゾルデの判断は早かった。

 

「ッッ!!!」

 

 刹那の抜刀。

 師匠の仇討ちを果たすべくウィリアムと対峙するイゾルデ。

 

(やめ──)

 

 レイダは刹那のその光景を見て、制止の声を上げようとした。

 水神流の上手は、カウンター剣法を駆使してこそ。

 しかし、イゾルデの激情に任せた撃剣は、ウィリアムに確実に届こうとしていた。

 静謐な激闘は、虎もまた激しい消耗を強いられていたのだ。故に、乙女の剣を防ぐ事能わず。

 

「──ッッ!!」

「ぐぁッ!?」

 

 だが、それはこの場でウィリアムしかいなかったらの話である。

 後方に控えるナクルとガドの獣人兄弟。

 精密射撃の如き吠魔術が乙女の身体を射抜く。

 

「あ……ぐぅ……ッ!」

 

 すとんと地に倒れ、奥歯を軋ませながらウィリアム一行を睨むイゾルデ。

 常の状態であれば水神流の妙技で吠魔術ですら受け流す事が出来ただろう。

 だが、結果はイゾルデの敗北である。

 水王乙女の継戦能力は失われていた。

 

「その子は……!」

 

 余命僅かの水神。必死に声を上げ、愛しい孫娘の生存を乞う。

 尋常ならざる果し合い。敗者側が要求するには道理が立たぬ申し出。

 

「……」

 

 しかし、ウィリアムはレイダの要求を受諾した。

 虎の鉄身から殺意が霧散したのを受け、レイダは安息をひとつ漏らす。

 ああ、不甲斐ない結末だ。

 でも、水神の命脈はこれで──

 

「ナクル、ガド」

 

 薄れゆく意識の中。

 レイダは初めてウィリアムの肉声を聞いた。

 そして。

 

 

「犯せ」

 

 

 冷酷な虎の一声。

 レイダは、己の意識が粟粥の様に煮え立つのを感じた。

 

「……はい」

「承知しました」

 

 ナクルとガドは師匠の言葉を、傀儡の如き表情で受けていた。

 

「なに……を……!」

 

 瀕死の老女の前で、兎二羽は粛々と乙女の陵辱を開始した。

 

「いや……やめて……!!」

 

 既に抵抗せしめる力は失ったイゾルデ。乱暴に分厚い旅装束を剥ぎ取られるも、か細く恐怖と嫌悪の声を上げる事しか出来ない。

 

「……ッ!!」

 

 その様子を今際の際で見せつけられるレイダ。

 地獄が。

 地獄が、老女の目前に現出していた。

 

「いやぁッ!!!」

 

 寒空の中、裸身に剥かれた乙女を、兎は獣性に従い喰らっていた。

 それを見たレイダは、血涙を流し、怒死した。

 かかる最期を遂げた者の魂は、四百余州に仇を為すと言い伝えがあるが、六面世界に於いては定かではない。

 

 

 

 

「……」

「……」

「……」

 

 憤怒の形相で屍を晒すレイダと、純潔を奪われ、全裸で放心するイゾルデ。それらを捨て置き、ウィリアム一行は再びアスラへと歩み始める。

 

「……あの、若先生」

「お、おい」

 

 ふと、たまりかねたように、ガドが恐る恐るウィリアムへ声をかける。

 ナクルが制止しようとするも、ガドはそのまま震えた言葉を続けた。

 

「なぜ、あのような無体な」

 

 調教された猛獣のように、師匠の命令には絶対服従であるナクルとガド。

 しかし、己の中に残された良心が、先程の行為を糾弾していた。

 拒否する事は出来なかった。

 でも、あまりにも非道な行い。

 死にゆく老女の目の前で、その孫と思われる乙女を陵辱するなど。

 

 だから、せめて納得が欲しかった。

 ナクルも、言外に弟に同意をしていた。

 

「……これで」

 

 容赦の無い折檻が来ると思い、身をすくめていたナクルとガドだったが、ウィリアムは平坦な声を上げた。

 滔々と、言葉を続ける。

 

「世の水神流門弟は我らを付け狙うだろう」

 

 まるで世間話をするように、度し難い事を宣うウィリアム。

 ナクルとガドは一瞬青ざめるも、ふつふつとした虎の熱気を受け、耳の裏を赤く染めていた。

 

「我らは剣術者だ。僧侶が求道する無為自然とは異なる」

 

 五大要素を全てを敵刃に見立てて過ごす程の狂気。しかし、剣術者ならばもっと現実的な修行をすべきと、ウィリアムは続ける。

 百聞は一見に如かず。

 そして、百見は一触に如かず。

 空想の産物で心気を練るより、いつ襲いかかるかも知れぬ実際の敵を増やせばよい。

 生き残るだけで、己の剣境はより高みへと達する。

 そのような死狂いなる修練を施さねば、鬼共が目指した悪神成敗は到底成し遂げられぬ。

 

 虎眼流に挑んだ者、伊達にして返すべし。

 異世界に於いても、ウィリアムはこの信念を貫き通していた。

 伊達にして返された者は、虎眼流強しと世に喧伝し、より強大な敵を誘引せしめるだろう。

 

 全ては異界天下無双の頂きに立つ為。

 そして、敷島の──衛府の怨念を晴らす為。

 

 虎は、只人である事を放棄した。

 人を超えた魔人──否、鬼となるべく。

 釈迦の誕生より遥かな太古。

 人にとって、鬼こそが神だった。

 神域へ辿りつく為、悪鬼羅刹の道を歩まん。

 

 狂気を滲ませながら弟子達へ語るウィリアム。

 その瞳には、家族を慈しむ暖かみは消え失せ。

 

 虎に、今生の家族。

 そして、前世の家族の姿は。

 もう視えていなかった。

 

 

 

 それからしばらくして。

 アスラ王国上級大臣ダリウス・シルバ・ガニウスが、何者かに惨殺されるとの知らせが世を巡る。

 護衛どころかダリウス邸の使用人が残らず斬り殺された根切り事件は、殺害されたダリウスの立場も相まって王都に深刻な政情不安をもたらしていた。

 ダリウスが近々で入手した、とある宝玉が行方知れずになっていたのは、もはや誰も気にする者はいなかった。

 

 第一王子派の領袖の急死を受け、アスラ王国政界は揺れに揺れる事となり。

 その混乱は、王女アリエルのアスラ帰還を持って最高潮に達しようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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