「やれやれ、本当に彼には困ったものだね」
破壊の痕跡が生々しく残る地下ドーム、嘗て「コロッセオ」と呼ばれていた所に一人の青年が佇んでいた。少し前までは異形の怪物達が殺し合いを行ったそこには、既に何もない。瓦礫とそれらを処理する局員がいるだけだ。正に夢の跡と呼んだ方がいいだろう。
皮肉を籠めてそう思った青年は静かにほくそ笑んだ。
任務を命じた“大蜘蛛”にはただ調査するように言いつけていたのだが、運悪く相手に目を付けられ負傷し、現在は医務室のベッドの上で静かに眠っている。
“かっこう”よりも遥かに劣る力のくせによくもまあ無茶なことをしたものだ。
呆れてはいるものの、成果としては十分過ぎる。
試験段階の支部の問題解決により、多大な貸しができ、実状此処の支部は東中央支部の配下に収まった。ラナとほのかという号指定クラスの戦力増加。コロッセオを運営していた者を突き止めたことで間接的にとはいえ経済界に干渉できるようにもなった。おまけにそれを可能とする人物にも心当たりがある。
正に上々といったところだ。
今回の一連の結果を振り返っていると、状況と結果の報告に一人の局員が近くにきた。確か“兜”というコードネームの少年だ。“あさぎ”の教え子の一人らしく、実力も相応と聞く。しかし配属先が悪かったのだろう、今まで燻っていたところを青年が引き抜いたのだ。
それが言うには、なんでも更に奥の区画に欠落者を収容していた部屋を見つけたらしい。だがそこに生存しているものは少なく大半は既に死亡していたり、餓死手前にまでおいやられていたそうだ。
「まだ生きている者は治療を施した後“GARDEN”へ、既に死んでしまった者は手篤く葬るとしよう」
大体予想は出来ていたがやはり欠落者に対する処置が酷い。元からの資料にも目を通していたが、なかなかどうして惨たらしい。
抑えているつもりだろうが、現場を見てきたその局員の表情は怒りで僅かに歪んでいた。
この世で虫を一番憎んでいる青年ですら不快感を抱くほどに、このアンダーグラウンドは穢れていたのだ。
部下の虫憑きへの扱いが酷い彼だが、どんな形であれ虫から解放された後にまで彼らを存外には扱わない。将来的にも生きていてもらわねば困る。
故にこのような事をした者達に少なからず憤りを覚えていた。
「さて、如何に新参者の仕業とはいえ、仮にも経済界のトップが起こしたこの不始末。相応に責任は取って貰わないとね」
口を弧に歪め笑い声を漏らす、病人のような肌色もあって一層の不気味さを纏った青年--土師圭吾は心の内でその算段を立てていた。
「ほんとにいいの?」
「ええ、もうやることは全て済ませましたから」
町外れにある高台、その広場に数人の少年少女がいた。
頭の両端に触覚を思わせるような髪型の小柄な少女、水野の問いに四季は首を縦に振る。
振り返ると町を一望できるこの場所とも今日を持ってさようならだ。底王の……アキラの呪縛から解放された自分達はもうこの町にいる理由はない。
元より特環から逃れる為各地を転々としてきた身。そんな生活を続けていた所為か、一つの場所に腰を下ろすのが苦手なのが何人かいる。元来の人柄からくるものもいれば、早条のように特環とは別のものから逃げ続けたいものもいる。
理由は多々あれど皆生きる為に逃げているのが大半だ。
「此処にはあんたの家族がいるんでしょ?」
だが四季は違う。多くの虫憑きが家族から迫害される中、彼女だけは父親に受け入れられている。虫憑きになった後も娘として接してくれている。
それは他の者達が欲しくても手に入れられなかった、求めていた光景。
手を伸ばせば届くそれを彼女は捨てようというのか?
不安気に語る仲間の視線に気付いた四季はクスクスと笑い声を漏らす。
「別に、永劫の別れというわけではありません。帰りたくなったら帰ってきますよ。でも、今はこんな状況でしょ? そんな中残ればお父さまに迷惑を掛けてしまいますもの」
底王とアキラの残した爪痕は深い、暫くこの町は騒がしくなるだろう。それに伴い相応の権力と発言力のある宗析は仕事で忙しくなる。そんな中虫憑きである自分が側にいれば余計な手間を増やすことになる。
ただでさえ今回の件で自分達のことを特環に伏せていてくれたというのにこれ以上迷惑をかけるわけにはいかない。
この礼は、町が平和になった時にでも戻ってきて言えばいい。
「それに、早条のことも心配ですし……」
不満気にそうも付け加えた四季に、仲間達は頭を抱えた。
あの後コロッセオから逃げる際なんとか早条を回収できた。本当は元達にも仲間になってもらいたかったのだが、早条との確執があり、且つ元の怪我が思っていた以上に重かったことも理由の一つだ。
その早条だが、仲間の助けもあり一足早く次の目的地で療養している。外的な損傷は深いものではないが、ハリガネムシに憑かれていた影響か精神的にかなり弱っている。恐らく暫くは目を覚まさないだろう。
その点は水野達も同じ心境だが、四季の場合は更に輪を掛けていた。今すぐにでも発とうとそわそわしている彼女に水野達は呆れかえっていた。
そんな中、一人の少女、遠野未来だけは浮かない顔を浮かべていた。広げた手のひらの上には左右非対称のチョウトンボが漂っていた。異なる大きさの四枚の翅には未来の映像が映っている。確実に変化を遂げたそれに本来なら安堵するだろう、現に自分達の幸先を予知すると決して悪くはない。今までのことを踏まえるなら寧ろ良い方だ。
ならどうして、こうも不安を感じているのか?
その答えを表すようにチョウトンボの翅は変わる。
それは今回の一件で巻き込んでしまった特環の少年、元の未来だった。経緯はどうあれ巻き込んでしまった罪悪感を少なからず感じていた未来は今後のことを案じて虫の力を使ってみたのだ。
結果、映し出されたのは予想を遥かに越えるものだった。
町は真っ赤に燃え上がり廃墟と化し、有象無象の虫の残骸が散らばっていた。虫憑きは皆欠落者と化し、誰も生存者がいないのではないかと思ったほどだ。
そんな生き地獄に一人だけ佇む者がいた。黒い特環のコートとゴーグルを装備した彼は、表情こそ分からないが酷く悲しそうに空を見つめていた。
その彼が何かに気付いたらしく、ゆっくりと頭だけを『こちら側』へ向ける。
すると燃え盛る炎の中から一際赤く輝く二つの目が現れた。それと同時に視界が白い何かに染まると、そこで映像は途切れた。
「どうして……」
それはかつて予知したものに限りなく酷似していた。
あの時は底王とアキラの存在がその未来に繋がる要因だと思っていた。しかし事件が終わり、その要因がいなくなった今、尚同じ予知がなされるとは……。
つまり、この地獄を作り出す本当の起因は他にある。
生憎未来の虫ではその原因までを探ることはできない上、この雰囲気を壊してしまうようなことも避けたい。
幸いにして、その可能性が映っているのは一番小さな翅だ。一番大きな翅には銀色のチョウを伴って歩く少女とその友人達と笑い合う元の姿がある。
故に、危険性はまだ低いと判断し、このことは自らの心の内に仕舞い込む。少なくとも今話したところでどうこうできるものではないからだ。
だからこそ今は暫しの安寧を味わおう。
そう自分に言い聞かせた未来は仲間達の本に足を向けた。
波施市の市街地にある大きな屋敷、南条邸は今慌ただしくきりきりまいの状態だった。
コロッセオの一件で捕らえられた富豪達の処遇、欠落者達の介抱に労力を割き、対応に追われていた。
本来外部協力者である宗析には虫に対する秘匿義務と手伝って貰った報酬が発生するだけで、ここまでのことをする理由はない。
しかし非常に困ったことに今回協力を求めてきた相手は頭がきれ、食えない者だ。宗析がこの一件を引き受けた理由が娘にあることも薄々だが感付いている、そして虫憑きであることも恐らくは……。
そのようなことを仄めかした一通の封筒を睨み付けため息を漏らす。
詳細は省くが、遠回しに「今回の一件の事後処理を手伝ってくれるのなら娘のことは見逃してもいい」というものだ。
既に挨拶代わりの置き手紙を残していった四季。今から追うのは難しいが、それでも相手は政府の機関。やりようは幾らでもあるだろう。その上宗析にとって四季は大切な一人娘だ、流石に断ることはできなかった。
協力して貸しを作るはずがまさか作らされる羽目になるとは……。やはり食えない相手だ。
そう再認識するも昔のよしみということもあり、「この件」に関しては自分でも納得している。
「まさかこのようなものまで押し付けるとは……」
先のとは別件で送られてきたもう一通の封筒に手を伸ばす。
既に一度目を通しているため封を切ってあるそこから再度取り出す。
そこに書かれていることをもう一度確認し直すと、先程よりも深いため息を漏らした。
「よもや私に『円卓会に入れ』とは、なかなか難儀なことを……」
これから起こりうる苦難に満ちた道に僅かに険しい表情を浮かべたが、それが虫に関係することであり、且つ彼なりに繋がりを持たせようとした結果なのだろう。
偶々使える人材として白羽の矢が立っただけかもしれないが、それを任せるということはそれなりには信頼しているのだろう。
ならば、相応の期待に応えよう。
改めて決意し、気合いを入れ直すと宗析は仕事を再開した。
実はあともうちょっと続きます。
出来れば連載二年目までにはケリをつけたい。
あとちょっと質問、次回辺りで底王編は終わると思うので本格化なあとがきを書こうと思うのですが、少なくとも千文字は余裕で超えるはず。
なので普通にあとがきに書くべきか、それとも活動報告の方に書くべきか考え中。
裏話とか人物の背景設定とかちょっとバラすと思う。そういうの嫌いな人がいるならやっぱり活動報告の方に書いた方がいいのだろうか?