三野元。コードネーム--“大蜘蛛”。ついこの間無指定から十号に昇格したばかりの低級局員。虫の能力は「糸を扱う」という在り来たりなものであり秘匿性の欠片もなく、戦闘能力に関してもお世辞にも向いているとは言えない。できることはそれなりにあるが専門に特化した者達に比べるとどうしても劣ってしまう典型的な器用貧乏。総合的に、そして客観的に見ても「代えの利く」部類の人間だ。
それは他人から見た評価だが、元自身も下手に目を逸らさずに受け入れている。
『自分は
薄々気付いていたそれは、最悪のタイミングで逃れられない現実として起きた。
絶望した--生まれ変わっても無力な自分に。
喉が裂ける程叫んだ--どんなに手を伸ばしても大切な人が救えないことに。
だから諦めた、悟った。
自分は所詮その程度の人間なんだと。
どう足掻いても主人公としての力は手に入らない--故に、決意もした。限界まで己を昇華することに。
主力が無理なら
--それが
「何ですか? これは」
足元に広がった蜘蛛の巣を見て不服そうに四季は顔を顰める。まるで接着剤でも付けられたかの様に足が動かない。蜘蛛の巣に掛かったかのように捕らわれている。
『動けない』というのは本来なら致命的だ。何せ只の木偶、的になってしまうのだから。
……しかし、それは相手が「普通の人間」なら成立するもので、間違っても虫という超常的な相手にはほとんど意味をなさない。
現に、今も四季は鬱陶しい糸を焼き払おうと赤いミカドアゲハを出現させた--瞬間。
突如、四季を囲むように無数の糸が集まり半円球の檻に姿を変える。それはあまりに小さく四季と虫だけを覆うほどの大きさしかなかった。
唐突な状況の変化に驚く暇はなく、発現させた赤いミカドアゲハがその密閉された空間で弾けた--。
改めて大蜘蛛の能力を確認しよう。
まず、あらゆる材質の糸を作り出すこと。他の蜘蛛系統の虫憑きも使える彼らのスタンダードな能力だが、大蜘蛛のそれは他よりも幅が広い。ゴムや餅のようなものは勿論のこと、収束させれば人間の皮膚と全く同じ手触りのものや、下手な金属より優れた強度のものすら生み出せるのだ。
……余談ではあるが、その能力故よく西中央支部からは優秀な素材として重宝されることがあり、彼らの欲する材質の糸を送る代わりに専用の装備を作って貰う契約をちゃっかりしていたりする。
二つ目に蜘蛛の巣を模倣した「巣」があるが、実はこれはとある能力の応用、延長戦にあるものであり、その能力こそが「糸の操作」だ。操作とは糸の切断・消滅の他に文字通り操ることも差し、これは一度張った糸ですら大蜘蛛と繋がっている限り意のままに操ることを意味する。
具体的に言うのならば「この町に張り巡らした巣の糸全てを攻撃に回す」ことすら出来るのだ。単純に計算してもその数は数十から数百以上、長さにしては軽くkm単位で存在するそれを全て攻撃に回すことが可能となる。
一見強そうに見えるがしかしその実、既に作った糸の材質は変えられなかったり、攻撃に徹すると巣が機能しなくなり感知ができなくなったりと欠点が多く使い辛いのが現実だ。特に今回のように相手に仲間がいるとわかっているのであれば余計に使えない。
もし仮に元が同化型ならサポートのみに糸を使い、感知能力を残しつつもその強大な力で圧倒できただろう。
もし特殊型なら糸を全て使い切っても領域を展開すればすぐに補充ができ、その手数で押し切れただろう。
しかし悲しいことに元は分離型、事前の準備が必要であり、一度に全て使っても倒せなければたちまち窮地に……いや死地に追いやられる事になる。それは諸刃どころの話ではなく、故に本来なら使うことはないのだ。
……そう、「本来」なら。
赤いミカドアゲハが業火となり、特に耐性を持たない寄せ集めの糸の塊は軽々と焼き尽くされる。それと同時に閉じ込めた者もその身を焼かれ……なかった。
爆炎の中から飛び出した四季の体には青いミカドアゲハが付いていた。炎から逃れると、それはまるで役目は果たしたと言わんばかりに色が薄れ、消えていった。
悪態を吐く暇もなくデパートの近くまで距離を取ると、今度は上から陰りが落ちる。見ると三つの金網が四季目掛けて降って来た。
「くッ!」
黄緑色のミカドアゲハで吹き飛ばそうかと一瞬思案したが相手は金属、それも人が落ちないように屋上などに張られているタイプの物だ。頑丈な上重く、しかも落下中ということを考慮しても『風』では力不足だ。
ならば、と--十数羽の黒いミカドアゲハが出現した。
それらは四季と金網の丁度間に集まると溶けるように一つになり、『球体』へと姿を変える。
金網がそれに触れた瞬間、まるでプレス機にでもかけられたようにバキバキと音を立てながら黒い球体に呑み込まれていった。
そして全ての金網を呑み込んだ後球体は消滅し、その中から豆粒ほどの小さな塊が三つ地面に落ちた。
流石に今のは驚いた。そんな余韻さえも許さず、隙が出来るのを待っていたラナの鞭が目前にまで迫っていた。咄嗟に黒いミカドアゲハを傘に溶け込ませ、それを盾にし防御する--だがそれは失敗だった。
「捕まえた!」
ラナの虫、シロスジカミキリには使い辛い能力がある。どれも近付かないといけなかったり、触れていなければ出来ないもので、その内の一つに『電気』が存在する。これはシロスジカミキリの
つまり、それは傘を盾にした四季に対しても同じことが言えた。
「ッ--!!」
傘に巻きつき、それを通して体に電気が流れ込む、血が沸騰でもするかのような錯覚に見舞わされ、堪らず傘を手放した。
特殊型は虫こそ厄介なものの、宿主は普通の人間と変わらない。故に宿主そのものを狙うのが定石だ。無論特殊型である四季がそれを理解していないわけはない。分かってはいたが今回は意表をつかれ、らしくもなく動揺してしまった。
だから気付けなかった、気を配れなかった……虫以外のものに。
--「バン」という音がした。それは何かが弾けたような、あるいは何かを打ったような音にも聞こえた。
ぽたりと何かが滴り落ちる。
それは赤く、自分の腕から流れていた。最初は理解できなかったが、音の出所を見るとすぐに解った。
元の右手に蜘蛛の姿はなく、代わりに鉄の塊が握られていた。それは鉛弾を撃ち出すのに使われ、この国では一般人は決して持つことのできないもの--拳銃だった。
十中八九あれで腕を撃たれたのだろう。それだけを頭が理解すると意識が遠退くのを感じた……。
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強くなりたいと願い、その為に努力したことがあった。
元来努力というものを嫌い、楽に生きたいと思っていた元だったがこの時だけは違った。文字通り血反吐をはいてまで強くなろうとした。
しかし現実はそう甘いものでなく、いくらやる気になってもすぐに己の限界が見えてきた。
どんなに頑張ってもギリギリで十号が精一杯。これが彼の教官が出した答えだった。
己の虫の脆弱性には何度も泣かされたが、この時は相当堪えた。
今以上に強くなりたいと想う自分の意思とは真逆に虫の性能は既に限界だった。所詮「失いたくない」という弱い夢から生まれた虫では大それた力を持てないということなのだろう。
だから諦めるしかなかった--故に決意もした。
虫が限界なら「自分」を鍛えればいい。できる限りの技術と知識を修め、己を昇華させればいいのだと。
「やったの……?」
「フラグ建てんな。……殺しちゃいないさ」
四季が倒れたのを確認するとラナが近付き訊いてきた。恐らく銃を使ったことで命を奪ったのではないかと危惧したのだろうが、生憎元にその気はさらさらない。確かに見た目も性能も銃に近いが効力自体は麻酔弾と同じものであり、尚且つ致命傷を避けて撃ったのだから即死するようなことはない……とはいえ放っておけば危ないことに変わりはなく、万が一に備えやはり止血はするべきだ。
「それにしても、随分と危ないことをするのね。一歩間違えたら死んでたかもしれないのよ」
手当てをしに四季の下へ向かう中、ふと今回の戦闘に対しての不満を上げるラナ。どちらがと言わないことはどちらもという意味が込めているのだろう。
しかし、上位の実力者を退けるためには相応のリスクが必要となり、今回に関しては手段を選んでる余裕も暇もなく、かなり分の悪い賭けでもあったのだ。
まず、地面に巣を張り動きを封じれば、必ずそれを解こうとするのは予想できていた。問題はどんな力を使って解くのか、という所にあったが期待通り最も効果的な「炎」を使ってくれたことでなんとか初撃の奇襲は成功した。もし別の力を使っていたなら効果は薄かったろうが、彼女がこちらを見くびっていたおかげでダメージと動揺は与えられた。
そして四季が警戒して、あのデパート近くまで下がるのを確認すると、すぐに接続し直した罠を起動させ金網を落とした。
用心深い元は一度張った罠を消すことはまずしない。「いざ」、「もしも」といった事態がいつ何時起きるとも限らないからだ。故にこの町でも元は罠の類を一切外していない……そう、ほのかと出会った際に逃げるための時間稼ぎとして仕掛けた物も例外ではない。
あの時、確かに一度大蜘蛛と罠との繋がりは切ったが罠自体は消していない。罠が糸である以上「在る」のであれば再び繋ぎ直すことは可能なのだ。本来は屋上の内側に飛んでいく仕組みだったが、新たに細工したことにより外側に行くように仕向けた。
黒い球体にこそ驚いたものの凡そ予定通りであり、確実に弾を当てるためにラナに先行させた。ラナの能力はほのかからある程度事前に聞いており適任だと判断し任せたが、そちらも何とか成功。
後は自分が致命傷に成り得ない、しかし確実に影響を受ける箇所に撃ち込むだけだった。
元々虫に頼らない攻撃手段として銃の訓練はしており、命中精度も低いわけではなかった。しかし「下手をしたら殺してしまうかもしれない」という恐怖心に引き金から指を離してしまいそうになり、糸で手に拳銃を縛りつけてから覚悟を決めて引くと、その弾丸は四季の右肩を撃ち抜いた。
「弱い俺じゃこんなギリギリの戦いしかできないんだよ」
危険な綱渡りな戦法は今に始まったことじゃない。弱者が
--ああ、本当に……なんでこんなに弱いのか……。
何度目か分からない、しかしそう思わなければいけないほどに惰弱な己の虫に、元は心の内で愚痴を溢した。
「……弱い、ねぇ……」
己の非力さを嘆いている元。その横顔を眺めながらラナは彼の言った言葉を否定してやりたかった。
単純な戦闘能力なら自分と同等、もしくは自分の方が少し上くらいのはず。しかし元は
確かに姑息にも罠を使った、卑怯といわれてもおかしくない飛び道具も使った。これが真っ当な試合なら逃れようのない反則負けだ。
だがしかし、
けれど、元は違う。元はそのことを本当の意味で理解しており、且つ己と虫、そしてモノの限界もちゃんと理解している。自身の弱さを受け入れて尚強くなろうとする、勝つ為ならどんなものでも利用する。弱いからと既に挫折したり、強いからと驕る者達とは根底にあるものが既に違う。だからこそ天敵である特殊型に勝つことも出来たのだろう。
「ん? 何だよ」
「別に、なんでもない」
ラナの視線に気付き振り向くが当の本人は素知らぬ顔で目を逸らす。
元のそういった「強さ」が羨ましいと思う反面、少し怖くなった。もし彼が本当に生死問わず、一切手段を選ばないような人間なら、と……恐らく誘拐、脅迫、毒殺などあらゆる外道を行うのが容易に想像できてしまったのだ。
もしそうなれば、下手をすればあの悪魔より厄介なのではないだろうか……?
そんな馬鹿げた妄想を頭を振るのと同時に消し去り、そうなったら全力で叩こうと静かに決意した。
「さて……」
そんな風に思われているとは露ほども知らない元は、四季の近くまで寄ると大蜘蛛と装備する。生憎と救護セットなどという便利な物は持ち合わせていないので大蜘蛛の糸で止血をすることにした。材質を変えられる能力はこういう時には役に立つ。
さっさと止血しよう。そう思い手を伸ばした--瞬間、微かに四季の肩が揺れた。
「おい、ちょっと待て……」
元が手を止めるのと同時に、静かにゆっくりと四季は立ち上がった。
驚きつつもラナと共に距離を取る。即効性の麻酔弾で撃たれたというのに何故立ち上がることができたのは
そう思い、右手に装備した大蜘蛛を四季に向け、糸を放つ--その瞬間、細く白い線が大蜘蛛ごと元の右腕を透り抜けていった。
「え……?」
--一体何が?
そんな疑問も浮かばない内に大蜘蛛と右腕は綺麗に『切断』された。
宙に舞う赤い噴水と、物言わず崩れ落ちた自身の分身。
それが、元が見た最後の光景だった。
--完。
嘘です、嘘を吐きました。本当はまだ終わりません、続きます。
実は、結構な連戦になるから、と当初予定していた一戦をカットしました。だって読み手がマンネリするだろうと思ったし、更新速度超遅の私だと更に時間掛かると思ったからです、はい。その為後半ちょっと強引だった気がする……でも展開事態は想定通り。
この後の展開ですが、実は二つのパターンがあり、どちらにしようか絶賛考え中……。