生徒の声で賑わう校舎、放課後の廊下を長い髪を揺らし上機嫌に歩く。ホルス聖城学園の制服を纏った少女は軽やかなリップ音を鳴らしながら目的の教室に着くと、扉が開いているにも関わらずノックをした。
「クッスリ屋君居ますかー?」
そしてひょこっと顔を覗かせると教室の時間が止まった。正確には一際騒いでいた男子一人と女子三人の四人組みの動きが止まる。
しかしそんなことは意に返さないように“彼女”は「あ、いたいた」と微笑を浮かべながら教室に入り、例の四人組みの所に向かう。
「もぉ、何度もメールしたのになんで無視するかな? めんどうだから迎えにきたよー」
さ、行こう大ちゃん。そう言って男子生徒――薬屋大助の首根っこを掴むとそのまま何処かに連れて行こうとする。
あまりの流れるような動作に呆気に取られていたが制止の声を掛ける者がいた。
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
三人の中で一番背の低い少女、一之黒亜梨子だった。特徴とも言えるポニーテールは彼女の動揺を表すように動く。
「なぁに? 私は大ちゃんに用があるんだけど」
「大ちゃん!? ちょっと大助! これはどういうことよ! あんたこの人とどういう関係なわけ!」
「い、いや、僕も何がなんだか……つか、放せ」
馴れ馴れしい呼び方に驚き、真相を聞き出そうと大助の胸ぐらを掴み激しく揺さぶる。それに対し気弱な言葉のあと他の人には聞こえないように小さく、だが低い声色ではっきりと抗議の声を挙げた。
そんな二人を眺めながら問題の“彼女”は困ったように唇に手を当てた。
腰まである長い黒髪、日本人形のような整った顔立ち、同い歳にしては自己主張が少し強い身体的特徴。その人目を引く容姿の少女は、僅かな間だけ片目を閉じると何かを決めたらしく、再び大助の傍に寄ると耳元で囁いた。
「先に屋上で待ってるよ――“かっこう”」
「っ!? ……お前……」
ある関係者のみが知る大助の別の名を言い離れ、唇に人差し指を当て「しー」とジェスチャーをしてからウィンクをし、騒々しい教室から先に出ていった。
少女が去った後も彼女が残した混乱の痕跡が暫く続き結局大助が跡を追えたのは十分くらい経ってからだった。
「おーそーいー」
扉を開けた先で大助を待っていたのは不機嫌面の少女だ。思ったよりも時間が掛かったことに不満があるらしく膨れっ面で出迎えた。
「誰の所為だと思ってる」
騒動の元凶たる少女を睨みつけるが、当の本人は素知らぬ顔。寧ろ大助の後ろにいる人物に視線を向ける。
そこには先程の少女達の一人、亜梨子の姿があった。
「あ、貴女もきたんだ」
「大助は私のドレイよ。ご主人様はドレイが妙なことしないか監視する義務があるわ」
「誰がドレイだ、誰が」
忌々しげに少女の自己主張の激しい肉体の一部を見えながら、張り合うように胸を張ってそう言う亜梨子に大助はすぐにツッコミを入れた。
その二人の様子を眺めクスクスと面白そうに口元を抑える少女。
「あらら、立場が逆転しちゃってるね大ちゃん」
愉快そうにそう言う少女に大助の目付きは鋭くなる。
今の台詞から大助の現状を知っていることが伺える。それはつまり、亜梨子が監視対象で大助が監視者であるという機密事項だ。
「……それで、お前は一体なんだ? 俺のコードネームを知っているってことは特環の局員なんだろうが、あんな目立つ接触はどういうことだ」
大助が“かっこう”としてこの任務を請け負っていることを知っている者は少なくない。しかしそれでも数は限られている。その上監視任務は秘密裏に行わなくてはいけない為目立つことは避けなければならない。
流石にそれも知らない無知の無指定局員が悪魔と恐れられている“かっこう”にちょっかいを出すとは思えない。
すると目の前にいる少女は果たして誰なのだろうか?
特環局員である以上敵ではないが=味方と考えるのは危険だ。何せここは彼のホームグランドではなく、最も油断ならない女がいるテリトリーなのだから……。
そう思い警戒心を高めている大助を見て、少女は大きくため息を漏らした。
「……やっぱり気付かないんだ。ま、そう簡単に見破られても困るけど……でも、付き合い長いんだから気付いてもよくない?」
愚痴と思われる言葉をぶつぶつと呟きながら唇を尖らせる。その姿に苛立ちを覚えた大助は問い詰めようとし……彼女の肩にいた“虫”の存在に気付いた。
長い髪の中から姿を現したのは見慣れてしまった黒い蜘蛛。
そのことと先程言っていた『メール』のことを思い出し、「まさか」とある局員のコードネームを口にした。
「……お前、“大蜘蛛”か?」
その言葉に口の端を吊り上げ……。
「ピンポーン! 大正解! ご褒美にハグしてあげよう」
「待ってました」と言わんばかりの満面の笑みを浮かべ抱き付こうとした。
「……なに? やっぱり知り合いなの?」
ほれほれと迫られては物理的に拒否する大助に亜梨子はジト目で訊いた。見た目の所為もあり恐らくイチャイチャしてると思われたのだろう、何かを訴えるようなその視線に大助は一瞬言葉を詰まらせた。
だがなんとか払い除け説明しようとする。
「こいつは……」
「はじめまして、一之黒亜梨子さん。私は“かっこう”と同じ東中央支部所属、異種九号“大蜘蛛”。よろしくね」
その瞬間、遮るように“大蜘蛛”が自分から自己紹介をした。スカートの両端を持ち、如何にもお嬢様っぽい仕草をした後、笑顔を向けた。
「お前いつの間に昇格したんだ?」「ん~、ついこの間ね」。久しぶりに再会した為か悠長にそんな問答をしている二人を他所に亜梨子はある思考を巡らせていた。
大助と同じ支部所属の局員、しかも号指定とコードネームを持たされるということはつまり……。
「あなたも虫憑きなの?」
「そだよ。尤も、“かっこう”や貴女に憑いてるのとは違うタイプだけどね」
亜梨子の疑問に何の躊躇いもなく、即座に肯定して返した。
意外過ぎる程素直に応えた“大蜘蛛”に亜梨子は面を食らい、大助は軽く頭を抱えた。
「お前、そんな性格だったか……? それと何でそんな姿をしている」
機密保持など関係ないと言わんばかりにあっけらかんと簡単に話すその姿に、よく噛む情報漏洩者が被ったのはきっと見間違いだろう。
よく絡みにくることを除けば容姿や声、言葉遣いに何気ない仕草まで違う。だからこそ付き合いの長い大助でも虫を見るまで“大蜘蛛”本人と解らなかった。
「あー、そっか。大ちゃんに“擬態”状態の私を見せるのは初めてだっけ? ちなみにこんな姿なのは兼用している任務のことも考慮した結果なのです」
そしてその本人は『こうなった状態』で会ったことがないことを思い出し、うんうんと頷いている。
糸を駆使した巧妙な変装――“擬態”は容姿や声を変えるだけではない、実はそれらとは別に軽い自己暗示を掛けているのだ。何らかの要因で素の自分が出ないように、少なくとも擬態状態は完全に他人に為りきれるよう訓練を積んできた。自分に近い性格の者だとまだ完全ではないが、乖離した性格なら役者顔負けに演じられるようになった。
結果、最近になってそれが評価され号指定が十号から九号に繰り上がったのだ。
流石にそういった任務以外の時や、任務外ではいつもの元の姿だ。やはり常時だと少し疲れるらしい。
「そんなわけで私が受けた任務の一つは“かっこう”のサポートなの。ま、戦闘に関しては手伝えることはないだろうから、主に花城摩理関連の方を手伝う予定。で、今回はそのことを伝えにきたってわけ」
「そうかよ……随分と慎重だな、中央本部も」
「他人の虫が憑くなんて前代未聞のイレギュラーだし、仕方ないんじゃない?」
一つの任務に号指定局員を二人も使うことに呆れてる。しかも内一人は最強とされる一号指定であり、二人とも本来の管轄は他所だ。
“大蜘蛛”が言った通りイレギュラーなのは解るが、それでも他所の支部の自分達を使う理由はやはり憑かれた虫のタイプの所為だろう。
数少ない同化型の虫、それに憑かれた為に同じタイプの“かっこう”とその扱いに長けた“大蜘蛛”が呼ばれた。同化型の宿主は難のある性格だ、少なくとも“かっこう”はその辺りの号指定局員と組ませても梶をとるのは極めて難しい。恐らく“大蜘蛛”が呼ばれたのは数少ない梶をとれる存在だからと見るべきだ。
「あ、ちなみにこの姿の時は『的場智美』って名前だから、気軽に智美ちゃんとか智ちゃんって呼んでくれると嬉しいなー」
尚、その当人はマイペースに擬態時の名前を告げ、そう呼ぶように催促していた。
「呼ぶか」
「えぇ~、ノリ悪いよ」
大助が即答で拒否すると頬を膨らませて抗議する。
その瞬間、小五月蝿い電子音が辺りに響き渡った。
「ありゃ? もう時間?」
それは智美のケータイから発せられていたアラーム音であり、どうやら何か時間が迫っていることを報せていた。
残念とばかりに片目を閉じながらアラームを切ると、大助達に振り返る。
「じゃ、私は他の任務があるから今日の所はこれで帰るね」
「え? 大助の手伝いが貴女の任務じゃないの?」
名残惜しそうに言う智美に亜梨子は疑問の声をあげる。
「『“かっこう”の補佐』はあくまで受けた任務の一つに過ぎないの。私は他にも幾つかの任務を与えられているんだ」
面倒くさそうに応えた後踵を返し、「じゃ、そういうことで」と手をひらひらさせながら屋上を跡に――しようとした所で「思い出した」と言わんばかりに振り返る。
「あ、そうそう。この姿になった理由なんだけど、任務の他にもう一つあったよ」
遠目からでもわかる程ににやついた笑みを浮かべ、智美は言った。
「侍らせる女が一人増えたところで大ちゃんなら今更だもんね」
嫌な予感がしたが時既に遅し。智美の口からその言葉が放たれると同時に亜梨子ががっしりと大助の頭を掴んだ。
「うふふふ……それは一体どういうことかしら? 詳しく教えてくれないかしら? ねぇ、大助」
見惚れるような笑顔を浮かべる反面、込める力が強くなる。軋むような痛みを訴える大助をしり目に今度こそ智美は屋上を跡にした。
「ふんふんふーん♪」
屋上からの帰り、鼻歌を歌いながら階段を降りると踊り場に一人の女生徒がいた。
頭にターバンを巻いたその少女――白樫初季は用事が終わったのかと訊いてきた。それに対し智美は笑顔で頷く。
そして彼女を連れ立って行こうとしたが、肝心の初季は動こうとはせず屋上への入り口を睨むように見ていた。
「気になる? “かっこう”のことが」
初季は数少ない同化型の一人……つまり大助と同じタイプの虫憑きだ。三種の中で最も数が少ない為に同化型同士が出会うことはそうあることではない。だから自分以外の同化型を知らずに果てる者が大半だ。
故に同じ同化型に興味を持つのは不思議なことではない。特に最強の虫憑きと恐れられている“かっこう”だ、知りたいと思ってもおかしくはない。
「今のところあなた達の接触は禁じられている。もし会うつもりなら、残念だけど私は止めなくちゃいけないの」
しかしそれを叶えさせることは出来ない。
いつの間にか手には何らかの小型のリモコンがあり、それを弄りながら面倒そうに忠告する。
「大丈夫だよん、アタシ良い子だから“大蜘蛛”たんの仕事を増やすような真似はしないよん」
小悪魔染みた笑みを浮かべながら振り向いた少女の首にはリングのネックレスの他にもう一つチョーカーが付けられていた。
それはセイフティネックと同じもので智美が持っているリモコンによって電流が流れる他、無理矢理外そうとした場合も発動されるようになっている。文字通り枷を付けられた初季だが、それは前回問題を起こしたことと魅車八重子を敵対視しているのが原因だろう。
智美もどうにかしたいと考えているが、こればかりは結果を出さねばどうにもならない。故に智美も心苦しく思っており、そのことは初季も理解している。
「そう、なら行こっか。何か食べながら行く? 奢るよ」
「わぁーい! じゃあねクレープがいいよん! クリーム増し増し!」
だからかだろうか、状況のわりには下手なわだかまりはなく気さくな関係が築けていた。
昇格したことで給料が増える為か智美がそう提案すると初季は元気よく食いついてきた。
食べるものを早々に決めると二人は足並みを揃えて歩み始めた。
彼女達が去った跡には未だに言い合いを続ける大助達の声と、壁から浮き上がるように現れた一匹の蛾のような“虫”だけだった。
ムシウタキャラって本当に個性あるなぁと思いながら書きました。
なお、元と智美は若干キャラが違うので地の文とかでも分けて使います。