虎眼転生-異世界行っても無双する-   作:バーニング体位

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第二十景『不惜身命一虎双兎(ふしゃくしんみょういっこそうう)

 

 早速お(ひけ)えくだすって誠に有難うごぜえやす。

 手前、生国は遠州の森町、姓名の儀、石松と発しやす。

 見苦しい一眼(かため)は気にしねえでくだせえ。初めから一つだったと思えばどうってことはありやせん。

 

 さて、金刀比羅宮(こんぴらさん)から清水港(しみずのみなと)へ戻る途上、縁があって居合わせたこの旅籠(はたご)堅気(かたぎ)(みなさま)による賑やかな武芸談義。この石松、先ほどから押鮓(おしずし)喰いながら黙って聞いておりやした。

 

 ほうほう、なんでも海道一の大剣豪を決めようってぇのは、なるほど、日ノ本一を決めるにゃキリがありやせんから、まずはここらで一番強えお武士(さむれえ)を決めるってぇのは道理がいった話だと思いやす。

 

 本多忠勝に北畠具教、中条長秀に柳生兵庫助、岩本虎眼に舟木一伝斎。

 どいつもこいつも随分と昔の奴なのに名前が挙がるんだから(てぇ)したもんだ。偉くて強えお武士(さむれえ)なんだろうよ。

 

 でもね、堅気衆(あんた)

 要は斬った張ったの修羅場の話。だったら(わっし)博奕打(ばくちうち)の名前が一人も挙がらねえのはおかしくねえかい?

 

 駿河国は清水港に一家を構える山本長五郎、人呼んで“清水の次郎長(じろちょう)

 この親分に喧嘩で敵う奴はいねえよ。

 

 ひとまず(わっし)武士(さむれえ)とやり合った話を聞いてくんねえ。

 相手は二人、元は講武所の師範だったってんだから決して弱くはねえ。これが商売敵の用心棒になって(わっし)らの縄張りを荒らしやがるから謝るわけにもいかねえ。

 

 川に呼びつけて向かい合ったところで(わっし)に斬りかかる武士(さむれえ)二人。

 左右同時に斬りかかるんだから並の奴はイチコロだろうよ。

 

 だから(わっし)はつんのめるように倒れ込んで片方の武士(さむれえ)の脛を長脇差(ながどす)でぶった斬った!

 武士(さむれえ)の切り株からビューっと赤いのが出て地面が泥濘(ぬかる)む。

 

 もう片方が(わっし)の顔にガツンと刀をぶつけてきたが、折れたのは向こう。

 これが木樵(きこり)だったお()っつぁんの斧だったら流石の(わっし)もお陀仏だったろうぜ。

 

 脛をぶった斬った武士(さむれえ)頭震(ずしん)と頭突きをかまし、うどん玉を撒き散らせながらそいつはおっ()んだ。

 (わっし)の顔に刀をぶつけた武士(さむれえ)は脇差抜いて来やがったから、空いた片手で思い切り握りしめて使えなくしてやった。

 

 武士(さむれえ)ってのは不思議なもんで、どんなに(やべ)えことになっても決して刀を手放そうとはしねえ。

 だからそのまま、片方の手に持った長脇差(ながどす)柄頭(つかがしら)武士(さむれえ)の頭を思い切りぶっ叩いてやった。花火みてえに武士(さむれえ)の頭は()ぜたよ。

 

 要は肝っ玉よ。何があっても浮足立たないように、下腹にでっけえイチモツをぶら下げてるかどうかよ。

 

 ん? いつ次郎長が出て来るかって?

 

 

 篦棒(べらぼう)めッ!

 

 

 喧嘩の始まりから終わりまで、石松さまの腹ん中で次郎長親分が不動明王みてえにじっと睨んでくださるのが分からねえのか!

 

 おっと、大きな声を出して悪かったな。

 ささ、堅気(かたぎ)(しゅう)

 

 

 飲みねえ、飲みねえ、(すし)食いねえ。

 

 

 

 

 


 

「ウィリアム兄さん!」

 

 ノルンの叫び声が響くと同時に、抜刀したナックルガードがウィリアムへと襲いかかる。

 闘気により高められた身体能力は、脆弱であるはずのミルデッド族のそれを遥かに上回り、双子の魔剣豪が並々ならぬ鍛錬を積んでいたことを伺わせていた。

 

 飛燕の如き疾さで、ウィリアムの上下左右から斬りかかる双子。

 瞬速の双兎を前に、虎は七丁念仏をゆるりと目の前に掲げ、まるで祈るような姿勢を取った。

 

「疾ッ!」

「噴ッ!」

 

 闘気を十分込めた高速の剣撃が、全く同じタイミングでウィリアムへ放たれる。

 兄ナクルの剣はウィリアムの頸部へと流れ打たれる。

 弟ガドの剣はウィリアムの心臓部へと突き打たれた。

 見守る観衆は、直後に現出するであろう虎の無残な姿を幻視し、ノルンはぎゅっと身体を硬直させ目を瞑った。

 

「「ッ!?」」

 

 重金属音が鳴り響き、辺りが閃光に包まれる。

 刹那の時間の後、観衆の目に飛び込んできたのは、三名の剣士が刃と肉で結ばれた姿であった。

 

「なんと……!」

「け、剣の柄で受けてる……!」

「脇で咥え込んでるニャ!」

 

 ザノバとクリフ、そしてリニアが驚愕の眼差しで虎の姿を見やる。

 

 ウィリアムはナクルの高速の斬撃を七丁念仏の柄頭で受け止めていた。

 そしてガドの高速の刺突を、身体を僅かにずらし、その刀身ごと脇にて挟み込んでいた。

 

「く……ッ!?」

「抜けない……ッ!?」

 

 みしり、と鋼の軋む音が響く。

 双子の剣士は自らの得物を引き抜こうと力を込めるも、万力の如き虎の剛力により兎の牙はびくともしなかった。

 

「柄で受け止めるとか、半端()ねえニャ……虎半端()ねぇニャ……」

 

 リニアは剣の柄にてナクルの斬撃を受け止めたウィリアムの技量に戦慄し、首筋に冷えた汗を一つ垂らす。

 

 虎眼流“(なかご)受け”

 

 (なかご)とは刀身下部の柄で覆われている部分の名称であり、木剣稽古で突きを払う際に柄頭を用いるのことがあるが、真剣の斬撃を受け止める為にこれを用いるのは虎眼流剣士のみである。

 高速の一閃に柄頭を合わせるのは、飛来する弾丸を弾丸で撃ち落とすに等しき無謀であったが、ウィリアムはそれを恐ろしいまでの胆力、そして技量を持ってそれを実行していた。

 

 七丁念仏の茎はナクルの剣を一寸程めり込ませており、まるで獲物を咥えた肉食獣のようにナクルの剣を固定していた。

 

「このぉッ!」

 

 必殺の刺突を虎に捕獲されたガドが、裂帛の気合と共に剣に力を込める。

 しかし、ガドがいくら闘気と力を込めても剣は微動だにせず。

 みしり、と肉が刃を咥え込む音が響くのみであった。

 

「くッ!」

「くそッ!」

 

 埒が明かないと思ったのか、双子は剣を持ったままウィリアムへと蹴撃を放つべく僅かに身を引く。

 だが、双子が身を引いた瞬間、拘束の力が緩んだ。

 

 ウィリアムは七丁念仏を躊躇いも無く手放し(・・・・・・・・・)、素早くナクルの懐へと入る。

 

「なッ!? ギャッ!!」

「ナクル兄ぃッ!? ぐぇッ!!」

 

 ウィリアムはそのままナクルの頭部へ肘鉄槌を叩き込むと同時に、ガドへ強烈な横蹴りを見舞う。

 生々しい肉弾音と共に、ガドは血反吐を吐きながら弾丸のようにウィリアムから吹き飛んだ。

 

「ギッ……!」

「ゲボッ……!」

 

 地を這う双子の兎。兄のナクルは虎の足元で呻きながら這いつくばっており、その頭部は常の倍以上膨らんでいる。片目は潰れており、白濁とした液体をその眼窩から垂れ流していた。

 また、弟のガドも肋骨が粉砕しており、砕けた骨が片肺に突き刺さったのかぼたぼたと口から血を吐き出していた。

 

「戯れなれば、当て身にて……」

 

 ナナホシ達に向け、薄い笑みを向けるウィリアム。

 圧倒的な暴力を前に、周囲の学生達はその暴虐を恐れただ息を飲んで虎を見つめていた。

 悠然と七丁念仏を拾い上げ、鞘に収める虎の様子を、ノルンもまた怯えながら兄を見つめる。

 

「む……?」

 

 どん引きした妹達の様子を見て、ウィリアムはややきょとんとした表情を浮かべていた。

 この時のウィリアムの心境を推し測れる者は残念ながらこの場にはいなかったが、ウィリアムはこれでも大分加減(・・)して双子と相対していた。

 仮にも主君筋であるナナホシが通う神聖な学舎を、獣人共の血で汚すつもりは毛頭なく。

 故に、斬り合いを避け打撃にて双子を無力化しようとしていた。

 

 もっとも虎眼流剣士の素手による殴打は真剣さながらの威力である為、その気遣いは何ら意味を成していなかったが。

 

「……シュゥゥゥゥ」

「ッ!?」

 

 不意に、ウィリアムの足元で蹲るナクルが深く息を吸い込む。ひくひくと長い兎耳を蠢かせ、潰れていない片方の瞳には確たる闘志を宿らせていた。

 未だ闘志が萎えていない兎の剣士の様子に、ウィリアムは僅かに悪寒を感じ、即座に止めとなる虎拳をナクルへ放つ。

 

「──────ッッッ!!!」

 

 だが、ウィリアムの拳が届く寸前に、ナクルの空気を切り裂く咆哮がウィリアムへと放たれた。

 

「ガハッ!」

 

 咆哮をまともに浴びたウィリアムは目と耳から鮮血を噴出し、吐血した。

 

 吠魔術“兎歌七生撃”

 

 魔力を込めた咆撃を放ち、対象を行動不能たらしめるのが吠魔術であり、本来は獣族でもドルディア族のみが備える特殊な声帯がなければ使用出来ない特殊な魔術である。が、その原理を解し、訓練を施せば他種族でも使用することが出来た。

 ミルデッド族であるナクルはこの吠魔術を独自の技として練り上げており、特殊な呼吸にて大気力を体内に取り込み、長い兎耳を操作することで咆哮に指向性をもたせ、本来は無差別に放たれるその音撃を特定の対象にのみ叩き込むことを可能としていた。

 対象は体内に兎の咆哮が反響し、凄まじい激痛に苛まれ行動不可能となる。

 

「ガドッ!」

(ゴロ)っしゃッ!!」

 

 ナクルの声を受け、ガドが全身をしならせながら跳躍する。

 動きを止めた虎を仕留めるべく、背後からその腕を虎の頸部へと這わせた。

 

「ぐうッ!?」

「“ガド固め”だ! 容易には外れぬぞ!」

 

 倒れ込みながらウィリアムの片腕を巻き込み、頸部を圧迫させるガド。いわゆる現代柔道における“肩固め”を極めたガドは渾身の力を持って虎を絞め上げていた。

 北神流剣士は得物を持たずとも対手を仕留めるべく、様々な武錬を己に施している。特に“奇抜派”と呼ばれる門派は剣に拘らず多種多様な戦技を会得しており、徒手による戦闘もまた得意としていた。

 

 人とも獣ともつかぬ凶暴な攻めに、ウィリアムはその呪縛から逃れんと全身に力を込める。

 しかしガドはその細腕からは考えられぬ程の剛力でウィリアムを絞め上げ、その抵抗を封じていた。

 虎と兎の二匹の獣は膠着状態に陥り、血泥に塗れながらもつれ合っていた。

 

「いいぞガド! 首(しぼ)い効いている! そのまま絞め殺──」

 

 めりっ

 

 ナクルがガドに声をかけた瞬間、生々しい音と共に絞め上げていたガドの肘が柘榴の如く割れた。

 

「うぇッ!?」

 

 ガドは己の肘から肉片と共に鮮血が噴き出る様を見て短い悲鳴を上げる。

 尋常ならざる鍛錬により虎眼流剣士の握力は常人より遥かに強力である。それに加え、今生におけるウィリアムの握力は闘気により生前のそれより更に強力になっており、締め上げるガドの肘をウィリアムは“握撃”により破砕せしめていた。

 虎の爪が、兎の肉を削ぎ落としていたのだ。

 

「おのれッ!!」

 

 己の腕が爆ぜのたうち回るガドを見て、ナクルは激高しながら自身の剣を拾い、ウィリアムへ斬りかかる。

 吠魔術とガドの絞め技により酩酊状態にあったウィリアムであったが、即座に傍でのたうち回るガドの腕を掴みその剛力にて引き起こした。

 

「ギャッ!?」

「やっべ!?」

 

 ガドの肉体を盾にし、ナクルの斬撃を防ぐウィリアム。ナクルは寸前に剣を引くも、ガドの肩口にはニ寸程剣が埋まっていた。

 

「うぬらの技量(うで)、中の上」

「ッ!?」

 

 弟に“誤爆”し戸惑うナクルの脛を蹴り上げ、体勢を崩した兎を捕獲する虎。

 ナクルの頭部を腕に抱え込み、そのまま頸部を絞め上げた。

 

「ウィリアムを試すには、稽古が足らぬ」

「カッ……!」

 

 いわゆるフロントチョークの姿勢となり、虎は万力の如き力でナクルの首を締め上げる。

 みし、みしと兎の脛骨が軋む音が響き、ナクルは血を吐きながら顔面を青白く変化させていった。

 

「ウィリアム兄さん……」

 

 ノルンは阿修羅の如く血涙を流し、血に塗れた兄の姿を見て恐怖で顔を強張らせていた。

 先程までの日向のような柔和さを見せたウィリアムと、今目にする修羅の如き異形を見せるウィリアム。

 ノルンはアイシャと同じように、兄の変貌に戸惑いと恐怖を隠せず、ナナホシの制服の裾をぎゅっと握りしめていた。

 

 少女の戸惑いに構わず、虎は兎の首をへし折るべく腕に闘気を込めた。

 

(つかまつ)る──!」

 

 

 

「そこまで!」

 

 虎が兎を斬首せんとしたその瞬間、張りのある明朗な声が響いた。

 

「その試合、そこまでだ!」

「貴殿は……」

 

 一人の壮年の剣士が学生達をかき分けて現れる。ウィリアムはその剣士を見て、ナクルの拘束を解いた。

 

「お、大先生(おおせんせい)……?」

「先代様……?」

 

 地を這う双子の兎が、壮年の剣士を見て弱々しい声で驚きを露わにする。

 壮年の剣士は驚く双子に構わずウィリアムの前に出た。

 剣士の名は、北神二世アレックス・カールマン・ライバック。今はシャンドル・フォン・グランドールと名乗っていた。

 

「門人達が粗相をしたようだが、ここは前途有望な学徒達が通う学び舎。殺生沙汰は控えてもらえないだろうか」

 

 深々とウィリアムへ向け頭を下げるシャンドル。ウィリアムは血にまみれた顔を拭いつつ、鷹揚にそれを受けた。

 

「……承知仕った」

 

 短く言葉を返すウィリアムを見て、シャンドルは安堵の溜息を一つ吐く。

 そして、満身創痍の双子の姿を見て嘆息を吐いた。

 

「シャリーアを発つ前に久々にフラウの学校を見物しようかと思って来てみれば……一体何をしておるのだお前達は」

「いや……」

「その……」

 

 シャンドルは血泥に沈む双子達へ呆れたような声を上げる。ナクルとガドはそれを受け心底バツが悪そうな表情を浮かべこれまでの経緯を話す。血塗れとなり重傷を負った双子の兎であったが、会話は可能な程余力は残っていた。

 

「そうか、オーベールが……。あ奴め、もう少し穏便な方法を伝えられなかったのか……」

 

 シャンドルは双子の前に屈みこみ、傷付いたその身体を治療をしながら呆れた声を上げる。双子も双子だが、あの奇抜な男の考えもシャンドルには理解に苦むことであった。

 シャンドルは双子の治療を進めていたが、先の虎と死神の死闘で手持ちの治癒薬を使い切っており、治癒魔術もそれなりにしか使えないシャンドルは、困った表情を浮かべ見守っている学生達へと声をかけた。

 

「申し訳ないが、治癒魔術が使える者は手伝ってもらえないだろうか?」

「あ、じゃあ、僕が手伝います」

「わ、私も」

 

 シャンドルの声を受け、見守っていた学生達がおずおずと前に出る。シャンドルと共に双子の治療を始めた。

 

「ウィ、ウィリアム兄さん。大丈夫ですか……?」

 

 尚も恐怖で顔を歪めつつも、未だ血で顔を汚しているウィリアムに心配そうに駆け寄るノルン。

 

「大事無い」

 

 そんな妹を短い言葉で制するウィリアム。事実、吠魔術によるダメージは虎の体内に残っていたものの、行動に支障が出る程のものではなかった。

 ウィリアムはシャンドルへ向け改めてその鋭い視線を向ける。

 アイシャとシルフィエットに死神戦のその後を聞いていたウィリアムは、この壮年の剣士が己の命を救っていたことを理解していた。

 故に、シャンドルの制止する言葉を素直に聞いていたのだ。

 

「シャンドル殿」

 

 ウィリアムがシャンドルへ声をかける。

 北神二世は孫弟子の治療の手を止め、ウィリアムへと視線を返した。

 

「これで、貸し借り無しで御座る」

「……左様か」

 

 ウィリアムの言に、シャンドルは短く頷いた。

 シャンドルにとってウィリアムを治療した事は“貸し”にしたつもりは毛頭無かったのだが、虎が尚も兎を仕留めんと再び牙を剥くことも想定していたシャンドルは、虎のこの申し出に密かに安堵していた。

 

「ウィリアム兄さん……」

 

 尚も心配そうに傍らに寄り添うノルン。

 ウィリアムは健気な妹の様子に目を細め、その柔い髪を撫でようと手を伸ばした。

 

「……っ」

 

 だが、ウィリアムは一瞬逡巡し、伸ばしかけた手を引いた。

 虎の手は、兎の血と自身の血で朱く染まっていた。

 

 やはり己には、情愛は似合わぬらしい──

 

 自嘲気味な笑みを浮かべ、ウィリアムはノルンから目を逸し、僅かに瞑目する。

 目を閉じると、前世最後の光景である白無垢姿の三重の姿が浮かんだ。

 血海の上で三つ指をつく三重の白無垢は、朱く染まっていた。

 

 せめて、この無垢で穏やかな妹は、血で汚したくない。

 その様な不器用で、歪な情が、虎の心をかき回していた。

 

 木漏れ日の中、手を繋いで歩いた妹との一時。

 甘やかな兄妹の情は、虎兎の一戦にて脆くも霧散していた。

 

 武士の心は闇を孕めり。

 

 惨たらしくも艶めいた剣の魔物に愛されし若虎は、妹達の愛情に触れても尚、憎み合い、斬り合い、殺し合う宿業の螺旋に囚われたままであった。

 

 

「静香姫。件の魔法陣の在処、御教示頂きたく」

「え? あ、はい」

 

 急にウィリアムに話しかけられたナナホシはまごつきながらも頷いた。

 

「えっと、じゃあ、そういうことだから……」

 

 そそくさとその場を後にしようとするナナホシ。それに黙して追従するウィリアム。

 残されたザノバ達は呆気にとられてその後ろ姿を見ているしかなかった。

 

「ウィリアム兄さん!」

 

 兄の心の変化を僅かながらに感じていたノルンは、切なげな声を上げウィリアムへと縋る。

 だが、ウィリアムはそれを一顧だにしなかった。

 

「……待っておれ」

 

 ただ、一言だけ、妹に言葉を残すウィリアム。

 母を、父を、そして長兄を助けよう。だが、全てが終わったその時は、そこに己はいないだろう。

 妹の、家族の幸せを、遥けき彼方より見守らんとする虎の不器用な情愛。

 ノルンは恐怖と、親愛と、哀しみが混ざった表情を浮かべ兄の後ろ姿を見続けるしかなかった。

 

「……いいのかしら」

「……」

 

 歩きながら、ナナホシはウィリアムへと言葉を向ける。

 虎はただ黙ってナナホシの後を歩くのみであった。

 

 

 

「ふむ……妙なところで、心に澱を抱えておるな」

 

 双子の治療をしながらシャンドルがウィリアムの後ろ姿をみてそう呟く。

 そして、ある程度回復した双子へ改めて呆れた顔を浮かべた。

 

「しかしお前達。いくら二人がかりとはいえ、七大列強に挑むとは無謀がすぎるぞ」

「えっ!?」

「な、七大列強!?」

 

 シャンドルの言葉に双子は驚きの声を上げる。

 

「なんだ知らんのか。あの御仁……ウィリアム・アダムス殿は、先日“死神”ランドルフ・マーリアンを下し列強入りしておる。私も見届けたが、アダムス殿の剣境はお前達よりも遥かに高みにいるぞ」

 

 双子はオーベールから目当ての剣士が剣神流と渡り合った猛者とは聞いていたが、まさか七大列強に叙されていた絶対強者とは露程も思わず。

 自分達が死地から生還していたことに気付いた双子の兎達は、ぶるりとその身を震わせていた。

 

「ううむ。師匠の弟殿が七大列強とは……」

「ルーデウスも凄い奴だが、弟も大概だな……」

 

 傍で聞いていたザノバとクリフも、虎が七大列強だと知り驚きを露わにしていた。

 特にリニアは顎が外れんばかりの驚愕を露わにし、ただでさえ凶獣王を素手で撲殺したウィリアムが想像以上の強者だと知り、悪態をついていた事を死ぬほど後悔していた。

「やべえニャ……やべえニャ……」とブツブツと呟きながら、虎の報復を恐れ恐怖に打ち震えるリニア。震えをごまかす為、未だ気絶し果てているプルセナを強く胸に抱き締めていた。

 ちなみにプルセナはリニアの豊満な乳房に顔面を圧迫され「うぅ……両巨乳重爆(ダブルゼットカップボンバー)なの……」と苦しげに呻いていた。

 

「ますた」

「む? どうしたのだジュリよ?」

 

 ザノバの制服の裾をぎゅっと掴み、不安げな表情を向けるジュリエット。ジュリエットもまた虎の剣気に当てられ、その柔い頬を青ざめさせていた。

 

「ぐらんどますたの弟さん、とてもこわいです……」

「……」

 

 多感な炭鉱族(ドワーフ)の幼女は、虎の血塗れた外面の内に秘めた修羅の性質を敏感に感じ取っていた。

 ザノバもまた薄々であるがウィリアムの異常性を感じ取っており、怯えるジュリエットに対し何も言うことが出来なかった。

 

 

「し、しかし大先生。大先生と死神様は……」

 

 ナクルがシャンドルへと疑問の声を上げる。

 北神流の剣士達の間では有名な話であったが、当代北神と共に北神二世の元で修行していた“死神”ランドルフ・マリーアンは、剣術の方向性の違いや当代北神との軋轢により北神二世、シャンドル・フォン・グランドールことアレックス・カールマン・ライバックにより破門されている。

 その破門されたランドルフの名前がシャンドルの口から出るとは思わず。ガドも痛めた胸を擦りながら、同様に疑問の表情を浮かべていた。

 

「……不死魔族の寿命は長い。わだかまりも、時間が経てば解けるものだ」

 

 シャンドルはかつて己の元で修行した息子と孫の姿を思い浮かべる。

 自分と孫は和解する事はできた。だが、あの息子が孫と分かり合える日は来るのだろうか。

 

(あれも私に似て頑固なところがある。ランドルフと和解する日はまだまだ先であろうな……)

 

 息子であり、王竜剣を受け継ぎし無双の剣士は、父を超える英雄となるべく苛烈な修練を己に施している。

 その生き方は己が認めた他者以外の存在を許さない、強者にありがちな偏屈な生き方であった。

 

(人は誰でも英雄になれる素質を備えていると、確かにアレクに教えた。だが、英雄とは成るべくして成るものだと、肝心なところを教えていなかったな……あの若虎は、どうなのだろうか)

 

 シャンドルがそう思っていると、回復した双子が互いに顔を寄せ合い何事かを呟き合っている。

 シャンドルと学生達の治療の甲斐あってか、ナクルとガドは相応に快復していた。だが、虎に潰されたナクルの片目は痛々しく潰れたままであり、それを完治せしめる程の治療魔術の使い手はこの場にはいなかった。

 

「ガド」

「うん」

 

 やがて双子は改めてシャンドルを見据え、その決意を開陳した。

 

「大先生」

「我ら本日より“北王”の伝位を返上致しまする」

「なに?」

 

 いきなりの双子の申し出に、シャンドルは怪訝な表情を浮かべる。

 双子がシャンドルを見る視線の先は、立去ったウィリアムの方へと向けられていた。虎の剣気に当てられた双子の兎は、この僅かの間に自分達が真の剣に出会えたことを、本能で理解していた。

 シャンドルは双子の表情を見て、その胸の内を察する。

 

「アダムス殿に師事するつもりか?」

「はっ……」

「どうか、お許しを……」

 

 神妙な顔つきの双子に、シャンドルは再び大きな溜息を吐く。

 

「ならば、それはアレクに許可を得るべきだろう。私はもう北神流のあれこれに口を出せる立場ではない。というより、アレクとはもう何十年も会っていないし、私は死んだ扱いになっているだろうしな」

 

 シャンドルは当代北神、アレクサンダー・カールマン・ライバックの名を出す。北神流の当主であるアレクサンダーが北王級剣士の伝位返上を知らぬ事は流石にはばかられる事であった。

 

「先生は、我らのことをお認めになっておりません……」

「それに、僕達の実際の師匠は先代様です」

 

 そう言ったシャンドルに対し、双子は沈鬱な表情を浮かべ言葉を返す。

 当代北神のアレクサンダーは、祖父であり開祖のカールマン・ライバックが興した不治瑕北神流以外を認めておらず、数ある北神流門派の中で特に奇抜派と呼ばれる者達を唾棄していた。

 双子は北神流に入門し、当初は実戦派ともいわれる不治瑕北神流を学んでいたが、その後シャンドルの教えを受け奇抜派に傾倒、北王の伝位を受ける程の使い手になった経緯がある。

 

「ううむ。そういうことならお前達の申し出を受けるが……本当に良いのか?」

 

 シャンドルの言葉に、双子は確りと頷く。その瞳には固い決意が浮かんでいた。

 双子の決意を見て、シャンドルは何度目になるかわからない溜息を吐いた。

 

「致し方ないか……しかし、アレクのことは良いとして、オーベールには何と伝えるのだ?」

「オーベールさんはほっといていいです」

「あの人も本気じゃないでしょうし」

「そ、そうか」

 

 双子のドライな対応にやや戸惑うシャンドル。実際、北神三剣士は奇抜派の業を練り上げんと互いに切磋琢磨する間柄であったが、だからといって相応に仲が良いというわけではなかった。

 

「まったく……ああ、学生諸君。お騒がせして申し訳ない。治療を手伝ってくれた方は、後日何らかの礼をさせてもらうよ」

 

 シャンドルの声を受け、尚もたむろしていた学生達が三々五々に散っていく。彼らには受けるべき講義があり、突然の乱闘騒ぎで休講するほど不真面目ではなく。

 ザノバ達もまた、次ぎの講義を受けるべく虎と兎の死闘の余韻が抜け切らぬまま移動しようとしていた。

 

 

「ウィリアム兄さん……」

 

 一人残ったノルンが、ウィリアムの名前を寂しそうに呟く。

 少女はウィリアムが家族の救助へ向かうことを決断し、それを頼もしく思っていた。

 と同時に、もう二度と、ウィリアムと暖かい日向のような時間を過ごすことが出来ないのではと。

 

 そんな、不安な思いが、少女の中で大きく膨らんでいった。

 

「ウィリアム兄さん……」

 

 不安な思いを打ち消すように、少女は兄の名を再び呟いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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