我ら神の子!   作:四ツ兵衛

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浅間詩帆

 いつもの部屋——第2多目的室。そこに向け、俺はいつものように歩みを進めるが、内心は行きたくない気持ちでいっぱいだった。

 昨日のこころの「結婚したい」発言。あれは俺を質問責めの対象にするには充分すぎる威力を持っていた。恐ろしいことを言ってくれたものだ。

 幸いなことに、部員たちが教室で何か質問してくることはなかった。これからの部活動で質問責めされるのが目に見えるが、教室で他の生徒の耳に入って波紋が広がるよりはよっぽどマシだろう。

 

「あ、いらっしゃい」

 

 ドアを開けると、部屋にいたのは詩帆だけだった。

 

「あれ、他のみんなは……?」

「美華ちゃんはこころちゃんに乙女の作法を教えるとか先に帰って、悠平は運動部の助っ人。今日はサッカー部の助っ人だってさ」

「そうか……」

 

 確かに、こころは女として色々足りないと思う。食事の作法、挨拶などは普通にできるが、元が猫だったために脱ぎ癖があったり、物言いがストレートすぎたりする。俺も直したいと思っていたところだし、ちょうど良い。ご褒美に今晩の夕食は少し豪華にしてやろう。

 悠平は、いわゆる天才だ。勉強は一度の授業で完璧に記憶し、運動は元々の身体スペックで何でもこなす。女子たちがどう思っているかは知らないが、その社交的な性格のおかげで同学年のほぼ全ての男子と仲が良い。イケメンということもあって、女子からの印象も決して悪くないだろう。ちょっと残念なところもあるが、才色兼備という言葉がここまで似合う人間を、俺は見たことがない。

 俺は鞄を机に置き、いつ質問されるのかとビクビクしながら椅子に座った。ライトノベルを読みつつ、質問に対する答えを考える。

 ……まず、来るとしたら「どこでフラグが立ったのか?」だよな。昨日のこころの話からして、おそらく拾った時に立ったはずだ。そこから先は生活する中での評価の積み上げが好感度をアップさせることにつながったんだろう。とりあえず、フラグが立ったタイミングに対する質問はこれでいい。ええと、次は……。

 しかし、何分経っても詩帆が質問してくることはなかった。時折、詩帆の方を見ると、彼女はひたすらノートに何かを書いていた。

 1時間ほど経ち、

 

「ねぇ、颯人」

 

 ……来た。

 質問に対する答えが粗方出来上がり、俺がライトノベルを読み始めた頃、詩帆に呼ばれた。

 覚悟を決めて聞き返す。

 

「どうした?」

「数学の宿題教えてくれない?」

 

 ガクッと、まるで漫画やアニメのような反応をしてしまった。

 俺の覚悟は全くの無意味だったらしい。絶対に聞いてくるものだと思っていたのに。

 詩帆のノートを見てみると、そこには今日の数学の授業で出された宿題が書いてあった。どうやら、本当にただわからなかっただけらしい。

 宿題の内容は球の体積の公式の証明。積分を使う証明であるため、難しいと言えば難しいが、計算式自体は教科書に載っていたので、俺は授業中に終わらせることができた。

 

「どのあたりがわからないんだ?」

「んー? 全部ー」

「そうか。……先生の話聞いてなかったのか?」

「聞いてたに決まってるじゃーん。ほとんど理解できなかったけどね」

「ダメダメじゃねーか……」

「そう簡単に理解できたら苦労しないよ。ほら、小学生でも理解できるように説明できなきゃホニャラララとか言うじゃん。私でもわかるように説明できなかった先生が悪い」

 

 ……ひどい責任転嫁を聞いた。まぁ、確かにウチのクラスの数学を担当している教師の説明はわかりにくいことが全校でも有名だが……。

 

「はぁ、全く……。毎度毎度、そんな頭でどうやってテストの点数を平均点並みまで持っていくのかわからん」

「そんなの、颯人が教えてくれてるからに決まってるじゃん。颯人の教え方が上手いんだよ」

「いや、別に俺は教えるの上手くないぞ。そもそも、俺自身はあの先生から教わっているわけだから、俺があの先生以上に上手く教えるのはほとんど無理なんだよ。師を超える弟子は存在しない、ってね」

「そうなの? 私は上手いと思うんだけどな」

「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、俺は師を超える弟子じゃないからな。残念なことに」

「ふぅん……、じゃあ颯人に教えてもらうと何かが違うってことか。……その何かが何なのかわからないんだけど」

「まぁ、そういうことなんだろうな。俺が教えることで覚えられているなら、教える身としては理由がわからなくても嬉しいよ」

 

 不思議そうな顔をする詩帆に、にっこりと笑いかける。

 詩帆が一瞬だけ残念そうな顔になったのは、きっと俺の気のせいだろう。

 

「とりあえず、教科書に載ってるやつ書いとけ。2、3度書けば、さすがに覚えられるだろ」

「はーい……」

 

 詩帆の声に元気がないように聞こえたのも、気のせいに違いない。

 俺はライトノベルを鞄にしまい、詩帆を見る。

 詩帆——浅間詩帆は多少赤みがかかった髪と赤っぽい色の瞳が特徴的な美少女であり、年は俺と同じ17歳。高校2年生である。背は日本の女性の平均より少し高く、胸も日本の平均的なサイズより大きい(本人曰く、Dカップ)。まるでモデルのような体型をしている。

 見た目が本当に綺麗なので、一目惚れする男子は少なくないと思う。しかし、その性格はかなり男らしい部分があり、見た目だけで人を判断する(バカ)は泣かされることになるだろう。

 勉強よりも運動が得意であり、細かいことは気にせず突っ込んでいくタイプ。そのため、頭はそこまで良くない。それでも、基本的な家事能力は充分にあり、生活に必要な計算も普通にできるため、そこまでひどくはない……と思う。言い切れないのが辛いところだ。

 とりあえず、決して悪い性格ではないため、男女共に友達は多い。また、リーダーシップに優れている面もあり、実は『神の子』の部長である(副部長は俺)。

 俺との関係は幼馴染。親同士の仲が良いため、幼少期の頃から付き合いがある。また、家も近いので学校はずっと同じであり、何故かクラスまでずっと同じである。

 家族である美華を除けば、共に過ごした時間が一番長く、同時に互いを最も理解している女の子だ。

 

「ありがとー。何とか理解できたよー」

 

 数分後、詩帆はすっきりした様子で言った。

 ノートを覗くと、俺が言った通り、同じ公式が3つ書かれていた。

 3回も書いておけば式の意味がわからなくても、使用するタイミングや式の形は覚えられただろう。

 

「んじゃ、私帰るね。戸締りよろしくー」

「ま、待ってくれ!」

 

 鞄に荷物をしまって帰ろうとする詩帆を呼び止める。

 

「ん……?」

「一緒に、帰ろう」

「……うん!」

 

 詩帆は嬉しそうに頷いた。

 

 

 帰り道、俺は疑問に思っていることを詩帆にぶつけてみた。

 

「なぁ、なんでこころのことを聞いてこなかったんだ?」

「ん? ん〜……」

 

 詩帆は一瞬こちらを見ると、視線を空に向けた。

 そして、数秒間考え込むように唸ったのち、めんどくさそうに後頭部に手を当てながら、

 

「なんかさぁー、どうでもいいな……って」

「……はい?」

「いやさぁ、別にこころちゃんが猫から人間に変わったって私たちの関係が変わるわけじゃないでしょ?」

「まぁ、そりゃそうだな」

「でしょ。だから、別にこころちゃんが人間になって、颯人のことが好きだとか言っても私には別にデメリットなんてないんだよね。それに、こころちゃんは多少強引なところがありそうだけど、無理やりエッチするなんて嫌われそうなことしないと思うから。……颯人が手を出すなんて、そもそもありえないと思ってるし」

「おい、俺が手を出すのがありえないって、どういうことだ?」

「そのまんまの意味だよ。颯人ヘタレだもん。ついでに言うと、自制心が強いから、多少ドキドキすることはあっても自分を抑え込んじゃうでしょ」

「ぐぬぬ……」

 

 完全に正解である。

 確かに、俺はこころの行動にドキドキすることがある。でも、手を出さない。と言うか、手を出せない。どうしても、心が勝手にブレーキをかけてしまうのだ。……もちろん手を出すつもり自体ないのだけれども。

 

「そんな理由だよ。変わるものと変わらないもの。私たちの関係は変わらないものだからさ。こころちゃんが颯人のこと大好きでも割とどうでもいいわけ。颯人のことが好きになった経緯が気にならないことはないけど、聞くほどのことじゃないもん」

 

 ……大雑把だなぁ。なんて言うか、とても男らしい。

 詩帆のこういった面を「女の子らしくない」と否定する者は決して少なくない。しかし、俺は彼女の大雑把な面も魅力だと思っている。真っ直ぐでとてもかっこいい。

 

「はぁ……、詩帆は本当にすごいな……」

「え、何が?」

「……何でもない」

 

 ……ただし、頭は良くない。

 

「なぁ、詩帆」

「何? そう何度も呼ばないでよ」

「ああ、悪いな」

 

 詩帆は友達として最高クラスだ。こいつになら、どんな悩みをさらけ出してもいいと思える。同性である悠平よりも話しやすい。

 

「俺って、普通か?」

 

 そんな、分かりきったことを聞いてみた。

 

「普通じゃないね」

 

 返ってきた答えもわかりきっていたものだった。

 やっぱり、そうだよなぁ……。

 俺は深い溜息を吐く。

 

「どうしたの? 悩み事?」

「ああ、悩み事だ。ほら、俺って髪の毛の色がなんか変だろ? 染めたわけでもないのに、部分的に真っ白。どう考えてもおかしい。他にも、喧嘩たくさんしたり、親父が会社の社長だったりする。普通じゃないから、このままだと嫌われてしまうような気がするんだ」

 

 正直に、悩んでいることを全て吐き出した。

 しかし、詩帆は、

 

「ぷくく……あはははっ!」

「なっ……、笑うことないだろ」

「いや、そんなこと言われてもさ……ぷふっ」

「おい……」

「いやー、ごめんごめん。あまりにも悩みが小さかったからおかしくって」

「ぬっ……!」

 

 こいつ、人が真剣に悩んでいるっていうのに……。

 

「あのさぁ、みんなが颯人のことどう思っていると思う?」

「……不良」

 

 誠に不本意ながら、そう答える。

 すると、詩帆はニヤニヤしながら、

 

「ふーん、颯人が不良ねぇ……。へぇー……」

「なんだよ、その反応?」

「こう言うことだよ!」

 

 突然、詩帆が殴りかかってきた。

 拳は避ける間もなく俺の顔面に迫り、紙一重のところで止まった。

 

「どういうことだよ?」

 

 俺は詩帆の拳を手で軽く払い退けながら聞いた。

 

「ねぇ、私を殴りたくなった?」

「……? いや、ほとんどないな。確かにびっくりはしたけどさ」

「じゃあ、颯人は不良じゃないね」

「は?」

「これはあくまで私個人の考えだけど、不良っていうのは、その一瞬だけ浮かんだ凶暴な感情を抑えることができないのよ。リーダー格にでも止められなきゃ、感情に任せて走り抜けちゃう。自制心が弱かったり、他のことに自制心を使ったりしているからね。でも、颯人はその一瞬の感情に流されなかった」

「そりゃ、詩帆が女の子だからだ」

「そこも要因よ。不良は女を殴るし、乱暴だってする。だって、あの時、私は……」

 

 悪い記憶を思い出してしまったらしく、詩帆は自身をきつく抱きしめて肩を震わせる。その顔には恐怖の色が浮かんでいた。

 俺は詩帆の肩に手を置き、目を見る。

 

「落ち着け、大丈夫だ。もう2度とあんなことにはならないはずだ。だから、悪いことは全て忘れろ」

「はぁ……はぁ……」

「俺の目を見ろ。大丈夫だ」

「はっ……はっ……」

 

 30秒ほど目線を合わせていると、詩帆の呼吸が落ち着いた。

 詩帆は「ほぅ……」と一息吐き、

 

「ごめん。もう大丈夫。落ち着いたよ」

「そうか、良かった……」

「で、どこまで話したっけ?」

「俺が不良じゃないってところだ」

「ああ、そうだったね。……颯人は自制心に優れている。だから、感情に流された行動を取ることもない。握りかけた拳を広げるって、殴るよりも難しくて立派なことなんだよ。それができる颯人は悪い人じゃない。見た目はともかく、中身は不良じゃないし、両方考慮した上でも不良とは違った存在だと思う」

「でも、それは詩帆だけの意見じゃ……」

「いや、みんな同じ意見だよ。少なくとも、ウチの学校に颯人のことを不良だと思っている人なんていないはず。大丈夫、自信を持ちなって」

 

 そう言って、詩帆は俺の背中を優しく叩く。

 その言葉と行動は俺の悩みを中和してくれた。少し肩が軽くなった気もした。

 しかし、俺の心から悩みが完全に消えることはなかった。

 

「やっぱり不安だ……」

「大丈夫だって」

「自信が持てない……」

「……なるほどね。颯人に足りないものが何かわかった」

 

 何かに気づいた様子の詩帆。

 しかし、俺にはそれが何かわからない。

 

「俺に足りないもの……それはいったい何なんだ?」

「はぁ〜……」

 

 深い溜息を吐かれた。

 

「自信だよ」

「……自信?」

「うん、颯人には自信が足りない。自分のことを嫌われ者だと思い込んでいる節がある。今の颯人に必要なのは、その思い込みを取り払って自信を持つことだよ」

「そ、そんなことができるのか?」

「できると思うよ。というか、やってあげる」

「は?」

「よーし、しばらくの間の部活動の目的が決まったよ。颯人に自信を持たせるために、自信が持てるまでみんなで色んな面を磨いていくようにする」

「お、お手柔らかにお願いします……」

 

 やる気満々な様子の詩帆に、俺はそう言うしかなかった。

 

「あらら、もう家か……」

 

 ふと気づけば、俺たちは既に家の前まで来ていた。

 俺は我が家に向かう。

 

「あ、ちょっと待って」

 

 詩帆に呼び止められた。

 

「何だ?」

「さっきさ、悪い記憶は全て忘れろって言われたけどさ。多分、私は忘れることなんてできないよ。だって、あの時は決して悪いことばかりじゃなかったから……」

 

 詩帆は少し恥ずかしそうに言った。

 ……あの時、何か良いことがあったのだろうか?

 

「そうか? ああいう辛いことは忘れた方が楽だぞ」

「……相変わらず、頭は良いくせにバカなんだね」

「あぁん?」

「何でもないよー。また明日ねー」

「あ、おい!」

 

 俺は呼び止めようとしたが、詩帆はさっさと家の中へ入ってしまった。

 俺の家と詩帆の家は隣同士。別に、また明日などと言わずとも、いつでも会うことができる。

 が、一応言っておこう。

 

「ああ、また明日な」

 

 家の中の詩帆に聞こえていることを信じ、俺は帰宅するのだった。


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