ムシウタ~夢捕らえる蜘蛛~   作:朝人

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“まいまい”以外はオリキャラしか出ないと言ったな……ありゃ嘘だ(おい


『南条』

 正午。太陽が真上に昇り、一日で気温が一番上昇する頃。

 南条邸の一室。中庭に面した日当たりのいいその部屋のベットに一人の少女が横たわっていた。

 長い黒髪の和風美人という表現が似合う少女、四季は今白い振り袖を身に纏い静かに眠りについている。

 受けた傷は既に完治しており、顔色もすっかり良くなっている。しかし未だに目を覚ます気配はなく人形のように動かない。

 ゆっくりと寝息だけたてる彼女の傍に一人の人物が寄り添っていた。

 南条宗析(なんじょうそうせき)。この屋敷の主にして数いる資産家の一人。虫憑きについて独自に調べている人物であり、東中央支部の支部長である土師圭吾とは見知った間柄である。

 そして何より、今横たわっている四季の実の父でもある。

 目覚めぬ娘を心配してその頬に手を触れる。傷は既に完治し、血色も良くなっているがいつまでも目が覚めぬ所為か「死んでいるのではないか?」という不安が頭を過ぎる。

 しかしそれはただの思い過ごしであることを知る。触れた頬は熱が籠もっており温かい。脈も正常に動いている。

 --ああ、ちゃんと生きている。

 そう実感すると安堵の息が漏れた。

 四季の母親は体が弱く、彼女が生まれて間もなく息をひきとった。自由意志による結婚ではなかったとはいえ、それでも愛していたし、愛されていたとも自負できる。その妻に先立たれた所為か、余計に四季が心配なのだ。

 親バカかもしれない。そう自嘲気味に笑うと仕事までの僅かな時間を娘の看病に注いだのだった。

 

 

 南条四季--それが彼女の本当の名前だ。四季のようにめまぐるしく表情が変化する元気な子どもに育って欲しいという意を込めて母が与えてくれたものらしい。生まれて一年もしない内に亡くなった母からの唯一贈り物と言えば多少はロマンチックに聞こえるだろうか? どちらにしろ四季本人としてはその名が嫌いではなかった。

 資産家の娘として生まれた彼女は物心つく前から裕福な家庭で育ち、望んだものは何でも手に入れることが出来た。妻を亡くした宗析にとって四季は一際大事な存在になっていたから尚更だろう。

 そんな環境で育った彼女は飢えていた。稽古や教育で教わったことはそつなく覚え、欲しい物は簡単に手に入る。最初から満たされていたからこそ渇いていたのか、だからこそ渇いたのか定かではないが、常に四季の心中には渇望があった。

 満たされていたからこそ全てが色褪せて見えた、あらゆる物や音が味気なく感じた。恵まれているからこそ真に満たされないのだと気付いた。欠けた存在になりたかった。

 自分に足りないものは分かり切っている、母親がいないのだ。父がいて、裕福な家に暮らしていて、一見幸せそうな生活。しかしそこには自分を生んだ存在が欠如していた。

 本来なら寂しいのだろう、「何故自分には……」と嘆くのだろう。しかし、物心つく前に死別し、その穴を埋めるかのように不自由のない生活を送ってきた彼女にはそんな感情は微塵もない。むしろ何故自分はその感情を持てないのか、そんな自己問答に近い考察が頭を占めることが間々あった。父が仕事で忙しくなり、四季に構う時間がなくなっていくと更にその時間は増えた。

 満たされているはずが欠けており、欠けているはずが満たされる。矛盾を抱えた少女は時が経つにつれ大きくなり、同様に矛盾も更に歪になっていった。

 --故に、鐘の音を聞いたのはある意味必然だったのだろう。

 

 ある夏の日。山奥の別荘で一人涼んでいると突如鐘の音が耳に届いた。酷く鈍く、不快感すら覚えるそれはだんだんと大きくなり、ついには耳を塞がないといけないほどになると耐え切れずその場に塞ぎ込んでしまう。

 それからどれほどの時間が経ったのだろう。

 気を失っていたのか、いつの間にか閉じてしまった瞼を開けるとそこには何故か教会があった。壊れかけたそこには、まるで寂しさを紛らわすように一本の大きな枯れ木があるだけだ。象徴たる十字架すら壊れ見る影もない。

 なんとも寂れた所だ。そんな感想を抱きつつも一体どうしてこんなところにいるのか考えながら周りを見渡す。先程まで居たはずの別荘はどこにもなく人の気配すらない。

 あるのはただ鐘の音だけ。酷くひび割れた最悪の音、不快感しか与えないはずのそれが今は唯一この場所が何かを知る為の道標のようにすら感じた。

 

『迷える者よ……我のもとへ』

 

 その音に混じり声が聞こえたような気がした、しゃがれた老人のそれに誘われるように四季はゆっくりと教会の扉を開く。

 壊れかけの扉を開いた先には一般的な教会と似た造りになっていた。古びた木造の長椅子が並び、壁一面には蝋燭がともっていた。しかしその中は神聖とは真逆の穢れた空気に包まれており、特に異色を放つ存在が祭壇に佇んでいる、汚らしいフードを被り口元以外に表情が見えない、背中の折れ曲がった人物だ。

 

『矛盾を孕んだ娘よ--』

 

 汚らしいものを凝縮し固形化したような老人が口を開く。

 

『満たされて尚も欲っし、妬む、傲慢なものよ。そんなに他者が羨ましいか……そんなに他者との違いを嫌うか……平等になりたいか?』

 

 それは四季の本質を突く言葉だった。

 母を求めたい衝動に反し、理性はそれを必要と感じない。裕福な中で不自由を感じなくなった彼女の心はいつしか麻痺していた。

 「失うものがあっても別のもので補える」。まるでそんな環境で育った彼女はいつしか一般的な家庭に憧れを抱くようになっていた。

 自分とは違い彼らは不自由なものを多く持っている。学校の友人を見ても不満などを口から溢そうとも、その表情の中にはどこか活気があった。文句を言いながらも彼らは楽しそうに語るのだ。

 --羨ましい。

 いつからか四季はそんな彼らに嫉妬していた。自分と彼らとの生活環境は明らかに自分の方が上だろう、しかし自分よりも彼らの方が幸せのように感じた。些細なことで怒り、悲しみ、そして喜ぶ。心が肥え過ぎた自分では決して抱けぬものを彼らは持っていた。

 

『優越を、優劣をなくし、全てを等しくしたいか?』

 

 だからそう思わずにはいられない。

 例え今いる自分の立場が壊れようとも四季はそれが欲しかった。肥えて尚渇望する、その姿は正に醜いものだ。

 四季の根底にある欲望が見え始めると老人は(あざけ)り口を歪ませる。

 

『ならば壊すか? 他者を、家族を、己を……全てを破壊し自らの手で染め上げるか?』

 

 平等にするのなら自分を含めた全てを壊せ。

 老人のその言葉を聴いた瞬間、四季は「いいかもしれない」と思ってしまった。

 今の自分がある内はそれは永遠に手に入らない、ならば一度壊し無くしてしまおう。どうせなら他も全て壊し皆等しくしてしまえば、もう羨むことも妬むこともなくなるはずだ。

 --ああ、それはいい……実にいい。

 耳障りな鐘の音に乗って伝わったその言葉が酷く心地よく聞こえた。できることならそうしたい、そうして手に入れたい……彼らの持つものを、自分が持てぬものを。

 胸に沸いたのは果て無き欲望。失っても全てを欲する矛盾した我欲。元は母を求めたいという欲求が歪に捻じ曲がり体を支配する。

 それが目に見えてわかると老人は満足そうに口の端を吊り上げる。

 

『与えてやろう……為したいと願うのなら、お前に力を与えてやろう。お前が、望むなら……』

 

 狂気の思想に囚われた四季にとってそれは抗い難い悪魔の囁きだった。

 望んだだけで手に入る。彼女には当たり前になったはずなのに今は焦がれてしまう、欲しいと渇望してしまう。

 力が欲しい--全てを壊し、染め上げる力が。あらゆるものを自分のものにできる力が欲しい……!

 餓えた肉食獣のように求めた、喰らい付く様に手を伸ばした。

 

『我を受け入れたな--』

 

 欲望のまま、ただ「寄こせ」と衝き動く姿に老人は狡猾な笑みを浮かべた。

 その瞬間、四季の体から大量のミカドアゲハが弾けて宙を舞った。……いやよく見ると蝶は四季の体からではなく、彼女の身に付けているものから出ていた。服からだけでなく靴や髪飾りからもまるで鱗のように剥がれ舞い踊る。

 全てを壊してでも全てを手に入れたい--。

 歪み、曲がり、矛盾した、果て無き欲望()。人として狂っているだろう、間違っているだろう。しかしそれが四季が抱いた願い。

 色とりどりの蝶が舞う中、四季は静かに笑った。

 

 その日、宗析は珍しく早めに仕事を片したことで時間に余裕が出来た。久しぶりに娘と過ごそうと四季の元に向かっていた。

 正直、その時宗析は四季とは疎遠になっていた。亡き妻の代わりという訳ではないが元気に育って欲しいと願い、その為に身を粉にする勢いで働き続けていたからだ。

 結果として娘に寂しい思いをさせてしまったと、僅かばかりの後悔を胸に別荘に着いた。しかし四季は別荘の中にはおらず辺りを探す、すると呆気なく見つけられた。

 湖の傍でただ呆然と佇んでいる。

 

「……四季?」

 

 いつもと様子が違うと思った宗析は恐る恐ると声を掛ける。

 そうして宗析に気付き振り返った娘は歳相応の無邪気な笑顔を浮かべた。それは最近では見ることがなくなった……それこそ数年前を最後に見れなくなったもの。

 

「見てください、お父さま」

 

 四季の着飾ったドレスから一匹の水色の蝶が剥がれ湖の上を舞う。そして、まるで降り立つように水面に蝶が触れると湖が一瞬で氷ついた。明らかに異常な光景に宗析は暫し唖然とする。

 

「ね、凄いでしょ!」

 

 そんな父をよそに四季はただただ楽しそうに目を輝かせている。こんなことが出来るんだよ、そういうように次々と色違いの蝶を出しては超常的な現象を引き起こす。

 なんてことだ。新しいおもちゃでも手に入れた子どものようにはしゃぐ四季とは対照に宗析の顔は暗い。この異常な力に心当たりがあったからだ。

 “虫”――主に思春期を迎えた青少年に取り憑き、宿主に異常な力を与える代わりに彼らの夢や記憶、想いを喰らう異形の存在。

 まさか娘がそれに魅入られることになるとは……まったく予期せぬ事態に宗析は混乱していた。

 どうする? 一体どうしたらいい? どうしたら娘を戻せる?

 宗析の頭は今それで一杯だった。仕事上多少裏事情にも精通している宗析は虫憑きのことについてある程度知っていた。虫憑きになったら戻す方法はなく、もし露見すれば特別環境保全事務局という組織に捕らえられてしまう。

 もしそうなったら……妻だけでなく娘すらも自分の前からいなくなってしまう。そのことに絶望し目の前が暗くなった宗析の耳に声が届く。

 

「どうしたの、お父さま? 面白くなかった? つまらなかった?」

 

 先程まで楽しそうに笑いながら踊るように回っていた四季が心配そうにこちらを覗きこんでいる。

 知らぬとはいえ自分が既に人から外れた存在になっているというのに、それでも心配してくれる娘に宗析は申し訳ない気持ちになった。

 そんな父の姿を見て元気付けようと赤い蝶を使い空中に炎を踊らせる。それでもダメなら氷を作り、それを風で粉々にしてダイヤモンドダストのように舞わせる。それでもダメなら……。

 父を気遣うそんな健気な姿を見て徐々に冷静さを取り戻していく。そして気付いた、そんな中娘が今まで見たことがないほど輝いた表情を浮かべていることに……。

 狂っているのか、壊れているのかどうか解らない。しかしその笑顔を見て娘が本当に後悔していないのだと知った。

 それから彼は虫憑きになってしまったことをただ嘆くのではなく、これからどうしていくかを前向きに検討し始めた。

 皮肉にも娘が虫憑きになったことで彼は己を見つめ直し歩み寄ることができるようになった。人から外れた彼女を知り、守り、共に生きる為に、出切る限り虫憑きについての情報を集める。

 例え世間から化け物と呼ばれる存在に変わり果てようとも家族であり続けるために今まで以上に傍に居続けることを望んだ。

 

 親族からも恐れられ、見捨てられることの多い虫憑き。奇しくも元から疎遠状態であったが故に事態は予期せぬ方へと転がる。

 虫憑きを疎まず、寧ろ娘と同じ境遇の彼らを救いたいと思った彼の手は、今は愛しい我が子の左手を握りしめていた。

 仕事が始まる……本当にギリギリまで按じていた彼の想いが届いたのか、その日の夕方彼女は目を覚ました。




回想とはいえ、まさかの侵父そん登場回。
ぶっちゃけ特殊型の虫憑きになる過程がめっちゃ難い。一応アンネリーゼもとい“霞王”のエピソードを参考に書いてみたけど侵父らしさを出せたかどうかは微妙なところ。
多分この先侵父の出番はもうないだろう……書き辛いから。言い回しが面倒くさいから。
あと底王編ではもう一人くらい原作キャラが出るかもしれない……ちょっと意外な奴が。

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