――どうしてこうなった……。
元の頭の中は今この言葉で埋めつくされていた。
実質拒否権のない監視任務を与えられ、監視対象のいる学校に潜入できたのはいい。その後、すぐにクラスに馴染めたのも問題ない。だが、あれだけは想定外だ……。
『わたし、元くんの彼女に立候補します』
素敵な笑顔を浮かべて何を言っているのか、あの少女は……。出会ったばかりの、まだ口すらきいていない相手に告白だと? しかも衆人環視の中で堂々と……一体彼女の頭の中はどうなっているんだ?
確かに元々彼女とは友達くらいの関係にはなろうと思っていた。近過ぎず遠過ぎず無難に『友人』というポジションに着いて監視に当たるはずだった。しかし、気が付けばそんなものより更に上位の位置に自分は今いる。
前途多難だ、いくらなんでも行き過ぎだ、あれは。もしかして最近の中学生はこんなにアプローチが激しいのかとも一瞬考えたが、周りのクラスメイト一同も自分と同じ反応をしたところをみるに、それは違うのだろう。
「なんなんだ……一体……」
昼休み、屋上で一人寂しく食事にあり着いていた元は、何度も彼女の事で頭を悩ませていた。
あの後、衆人環視の中行われた告白だが、そのすぐ後に空気を読まず――もしくは空気を読んでか、一時間目の教科の先生が来た所為でタイミングを見失い、元は未だに返事をしていない。
そう、あの
……というのも、誠に残念な事に元は恋愛経験がない。
前世では小学校を卒業した後は中・高ともに男子校に通う羽目になり、女子と接する機会がなかった上、更にその最中事故で死亡。
現世では小学校までは普通に暮らせていたが気付けば虫憑きに、そして特環に捕まり、つい先日まで訓練浸けの日々。
そういった経緯で未だ真っ当に恋愛をした事がなく、免疫のない元にとって、ストレートに告白をした満は『苦手な人』に分類されたらしい。
だから今も、立ち入り禁止区域である屋上に来てまで一人で淋しく昼食を取っていたのだ。何せ教室だと興味や嫉妬などの視線に晒される上、件の少女がいる。
本来なら監視対象から離れるのはいけないのだが、今回ばかりは仕方がない。一緒に居れば確実に彼女の好意の籠った視線を一身に受ける事になり、心が痛むのだから……。
昔やったゲームで、『一目惚れは暴力』と例えられていたが、全く持ってその通りだと全面的に同意しよう。
授業中も、一体どっちが監視者なのかわからなくなる程見られていたし。休憩時間に入れば嬉しそうにこちらに近付いてくる。おかげでその僅かな時間すら逃げる様に教室から出なくてはいけなくなる始末。
「はぁ……」
ため息が漏れ、がっくりと項垂れる。
ラブコメ漫画の主人公の気持ちがなんとなく分かった。今まで安易に「爆発しろ」とか言ってすいませんでした、だからさっさとこの任務終わってください、お願いします。
そんな藁にも縋りたい気持ちで思っていると、不意に胸ポケットからごそごそという音が聞こえた。
一瞬驚く元だったが、「そういえば……」とあることを思い出し、忍ばせていたそれを取り出した。
それは一見……というより、どこからどう見ても只の紙だった。
無地で丁寧に折られたこと以外特出すべきことのないそれに、僅かな染みが浮かび上がる。最初、滲む程度のそれは徐々に数を増やし、パーツのように繋ぎ合わさっていくと文字となり、更に数が増えると文章となった。
『監 視 し ろ』
数秒も待たずに紙に表れたその言葉に対し、元はため息を一つ。
「メンドくせぇ……」
陰鬱とした気持ちの中、空腹を紛らわすかのようにもそもそとパンを食べ始めた。
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「お前は一体何を考えているんだ!」
時同じく。本校から渡り廊下を挟んだ隣にある特別棟の空き教室にて、鼓膜が破れんばかりの大声が響いた。
「愚問だなぁ九重先輩。わたしは何時だって恋に生きる女なのだよ」
キーンと未だに耳鳴りがし、耳を塞ぎながら蹲る数人を他所に、怒られた当の本人である満は何故か胸を張ってそう応えた。その姿を見るに、恐らく反省はしていないのだろう。
件の少女の態度に頭を悩ませている、180cmに到達するほど大きな体格の少年--九重護は呆れたように頭を横に振る。
「たく、もう少し自分の立場ってのを理解しろよ」
「む……失礼だなぁ、これでも自分のことくらいちゃんとわかってるよ」
そう言いながらもそわそわしているところを見るに、早くあの転校生に会いたいのだろう。言動が全く一致していない辺り説得力は皆無に等しかった。
元々自由奔放の権化みたいな彼女を100%制止出来るとは思ってもいないが、それでも限度というものを考えて欲しかった。
素性は知られていないとはいえ自分達は今ある者達に追われているのだから。
そんな意味を込めた護からの無言の視線を満は渋々ながらも受け取る。確かに満自身もそういった面倒事に巻き込まれるのは御免だ。
「……ねぇ、話ってそれだけ? ならわたし、もう行ってもいいかな?」
だがしかし、それとこれとは話は別だ。いくら見つかりたくないからといっても恋愛をするなと言われて「はい、そうですか」と大人しくなるほど彼女は聞き分けがいい方ではない。寧ろそんなことは関係ないと言わんばかりに行動するのが満だ。
「分かってると思うが、目立つ行動はするなよ」
短い付き合いだが、それを理解している護はそそくさと空き教室から出ようとする満に再度忠告する。
自分の行動を先読みされたことと恋路の邪魔をされたと勘繰った満は扉を開けると身を翻し、思いっきり息を吸い込んだ後……。
「いーーーーーっだ!!」
悪態(?)をつけてから勢いよく扉を閉めてから出て行った。
数秒。静寂が場を支配していたが、護のため息とともにそれは崩れた。
やはり、あの年頃の少女に色々と抑制を強いるのは難しいのだろう。思えば護自身そういったことには覚えがある。不慣れな環境の中、あれも駄目これも駄目と言われ続けた結果反抗期に陥っていた時期があった。故に、その気持ちが分かる自分が満にも同じ気持ちを味わわせるのは気が引ける……。
「なあ、
僅かに抱いた不安。それを掻き消そうと昔からの友人に肯定を求めた。
「……別に。ただ、本当に正しいものなんてこの世にはないからね。だから君の好きにすればいいと思うよ、僕は」
ひたすらノートに何かを書き殴っている痩せ型のメガネを掛けた少年。がたいがよくどうみてもアウトドアな護とは対照的にインドアな印象が強い彼は、護の問いに否定も肯定もせず淡々とそう応えた。
「……そうだな」
一見冷たいようにも思えるが、それが少年--萩村彩斗なりの肯定であることを知っている護は安堵し、瞼を閉じる。そして柄にもなく、神頼みというものをしてみた。
虫憑きという異形の存在の願いを叶えてくれる神が果たしているかどうか……それは護には分からない。しかし願掛けをするくらいは自由なはず。
だから、『とりあえず』願っておこう……。
--何事もなく平穏でありますように、と。
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「むぅ……」
水無月満は絶賛不機嫌中だった。
先輩達からの呼び出しの後急いで教室に戻るも元は居らず、渋々つぐみと共に昼食にありついたのだが、結局元が戻ってきたのはチャイムが鳴る数秒前で話すことすら出来なかった。
今朝の返事も気になるが、それよりも彼について詳しく知りたかった。自分でも上手く口に出来ないが彼を見た瞬間、ビビっときたのだ。彼以外には考えられない、そう思えるほどに満は元に釘付けになった。
この感覚は知っている、何度も経験している。間違いなくあの「直感」だ。
やはり占いは当てにならないな、と思いながら元に視線を向ける。
今は本日最後の授業、理科を受けている最中だ。黒板とノートを何度も往復しながら授業内容を書いていく姿は他人目線だと面白く感じる。こういった日常の中の観察は見方や視点を変えると意外と面白いのだ、満の趣味の一つに人間観察が密かに入っていることは満だけの秘密。
今日はその中に新鮮な色が混ぎれており満の楽しみは更に増している。
一体彼は今何を考えているのだろう? 授業のことだけか、はたまた満のことか、それとも全く関係ないことか……。出来ることなら自分のことを想っていて欲しい、気になっていて欲しい。印象に残るために皆の前で思い切って告白したのに全く気にされていなかったら、流石に凹む……いや、だからといって諦める気は毛頭ないが。
そんな感じに頭の中が元一色に染まっている満の視線を一身に受けている当の本人。その心境だが……満とは違った意味で元の頭は彼女のことで溢れていた。
ただでさえ監視対象として目が離せない相手だったのに例の告白により完全に無視できない存在になった。
どうやったら少ない接触で監視できるか? 先ほどから元の頭の処理能力はそのことだけに使われていた。授業に関しては一度習った内容なのでノートに写しておけば問題はない、どんなに低くても平均点以上は取れるはずだ。故に、今直面している最大の問題はやはり満の対処だろう。
如何にして彼女と距離を置いて監視できるか。
一番手っ取り早い方法は彼女を「振る」ことだ。そうすればこれ以上付きまとわれることはなく、友達かもしくはそれ未満の関係になれるだろう、監視者として考えればこれがベストな答えだ。だがしかし、これには大きな問題がある。それは……元自身恋愛経験がなく、へたれであるということ。もっと正直に言えば心のどこかで嬉しいと思っている自分がいるのだ。
生前十数年、転生後十二年。それだけの間浮いた話が一度もなかった元にとって、今回の満の告白は本当のところかなり嬉しく、喜ばしいことなのだ。任務でさえなければ、多分首を縦に振っていた可能性はかなり高い。
それ故に、元にとってその選択は相当堪えるものとなった。
他に何かないかと思案するが、幾ら考えてもやはり一番効果的なものは一つしかなかった。
「はぁ……」
深く、それでいて哀愁が篭ったため息を静かに吐いた。
結局、もう普通の生活が出来ない以上始めから答えは決まっていたのだ。浮かれようが慌てようがそんなことは既に意味がない、とれる行動は一つだけ。
後ろめたさや罪悪感、そして僅かな寂しさを抱きつつも、元は意を決した。
そんな元の気持ちに応えるように、本日最後の授業の終わりを告げるチャイムが今鳴り響いた。
そして予想した通り、やはり満は一目散にこっちに向かってきた。
「……ごめん」
本当に嬉しそうな笑顔を浮かべる彼女に対し、聞こえないほどの小さな声で先に謝った。
彼女の……満の気持ちに応えることは出来ないから。
――その日、元は初めて受けた告白を断った。
とりあえず一応ラブコメをやる以上はハートフルにしたいですね……勿論ムシウタ的な意味で。