結局ウィリアムは闘気の過剰放出による疲労で気絶するまで“切り返し”を止めなかった。
糸が切れた人形のように倒れ伏すウィリアムに慌てて駆けつけたルーデウスとシルフィは、その血にまみれた手を治療魔法で治癒しつつ、改めて辺りを見回す。
「これ……ウィルくんがやったんだよね……」
未だに信じられないかのように、シルフィは呟く。
周囲はまるで大型の魔獣が暴れまわったかの如く、木々が無残な姿で横たわっていた。
ルーデウスは、ウィリアムが振り回していた大型の木剣を見つめる。
柄はウィリアムの血にまみれ、いかに激しく振り抜いていたのかを物語っていた。
「ウィルくんはどうしちゃったのかな……なんでこんな事を突然始めたのかな……」
シルフィエットが横たわるウィリアムを介抱しながら呟く。
闘気を限界まで放出し、極限まで己をいじめ抜いたその肉体は、一晩で痛ましい程消耗していた。
見れば、鋼の如く隆起していた肉体は元々のウィリアムが備えていた体に戻っていた。
「……分からない」
分かるわけがない。
なにせ、昨日まで大人しい“普通の子供”だったのだ。
何がウィリアムをここまでさせたのか。
悪いものに取り憑かれたのか。
それともウィリアムがひた隠しにして来た“本性”が具現したのか。
ふと、ルーデウスは以前
ルーデウスは己が転生者であるように、他者も異界の魂を宿した転生者だと疑っていた時期がある。
その疑惑は、ウィリアムが成長するにつれて大きく膨らんでいた。
誰からも教わっていないのに食事をする前に手を合わせる、双鉤法による筆記用具の持ち方、要所で見られる妙に時代がかった所作……
それらの全ては平成日本人から見ても、同じ日本人としての魂を宿した転生者だと疑いようもなかった。
転生してから郷里を恋しく思った事は一度も無いルーデウスだったが、弟が同じ日本人の魂を持つ者となれば、腹を割って話したい、日本の事を話したいと思うのは当然かもしれない。
そして、兄弟でこの異世界を共に生き、冒険し、助け合って生きていきたい……そんな純粋な心からルーデウスは話しかけたのだ。
『もしかして、ウィルの前世は日本人だったりするのか?』
『……』
二人きりになる時を見計らい、意を決して問うたルーデウスに対してのウィリアムの応えは沈黙。
否定とも肯定とも取れないウィリアムの態度に、ルーデウスはそれ以上問い詰める事が出来なかった。
それ以上問えば、それまでのただ苦手だった弟が、得体の知れない怪物に豹変する危険性を感じとったのだ。
太平の世に慣れ切った平成日本人には計り知れないナニカを感じてしまったのだ。
黙して語らぬウィリアムの表情は、いつもの薄い笑みは見られず、ただ無表情。
戸惑うルーデウスを見つめるその目は、ルーデウスの臓腑まで透かしているかの如く、ただただ無色の瞳。
ルーデウスは、その瞳に見つめられ言い知れぬ恐怖を感じてしまっていた。
やがて、いつもの薄い笑みを浮かべながら
「兄上、ウィリアムは兄上が今なにを申したのかとんと見当がつきませぬ。一体何の言葉遊びでしょう?」
と、この
それ以来、ルーデウスは弟に対して日本語で話しかける事はしていない。
あの時感じた得体のしれぬ恐怖は、大人しい弟の日常と、兄を敬うその姿により徐々にルーデウスの中から消え去りつつあった。
それが今、またルーデウスの中で大きく膨らみ始めていたのだ。
(ウィル……お前は一体“誰”なんだ……)
意識を失うウィリアムを見つめるルーデウス。
この弟のやすらかな寝顔が別人に見えたのは、夜も明け切らぬ薄暗さゆえ。
ルーデウスはそう自分に言い聞かせる事で恐怖を中和しようとした。
意識を手放したウィリアムを背負い、ルーデウスはブエナ村へと歩を進める。
後からついてくるシルフィエットとも一言も喋らずに、ただ無言で歩き続けていた……
この日生まれ
異世界に、剣虎の魂が再び燃え上がった日である。
ウィリアムを連れ、家に戻ったルーデウスとシルフィエット。
丁度一時捜索を切り上げたパウロやローデスら村の若衆達もグレイラット邸に集まっていた。
「……ルーデウス! ウィルは見つかったか!?」
「はい父様、ウィルは無事ですよ」
ルーデウスに背負われたウィルを一目見るや、即座にルーデウス達に駆け寄り、まるで奪い取るかのようにウィリアムを抱き抱えるパウロ。
その表情は、見つかった事による安堵と一晩中捜索していた疲労からくしゃくしゃに泣き濡れた表情であった。
「ウィル……! ウィル! 心配かけやがって……!」
ぎゅうぎゅうとウィリアムを抱きしめるパウロ。
ルーデウスはその姿を見て、ふぅっと安堵のため息を漏らした。
シルフィエットも、ルーデウス同様に安堵の表情を浮かべている。
パウロの腕の中で眠るウィリアムの表情は、年相応の無垢な寝顔であった。
その表情を見つめ、シルフィはあの異様な光景は夢だったのかな……と、益体もない考えを巡らせていた。
やがて同じく疲労の色が濃い表情を浮かべたゼニスも、リーリャを伴ってグレイラット邸から姿を現す。
「ああ……! ウィル! よかった! 本当によかった!」
駆け寄ったゼニスはパウロと同じく、奪い取るようにウィリアムを抱きしめる。
力強く抱きしめるゼニスを、パウロは包み込むようにやさしく包容し、共に涙を流した。
「いやいや、無事に見つかってよかったですよ」
パウロ達の様子を優しい表情で見守っていたルーデウスに、捜索に加わっていたシルフィエットの父、ロールズが声をかける。
その表情は、同じように安堵の表情を浮かべていた。
「ロールズさん、皆さん。本当にありがとうございました。父様と母様に代わってお礼します」
「私からもお礼を申し上げます。ウィル坊ちゃまを探してくださって本当にありがとうございました」
ロールズらに、ルーデウスとリーリャはぺこりと頭を下げる。
「いや、パウロさんは普段から我々村の人間を守ってくれているからね。今回でちょっとでもその恩を返す事が出来てよかったよ」
「そうそう、だからルーデウス君やリーリャさんもそんなに気にすんなって!」
「しかしルーデウス君はその年で親に代わってお礼が言えるなんて、マジ偉いわー」
「うちの息子にも見習わせたいよほんと」
「出来ておる喃……ルーデウスは……」
「ルーデウス
若衆達に褒めちぎられるルーデウスは、苦笑しながらパウロ達を見やる。
見るとパウロ、そしてウィリアムを抱いたままのゼニスがこちらへ向かってきた。
「皆さん……本当にありがとうございました」
「俺からも改めて礼を言わせてくれ。ありがとう」
同じように気にするな、と声をかける若衆達。
既に朝日は上り切り、爽やかな朝の空気が場を満たしていた。
「さあ、そろそろ解散しましょう。夜通しの捜索、お疲れ様でした」
パンパン、と手を叩き、解散の号令をするロールズ。
若衆達は挨拶もそこそこに、三々五々にそれぞれの家へと帰宅していった。
やがてグレイラットの家族以外でこの場に残ったのはロールズとシルフィエットのみとなった。
「さて、ルーデウス君、シルフィ。帰る前に一つ聞きたい事がある」
ロールズは改めてルーデウスの方を向き、恐らくこの場の誰もが気にかけている事をルーデウスに問いかけた。
「……はい。ウィリアムの事ですよね」
「……」
ルーデウスはその疑問を先読みして応える。
シルフィエットは、先程までの安堵の表情からやや陰鬱な表情を浮かべていた。
「ウィリアムは村から少し離れた林で見つかりました……」
ぽつぽつと、ルーデウスは語り始める。
木立に一心不乱に木剣を振るうウィリアム。
その表情は何かに取り憑かれたかのよう。
ただ、その眼だけは妖しく輝いていた。
シルフィエットが『まるで猫みたいな目をしていた』と補足する。
ルーデウス達の話を聞くにつれ、困惑の表情を浮かべるパウロ達。
まさかウィリアムがそんな事を……困惑するパウロ達で、リーリャだけがどこか納得をしている表情を浮かべていた。
「……ウィルは何か悪いモノに取り憑かれているのか?」
「それは……わかりません。母様から見てどうですか?」
ルーデウスはゼニスに話を向けた。
ゼニスは元S級冒険者で治療術士として治療魔術、解毒魔術をそれぞれ中級まで習得していた。
現在も村の診療所の手伝いを行っている為、その治療術には衰え無く発揮されている。
「……私は神撃魔術を修めてないから何かに取り憑かれているかは分からない」
所謂悪魔憑き、呪いの類は様々な形でこの世界に現出している。
大抵は魔力の異常により引き起こされる物で、利益のある能力を持つ人間を神子、不利益のある能力を持った人間を呪子と区別されていた。
それ以外で悪意のある呪いが他者からかけられる事もあるが、その呪いは術師が解除、死亡する事で解呪される。
呪いの解呪法は古代から研究されていたが、術師に直接的な行動を取る以外でこれらを解呪する手段は未だ見つかっていない。
「でも、ウィルには何か憑いているようには思えないわ……」
それでもゼニスは長年の治療師としての勘か、または母親としての勘からなのか。
やさしくウィリアムの頭を撫でながら、ウィリアムには憑物が無い事を断言する。
その言葉にルーデウス達は頷くしかなかった。
「父様、どちらにせよウィルからはしばらく目を離さないようにしたほうが」
「ああ、言われるまでもないさ」
起きたらまず話を聞いてあげないとな、とパウロはルーデウスに片目を瞑りながら囁く。
ルーデウスは、以前のパウロとのやり取りを思い出し、再び苦笑を浮かべていた。
──────────────
ウィリアムが目を覚ましたのは更に日付が変わり、翌日の日中の事であった。
ノルンとアイシャの世話をしつつ、ゼニスやパウロと交代でウィリアムの様子を見ていたリーリャが、ウィリアムの体を拭こうとしていた時である。
丸一日以上眠っていたウィリアムは、覚醒するやいなや飛び上がるようにして外を向かおうとした。
文字通り突然飛び上がったウィリアムに慌てて声をかける。
「ウィ、ウィリアム坊ちゃま!無理をなさってはいけません!まだ横になって……」
「
リーリャの言葉を遮るように言葉を発するウィリアム。
それまでのリーリャに対する慇懃な対応とは違う力強い言葉。
リーリャを呼ぶ時はかならず敬称をつけていたそれまでとは違い、ウィリアムの豹変ぶりにリーリャはただ戸惑う事しか出来なかった。
覚醒した虎の眼は、猛禽を思わせる鋭い眼光を放っていた。
『湯』
「え…?」
「……風呂だ」
ウィリアムは、前世の感覚で
しかし、反射的に対応していたリーリャにはこの言葉に気付くはずも無し。
ちなみに風呂はこの世界、ブエナ村でも備えている家はほとんどない。
グレイラット家は、ルーデウスの趣味と前世の風呂好き日本人の魂が震えたのか、得意の土魔法で風呂場が増設されていた。
「すぐにご用意致します。だから、ウィリアム坊ちゃまはまだ横になっていてくださいませ」
「大事無い」
リーリャの気遣いにも素っ気なく対応するウィリアム。
何はさておき、リーリャはパウロ達にウィリアムが起きた事を伝えるがてら風呂の準備をしに部屋から退出する。
テーブルに置いてあった果物をおもむろに齧りつつ、ベッドの上にあぐらをかき瞑目するウィリアム。
先程つい日本語を使用した事で、兄から日本語で語りかけられた事を思い起こした。
(同じ、日ノ本の民か──)
あの時、兄ルーデウスは確かに日本語で同じ日本人である事を打ち明けた。
おそらく自分の所作から当たりをつけたのだろう。
最初は、同郷の念から日本語で応えようとはした。
しかし、ウィリアムは──虎眼は、それをよしとしなかった。
(虎眼流の秘奥……何が切っ掛けで漏れるか分からぬ)
ウィリアムは虎眼流を前世より練り上げる為、徹底した術理の秘匿を決意している。
天下無双に至るまで、それまでに幾度にも及ぶべくであろう強者との立合いをより有利に進めるため、今しばらくは虎眼流の秘奥を秘匿する必要があったのだ。
術理を再確認する為の奥義の伝書も日本語で認めていた。
故にルーデウスに話しかけられたその日の内に、密かに記してあった虎眼流の伝書の全てを焼却している。
同じ日本語を解する者から虎眼流の秘奥が流出するのを避ける為であった。
もっとも旧字体の達筆で書かれたそれにひきこもりニートでしかなかったルーデウスに解読できるはずもなかったので、端から見ればこのウィリアムの行動は無駄であったが。
(闘気とは……虎眼流を更なる高みへと達せられる)
ウィリアムは一度全力で闘気を放出し、今の時点での限界を見極めようと森中への稽古へ出かけた。
当初家人に伝えた通り、それ程時間を掛けるつもりは無かった。
稽古用の木剣を構え、闘気を練り上げた渾身の一撃は木剣を破砕すると共に、打ち込んだ樹木を4割近くへし折っていた。
そして夢中になった。
最初に用いた木剣は、やがて使い物にならなくなった。
数刻後には、かつて愛用した“かじき”を模した大型の素振り用木剣を削り出し、猛然と“切り返し”を行った。
限界を超えても切り返しを止めなかった前世の忠弟を思い起こすかの如く、切り返しを続けたのだ。
その手応えを確かに感じたウィリアム。
着々と、虎の牙は研がれつつあった。
しばし瞑目した後、バタバタと床を鳴らしながらパウロ、ゼニスが部屋へ入ってきた。
「ウィル!」
一目散にウィリアムへしがみつくゼニス。
ぎゅうぎゅうと締め付ける母の抱擁に、ウィリアムは穏やかな表情を浮かべた。
が、それも直ぐに収まり虎を思わせる眼に再び戻る。
それを見たパウロは、一流剣士にしか伝わらない何かをウィリアムから感じ取っていた。
「父上……母上……。ご心配をおかけして、真に申し訳ない」
「ウィル……いいの。あなたが無事でいてくれた……それだけで十分よ……」
「……どうして、あんな無茶な事をやったんだ?」
パウロは、しっかりと虎の眼を見据えて問いかける。
虎は、作ったかのような笑みを浮かべながら答えた。
「稽古するのが、つい楽しくて」
「……解った。それ以上は聞かない」
パウロはそれ以上の追及をしなかった。
ウィリアムが発見された現場をパウロも自身の目で検めている。
いかに闘気を発現させたとはいえ、その凄惨ともいえる現場は5才の子供が成せる所業ではなかった。
どうやってそこまで
何故あそこまで
様々な疑念が沸く。
しかし、ウィリアムはそれ以上答えてはくれないだろう。
下手に聞き出しては、ルーデウスと同じような失敗をするかもしれないとパウロは考えた。
「でも、今度から長い時間稽古するならその事をちゃんと言ってくれよな……とりあえず腹減ったろ? リーリャが風呂沸かしてるから飯の前に先に浴びてさっぱりしてこい」
「はい、父上。母上も」
変わらず抱きすくめる母を気遣いつつ、しっかりとした足取りで風呂へ向かうウィリアム。
言葉使いは変わらねど、それまでとは別人と思える“気”を発するウィリアムを見つめるパウロの表情は、得体の知れない恐怖を僅かに滲ませていた。
「ウィル! お風呂入るなら久しぶりにお母さんと一緒に入りましょ! 洗ってあげる!」
「……一人で入れます」
だが、ゼニスはお構いなしにその愛をウィリアムに向ける。
後ろ姿からは表情は窺えないが、首筋から耳まで羞恥に染まるウィリアムの姿を見て、先程感じていた恐怖が霧散していった。
「まだまだ子供だなぁ……」
ほっと一息ついたパウロは、息子がまだ自分が知らない何かに変わってしまっていないのだと一人安堵していた。
しかし自分との稽古ではあのような凄まじい姿を全く見せていなかったウィリアムには、相変わらず何か底が知れない物を感じていた。
「……丁度良いから例の件、ウィリアムにも一枚噛んでもらうかな」
故に、パウロは画策する。
生き急ぐ兄を、力づくで説き伏せる為の一計を、ウィリアムにも噛ませて見極めようと──
虎の今生での“実戦”の時が近づいていた──