--暗い部屋にいた。
はっきりとした明かりはなく薄暗い、埃が積もった場所だ。
虫憑きとばれて一度特環に捕まった後、此処に移送されたようだ。
部屋の住人は自分の他にもう一人、まるで脱色でもしたかのような長い灰色の髪の少女だ。白いワンピースに似た服を着た、物腰が落ち着いた大人しそうな子だ。
「どうしてここに連れて来られたのか?」と訊いたら「虫憑きだから」と答えた。
「これから特環に扱き使われるのか?」と訊いたら「もっと酷いことになる」と返ってきた。
それからこの町で何が起きているのか少女は色々と教えてくれた。曰く、手向けのようなものらしい。
その全てを聞いた後、怒りを抱いた。それが特環に向けてか、その主催者に向けてか……はたまた現状を打破できない弱い自分に向けてなのかは覚えていない。
「何故そこまで詳しく知っているのか?」絶望していながらもそう訊くと「かつて自分も彼らと同じ立場だったから」と驚愕の答えが返ってきた。
なんでも“底王”と呼ばれる者の片割れがそろそろ限界を迎えるらしく、彼女はその代わりにされるそうだ。
彼女自身その役割に不満があるらしいが、“底王”を除いたメンバー達には何か他の意図があるらしく、誰も彼女を助けようとはしなかったそうな。そうでなくても現“底王”は歴代でも最強らしく物理的に彼を止めれるものはいないらしい。
……抱いたのは同情だろうか?
気付けば彼女に情が移っていた。置かれた立場も忘れ一緒に逃げようとさえ思った。
--その気持ちを汲んだように、扉を開けた着物の少女が笑顔で彼女達を出迎えた。
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一面を覆う炎の壁から弾かれるように一つの影が飛び出す。
炎にまみれたそれは屋上から飛び降りると落下の風圧で炎を払う。だが、ただ炎を消すことだけを目的に宙に身を投げた彼女はそのまま地面に叩きつけ……られなかった。
落下の途中、鞭のような触覚を近く背面のビルに叩きつけ、威力を殺すついでに近くの建物の屋上に跳び、当たる直前再び触覚を地面に叩きつけ更に威力を殺して着地する。
「…………?」
僅かな振動が身体を走り抜ける。未だ炎上しているビルの屋上を一瞥した後、ふと服が思ったより燃えていないことに気付いた。新品のせいかいつもの服より耐久性が高いのだろうか?
そんな疑問を抱いたのも束の間、上から件の彼女が黄緑色の蝶を数匹侍らせて降りてきた。
まるで舞う様に、重力など感じないようにふわりと優雅に降り立つ少女。その姿には気品すら感じられた。
「逃げられる、などと思いましたか?」
「----ッ!?」
再び舞う赤い蝶に危険を察したラナは地面を蹴り、距離を取るとともに右腕を振り下ろす。その動きに連動して鞭が勢いよく少女目掛けて襲いかかる--だが。
「はぁ、馬鹿の一つ覚えにもほどがありますよ」
「え……?」
避ける素振りどころか、呆れてため息すら浮かべたその眼前で鞭はまるで避けるように彼女の両脇の地面を叩きつける。
勿論ラナ本人が狙ってやった訳ではない、寧ろ吹き飛ばす勢いでやったのだ。だがしかし、何故か鞭はまるで避けるように……否、地面に吸い寄せられるかのように方向を変えたのだ。
理解が出来ず唖然としていると赤い蝶が目の前に迫っていた。反射的に後ろに飛び退くとともに二本ある触覚の内、一本を背後にある電柱に、もう一本を蝶と自分の間に割り込ませる。
--そして、その僅か一瞬後に蝶が弾け爆発を起こす。
空間に爆炎が舞い、コンクリートの地面が発破でも受けたかのように砕ける。
至近距離。本来なら間に合わないであろうそこにいたラナは、しかし無事だった。
「う、く……!」
爆風にこそ呑まれたが、炎の方は間一髪逃れたらしい。
ラナの虫の触覚は、ただ鞭のように動くだけでなく、宿主の意思に反応して左右別々に動くことが出来る。今回はそれを利用して片方を電柱に巻きつけ、その際に生じる力を使い逃げる力を強め。もう片方を壁にすることで防御し、ダメージを軽くしたのだ。
爆風でトレードマークの帽子が何処かに飛んでいってしまったが、主だった怪我は見当たらない。疲労やダメージこそ負えど動くには十分だ。
「なるほど。簡単にやられはしない、と?」
「当たり、まえ……ッ!」
うまく声が出せない。恐らく爆風の熱で喉が痛んだのだろう。普通なら悔やむところだが、今はあの
強いて言えば--。
「では、攻め方を変えましょう」
その言葉を体言するように、少女の周りに無数の様々な色の蝶が姿を現した。
--そう、彼女の底がまだ見えないということくらいだろう。
その虫はミカドアゲハという虫に酷似していた。翅の作りに模様、触覚や脚に至るまで瓜二つだった。ただ一つ、虫そのものの色が違うという事を除いては……。
無数のミカドアゲハが襲いかかってくる。赤い蝶が爆炎を起こし、黄緑色の蝶が爆ぜると暴風が吹く。二つの力と相性の相乗効果によって威力を増し範囲を広げた炎を必死に避け、その手にある触覚の鞭で少女を狙う。しかし黒いミカドアゲハが少女と場違いの位置にある道路や器物に溶けるように入り込むと、鞭はまるで磁石に引っ張られるようにそこに向かい、少女には掠りすらしない。
内心苛立ちを覚えるが舌打ちをする暇もなく、再び爆炎が舞い、それから逃れるため止めた足を動かす。
「(なんなんのよ!)」
先ほどからこの繰り返しだ。迫る炎から逃げ、隙を見ては攻撃を行うもその悉くがあの訳のわからない能力により一切通じない。
敵が特殊型であることは明白だが、しかし肝心の媒体と能力が分からない。……というのも、現状和服の少女が使った能力は、炎と風とあの問題の能力の三つ。炎と風の二つですら媒体が分からないというのに、件の能力の所為で余計にややこしくなっているのだ。
「……ッ!?」
不意に頭上に水色のミカドアゲハがいることに気付いた。危険だと本能が察し、身体が動いたのと同時に蝶は弾け、無数の氷柱が降り注ぐ。
街路樹に鞭を巻きつけ、その勢いで回避したラナの頭にまた一つ新たな問題が追加された。
「(四つ目……)」
これで少女が使用した能力に氷が加わった。炎と全く違う性質のそれを、一体どんな媒体なら両立させることができるのだろうか? もし仮に出来たとして、風やあの引き寄せる能力すらも起こせる媒体など本当にあるのだろうか? 既にラナには皆目見当もつかなくなっていた。
それにしても……。「攻め方を変える」と言っていたわりに、どうにも生温い気がする。恐らく元達についての情報が欲しいためわざと加減しているのだろう……欠落者や、ましては死人では答えることが出来ないとはいえ舐められたものだ……。しかし現状を打破できないほど実力差がありすぎるのも事実だった。
--どうしたらいい……。
「え……?」
そこまで思考を巡らした時、炎の光に照らされていた世界が突如暗転する。
一瞬気を失ったのかと思ったが、それにしては意識がはっきりしている。つまり単純に『見えなくなった』とうことだ。
そのことに驚き、慌てて動こうとするも足元が見えない所為で僅かな段差に気付かず、そこに足を引っ掛け転んでしまう。
「な、に……?」
「捕まえましたよ」
状況を呑み込めないラナの前に和服の少女が立ちふさがる。見えずとも危機的状況であることを察したラナは我武者羅に鞭を振るが--。
「ぁああっ!!」
その瞬間、赤いミカドアゲハがシロスジカミキリに取り付き爆発した。
加減されているとはいえ甲殻に亀裂が走り、血を思わせる液体が虫から滴り落ちる。
自身の身体を傷付けられたシロスジカミキリが悲鳴をあげる。そして虫を傷付けられたことで夢を削られたラナも苦悶の表情を浮かべ、苦しみのあまり地面に倒れこんだ。
「壊さないように加減するのは難しいですね。さて、それでは彼の居場所について答えて貰いましょうか?」
--『彼』。
今、間違いなく彼女はそう言った。
彼とは、男性に対して向けられる言葉であり、彼女が指した特環局員は二人いて内一人は少年だ。
つまり……。
「どう、して……アイツのこと……」
頭に思い浮かんだのは元の姿だった。
……思えば最初からおかしい所があった。
それなりの戦力と特環に干渉できるほどの力を有するはずの彼らが、何故自分達を逃がすような真似をしたのか。
逃げる代償に要求した特環のことに対してもだ、相手が虫憑きと分かったなら感知に特化した虫で見つけ出せそうなもの。
わざわざ次の“底王”になるはずのほのかを手放してまで欲する必要性が彼にあるのだろうか?
「貴女には関係ないことです。……ただ、もしかしたら彼は--!」
一度は関係ないと切った後、続けて出たその言葉はまるで呟いてるように小さかった。何か思い起こしていた彼女の顔が一瞬で引き締まる。
放物線を描きながら『何か』が着物の少女に向かって飛んでくる。少女はそれを黄緑色のミカドアゲハを一羽放ち迎撃、見事両断する。
だがその瞬間、その両断された『何か』から
「逃げるぞ」
「えッ!? ちょっと、なに!?」
「うるさい」
ただでさえ視界を奪われているのに、突如声が聞こえ、同時に抱えられたような浮遊感に襲れたラナは軽いパニックになるがすぐに何かで口を塞がれてしまった。
その後、更に激しい風圧を受けるが、それは自分が虫を使った移動の時の、慣れ親しんだ感覚に似ていた。
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黄緑色のミカドアゲハが弾け、暴風が煙幕を吹き払う。晴れた景色の中に既にラナの姿はなかった。
当たりを見渡すと明らかに街道には場違いな物--消火器が真っ二つになって転がっていた。恐らく先程飛んできた『何か』の正体だろう。本来の消火器にはない機材が付いているところを見るに、煙に関してはそれが出るよう何かしら細工がされていたようだ。
これらを見るにどうやら最初から逃げる算段だったらしい。
「ようやく来てくれたようですね。攻め方を変えて正解でした」
ラナが生温いと感じた少女の攻撃方法には手加減する他にもう一つ、派手に暴れ見つけて貰うという意図もあった。流石にあそこまで暴れれば、居場所は分かるはず。問題は彼が来るかどうかだったのだが、どうやら見事釣れたようだ。……いや、恐らく罠と分かっていながらもわざと釣られたのだろう。
経緯はどうあれ、本当の待ち人が来たことに自然と頬が緩む。
大方、戦闘に特化した相手なら一度姿を暗ませば逃げ切れると思ったのだろう。確かに探知能力がない自分では今から追っても探し出すのは難しい……だが、それなら“それに特化した者”に助力を求めればいいだけだ。
懐から携帯電話を取り出すとある人物に連絡を入れる。
「水野ですか……ええ、彼が来ました。足取りは追えますね? ……はい。では、お願いします」
通話先の主は「ん、わかった」とだけ言って一度通話を切った。
『水野』。彼女が属するグループにおいて唯一の探知能力者。そして恐らく数いる探知能力者の中でも上位に食い込む索的範囲の持ち主だ。最も、それ故に力が弱い特定の誰かを数ある無指定クラスの中から探し出すということは苦手なのだとか。ただし、その逆に強いものは簡単に見つけることが出来るらしい、曰く「目立つ」。おかげで今回は手を焼いているのだが、大体の居場所さえ解れば見つけ出すことは容易だ。……少なくともこの町にいる間は決して見逃さない。
--ああ、ようやくだ……。
そんな気持ちが顔にも表れ、口元が緩む。
ようやく来た待ち人、しかも未だ会ったこともない相手だというなのに、此処まで気持ちが昂るとは……存外自分はロマンチストなのかもしれない。
自分の思ってもみなかった一面に気付くと同時に、携帯電話の着信音が鳴る。相手は水野だ、居場所が解ったのだろう。いつもながらに早い仕事だ。
電話に出ればやはりその件であり、水野は正確な居場所を淡々と述べた。
それを聞き終わる頃には、
--その胸の内にあるのは、恋にも似た危ない高揚感だけだった。
この話はちょっと長くなるかも……色々と伏線やらフラグをばら撒く予定。
あの和服少女は、昔自分が考えた最強の虫憑き候補をリメイクしたもの。だからチートなのは仕方ない。……と言ってもこれでもまだ自分の作品の中では三~五番目ほどの強さでしかなかったりする。うちのチート代表はちょっとおかしいですから……。