中央大陸の最北東端に位置する秘境の中の秘境“天大陸”。
人の世界に前人未到の地数多あれど、魔境“魔大陸”の深部以上に到達困難な場所は、この天大陸を以て他に無いだろう。
標高三千米以上はある断崖絶壁の上に位置するこの大陸。道らしい道もなく、只人の往来は皆無であり。
かつては賞金稼ぎ等に追われる罪人が逃げ込むべく天大陸を目指し、無謀な岩壁登攀に挑んでいたというが、尽くその生命を散らす結果となっている。高所における薄い大気は、余人が思っている以上に身体的な過負荷を人体に与えるのだ。
酸素が薄い場所で効力を発揮する瘴気避けの魔道具等、十全な登攀装備を用意して挑んだ者もいた。
しかし、登攀途中で満足に休息できるような場所は少なく。そして、休息をとっている者の上空では、常に飛行能力を備えた魔物が跋扈しており、安全な登攀とは言い難い極限の状況といえよう。
故に、天大陸を目指す者は、各種装備を用意せしめるほどの財力、登攀を支援する為の人材、極地を物ともしない身体能力、そして類まれな戦闘技能が必須となる。
しかし、それを必要とせず、天大陸まで容易に辿り着ける者も存在する。
天大陸
アルーチェの丘
翼を持つ亜人、天族が棲まうアルーチェの町。そこからさほど離れていない場所に位置するアルーチェの丘。
なだらかな丘陵は牧歌的な光景を見せており、中腹には白い花が咲き乱れる。花畑を越えた先には、古代龍族の遺跡が存在していた。
朽ちかけた祠の内部。寂れた外見とは裏腹に、祠の内部は定期的に手入れがされているのか、廃墟めいた荒れ方はしていない。
とはいえ、所々砂埃が積もっているのを見るに、ここを訪れる者はそういない事を暗に示している。
そして、最深部に位置する大きな広間。広間の最奥では、青白い光を発する泉があり、煌々と部屋全体を幻想的な光で包んでいた。
「……」
その泉の前に佇む一人の龍族の男がいた。
そして、男の側に侍る天族の女が一人。
「ペルギウス様」
仮面を付けた天族の女が男の名を呼ぶ。
両腕を交差させ、翼を折り曲げながら跪く天族の女──甲龍王ペルギウスが十二の使い魔の一人、空虚のシルヴァリルだ。
「カールマンの孫は
龍族の男──甲龍王ペルギウスは、シルヴァリルに視線を向ける事なく、じっと泉を見つめながらそう応えた。
「はい。準備万端というには些か頼りないとは思いましたが」
「ふん。どうせ虎の若僧に対抗心を燃やしたのであろう。カジャクトのみで“地獄”に挑むとは、中々の蛮勇ではあるがな」
「はい……」
ペルギウスとシルヴァリルはかの列強の姿を思い起こす。
地獄から“生還”せしめた虎の姿と、“制覇”せんとする北神の姿を。
過日に行われた列強同士の果し合い。
“北神”アレクサンダー・カールマン・ライバックと、“武神”ウィリアム・アダムスとの凄絶なる死合い。
終盤に介入した甲龍王は、同じく乱入せし鬼共を蹴散らした後、アレクサンダーを保護している。
かつてラプラス戦役で共に戦列を組んだ初代北神カールマン・ライバックの実孫を、ペルギウスは見捨てる事なく。
兄とも慕ったカールマン。その孫が、異界の稀人の手にかかるのを良しとしない、甲龍王の慈悲が働いたのだろうか。
「それにしても、迷宮“地獄”を制覇するとは……」
だが、その救った旧友の孫が秘めおきし憤怒を抱え、人界最高難度の迷宮に挑戦するとは。
流石の甲龍王も、これは予想だにせず。
とはいえ、本人の意志を尊重し、ペルギウスはアレクサンダーを“地獄”へと送致していた。
アレクサンダーはウィリアムに対する怨念、そして恐れを克服しようと、英雄らしい勇気──否、蛮勇を発露していたのだ。
天大陸迷宮“地獄”
世界三大迷宮の一つにして、世界最凶の迷いの宮。
棲息する魔物の等級はAランク以上であり、内部ではあまりにも巨大な質量の罠が幾重にも仕掛けられている。
どのような手練であれ、単身挑んで良い場所ではない。最奥へは列強に叙された者ですら容易に辿り着けぬほどなのだ。
そして、かの武神ウィリアム・アダムスが、転移事件の際にこの地獄に容赦なく叩き込まれ、文字通り魔物の血肉を喰らいながら迷宮脱出へ藻掻いていたのを、ペルギウスはアレクサンダーへと伝えていた。
数年間、超常の力にて現出した妖刀一振りのみにて地獄を生き永らえた虎。
直接的な戦闘力もさることながら、ウィリアムのその悍ましいまでの
満身創痍で地獄を脱出し、アルーチェの丘にて倒れる若虎を、
もっとも、かの甲龍王は運命論者ではない為、あくまで彼の中ではもののついででしかなかった。
「気になりますか?」
「気にならぬといえば嘘になるが……カールマンの孫が地獄で討ち死にしたとしても、所詮それまでの男だったということよ」
口ぶりとは違い、旧友の孫を密かに案じる甲龍王。
慈悲深いというわけではない。単に、ペルギウスはカールマンに恩義、そして深い友情、敬慕の想いを抱いているのだ。
アレクサンダーの実祖母は唾棄すべき嫌悪しか抱いていないが、旧友の面影を色濃く残すアレクサンダーには、ペルギウスもそれなりの情が湧くのを自覚していた。
「まあカールマンの孫はよい。今回は彼奴めをわざわざ地獄に落としに来たわけではないのだからな」
そう言うと、ペルギウスは泉を再度注視する。
泉は変わらず淡い光を放っており、揺らぐ水面は甲龍王の尊顔を映し出していた。
「此度は……」
主の目的をそれとなく尋ねるシルヴァリル。
しかし、ペルギウスは黙したまま泉を注視し続ける。
「……」
そして。
「……?」
シルヴァリルは、泉の発光量が僅かに増すのを知覚した。
「ペ、ペルギウス様……!」
「……」
慄くシルヴァリルに構わず、冷静に泉へ目を向けるペルギウス。
泉の発光量が増すにつれ、泉の上にぼんやりとした幻像が浮かび上がる。
やがて広間全体が光に包まれると、泉の上では一頭の“龍”が佇んていた。
「竜……いえ、これは……!?」
シルヴァリルは泉に浮かぶ幻像が、自身が知る竜族の魔物と認識するも、即座にそれを否定する。
頭部こそは見知った竜であれ、その形骸は水竜の如き流麗なる姿。
そして、その佇まいは知性無き魔物とは一線を画する、瑞獣の如き神秘性を備えていた。
「現れたか」
ペルギウスは龍が現出するのを予め分かっていたのか、さして驚きを見せず、その龍姿を見つめる。
もの言わぬ龍に、甲龍の王もまた黙して視線を向けていた。
「……!」
ペルギウスと龍だけに通じる念話が繰り広げられていたのか、はたまた単に睨み合っているだけなのか。
長い時間、両者が視線を交わす様を、シルヴァリルは声ひとつ上げずに見守り続ける。
主が得体の知れぬ化生に悪影響を受けているとも思えたが、不思議と泉の龍からは害意は感じられなかった。
「あっ」
そして、龍が赤い光を発すると、広間は光の渦で満たされる。
仮面の下で目を瞑るシルヴァリル。
だが、閉じた目を開けると、泉は常の姿に戻っており。
龍の姿はどこにもなかった。
「ペルギウス様、今のは……!?」
おずおずと主に問いかけるシルヴァリル。
同時に、シルヴァリルは主の目の前に不思議な形の石──翡翠とも水晶とも違う、何か異様な材質で作られた“勾玉”が浮かぶのを目撃した。
その数、七つ。
「ッ!?」
直後。
七つの勾玉の内六つが、転移魔法にて転送されたが如く忽然と姿を消した。
後に残された一つの勾玉。
ペルギウスは、それをゆるりと手を伸ばし、掴む。
「余を使い走りにするか、衛府よ」
「え?」
手中の勾玉を見ながら、そう嘯くペルギウス。シルヴァリルは尚も訝しむも、主の不機嫌そうな様子に、それ以上言葉を紡ぐ事は能わず。
「シルヴァリル。お前は何も知らなくて良い」
「は、はい」
勾玉を懐に仕舞い、ペルギウスは居城である空中要塞ケイオスブレイカーへと足を向ける。
追従するシルヴァリルは主の言に頷くだけだ。
「古の龍族の盟約……余を縛る不快な盟約よ……」
「……」
故に、シルヴァリルはペルギウスのこの呟きを聞かぬ振りをした。
ペルギウスの使い魔として生きると決めた日から、シルヴァリルは主への余計な詮索は戒めていたのだ。
「シルヴァリル。ケイオスブレイカーへ着いたら転移魔法陣を使う」
「はい。どの転移魔法陣をご使用なされますか?」
途中、ペルギウスは低い声でシルヴァリルへ転移魔法陣の起動を命ずる。
如才なく応えるシルヴァリルへ、ペルギウスは短く伝えた。
「魔大陸だ」
リカリス郊外に地獄現出──!
生き残りし魔族共、皆一様の思いを抱く。
魔兵の躯により、荒れ野は屍山血河が如き凄惨な光景が現れており。
雑兵も将兵も区別なく赤黒い肉片と化したその地獄。
屍体の山の中、僅かに息ある者も発狂し、糞小便を垂れ流す有様であった。
まさしく、魔大陸における
「これしきか」
兵死の山の上で胡座をかく鬼一頭。
冒険者装束は血に塗れ、葡萄酒を零したかのような赤々しい滲みが走っている。
現人鬼波裸羅。
襲いかかる敵兵を総てその華麗な鬼技で粉砕しており、魔王連合軍の将兵は現人鬼を包囲こそすれ、それ以上攻め込むことは出来ずにいた。
魔術も剣も、礫も矢も。
尽く封じ、近接する敵兵を屠り続けた現人鬼。
その様、魔を滅する怪異なり。
「こ、これ程とは……!」
バクラーバクラーが慄きながらそう呟くと、周囲の魔王共も同様に戦慄す。
この時の現人鬼の戦闘力、以前魔大陸中を蹂躙した時と
そも、現人鬼弱体の報は誤報なのか。
バクラー以下魔王共、早くも後悔の念に苛まれるばかりである。
否。
一人だけ気炎を上げる魔王有り。
「グハハハハッ! 流石は現人の鬼! 我が精鋭鋼鉄軍団では相手にならぬとは!」
全身を鋼質の体毛にて武装する鋼鉄魔王ケーセラパーセラ。
蛮勇引力に惹かれし蛮種也。
「いやお前だけの手勢じゃないぞ」
「ていうかアンタの手下は開幕で逃げ出してるワヨ」
「グブブ……臭うぞ、烏合の衆……!」
『我、本返してほしい』
「やかましい! 余計な茶々を入れるでない!」
蛮勇振るうケーセラへ雑な激を飛ばす魔王共。
血盟、早くも崩壊の兆し也。
「腰抜け共め! そこで我の勇戦を指咥えて見ておれぃ!」
ともあれケーセラ、彼我の戦力差を省みぬ特攻に
大将同士──ケーセラは決して叛逆者達の頭目というわけではないが、現人鬼との一騎打ちに挑んでいた。
その勇姿を受け、魔王共。
「お、おう。がんばれよ。……そろそろ土下座の準備でもするか」
「アンタなら勝てるワ多分。……真心込めて謝罪すればきっと許してくれるヨ」
「グブブ……お体大切に!」
『本返してほしい』
この後の展開をなんとなく察しつつ、雑な声援を以て送り出していた。
「改めて名乗るぞ! 現人鬼ぃ!!」
蛮勇なる魔王ケーセラは、屍体の山に座る現人鬼の前へと躍り出る。
硬質化させた体毛が縦横に伸び、現人鬼を射程圏内に収めていた。
「我が名は鋼鉄魔王ケーセラパーセラ! 魔大陸の和を乱す現人の鬼よ! 我が鉄毛の錆となれぃ!!」
堂々たる宣戦布告。
それを受けた現人鬼、さして興味のなさそうな表情で応える。
「和?」
そのまま屍体の山からひらりと舞い降り、ゆるゆるとケーセラと対峙する。
「人外蠢く魔の地にて和を尊ぶとは。そんなもの、夜に影を探すようなものだの」
「なにぃ?」
挑発をするような現人鬼の言。
ケーセラの体温は徐々にぶち上がりせしめる。
「喰ってやろうか……
「そんな貴様を──!」
そして。
ケーセラは鉄毛を纏い、砲弾の如き勢いで現人鬼へ吶喊した。
「我が喰らうッ!!」
「ッ!!」
魔王ケーセラ渾身の
鬼の体躯にぶち当たる瞬間。
「渦貝ッ!」
現人鬼、即座に得意手の忍法渦貝にて迎撃。
しかし。
「効かぬわ!」
「ぬぅ!?」
ケーセラの装甲、渦貝の威力を
ぶちかましの勢いで積み上げられた屍体が爆散し、鬼と魔王はもつれ合いながら地を抉り抜いていた。
「これ……もしかしてイケるんじゃないか?」
「ワンチャン勝てるかもしれないワ……」
「グブブ……紛れ幸い」
『本返して』
予想外の健闘を見せるケーセラに、寝返る準備を着々と進めていた魔王共も腰を浮かせる。
現人鬼必滅の忍法渦貝。
いかな装甲を纏いしとも、深部へと螺旋の衝撃を余すこと無く浸透させるこの忍法。
しかし、ケーセラの装甲は現人鬼の魔技すらも防ぐ超鋼なるか。
「ぬうぅッ!!」
ケーセラの肉弾撃を
しかし、百戦錬磨の鬼はただでは転ばぬ。
「グハッ!?」
現人鬼の
屍体の肉片が降り注ぐ中、猛撃タックルをガードポジションにて受け止め、威力をかろうじて減殺する鬼の姿有り。現人鬼はフロントチョークの体勢にて魔王ケーセラの首を捉えていた。
そのまま断首刑を実行せんべく、現人鬼は
「
「グググ……ッ!」
鋼鉄の体毛ごと首に腕を絡める。肉と血管がみしりと音を立て、背筋が異様なまでに盛り上がる様。
現人鬼は己の勝利を確信し、悍ましいまでの美笑を浮かべていた。
「やっぱりダメじゃないか!」
「寝返る準備は万端ヨ!」
「グブブ……年貢の納め時」
『本返』
尚、変わらず風見鶏な魔王共は忙しなかった。
「グ……グフフフ……!」
「何が可笑しい!?」
首を極められ、苦しげに呻いていたケーセラ。
しかし、ふと不気味な嗤い声を上げる。
「わ……罠に嵌りしは貴様だぞ……!」
「ッ!?」
瞬間。
ケーセラの鉄毛が
「シャアアアッ!!」
「ッッ!!??」
直後に聞こえる肉を
音が響いた後、現人鬼の腕、肩、胸を穿く銀の
「グハハハッ! 魔技“銀闘髪”とでも名付けようか!」
「ぐぁッ!!」
ケーセラは首周りの体毛を剣山の如く変質させていた。
絞め技を仕掛ける現人鬼を串刺しにし、鬼の血を存分に浴びながら勝ち誇ったような嗤いを浮かべる。
鬼の鉄血は灼熱の温度なるも、ケーセラはそれを意に介さず。
見ると、微細の鉄毛が鬼の怨血を十全に防御していた。
鋼鉄すらも容易に溶解せしめる鬼の血を防ぐケーセラの鋼鉄毛。
その性能、魔王を名乗る似相応しきもの──か。
「鬣こそは王者の証! この魔大陸を統べるのは我以外他在らぬ!」
「ぐぅぅッ!!」
串刺し状態の現人鬼を放り投げ、哄笑を上げし魔王ケーセラ。
形勢は現人鬼の不利に傾く。
穿れた損傷箇所から怨血が噴きこぼれ、現人鬼はごぼりと口中から血を溢れさせていた。
「うむむ……現人鬼殿があれほど攻められるとは……」
一方。
鬼と魔王の戦いを離れた高台から観戦するはアトーフェ一行。
親衛隊長のムーアがそう呟く。
魔大陸で魔王を名乗る者、相応の実力者であるのは疑いようもなく。
しかし、それにつけても、あの現人鬼がケーセラに対しこの苦戦ぶり。
現人鬼の実力をよく知るムーアにとって、やはり弱体化の報は信憑性あるものだった。
「冴えん!」
ムーアの言を受け、アトーフェは腕を組みながら不機嫌な表情を隠さずにいた。
美しい顔に備えるその赤い瞳に苛立ちを覗かせる。
「なんじゃ、現人鬼は負けそうではないか。ええぞーケーセラ。そのままいったれ」
その足元ではケーセラへ雑な声援を送る魔界大帝キシリカの姿。
変わらず簀巻き状態な為、もぞもぞと芋虫の如く身体をうねらせていた。
「るせぇ!」
「はぅッ!!」
そのキシリカをずんとふんづけるアトーフェ。
みぞおちにモロのキリシカは、そのまま呼吸困難に陥っていた。
「ハララァァァァァッ!!!」
直後、戦場に響き渡る不死魔王アトーフェの大音声。
「アトーフェラトーフェか!?」
「牝魔王……」
その場にいる総ての魔の者がアトーフェへ注目する。
ケーセラは不意の乱入を想定し、油断なくアトーフェを見やる。対する現人鬼、出血に構わず不敵な笑みをひとつ浮かべる。
「何故
そう激声を飛ばすアトーフェ。
生身で戦い続ける現人鬼。しかし、本身での戦闘力は、アトーフェすらも封殺せしめる圧倒的なもの。
それを十分に知るアトーフェは、異世界行っても本気を出さない現人鬼に焦れに焦れていたのだ。
「アトーフェ! 貴様、現人鬼側に付くつもりか!」
「うるせぇ! オレはこの喧嘩はどっちにもつかねえ!」
「なにぃ!?」
ケーセラはアトーフェの思惑が読めず。
元々アホの
「オレは!」
その疑問に応えるかのように激を発し続けるアトーフェ。
その言霊、現人鬼は変わらず口角を引き攣らせながら聞く。
「カールマンやラプラス以外にオレを倒したハララが負けるのが許せないだけだ!」
「何を言って……!」
言うだけ言った後、アトーフェは再び腕を組み地蔵の如くその場に直立する。
射抜くような赤い視線は、現人鬼にのみ注がれていた。
「素直に応援してるって言えばよかろうに……」
「るせぇっつってんだ!」
「はぅぉッ!!」
再度キシリカをふんづけるアトーフェ。
剛力魔王の踏みつけに二度も耐える魔界大帝も大概である。
「くふふふ……!」
アトーフェの言葉を受け、ゆらりと立ち上がり、凍りつくような美笑を浮かべる現人鬼。
その魔性を受け、周囲の者総てが背筋に冷えた汗を垂らしていた。
「牝魔王は我が怨身が見たいとな……!」
そして、現人鬼波裸羅は、腕をゆるりと交差させた。
「見や──!」
怨
怨
怨
『怨身忍者──霞鬼見参!』
「なっ!?」
「色がくすんでおる!」
「チッ……」
怨鬼現出。
しかし、その姿、常の有様に非ず。
五色の鷹のような美しくも残酷なその姿とは程遠い、蛹のようなくすんだ色姿。
明らかに変調が見て取れる、異様な鬼姿であった。
「グハハハハハッッ! 何だそのくたびれたボロ衣のような様は!」
対峙するケーセラ、霞鬼の姿を見て哄笑す。
生身の時よりも“威”が消え失せたのを受け、増長するのもむべなるかな。
「くふ、くふふふ……!」
「何が可笑しい!?」
立場が逆なれど、先程と同じやり取りと交わす鬼と魔王。
不敵な嗤いを浮かべる霞鬼に、ケーセラは滾った血を鉄毛に乗せる。
ハリネズミのような鋼鉄魔王に、霞鬼は牙を剥き出しにしながら両手を広げた。
「覚えておけ……美しくなければ──!」
「王とは呼べぬ!」
病冒され毒に蝕まれるも、その気魂に陰りは無い。
「今の貴様がそれを言うか!」
減らず口を叩く霞鬼に、ケーセラは止めを刺すべく再吶喊。
全身を剣山の如く先鋭化、両脚に全闘気を込め射出。この時のケーセラ、霞鬼が己の鉄毛にて田楽刺しになる未来が見えていた。
「死ねぇぇぇぃぃッッ!!」
時速1420kmはあろうかという音を置き去りにした鉄肉弾。
刹那の瞬間。
避けるか、避けられるのか、霞鬼。
否。
「ッッッ!?」
「ぐふッ!!」
ケーセラの必殺タックルを両手で抱えるように受け止めた霞鬼。その勢いに押され、数十メートルは後退するも、鉤爪の様に変化させた両足先にて地を掴み耐える。
だが当然、その鬼体は無事では済まない。
剣山は先程とは比べ物にならぬ程、鬼の身体を網目の様に穿いていた。
怨血が噴き出し、血は鬼の熱血にてじゅうじゅうと音を立てる。
「ぐおおおおッ!!」
苦悶の呻きを上げるのはケーセラも同様。
先程は未然に防ぎし鬼の熱血。
しかし、流石に弱体化したとはいえ、怨身体での血は格別なりや。
「もうひとつ覚えておけ、畜生!」
「ぐがッ!?」
そして、霞鬼は渾身の
「
「グギギギギッッ!!」
抱え込むようにケーセラを絞め上げる霞鬼。
絞める力を強める程、剣山が肉を穿き、さらなる怨血を零す。
みしり、みしりと音が鳴るにつれ、霞鬼の肉体は損傷を深める。
しかし、ケーセラの身を守る鉄毛こそは折れずとも、その下にある肉体は無事ではない。
鉄毛に圧迫され、肉は挽かれ、その骨は粉砕。臓物が破れ、眼球は溢れる。終いには肛門含む体中の穴という穴から血液を噴出させる始末。
そして、霞の美声が響き渡った。
「やせ我慢!!」
「ギャアアアアアアッッッ!!!」
ばきゅっという、生物が圧潰する不快な音が響く。
ずるりと鉄塊が霞鬼の両腕から溢れ、血海にぼちゃりと落ちる。
それが鋼鉄魔王ケーセラパーセラの成れ果てであった。
「──ッ!」
ケーセラの絶命を見届けると。
ようやく現人鬼波裸羅は
失神間際、現人鬼は呟く。
鋼鉄魔王の最期、心からお悔やみ申し上げます
この鬼、不敬につき──