衛宮士郎は死にたくない。 作:犬登
一発だけなら誤射かもしれない。
「────投影、開始。」
陰陽の双剣を手に握る。
意識を敵に向けながらも、体は半ば慣れ親しんだ作業のように剣という媒体から剣技を取得する。そして、その瞬間に理解した。
やはりアイツと俺は同じだ。
同じ力があり、同じ理想があり、同じ限界があった。それを確信できるほどに酷似している。
────同調率、七十九パーセント。
通常ではありえない。
如何に経験を読み取るとはいえ、結局は他人。共感し、模倣し、同じ剣を持ったところで完全な憑依などできるわけがない。日常的に行っていた縮地の鍛練でさえ、同調率は六十を上回ることはなかった。
だというのに、
向かってきた黒鍵を半身で避ける。
黒鍵の速度は先程の数倍はあり、威力は桁違いだろう。けれど全て
狙った箇所も。放つタイミングも。
そして、見えていればどうするのが最善かは分かる。弾く必要はないと、剣からダウンロードされた戦闘思考が結論づけていた。
足を前に踏み出して距離を詰める。
敵との距離はたったの十七メートル、すぐに接近戦に持ち込める。奴は隻腕のようなものだ。手数で多い俺が圧倒的に有利なはず。今のところは。
たとえ先程のように見切られたとしても、次の動作を読めていれば対応できるはずだ。
投擲される黒鍵を避けながら、縮地で接近する。後ろで爆音が鳴り響いた。あんなものが直撃すれば身体は粉砕されるだろう。避けた際の風圧による裂傷はすぐに治るが、もしも当たって一発で死んだら治る治らないの問題ではない。
残り三メートルを切ったところで男が動く。
予測───対象、左に回避。
回避先を潰すように、すかさず自分も左にステップを刻んで横薙ぎに斬りかかった。
指と指の間に挟むように持った三本の黒鍵で防がれるが、それも見えている。鍔に引っ掛けることで力任せにその防御を固定し、もう一方の剣で黒鍵の間をすり抜けるように突きを放つ。
「死にやがれ……!!」
「ふ、まさか読まれているとはな。」
男はそれにすら反応し、身を逸らすことで回避する。まだ余裕があるらしい。
全身から力を抜いて一瞬で腰を落とし、体を回転させながら足払いを掛ける。
予測───対象、後方に跳躍。
それを
人間のあらゆる運動は例外なく地に足が着いた状態から始まる。どれだけ速く動く者も地面を蹴ってはじめて前に進める。それ故に僅かであっても滞空する間は、男は動くことができない。
確かに男の跳躍も目で追うのがやっとな程に速い。だが、それは下策だ。剣を投げるのはお前だけではないということを教えてやる。
足払いの回転の勢いをそのまま腕に伝えて、もう一歩踏み込む。
「────はぁぁッ!!」
腕を千切れんばかりに振り切って、双剣を投擲する。空気を切り裂いて、鶴翼を描くように双剣が男を追う。
「くっ……!」
やはり空中で防ぐのは容易ではないらしく、苦悶の声を漏らした男は無理やり双剣を弾いた。けれど、それで終わりではない。
────壊れた幻想。
作り手である俺の命令に従い、弾かれた双剣は内包する膨大な神秘を解き放って爆発する。それと同時に男の懐に入り込んだ。
もう一度、手の中に双剣を作り出す。
「────これで、終わりだ……!!」
振り下ろした干将と莫耶が男の両肩から袈裟斬りにした。爆風で体勢を崩して斬撃を流すこともできなければ、超人の男も切られるしかない。
肉体から生々しい音がすると共に、まるで水風船のように血が飛び散った。
「……っ、は………。」
微かな呻き声をあげて、男は床に転がった。うつ伏せになって傷は見えないが、周りの床に赤い血溜まりが広がっていく。
流石に死ぬのだろう。
とりあえず解析の常時展開を解除する。男は起き上がる気配もなく、ただ倒れ伏すのみだ。しかし、何か腑に落ちない気もする。初撃であれほどの見切りをしながら、今の数度の攻防で敗れるものなのか。いや、殺せるとは思ったが、それでもこの男は死にそうにないとも思っていた。
「セイバー、何か感じるか?」
「……いえ、何も。」
いくら待てども何も起こらない。考えすぎだろうか。ならば当初の予定通り残った片腕を貰うとしよう。その後に首を切り落とせばいい。
「……殺すか。」
横たわる男の死体の側に立つ。血溜まりが赤い鏡となって、酷い顔をした自分の顔を写し出している。
誰もを救うことはできないと分かっていても、自分の無力さを恨まずにはいられないらしい。こんな情けない顔をしているのも無理はないのか。
誰かの未来を守るためにはそれを奪う輩を先に排除しなくてはならない。今回は間に合わなかったけれど、それでも次こそは─────。
見下ろす鏡に影が映る。
「────シロウ、上ですッ!!」
声に従って反射的に双剣を振り上げた。高速で落下してきた何かを防ごうとする。
「おせぇよ。」
上げきる前に、干将の腹を紅い穂先に貫かれて漆黒の刀身が砕け散る。体が触れ合いそうな程近くに青い軽鎧があった。
「な────」
考えてる暇はない、下がれ。
即座に近距離で薙ぎ払われた魔槍を、バク転で身を反らして何とか避ける。上着の腹部が穂先に触れただけで裂けた。
「へッ、やるねぇ。」
さらに追撃として放たれた回し蹴りをやり過ごすため、両手をバネに地面を押して、後方に飛び退く。同時に干将を投影して、残った莫耶と投擲することで牽制する。
着地すると直ぐにセイバーが前に出た。数メートルしか離れられていないが、追ってこなかったようだ。ナイスカバーだ、セイバー。
「ヒュー、いいぜ。今のは訂正しよう。悪くない動きだ坊主。」
「そりゃどうも……ランサーが来るなんて流石に想定外だぞ。」
弾かれて戻ってきた干将と莫耶を掴み取る。
状況としてはまだ有利か。かなり魔力を消費したが、ランサーだけならまだ戦える。俺自身は無理だがセイバーなら押さえ込める。マスターを失ったランサーでは長時間はもたないだろう。
なら持久戦に────。
「そら、さっさと起きろよコトミネ。」
「─────な、に。」
男の骸が立ち上がる。いや、骸ではない。間違いなく生きている。あの男は心臓も肺も斬られて、なお動くというのか。
「驚かせて悪かった、衛宮士郎。なにぶん、床の冷たさに感慨深いものを感じていたのでな。」
「……お前、どうやって生き返った。」
「どうもこうも私はそもそも死んでなどいない。そこそこ丈夫な体というだけだ。」
コイツ、まさか俺と同等の回復能力があるのか。だとしたら頭を潰すか、首を切り落とさないと死なないかもしれない。
ランサーの相手をセイバーがするとなると、俺が言峰の首を獲るということになる。けれど先程のは一度限りで、もう一度通用するとは考えにくい。しかも魔力も消費していて、魔術回路にもこれ以上の負荷をかけるのは不味い。
「ま、丈夫とかいう次元じゃないけどな。正直俺から見てもバケモンだぜ。」
「そんな話はどうでもいい。私が聞きたいのは衛宮士郎の願望についてだ。」
出来る限り早く殺したいが、その殺し方が分からない。態々待ってくれるというのなら、思いつくまでは時間稼ぎとして付き合っておく。
「俺の願望?そんなことを聞いてどうするってんだ。お前が聖杯を狙うなら意味がないだろ。」
「何か勘違いしているようだ。私は勝つつもりなどない。監督役として聖杯を得るに相応しい人物を見極めるだけだ。」
「貴様のような外道が勝者を見極めるなど、世迷い言をぬかすな……!!」
「だがな、セイバー。監督役を任されている者として、マスターの願望は知っておく必要があるだろう?」
「まだ監督役を騙るのか、貴様はッ!!」
この聖堂は地下空間だ。逃げ場は地上に続く階段しかない。ここで戦えば、ランサーの宝具を使われて確実に敗北するだろう。
けれど逃げるわけにはいかない。一度監督役に敵対した以上は、今度こそ他のマスターに伝達がいって結託されるかもしれない。だからここで殺すしかないのだ。
「……俺に願望なんてない。聖杯で叶えたい願いはない。この戦いで前回のような被害を出したくないだけだ。」
「それは矛盾しているぞ、衛宮士郎。お前の戦う理由があの大火災にあるのならば、聖杯にその抹消を願えばいいだろう?」
「……どういうことだ。」
「分からないわけではあるまい。聖杯であの大火災をなかったことにすればいい。そうすればやり直せる。失うはずではなかった平穏な人生を。」
いや、待て。ここが閉所というのなら。そうか、これは盲点だった。逃げ場が存在しないのは俺達だけでなく敵も同じだ。つまり切り札のぶつけ合いにならざるを得ない。
「お前も勘違いしているよ、言峰。」
「……なに?」
「俺は一度だってあの日の出来事を消し去りたいと思ったことはない。大火災はあの時にもう起こってしまったんだ。だから、今更それを無かったことにはできない。」
「……」
そして切り札の質において、セイバーは最強だ。なにせ、放てさえすれば勝てるのだから。
「過去を変えるなんてしちゃいけない。あの日に多くのモノを失ったけど、残されたモノもある。それらを背負うのが生きている者の義務だ。だから。」
───セイバー。
「そう、だからお前は許さない。」
───最小出力で聖剣を解放しろ。
暗い聖堂が目映い光に満ち溢れる。聖剣を包んでいた風の鞘が解かれ、黄金の剣が姿を現した。あまりの眩しさに思わず目を奪われる。
「ちぃ、こりゃ完全にマズったな。最初から宝具でぶち抜いとくべきだった。」
「予想以上につまらない男だった、か。ランサー、何とかしろ。」
掲げられた聖剣に魔力が急激に収束していく。自分の体から魔力が失われる虚脱感に意識が朦朧となったが、双眼は聖剣を捉え続けることを望んでいた。
ずっと見ていたい、この光になら目を焼かれてしまっても構わない。あの剣は何処かで目にしたようで、けれど初めて見る美しさを感じる。
ああ。本当に綺麗だ、この剣は。できることなら命を対価にしても己の手で作りあげたいくらいに。
「約束された────」
一秒に満たない溜めが終わる。より一層力を込められた聖剣が更に輝きを増した。それは騎士の理想が形を為したと思えるほどに尊く、澄みわたっている。どれほど気高き想いを抱けば、このような煌めきを持つのだろう。
今、セイバーが黄金の極光を解き放つ。
「────勝利の剣ァァァァ!!」
視界が輝きに塗り潰された。目の前のあらゆるものが消えていく。理想がもった熱量は地獄だけを生み出してきたこの空間を尽く浄化する。
けれど、ふと見えた彼女の表情はどこか泣き顔のようで─────。
全てが終わると、何も残っていなかった。仰々しく置かれていた聖堂のシンボルも、天井を支えていた何本もの柱も、その天井までも。
開いた穴から青空が見える。十年間も闇に浸かっていたこの場所にもようやく光が届いたか。
あまりにも遅すぎるが、最期だけでももう一度空を見せられて良かったと思いたい。結局は自己満足に過ぎないと言われても。
「……セイバー。」
「私は彼らの処理をしてきます。シロウは魔力を消耗したでしょうし、休んでいてください。」
「……分かった、助かる。セイバーも無理するなよ。」
セイバーは目を合わせることなく、扉の先へ行ってしまった。何故、と正面から聞くほど莫迦ではないが、かといって思いあたる節もない。
いや、全く無いわけではないけども。言峰に啖呵を切った直後に不意打ちで宝具を使ったのが卑怯だったとか。ランサーとは一対一で勝負したかったとか。
もし本当にそうだとしたら、申し訳ないことをした。俺が我を忘れて突っ込んだ挙句、殺しきれなかったせいだ。
代わりといっては何だが、今日からセイバーの頼みはなるべく聞くようにしよう。失った信頼はきちんと取り戻さないと。
魔力を殆ど失って本格的に動けなくなったので、俺は床に大の字に寝転がり、件のセイバーを待つしかなかった。
市街地には被害が出ていないのでセーフ。