『そういうわけで、どうやらボク達の管轄に逃亡中の虫憑きが入り込んだらしい』
談笑を交えながらの楽しい夕食を済ませ、満を見送った後唐突に上司――土師から連絡がきた。
嫌々ながらも出て内容を確認すると、どうやら南中央支部の局員が取り逃がした虫憑きが
号指定を含んだ十数人から逃れる程の猛者、どんなに低く見積もっても確実に八号指定より上だろう。しかも情報によると特殊型らしく、とことん元との相性は悪い。
暫定名称を“さら”と名付けられたその虫憑きの対処は“かっこう”を始めとした号指定の局員達が行うらしいが、万一にも遭遇した場合は『足止め』だけはしっかりやって欲しいとのこと。
簡単に言ってくれたが、無指定で物理的な攻撃手段しか持っていない元では期待以上の成果をあげることは出来ないだろう。勿論土師もその事は理解している、分かった上で言っているのだ、彼は。
その意地の悪さに顔を歪める。無論電話の向こう側にいる土師には分かるはずもなく、ただ愉快そうな声で「頼んだよ」と言った後一方的に通話を切った。
「ちっ、あのクソメガネ……」
面倒事を押し付けられた元は、舌打ちをしケータイをテーブルの上に投げ捨てた。
無指定である自分が格上の……しかも相性の悪い相手をしなくてはいけないのか。足止めとは言ったが、結局一戦交えることに変わりない。そんなことになれば大した能力もない元など瞬殺される。
「とっとと倒せよ、“かっこう”」
ふて腐るように開いた窓に頬杖して呟く。月を見る視線には羨望が込められていた。
それはきっと、無力感からくる憧れなのだろう。
わかっていてもそれがなくなることはきっとない。何故なら何処まで行っても元は弱者でしかないから、強大な力を焦がれるだけの有象無象の一人に過ぎないのだから……。
そして人知れず、自分ですら自覚出来ずに元は一人の少女の身を案じてしまっていた……。
「本当、お前は面倒事を持ってくるのが得意だな」
大柄の少年、九重護は夜間にも関わらず呼び出した上に身元不明の人物の面倒を押し付けた後輩に訴えるような視線を送る。
「いや~、それほどでもないかな」
しかし当の本人は照れたように頭に手をやる。
「褒めてねーよ!」
見当違いの反応に護はつい声は荒げてしまった。
身元不明の少年を保護しようと考えた満は、まず自分達の中で一番年上の護に連絡を入れた。
最初は渋っていたものの、結局根は真面目で優しい彼は引き受けてくれることとなった。
両親に遅れることを連絡し、少年の手当てをする為に護の家に満はやってきていた。それ自体は既に終わり今は客間と思わしき部屋で二人お茶を啜っている。
九重の家は昔ながらの旧家であり、屋敷を思わせるほど大きい。かつては武家だったらしく、倉を漁れば錆びた槍や刀が出てくることもあるらしい。
そんな無駄に広い家だからか、人一人匿うのはわけがなく、事実あの少年も普段使われることのない一室に寝かしつけてきた。
「おじさん達は?」
「今日は遅い、下手したら深夜だな」
何かの会合でもあるのか、護の両親は出掛けている。尤も、そうでもなければ少年の引き受け役は難しかっただろう。
そんなことを思っていると、「もしかして、わたしってピンチ?」と見当違いな危機感を抱いている満に護は頭を抱えた。
確かに満は美少女だが、性格に難がある。おまけに護とは中々合わず、正直言ってタイプではない。
だから「安心しろ、間違ってもそんなことはないから」と素直に告げると、満は心の底から安堵する仕草をする。
そんなに信用ならないかとも思ったが、ふざけてやっていることは明白なので無視することにした。
「それより彼は一体何者だ?」
ただ呼び出され、あまり説明もないまま匿うことになり、結局詳しい事情を知らない護は満に説明を要求した。
「知らない、そこで拾ったの」
出されたお茶を飲みながら「あっち」とある方角を指さした。まるで捨て猫を拾ってきたかのような言だが、事実なのだから仕方がない。護も満が下手な嘘を吐かないのは知っているから余計に頭を抱えることになった。面倒ごとをよく持ってくる故気苦労が絶えず、最近冗談でも「老けてきたのでは?」と言われる始末。それが近頃の悩みで、どうにかならないものかと思っていた矢先にこれである。
「あ、でも、彼たぶん虫憑きだよ」
しかも特大級の面倒事のようだ。
「なんでそう思う」
「この子が反応したからね」
護の問いかけに答えるように満の虫、アワフキムシがその姿を現した。
満の虫には一応感知能力がある。もっともそれは虫に対してというより『夢』に対してと言った方がいいだろう。強い虫憑きとは即ち、強い夢の持ち主に他ならない。無指定並の弱い者達ならともかく、号指定を受ける程の強さを持つ者ならアワフキムシは反応する。
その虫が反応を示したと満は言ったのだ。つまりあの少年は号指定並みの虫憑きということになる。
満の言葉を信じるなら、もしかしたらあの少年は例の『実力者』なのかもしれない。タイミング的にもその可能性はかなり高い。
そうと分かれば本来なら切り捨てるのが妥当だ。ただでさえ特環に目をつけられてるというのに、彼らから追われてる者を匿う余裕などあるはずがない。
「………………」
「……いや、わかってる。大丈夫だ、そんなことはしないさ」
しかしどうやら彼らの姫はそれをよしとしなかったらしい。
無言で思案を始めた護のことをじっと睨むように見つめてきた。そこに込められた想いを察した護は肩を竦め、ため息を漏らしながらそう応えた。
実際、満のことがなくても切り捨てるようなことはしなかったろう。護は良くも悪くも古い人間だ。それは武家の家に生まれたためだろうが、彼は何より義を重んじる傾向にある。そのためか人道的に反することがとにかく嫌いなのだ。
だから僅かとはいえ家に迎え入れた彼を勝手な都合で追い出すようなことはしない。それを行うのであれば、少なくとも目覚めた彼と話し合った後だろう。
故に今すぐどうこうしようということはない。
「そっか、なら良かった」
既に空になった湯呑をテーブルに置き、「じゃ、わたしはこれで」とそう言って満は立ち上がった。
「もう行くのか?」
夜遅いとはいえ明日は休日。おまけに両親にも連絡を入れたのならもう少し居てもいいのではないか? もしかしたらあの少年が目覚めるかもしれないのだから。
護の問いかけに満は照れたようにもじもじしながら呟いた。
「……だって、明日は元と会う約束してるから……」
「あー……はいはい。わかった、引き止めて悪かったな」
最近何度見たか数えるのすら億劫になるその態度に護は頭に手を当てながら呆れてそう言った。
護の許しを得ると満はそそくさと帰っていった。その足取りは軽く見るからに浮かれていた。
毎日会っているしデートもしているというのによくもまあ飽きないものだ。色恋に未だ縁のない自分には分からない感情なのだろう。そう思った護はケータイを手にすると親友とも呼べる人物に連絡を入れた。
内容は無論“彼”に対してのことだ。