虎眼転生-異世界行っても無双する-   作:バーニング体位

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第十五景『神君威光封入済(しんくんいこうふうにゅうすまし)女子高生(じょしこうせい)

 

「「ぬふぅ!!」」

 

 双子の北神流剣士、ナクル・ミルデットとガド・ミルデットは、その日も同時に達した。

 

 

「ナクル兄ちゃん。オーベールさんに言われてシャリーアまで来たけど、こんな事してていいのかな?」

「ちょっとくらいはいいじゃないかガド。……そういえば何でシャリーアまで来たんだっけ?」

「オーベールさんが『ぜひ北神流に欲しい逸材がいるから勧誘して来い』って。ちょうど僕らがネリスにいたから手紙が届いたんだよ」

「そっかぁ。ガドはかしこいな」

「へへへ。最近は文字の勉強もしているからね」

 

 淫売宿のベッドの上で、身に何も纏わず和やかに語らう双子の剣士。その傍らには、それぞれの相手を勤めた娼婦達が息も絶え絶えな様子でベッドに横たわっていた。

 娼婦達の身体にはいくつも痣が残り骨を折られた者もいる……事はないが、双子の底知れぬ精力を受け、全身に疲労を滲ませながらベッドに突っ伏していた。

 

「ガド、勧誘する相手ってどんな奴だ?」

 

 (ミルデット)族特有の長い兎耳を揺らしながら兄、ナクルが弟であるガドへとぼんやりとした調子で話しかける。

 それを受けたガドも長い兎耳をぴこぴこと揺らしながら応えた。

 

「ええっと、名前はウィリアム・アダムス。ムソーコガン流って流派を使うらしいよ」

「聞いたことないなぁ」

「でも、オーベールさんの手紙だと剣の聖地に一人で乗り込んで、剣帝の一人を圧倒したらしいよ」

「へぇ……!」

 

 ガドの言葉を受け、ナクルはそれまでののんびりとした調子を一変させ、全身から凍りつくような殺気を滲ませる。

 殺気をまともに浴びた娼婦達はそのまま声も立てずに失神し果てた。

 そのような刺すような殺気の中、ガドは平然とした様子でナクルに声をかける。

 

「ナクル兄ちゃん。僕らは戦いに来たんじゃなくて勧誘に来たんだよ」

「それもそっかぁ。でも、わざわざ僕らが勧誘するくらいなんだから、少しくらいは実力を確かめてみてもいいんじゃないか?」

「それもそうだね。“北王”である僕らがわざわざ勧誘しに来るくらいだもんね」

 

 ナクル・ミルデットとガド・ミルデットの兄弟は“双剣”ナックルガードという通り名で知られており、北神流王級の業前を持つ剣士達であった。が、兄弟一人一人の実力は“北聖”止まりであった。

 だが、二人揃う事で抜群のコンビネーションを見せ、聖級以上の実力を見せていた事で北神三世から“北王”として伝位を授けられた異色の剣士達であった。

 

 “北帝”オーベール・コルベット、“北王”ウィ・ター、そして“北王”ナックルガードの“北神三剣士”は、北神流屈指の実力を誇る実力者としてその剣名を広くこの世界に轟かせていた。

 

「楽しみだねナクル兄ちゃん」

「そうだな。楽しみだなガド」

 

 見た目にそぐわぬ程獰猛な気質を持つ兎達は、虎を捉えるべくその妖しい瞳をゆらゆらと光らせていた。

 

 しかし、この兎達は虎が既に神級の一人を斃していたとは露知らず。

 

 

 無邪気に笑い合う兎達は、どこまでいっても兎でしかなく、肉食獣に捕食される憐れな贄でしか無いのだ。

 

 

 

 


 

 ラノア魔法大学生徒会室

 

 ウィリアムがルーデウス邸で覚醒し、乙女達の入浴に乱入した時からニ日前の事。

 ラノア魔法大学生徒会室では四人の若者が密談めいた話し合いを行っていた。

 

「……では、ウィリアム・アダムスがルーデウス様の御兄弟という事で間違いないのですね?」

 

 生徒会長の椅子に座る一人の女性が言葉を発する。

 机を挟んで立つ二人の女性がその言葉に首肯した。

 

「はい。フィッツ……シルフィも断言していました。ルーデウス・グレイラットの弟、ウィリアム・グレイラットで間違いありません」

「それと、ウィリアムはどうやらあの“死神”を倒したとの事です。今は死神との戦いで深手を負ったらしく、意識は戻っていないようですが」

「それは……凄いですね。七大列強を打ち倒すとは」

 

 美しい金髪を靡かせ、高貴な空気を纏わせながら自身の顎に手を添えるこの女性の名は、アリエル・アネモイ・アスラ。

 アスラ王国王位継承権第二位であり、第一王子派と王宮での権力闘争に敗れ、このラノア大学に“留学”という名目で半ば都落ちをした悲運の王女である。

 

 しかし、その胸中に王位に対する野望の火は消えず。

 虎視眈々と、アスラ王国から遠く離れたこのラノアの地にて捲土重来を誓い、いずれは王位に就く為の“手勢”を集めるべく活動していた。

 

 ルーデウス・グレイラットもアリエルの目に留まった一人であり、元々の“泥沼”としての勇名に加え、学内での数々の武勇伝、そしてあの“不死魔王”バーディガーディを一時的とはいえ瀕死に追い込んだ高い戦闘力は、是が非でも自身の“手駒”として引き込みたいとアリエルは考えていた。

 だが、自身の護衛であり、命の恩人でもある友人のシルフィエットの想い人である事が判明してからはルーデウスを自身の陣営に引き込む事は考えなくなった。

 シルフィエットが無事ルーデウスと結ばれるよう、陰ながら尽力した事もあった。

 

 シルフィエットがルーデウスと結ばれた事はアリエルにとっても大変に喜ばしい事であり、主従関係を超えた友人として素直に祝福をした。

 そして、シルフィエットの境遇に深く同情をしていたアリエルは、これ以上王家の権力闘争に彼女を巻き込む事をよしとせず、結婚を機にシルフィエットの“枷”を解き放っていた。

 

 純粋に、シルフィエットには幸せな人生を歩んで欲しい。

 

 アリエルのこの心情は、為政者としては失格かもしれない。

 だが、この友人を想う気持ちは人として称賛されるべきであろう事を、シルフィエット以外に残った古参の従者達は強く感じていた。

 彼らもまた、シルフィエットの幸せを自身の事のように喜んでいたのだ。

 

 アリエルは机の前に立つ二人の女性をその高貴な瞳で見やる。

 エルモア・ブルーウルフ、クリーネ・エルロンド。

 この二人の乙女はアリエルがアスラから“落ち延びた”際に同行していた従者であり、第一王子派が放った刺客の襲撃からも生き延びた者達であった。

 

 彼女達は普段は一般生徒として魔法大学に通っていたが、本来の任務は情報収集である。

 在校生徒の個人情報、アスラ王国の現在状況、周辺の有力冒険者の情報等を逐一アリエルへと届けていた。

 

「ルーデウスの弟ですか……」

 

 アリエルの傍らに立つ一人の美丈夫が顎に手をやりながら訝しげな表情を浮かべている。

 彼の名はルーク・ノトス・グレイラット。

 アスラ王国ミルボッツ領を治める有力な貴族であるノトス家現当主の次男であり、ノトス家がアリエル王女派の筆頭貴族である為にこうして落ち延びたアリエル王女に付き従っていた。

 

 とはいえ、ノトス家現当主ピレモン・ノトス・グレイラットは転移事件を切っ掛けに第一王子派筆頭でもあるダリウス・シルバ・ガニウスにも取り入り、その立場をどちらに転んでもいいように抜け目なく転換させていた。

 ルークをアリエルに付き従わせたのもピレモンにとって保険でしかなかったが、ルーク自身はアリエルに絶対の忠誠を誓っており、どのような事があってもアリエルの為に身命を賭す覚悟を固めていた。

 

「とにかく、一度お会いしてみたいですね。七大列強の肩書を持つお方とはぜひとも友好な関係を結びたいと思います」

 

 アリエルの言葉に、ルークは静かに頷く。

 エルモアやクリーネもその言葉に確りと頷いていた。

 

「シルフィの事を思うと少し複雑ですが、アダムスという姓を名乗っている事からグレイラット家とは一線を引いているかもしれません。なら、ルーデウスやシルフィに気遣う事なく、ウィリアム・アダムスとは積極的に繋がりを持つべきだと思います。こちらの陣営に引き込む事も……」

 

 ルークがアリエルの内心を代弁するかのようにその口を動かす。

 第1王子派を打倒する為にあらゆる手段を用いる腹黒さを、この主従はシャリーアに至るまでにしっかりと備えていた。

 

「ルーク。私はあくまでウィリアム様と個人的な友誼を持てればそれで良いと思っています。ルーデウス様、なによりシルフィに迷惑がかかる話にするつもりは全く無いのですよ?」

 

 ルークの言葉をやんわりと否定するアリエル。

 その言葉を受け、ルークは苦笑しながら腰を折った。

 

「出過ぎた事を言いました。姫様がそれで良いと仰るならば、私もウィリアムとはあくまで従兄弟として友好を図りたいと思います」

「ええ。そういう事です」

 

 微笑みを浮かべてルークに頷くアリエル。

 確かにウィリアムがこちらの陣営に与する事で、アリエルが王権を得る為の強力な戦力を得る事は間違いないのだが、“七大列強”と“友好関係”にあるだけでも第一王子派を十分牽制する事は出来るのだ。

 

「どちらにせよシルフィの義弟が臥せっているのです。近々お見舞いに行くとしましょう」

 

 そう締めくくるアリエルの表情は、捲土重来を誓う王族としての決意が僅かに浮かんでいた。

 かつて転移事件の際に、己を庇って殺された守護術師の遺志を受け継いだ流浪の王女。守護術師以外にも、己の為に命を散らした者達に報いる為、アリエルは王になるべく静かにその若い血潮を燃やしていた。

 

 

 

 


 

(ウィル兄ぃ、あたしが作ったごはん一生懸命食べてる。うれしいなぁ……)

 

 ルーデウス邸のダイニングにて、はむっはむっと一心不乱にパンを頬張るウィリアムを、アイシャは頬杖をつきながら幸せそうに見つめていた。ニコニコと微笑むアイシャの隣に座るシルフィエットは、少しばかり疲れた表情を浮かべながらウィリアムを見つめている。

 あの阿鼻叫喚の風呂場からなんとかウィリアムを連れ出したシルフィエットは、さながら大型の魔物を討伐したかのような疲労感を全身に感じていた。

 

 シルフィエットによって無理やり風呂場から連れ出されたウィリアムは不満げな表情を隠そうともしなかったが、兄の嫁であるシルフィエットの面目を一応保つため、大人しくこの義姉の指示に従っていた。

 ちなみにウィリアムの乱入により消耗し果てたリニア、プルセナの二人は早々にルーデウス邸から退散している。「リニア……今何時(なんどき)なの……?」「しっかりいたせニャー!」と、虎によって心を蝕まれたプルセナを抱えながらルーデウス邸を後にするリニアの姿は、まるで戦地にて負傷した戦友を担ぐ兵士の如き悲壮感が漂っていた。

 

 そんな獣人乙女達を省みる事なく、ウィリアムは覚醒後初めて食する固形物を存分に噛み締めながら自身の胃に収める。

 妹のアイシャが用意した食事。その中の、焼き立てのパンを一目見た瞬間から、ウィリアムの腹腔は熱を帯び、その胸は高鳴っていたのだ。

 

 噛むべし。存分に噛むべし。

 旨し! パン、旨し!

 

 ウィリアムのこのような食べっぷりを見つめる内に、シルフィエットは疲れた表情を徐々に和らげていた。

 

「ウィル君、今度からお風呂に入る前に誰か入っていないかちゃんと確認してから入ってね。ボク達ならまだいいけど、ナナホシはこれからもウチのお風呂に入る事もあるんだし……」

「……畏まってございます」

 

 シルフィエットの言葉にボソリと呟きながら応えるウィリアム。そんなウィリアムを見てシルフィエットはやれやれと苦笑が混じった笑みを浮かべていた。

 なにはともあれ、こうしてグレイラットの家族……弟のように可愛がっていたウィリアムと再会できた事が、シルフィエットにとって心底喜ばしい事であるのは変わりなかった。

 

 

「……」

 

 そんなアイシャやシルフィエットとは対照的に、じっとりとした暗い感情を浮かべてウィリアムを見つめる一人の少女がいた。ウィリアムの対面に座りながら、もそもそと朝食を食すその少女の名は、サイレント・セブンスターことナナホシ・シズカ。

 風呂場で裸を見られた、そしてウィリアムの逞しい内槍をまざまざと見せつけられた乙女の心境は察するにあまりある状態であった。

 加えて、ウィリアムが風呂場での一件を全く悪びれる様子も無い事が、乙女の怒りを誘っていた。

 

(なんなのよ! 本当に! 普通は誰か入っているか確認するべきじゃないの!)

 

 平成日本では、いやこの異世界においてもウィリアムが取った行動はナナホシにとってあまりにも非常識であった。

 シルフィエットに連れ出され、こうしてリビングで朝食を共にしてもウィリアムからの謝罪も無く、まるでナナホシの事は眼中にない振る舞いを見せるウィリアムに、ナナホシは増々苛立ちを募らせていた。

 

 とはいえ、ウィリアムの感覚ではあのような振る舞いはさして非常識な物ではなく。

 寛政三年(1791年)、“老中”松平定信が江戸での大衆浴場における混浴禁止令を布告するまでは男女混浴が一般的であった。だが、この布告はどちらかと言うと“湯女”が行う売春を取り締まる為の物であり、都市部で男女別浴の習慣が根付くのは明治中頃から終わり頃になってからであった。そして、全国で男女別浴が根付くのは昭和三十年頃まで待たねばならなかった。

 

 ただし上記は銭湯等の大衆浴場での話であり、ウィリアムの前世における岩本家では武士階級でも珍しく屋敷に風呂が造設されており、家長でもあるウィリアム……虎眼はそれこそ家人を気にせず好きなように入浴をしていたが。

 

 またウィリアムがナナホシの事をこの“異世界の人間”と認識していた事も、ナナホシを全く気遣う事無く風呂場へ乱入せしめた一因でもあった。

 長い耳や明らかに人外めいた肌色を持つ人、あげくには犬耳や猫耳を生やした亜人が跋扈する異世界では、日本人のような黄色人種の特徴を持つ人間がいてもおかしくはない。また、ナナホシが現代日本人である事で、ウィリアムが良く知る戦国末期から江戸初期の日本人に比べ西洋的な骨格を持つナナホシが同じ日ノ本の民であろうなどとは露ほども思っていなかった。

 

 もっとも同じ日ノ本の民だからとてウィリアムは遠慮する事は無いのだが。

 

(はぁ……とりあえず、このウィリアム・アダムスが何者かを突き止めないとね)

 

 ナナホシは心中で嘆息すると、改めてウィリアムの顔をまじまじと見つめる。

 ナナホシの視線に気付いているウィリアムであったが、全く意に介さずに黙々と食事を胃袋へと収めていた。

 

 ナナホシはチラリとアイシャ、シルフィエットへと視線を向ける。

 できればウィリアムと二人きりで諸々の事を問い詰めたかったが、風呂場での一件でウィリアムと二人きりになる勇気をナナホシは持つ事が出来ず。

 しばらく黙考していたが、中々ウィリアムへ話かけるタイミングが掴めなかった。

 

(ていうか、本当に同じ“日本人”なのかしら……?)

 

 ナナホシはこの転生者と思わしき白髪の剣士が、果たして本当に“自分が知る日本人転生者”なのか。ナナホシは増々眉間に皺を寄せながら考える。

 もしかしたら日本被れの外国人かもしれない。いや、しかしあの死神戦での一閃を放つ前に呻いた“日本語”は、古風なイントネーションではあったが明らかにネイティブの日本人の発音であった。

 幼少の頃、ルーデウスから日本語を教えてもらった可能性も考えていたナナホシであったが、そもそもルーデウスは自身が転生者である事実を余人に隠していた。

 幼馴染であったシルフィエットや、アイシャやノルンら妹達にすら隠していた事実を、実弟であるウィリアムにだけ教えている可能性は考えにくく。よしんば教えているのなら、ルーデウスはラノア大学で再会した際にその話を自分にしているはずだ。

 ルーデウスからは行方不明の弟がいるとしか聞いておらず、日本人転生者の疑いがあるのなら必ず自分にその存在を共有するはずである。

 もっともルーデウスは当時ウィリアムに対し、得体のしれない恐怖心しか抱いていなかったので、それ以上余人にウィリアムの事を話すのが憚られたのもあったのだが。

 

(やっぱり……私達とは別のタイミングでこの世界に転生した可能性が高いわね)

 

 しばらく考えていたナナホシは、ウィリアムがナナホシやルーデウスが転移、転生した切っ掛けとなったあのトラック事故とは別の要因で転生した魂を持つ可能性を思いつく。

 別の場所……そして、別の時代(・・・・)から転生した魂となれば、ウィリアムの言動やネリスの商人に依頼していた“羽織”に描かれた家紋や文言等に一応の辻褄が合う。

 

(でも、あの刀は転生した時にはなかったみたいだし……)

 

 ナナホシはウィリアムが所持していた日本刀、七丁念仏の妖しい輝きを思い出す。

 ウィリアムが臥せっていた際、ナナホシはアイシャやシルフィエットに、ウィリアムが以前からあの刀を所持していたのか、またはブエナ村にてあのような刀が生産されていたのかを確認していた。

 当然ながら二人共ウィリアムが持つ刀は初めて見る物で、ウィリアムの転生の際に同時に転移して来たわけでは無い事が判明していたが。

 

(となれば、あの刀はウィリアム・アダムスがこの世界で拵えた物なのか……もしくは転移(・・)した物なのかはっきりさせる必要があるわね)

 

 この世界にも刀剣類の名匠は幾人も存在し、それこそファンタジーな業物が何本も存在する。だが、七丁念仏の刀身が放つ怨念めいた凄まじい剣気は、この世界の材質で果たして再現可能なのか。

 刀身部分を構成する玉鋼に加え、柄や鍔等の拵え部分を構成する素材はこの異世界の素材で果たして作れる物なのか。

 

 もし……もし、七丁念仏が日本から転移してきた物体であったのなら。

 

(転移した状況を詳しく聞く必要があるわ。そうすれば、転移魔法陣の確度を上げる事が出来る!)

 

 ナナホシは平成日本への帰還手段である転移魔法陣の研究を、日々ラノア大学にある自身の研究室にて行っていた。

 第二次人魔大戦以降禁術となった転移魔法陣。現在は限られた者でしか知り得ぬその技術を、ナナホシはとある龍族から教えを受けその研究を行っていた。一度は手酷い失敗をし、ナナホシは錯乱する程深い絶望を味わった事もあった。

 だが、ルーデウスやその級友であるクリフ・グリモルらの協力を得て、魔法陣に“プラスティック製のペットボトル”の召喚に成功する事ができた。

 

 平成日本との繋がり。その取っ掛かりが出来た事で、ナナホシの帰還に一筋の光明が差す。

 既に平成日本から無機物を召喚する事に成功していたナナホシであったが、今のところ召喚出来る物体の材質は限られた者でしかなく、複雑な素材を組み合わせた物体の召喚には未だに成功していなかった。

 無機物から有機物を、有機物から生物を、そしてその生物を元の場所へと送還する実験を経る事で、ようやくナナホシの帰還が現実味を帯びてくるのである。

 

 もし、ウィリアムが持つ刀が日本から召喚された物であったのなら。

 自身が進めている転移魔法陣の研究以外で、日本との繋がりが存在するのならば。

 ナナホシは是が非でもその刀の入手手段、そしてウィリアムが何故転生したのかを突き止め、自身の帰還手段の確度を上げる必要があった。

 

(とはいえ……話かけるタイミングがつかめないわ……)

 

 ナナホシはアイシャが調理した温かいスープを啜りながら思い悩む。

 風呂場での一件以外にも、あの死神との一戦で見せたウィリアムの狂気的な感情を目の当たりにしたナナホシは、どうもウィリアムがルーデウスのようにおいそれと日本語で話しかけていいものなのか躊躇していた。

 死神戦でのあの光景。

 あの狂気的な、まさに“死狂い”ともいえるウィリアムが見せた壮絶な光景は、ナナホシの人生においてまるで時代劇に出てくる武士の如き(・・・・・・・・・・・・・)様相を呈していた。

 

(そう、時代劇。時代劇なのよ)

 

 ナナホシはウィリアムがネリスの商人に依頼していた羽織に描かれた文言を思い起こす。

 とてもじゃないが、平成日本人のセンスにしてはケレン味がありすぎる。また、羽織りの正面には明らかに“剣五つ桜に六菱”の家紋が刻まれている。

 ナナホシには見覚えの無い家紋ではあったが、それなりの家格を匂わせる由緒正しい代物に見えた。

 

 故に、ルーデウスに行ったような日本語のコミュニケーションを取る事が、果たしてウィリアムには通用するかどうか。

 もし迂闊に話しかけ、それがウィリアムの逆鱗に触れる事となったら。

 ナナホシはあの流星の如き恐怖の一閃を思い出し、背筋に冷たい汗が流れるのを感じていた。

 

 

「あ、ウィル兄ぃ。そういえばウィル兄ぃに渡す物があったんだよ」

 

 眉間に皺を寄せながら思い悩むナナホシだったが、ふとアイシャが何かを思い出したかのようにその可憐な口を開く。

 席を立ったアイシャはリビングへとパタパタと可愛らしい足音を響かせながら向かう。そして、間もなくその手にウィリアムがネリスの商人へと依頼した羽織りを抱えながらウィリアムの傍へと駆け寄った。

 

「はい。これ、ウィル兄ぃのでしょ? ナナホシさんがネリスの商人さんから預かってたんだよ」

 

 そう言いながらアイシャが手渡す羽織を、ウィリアムは目を細めながら確りと受け取る。

 鋭い視線を浮かべながら、紋付羽織をゆっくりと広げ、その出来栄えを確かめていた。

 刻まれた“剣五つ桜に六菱”の家紋は、自身が生きた証でもある岩本家の家紋であり、羽織の背面には自身の今生においての生き様が確りと刻まれていた。

 

 “異界天下無双”

 

 力強いその言葉を、ウィリアムは瞳を爛と輝かせながら見つめる。

 僅かの間にウィリアムの要望通り、完璧に羽織を仕立て上げたネリスの商人の仕事に、ウィリアムは満足げに吐息を漏らした。

 

『出来ておる喃……あ奴めは……』

「!?」

 

 思わず、といった風に呟かれた日ノ本言葉。

 もしウィリアムがナナホシが同じ日本語を解する人間だと断じていたのならば、決して吐き出される事はなかったその言葉。

 ナナホシは驚愕を目に表しながらウィリアムを見やる。

 数瞬、躊躇ったナナホシであったが、やがて意を決してその可憐な唇を開いた。

 

『やはり……貴方の前世は日本人なのですね』

『!?』

 

 今度はウィリアムが目を見開いてナナホシへと顔を向ける。

 予想だにしなかった人物から放たれた日ノ本言葉に、ウィリアムは驚愕を露わにしながら黒髪の乙女へその鋭い視線を向けていた。

 

『え、えっと、そんな怖い顔で睨まないで欲しいのだけれども……』

『……』

 

 ナナホシはウィリアムの殺視線に怯むも、勇気を奮い立たせて日本語にて話しかける。

 そんなナナホシに対し、ウィリアムは沈黙を返していた。

 

(ここで殺すか……?)

 

 ウィリアムは静かに殺気を滲ませながら、そう思考する。

 日ノ本言葉を理解する人間に、奥義“流れ星”を見られている。異世界人ではあの術理を解明できるまでに時間がかかるであろうが、同じ日ノ本の人間ならば異世界人より早く虎眼流の術理を解明してしまうかもしれない。

 もっとも“流れ星”以上の奥義(・・・・・・・・・・)を開眼せしめていたウィリアムは、今更“流れ星”を切り札にするつもりはなかったのだが。

 どちらかと言えば、日ノ本言葉を解する人間によってウィリアムが会得する虎眼流の術理流出を防ぐ必要があった。

 

 ウィリアムはいずれはこの世界でも虎眼流の看板を立て、弟子を取りその術理を伝承する腹積もりではあったが、今はその時ではなく、術理が明らかになっていない“有利な状況”の内にこの異世界にて“天下無双”の頂に立とうとしていた。

 この異世界にて全く知られていない日本剣術は、術理が全く知られていないというだけで異世界の剣士達と対するには十分なアドバンテージとなりうるのだ。

 

 ウィリアムは右手を構えナナホシの細い首に視線を向ける。

 虎眼流剣士にとって、たとえ素手であっても人体破壊を容易く行えるのは今更言うまでも無い事であり、ましてや平成日本の一般的な女子高生でしかないナナホシの命を奪うことは、ウィリアムにとってまさに“朝飯前”であった。

 

「ナナホシ。その言葉ってルディも使ってた言葉だよね? ウィル君も知ってるの?」

「あ、いえ、これは、その……」

 

 シルフィエットが唐突に発した言葉に、ナナホシはしどろもどろになりながら応える。シルフィエットの言葉を聞いたウィリアムは、咄嗟に滲ませていた殺気を消し、右手を下ろしていた。

 

「ルディには“同郷”って言ってたよね? 結局あの後ははぐらかされたけど、ルディとナナホシは本当はどういう関係なの? ナナホシが転移する前の世界と関係があるの? それとも龍神が関係しているの?」

「えっと、これは……なんていったらいいのかしら……」

 

 言葉を濁しながら、ナナホシは慌ててポケットから3つの指輪を取り出そうとする。だが、素早くテーブルに身を乗り出したシルフィエットによって、ナナホシはその手を掴まれた。

 

「ッ!」

「ナナホシ。なんで魔道具を出すのかな? 別にボクはナナホシに対して危害を加えるつもりはないよ?」

 

 乱暴に掴まれた事で、ナナホシの指輪がテーブルの上に落ちる。同時に、ナナホシのポケットからとある紋様が描かれた(・・・・・・・・・・)小さなポーチが床に落ちた。

 そのポーチはナナホシが転移前から所持していた物であり、同級生からはややセンスを疑われる程の“渋い”代物であった。

 

 僅かに怯えた表情でシルフィエットに目を向けるナナホシ。抑揚の無い声でナナホシを問い詰めるシルフィエットの表情は固く、その心の奥底ではナナホシがフィットア領転移事件の原因である事を未だに“恨んで”いた。

 ルーデウスと結婚し、披露宴にも呼び、こうして風呂を貸し朝食を共にするようになってから、ナナホシにはそのわだかまりは解けたかのように思えていた。だが、離れ離れになり、やっと再会した“義弟”が殺気めいた警戒心を露わにしていたのを察知したシルフィエットは、再びナナホシに対し怜悧な敵意を向けていた。

 

「シ、シルフィ姉……」

 

 突然発生したこの修羅場に、アイシャはあたふたと狼狽えながらナナホシとシルフィエットを交互に見やる。

 救いを求めるかのようにウィリアムへと視線を向けると、ウィリアムは先程とは比較にならぬ程の驚愕を露わにし(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)、床に落ちたポーチを目を剥いて見つめていた。

 

「ウィル兄ぃ……?」

 

 アイシャの言葉が聞こえていないのか、ウィリアムは大量の脂汗を浮かべ全身を震えさせていた。尋常ではないその様子に、アイシャもまたそのポーチに目を向けた。

 

 ポーチには、“丸に三つ葉葵(・・・・・・)”の紋が描かれていた。

 

「シルフィエットッ!! その手を離せぃ!!!」

「ひぇッ!?」

 

 突如大音声を発したウィリアムに、シルフィエットはビクリと身体を硬直させ、掴んでいたナナホシの手を離す。

 同様にアイシャや、ナナホシまでも雷に打たれたが如く硬直し、ウィリアムが放つ猛烈な怒気にその身体を震わせていた。

 

 ウィリアムは椅子から転げ落ちるように床に這いつくばると、そのまま勢いよく頭を打ち付けナナホシに向け日ノ本言葉を発した。

 

 

『恐れ多くも東照大権現様ゆかりのお方(・・・・・・・・・・・・)とは露知らず! 平に! 平に御容赦をッ!!』

(ええええぇぇぇ!!!???)

 

 

 “丸に三つ葉葵”

 

 通称“徳川葵”が放つ時空を超えた威光に、ウィリアムの前世における魂が強烈な反応を引き起こしていた。

 

 呆然とその光景を見つめるシルフィエットとアイシャに構わず、ウィリアムはひたすらに床に頭をこすり続けている。

 突然シルフィエットに手を掴まれたショックと、いきなりのウィリアムのこの行動で思考停止状態に陥ったナナホシは、やがてバタリと仰向けになって気絶し果てた。

 

 

 半狂乱で謎の言語で許しを請い続けるウィリアム、いきなり倒れたナナホシ、ウィリアムの怒気をまともに浴びて茫然自失となったシルフィエット、それらを見て大混乱に陥るアイシャ。

 ルーデウス邸のリビングはノルンを伴ったアリエル王女一行が訪れるまでカオスな状況が続くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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