「ふぇ? 虫憑きについて知りたい? 何でまた?」
昼休み。
食堂に向け歩いていた元――的場智美は昨日会ったばかりの少女、一之黒亜梨子に捕まり、そのまま屋上へと連れてこられた。傍らには彼女の亡き友人の虫である銀色のモルフォチョウが羽ばたいていた。
聞きたいことがあるらしく、どうやらそれは虫憑きのことらしい。
「“かっこう”に聞いたら?」という言葉に亜梨子は「機密事項らしくて何も言わないわよ」と口を尖らせる。
それは御尤もだろう。“虫”という存在は世間には公にしていない、あくまで噂や都市伝説程度に留めているものだ。だから一般人に対し情報公開することはあり得ない。
「ところでその大ちゃんは?」
「置いてきたわ」
正確には亜梨子がトイレに立った際に偶々智美を見つけ、そのまま連行した為大助は現在教室で他の二人の女友達にいじられている最中だ。
哀れ大助。そう心の中で黙祷する智美を他所に亜梨子は「教えて」と再度詰め寄ってくる。
どうするか。そう一瞬逡巡するが、既に無関係ではないし、それに彼女はこの後起きることの中心となる者だ。多少早く知った所で問題はないだろう。
そう結論付けると智美は彼女に腰を下ろすように伝える。
一瞬困惑の色を見せるが「ちょっと長くなるから」と言うと納得したのか、大人しく座った。
そしてそれを後目に智美は邪魔が入らないよう虫の能力を使って屋上に鍵をかけた。
「さって……先に言っておくけど、答えられる範囲でしか言えないからねー」
前置きをした智美に亜梨子は分かったと首を縦に振る。
「あ、一応聞くけど貴女はどこまで知ってるの?」
余計な手間を省く為まずは亜梨子がどのくらい虫について知っているのか問う。
「えーと、虫の形をした異形の存在、人の夢を食べる、虫がやられると欠落者になる……そして夢を食べ尽くされた人は死んでしまう」
一つ一つ指を数えて折りながら言っていく。最後、僅かに詰まらせたのは仮とはいえその光景を思い浮かべてしまったからだろう。
「基本的なことは知ってるのね」
恐らくはなんやかんやで大助から辛うじて聞き出せたものなのだろう。彼なりに答えられる範囲では答えたらしい、相変わらずの捻くれ者に智美は内心ほくそ笑んだ。
「なら私が答えれるのは虫の種類くらいかな」
「種類?」
「そう、“かっこう”や貴女の友人……花城摩理の虫は同化型で、私のは分離型。虫には種類があるのよ」
『原虫』と呼ばれる虫を生み出す大本の存在がいる。虫とは彼らがよって生まれるものであり、種類は大まかに三つに分けられている。
分離型は“大喰い”と呼ばれる原虫が生んだ虫だ。数が最も多く、それ故に個々の能力も強さもバラバラ。遠隔操作だったり武器になったり群体だったりと色々あるが『実態がある』という特徴だけは共通のものだ。ちなみに“大蜘蛛”はその中でも最もポピュラーなタイプだ。
それとは真逆に『実態を持たない』という特徴の虫が特殊型と呼ばれるものだ。
特定の物を媒体として力を行使し、『領域』という自身が能力を扱う空間を持つ。その領域は他の虫の力を抑制する働きもあるらしく非常に相手にし辛い虫なのだ。
これは“浸父”と呼ばれる原虫が生み出している。“大喰い”と比べ出現率は低く年間数体から多くて十数体程度とのこと。
そして、最後に同化型。
この虫は宿主と同化することで能力を発揮するタイプであり、現在最も数が少ない虫だ。その希少性に恥じることなく、いずれもが強大な力を宿している。これに当て嵌まらない唯一の例外は“からす”くらいだ。
超人的なまでに身体能力を向上させ、特定の物を同化することによりそれを『武器』として扱い、更なる攻撃力を得ることすら出来る。
生み出しているのは“三匹目”と呼ばれる原虫だが目撃例はなく、虫も数えれる程度しか発見されていない。それ故最も謎に包まれている。
「まぁ、だいたいこんな感じかな」
一通り説明を終えた智美は腰を上げ、「もう用はないよね」とそそくさと退散する気満々だ。
「ちょっと待って! まだ聞きたいことが――」
静止の声を上げる前に休み時間の終わりを告げる予鈴が鳴る。
どうやら本当にここまでのようだ。それを亜梨子が悟ると智美はそのまま屋上を後にする。
扉の向こうでは不服そうに睨む亜梨子が見える。これ以上話すことはないと思うが、下手に機嫌が悪いままだと友人が八つ当たりを受けるかもしれない。
一応その辺りの事も配慮し、「また時間があったら教えてあげる」という言葉を残し去っていった。
その「また」がいつのことを差すのかは伏せて……。
「むぅー」
「いや、だから謝っているだろう、悪かったって」
特別環境保全事務局・中央本部の通路で二人の局員が歩いていた。
ご立腹と言わんばかりのふくれっ面で睨んでくる初季に元は何度目か分からない謝罪を口にした。もっとも、何度目か分からない程言っている為誠意は少しなくなっているのだが……。
曰く、昼休み昼食を一緒に食べようとしていたのに無視された、との事だ。
亜梨子に捕まった際、すぐにケータイで簡易的なメッセージを送ったというのに何故か今尚責め続けられる元。
「はぁ……分かったよ、後でなんか奢るから」
「やったぁ!」
その言葉で一変、満面の笑みとなった。
元はため息が漏れ、心の中で「クソ」と毒づいた。最初からこれを狙っていたのだろう、現金な物だ。
予定外の出費に頭を抱えたくなったが、それよりも早くに前方に目的の部屋が見えてきた。
気は重いが「任務だから」と割り切り、初季を連れ部屋に入るのだった。
学校が終わり、然程時間も経たぬ内に元は中央本部に来ていた。
内容は前もって伝えられていた『ある虫憑きの説得』である。
本日はその実行日となった為彼は出向いてきたのだ。
ちなみに初季が同伴している理由は、現在彼女は元の監視下にあるからであり、長時間の別行動は許されていないからだ。今回は本部に直接出向く形になる為彼女を置いてくる事は立場上出来ない、それ故に連れて来る他なかった。
任務が任務の為居た所で役に立つことはないが、しかし放っておくことも出来ない。なるべく静かに見学して貰うことを願う。
着いた先は白い部屋だった。
その部屋は別室から何人かの白づくめによってモニタリングされている。そのモニターにはセーフティネックを付けられた少女が写っていた。
リアルタイムで稼働しているらしく、時を同じくして元、“大蜘蛛”がその部屋に入る。同行してきた“からす”はモニタールームの方にいる。
「はじめまして被験体2587号。俺は本日の君の交渉人、異種九号“大蜘蛛”だ」
白い部屋、白い薄着を着た少女。
それとは対照に黒いコートを纏った少年はゴーグルを着けた上からでも分かる快活な笑顔を浮かべそう名乗った。
「ついに号指定まで引っ張ってきたのね、そんなにあたしを組み伏せたいのかしら」
愛想よくいった元とは異なり、少女は警戒心を強め、敵意すら持った目で睨んでくる。
整った顔立ちの所為かその表情は一層険しく更に憎悪が浮き彫りになる。そういった感情は“からす”である程度慣れたと思っていたが、それでも無意識に半歩後退り程の迫力があった。
「ま……まあまあ、そんなに警戒するなよ」
一瞬たじろぐものの、オホンと咳払いした後元は備わっていた椅子に座った。
テーブルを挟み、同様に座っている少女と対面する形になる。
間近で見るとその容姿の可憐さがよく分かる。まだ少女という年齢でありながら美貌と称して良い程の美しさ、囚人として囚われているにも関わらずその姿は名のある絵画から出てきたのではないかと思える程だ。
「えーと、まずお近づきの印に……」
そう言って元は持ち込んできた紙袋の中から『ある物』を取り出し少女の前に置いた。
「……………………………」
そのあまりの場違いな物に言葉を失った少女には構わず「あまり良い物食ってないだろうと思ってさ」と割り箸まで置く。
そして彼女の前に置かれた物――『どんぶり』という食器の蓋を開けると湯気が上り、その下からカツ丼が覗いていた。
「……なんでよ」
「美味そうだろ?」という表情を浮かべる元に対し、この時唯一少女が発することが出来た言葉はそれだけだった。