「うぁー、見たくもないモノ見ちゃったのですニャ……」
膝の上にこころを乗せて頭を撫でていると、こころが呟いた。
「どうしたんだ?」
「いやー、さっき男湯の方に行こうと思って跳んだんですけどね。何故か悠平さんも跳んでまして……。ぶらーん、て。股間のモノがぶらーんってなってたんです。思わず蹴り飛ばしちゃいました……」
やっぱり、温泉のアレはこいつだったか。
俺は呆れつつ「災難だったな」と返す。
「本当ですニャ。ご主人の男性器なら別にいくら見てても良いんですけど、好きでもない男の性器なんて見たくもないですニャ。しかも、中途半端に大きくなったやつがぶらーんですよ? 最悪ですニャ」
すごく変態っぽいことも言っていたが、黙って頭を撫でまわす。
ゴロゴロと喉を鳴らしているあたり、気持ち良いらしい。と言うか、人型になっている時も喉鳴るんだな……。
「そういえば、猛さんは見た目の通りですけど、ご主人たちも割と筋肉ありますよね」
「そうか?」
「そうですニャ。初めて悠平さんの裸見たわけですけど、腹筋とか綺麗に割れてて驚きましたもん」
「まぁ、あいつは運動神経良いからな」
「ご主人だって運動得意じゃないですか……。と言うか、ご主人も普通に割れてますニャ」
「へぇー、そうなんだ……」
そう言いつつも、俺たちが割と筋肉あるというのは俺自身も思っていることである。
猛は見た目の通り脱いでも筋骨隆々としているし、悠平は細く見えて意外と肉が付いている。俺自身も同年代の平均的な男子に比べて筋肉がある方だと思っている。
筋肉は使わなければ衰える。中学生の頃は、陸上競技をしたり、喧嘩をしたりと身体を動かすことが多かったが、高校に上がって神の子に入部してからは身体をあまり動かさなくなった。しかし、運動をしないのでは身体に悪いと思い、俺はそこそこ鍛えているのだ。
偶に家のガレージがうるさいのは俺がサンドバッグを殴っているせいです。美華さん、こころさん、ごめんなさい。
「はぁー、暇ですニャ……」
「暇だな……」
「ご主人がこうして撫でていてくれるだけでも幸せですけどね」
「ははは、可愛いやつめ」
変なことさえ言わなければ、だけど。
今は夕食後の自由時間。全員が俺の泊まる部屋に集まっていた。
自由時間と言われると人間は嬉しくなってしまうものだが、いざ自由となるとやることが見つからなくて暇になる。そして、退屈な時間を過ごしてしまう。
俺たちは暇を持て余していた。
「悠平、暇だ。なんかないか?」
「ない。貴様のようなリア充にくれてやるアイデアなど一切ない」
「リア充? なんのことだ?」
「ふんっ! 自分で考えろ」
「えー……」
悠平に聞いても、冷たく突き返された。
暇だ。頭の中が暇という文字で埋め尽くされてゲシュタルト崩壊を起こしてしまいそうなほど暇だ。
と、
「ねぇ、そんなに暇なら怪談なんてどうかしら?」
声のした方に目を向ければ、布団にうつ伏せで倒れている先生がこちらに顔を向けていた。
浴衣の胸元が開き、身体と布団に挟まれた胸が見える。エロい。
「まだ5月だから時期は早いでしょうけど、暇つぶしにはもってこいよ。どうかしら?」
「どうしましょうね……」
部屋にいる部員たちに目を向けて意見を促す。
「私はいいよ。特にこれといったネタもないけど」
「俺もやるっす。一応レパートリーがないわけじゃないんで」
「私もやります」
先生を含めて4人。これで過半数だ。
「悠平たちもいいか?」
「おう、別にいいぞ」
「ご主人を震え上がらせてやるのですニャ」
2人とも、やる気満々の様子だ。
お話はあまり得意じゃないが、やってやろう。
電灯の明るさを最弱にして準備完了。
かくして、神の子部員たちによる怪談対決が始まったのだった。
「さて、じゃあまずは誰からやる?」
「私がやるわ。言い出しっぺは私だもの」
一番手、越前玉藻。
「これは、私がちょっと前に働いていた学校の話よ。学校の名前は……そうね、調べればわかるけど、U高校としましょう。主人公はA子ちゃんで。A子ちゃんは新聞部員で、いつもスクープを求めて走り回っている好奇心旺盛で元気な子だった。ちょっとやりすぎな部分もあったけど……明るくて話上手で生徒からも先生からも人気があった。私とも仲が良かったわ……」
遠い目になる先生。
その仕草は、本当にあった話なのでは、と思ってしまうほどに自然だった。
先生は一息おくと、普段より低いトーンで話を続ける。
「U高校は50年を超える歴史のある私立高校で、その年はまだ新しい校舎が建てられたばかりだった。廊下も教室も机も黒板も、何もかもが新しくてピカピカしていた。……だけど、そんな新校舎にも1つだけ古いものがあった。それは、4階の北廊下に取り付けられた大きな鏡だった……」
人間たちの恐怖の象徴である妖怪ということもあってか、先生の怪談スキルは非常に高かった。
顔は真顔で、語り口からは暗さを感じる。
その不気味さに俺たちは恐怖を覚えつつ、話に引き込まれてしまうのだった。
4階の北廊下に取り付けられた大きな鏡は約40年前に卒業生たちから寄贈されたものであり、もともと旧校舎に飾られていたものが新校舎に移されたのだという。
学校には怪談がつきものだが、やはりその古い鏡にも怖い噂があった。
夜中に鏡を見ると別の世界が映っていたり、引き摺り込まれたりするのだという。
もちろん、そんな噂があるのなら、新聞部員であるA子が食いつかないはずがない。
ある夏の晩、A子含めて3人の新聞部員たちは無断で校舎に進入した。3人は1人1つずつの怪談を検証し、夜9時を
2人は9時前に合流することができ、昇降口でA子を待った。しかし、1時間近く待ってもA子は来なかった。
もしかしたら、A子は先に帰ってしまったのかもしれない。
そう思った2人は帰宅し、翌日にはいつも通り登校した。
学校にA子の姿はなかった。A子の家に連絡しても帰っていないという。携帯電話も繋がらない。
結局、校内及び町内を全校生徒、職員総出で捜索してもA子は見つからなかった。
A子がいなくなったことは鏡の呪いだと噂され、事件から一週間ほど経ったある日の昼休みに、鏡は何者かによって割られてしまう。
突然聞こえた音を聞きつけて集まった生徒たちが見たのは、割れた鏡の向こう側から鏡を叩いて必死に助けを乞うA子の姿だった。
「……今でも夜になるとね、その学校の窓ガラスやトイレの鏡には、出口を探して歩き回るA子ちゃんの姿が映ることがあるらしいわ。……鏡は割れちゃったんだから、もう2度と出られるわけないのにね……」
先生の話が終わった。
その瞬間、どこからともなく、寺の鐘に似たゴーンという音が聞こえた。
「ヒッ⁉︎」「にゃっ⁉︎」「うわー、お兄ちゃーん!」
「ぐえっ……!」
驚いた女子3人が俺に飛びついてきた。
苦しい。……けど、おっぱい柔らかくて気持ち良いです。
「あ、すみません。驚かせちゃいましたか?」
猛が申し訳なさそうに訊ねてくる。その手には1台の携帯電話が。
「いやー、話が終わったところに音を入れたら雰囲気出るかなー、って思ったんスけど……。ちょっと次からはやめときますね」
「あ、ああ……やめといてくれ」
俺は3人を引き剥がしながらそう言った。
こっちを見る悠平の目の瞳孔が開いて光が失われているのが怖い。
女子に頼られなかったからと言って、そのせいで生じた負の感情を俺に向けないでもらいたい。
「はぁ……びっくりしたぁ……」
「俺もビビったよ。まさか、詩帆がビビって飛びついてくるとは思わなかった。お前は怖い話とか平気だろ?」
「あはは、さすがに今の音は突然のすぎたから……。ごめんね?」
「いや、謝らんでいいぞ。心霊特番観ている時によくあるから。……今みたいにな」
俺は膝の上に座っている美華の頭に手を置く。
美華は怖いものが苦手なのに好きなタイプで、心霊映像や某怖い話などを見てはいつも怖がって俺にひっついてくるのだ。
今の怪談中も、少しずつ寄ってきて気がついたら膝の上にいた。
「ところで、先生の今の話って本当? やけに現実離れしてたけど、先生の表情も大分本物っぽかったよ?」
詩帆が訊ねると、先生は笑いながら、
「一部が嘘って感じね。ほとんど本当の話よ」
「へぇー、どのあたりが嘘なの?」
「帰ってこなかったって辺りかしらね」
「ふーん、帰ってこなかったところねぇ。……え⁉︎」
先生の返答から数秒後、先生以外の全員が固まった。
「せ、せせせ、先生! それって、実際に鏡の向こう側に行ってたってこと⁉︎」
「ええ、そうよ。鏡の向こうには別の世界があるもの」
先生はさも当然のように答えた。
「鏡や窓って、ものを映し出すじゃない? そのせいで映してきたものを記憶して、別の世界の入り口みたいなものができちゃうことがあるのよ」
「……確かに、扉とか橋みたいに何かの間にあるものは危険って聞いたことがあります」
「そう、そんな感じよ。鏡も、こちらの世界と反射した世界を繋ぐ境界面になるから。……まぁ、別に今の話を信じないと言ってもいいわ。信じようが信じまいが、あの子が3日間行方不明だったのは本当だし」
「へ、へぇ……どこで見つかったんです?」
「その学校の倉庫よ。旧校舎時代から使われていた倉庫だから、鏡が映してきた世界ともつながっていたんでしょうね。あの時は偶々運が良かったけど、倉庫もなかったら……」
先生は部屋にある鏡の方を向いて、ニヤリと笑った。
俺、今日この部屋で寝るんですけど……。
怪談よりも解説の方がよっぽどホラーだった。
「次、誰がやる?」
「俺がやるっす」
猛が手を挙げた。
「お前、怪談なんてできるのか?」
「オリジナルの怪談はありませんが、俺が今まで読んだことのある話をしようと思います。まぁ、期待していてください」
悠平の言葉に、猛は自信有り気に答え、怪談を始めた。
猛の怪談は有名な日本三大怪談から都市伝説的な話まで様々で、古来から語り継がれていたり噂になったりしているだけあって怖さはなかなかのものだった。
しかし、その怖さの理由はそれだけではないだろう。
時には小さく、時には大きく。猛の太く低い声は、怪談を語るに当たって圧倒的な恐ろしさと迫力を生み出すことに成功していた。
「まぁこんな感じっす。どうでしたか?」
そんなこと答えるまでもない。
美華とこころは俺に抱きついて泣きそうな顔になっているし、詩帆は少しずつこちらに寄ってきている。悠平でさえも時折ビビっている様子だった。
「怖かったよ。お前、話するの上手いんだな」
「最近練習していますからね。心に響く話し方ってやつを」
「そうか。充分できてると思うぞ」
「それは嬉しい限りです。まぁ、兄貴の拳に勝る話法はありませんが」
それは話法ではなく、拳法の間違いではないだろうか。と言うか、その言い方だと俺が力で全てを解決する脳筋みたいになってるんだが……。
ちょっとショックである。
「さて、それじゃあ次は俺がやりますか」
俺が拳以外でも語れるってことを証明してやる。
「えーと……昔々あるところに、おじいさんとおば——」
「待て待て待てい!」
「あ、なんだよ?」
語り始めたところで、悠平に止められた。
「これは怪談だからな? わかってるよな?」
「ああ、もちろんさ」
「嘘つけ! お前、今の入り方はどう聞いたって日本の昔話だろうが! 桃だろ! 太郎だろ! 鬼ヶ島だろ!」
「残念ながら違うな。おじいさんとおばあさんが崖から落下死した人々の霊からいろんな恐怖体験を受けて、最後には霊と同じように崖から落下死する話さ! そして、2人が新しい霊になってループする」
「オチまで言いやがった⁉︎」
悠平にツッコまれてハッとなる。
「……今のは聞かなかったことにしてくれませんかね?」
俺の言葉に、全員が黙って首を横に振った。
悠平め、話のネタが無くなってしまったではないか。
俺は恨めしげな視線を悠平に向ける。
「兄貴、ご安心を」
と、猛が立ち上がった。
「わざわざ怪談を話すまでもありません。兄貴がただ『あぁん?』や『ゴラァ!』と言えば、ほとんどの者は恐怖に震え上がりますので」
「俺はチンピラかよ⁉︎」
「これらがお気に召さないのであれば、兄貴は俺にただ『やつを恐れさせよ』と命じてくだされば大丈夫です。俺が怪談よりも恐ろしい目に遭わせてみせますので」
「まさかの武力行使⁉︎」
俺は猛の発言に割と本気で恐怖を覚えていた。
そんな俺たちのやりとりを見ていた悠平はバカにするように笑いながら、
「まったく、お前らは本当にどうしようもねぇな。しゃーねぇから俺が本当の怪談ってやつをやってやるよ」
いつものドヤ顔で言ってくれた。
俺が上手くできなかった後でこの言い方。ムカつかないはずがない。
「ほーう、お前にできんのか?」
「できるに決まってるだろ。このくらい楽勝だぜ」
「えー、悠平さんにできるとは思えませんけどねー」
「私も悠平には無理だと思うな」
「私もです」
悠平は軽い感じで答えたが、ほぼ全員がそれを否定する。
普段のヘラヘラした悠平を見ていたら、当たり前のことだと思うが。
みんなの態度に悠平は少々キレた様子になり、
「……お前ら、絶対にビビらせてやるからな」
不気味な低い声でそう呟き、悠平の怪談が始まる。
結局、俺たちが笑っていられたのはそこまでだった。
◇
……眠れない。主に悠平のせいで。
先ほどまで行われていた怪談大会は悠平の怪談を最後に御開きとなったわけだが、それが洒落にならないレベルで怖かった。
どんなこともほぼ1発で記憶し、始めてすることも簡単に上手くやってのけてしまう悠平に、模範とも言うべき先生の怪談を先に聞かせるべきではなかったのだ。
悠平の怪談は、持ち主のトモユキという名前のせいで共逝きと字が当てられ、この山で1人ぼっちで死ぬともう1人連れて行かれるという伝承ができてしまった山の話で、川遊びをしていた兄弟のうち兄が死んでしまい、生きて帰った弟もその晩に死んでしまうというストーリーだった。
ストーリー自体はそれほど怖くなかったかもしれないが、悠平が先生と猛の怪談から学んだ、相手を怖がらせる話術が大幅に強化された状態で炸裂してしまった。
極めつけは、怪談の最後に悠平が言った言葉『あ、ちなみにこの旅館の主人の名前は
おかげで、詩帆は死んだ目になるし、こころは俺にしがみついたまま失神するし、美華は『もうやだ、お
結局、その時は解散してそれぞれの部屋に別れたのだが、俺は眠れずにいた。
時刻は午前2時。幽霊がよく出ると言われる時間帯である。時計なんて見るんじゃなかった。
「トイレ行くか……」
眠れない時は、とりあえずトイレに行って小さい方を出しておけばどうにかなる(と思う)。
俺は布団から出て、部屋の入り口近くにあるトイレに入った。
1分と経たずに全て出しきり、スッキリとした表情で布団に戻る。
が、その途中で部屋の扉がコンコンとノックされた。瞬間、俺の脳裏に悠平の怪談が蘇る。
『夜の尋ね人には気をつけてください。向かえかもしれませんから』
俺は急いで布団に駆け込むと、頭から被って身を隠した。
……怖い。見つかったら、連れて行かれる。
全身に冷や汗をかき、震えながら息を潜める。早く去ってくれと祈り続ける。
再度、コンコンと扉が叩かれた。続いて、キィ……と扉の開く音がした。
ここで、俺は思い出し、そして後悔した。何かがあった時、すぐに互いを助けられるように扉の鍵を閉めていなかったことを。これほどまでに自分をバカだと思ったことはない。
足音が近づいてくる。死が音となって近づいてくる。
ああ、最期に愛する妹の声を聞きたかったなぁ……。
やがて、足音は俺の頭のすぐ横で止まった。
と、
「お兄ちゃん、起きてる……?」
美華の声が聞こえた。
神よ、感謝いたします。これで俺は未練を残さずに死ねます。
心の底から神に感謝し、俺は覚悟を決めた。死ぬ前に全力で足掻いてやる、と。
「我が生涯に一片の悔いなし! かかってこいやコラァ!」
俺は勢いよく布団から飛び出した。
「な……⁉︎」
恐怖は一気に吹き飛んだ。なんと、そこにいたのは枕を抱えた美華だったのだ。さっきの声は幻聴ではなかったということである。
ところで、恐怖が限界に来ている人間が驚かされた時にどんな行動をとるのか、想像するのは容易いだろう。美華はそれを実際に見せてくれた。
「キャアァァァ!」
「ぶべらっ⁉︎」
次の瞬間、俺の頰には美華の平手打ちが炸裂していた。
妹に対して土下座する兄の姿が見られたのは、それから間も無くのことである。
「……で、何しに来たんだ?」
俺はヒリヒリと痛む頰を押さえながらたずねる。
「怖くて眠れない……」
「……それだけ?」
「うん……。詩帆さんは私が眠るまで起きててくれるって言ってたのに、布団入って10秒も経たないうちに眠っちゃうし、こころは気絶したまま寝ちゃったし……」
あいつら、すげぇな……。
「つまり、美華が眠るまで俺が隣で起きていろ、と?」
「……うん」
美華は恥ずかしそうに頷いた。かわいい。
「まぁ、わかった。俺はいいぞ」
「本当?」
「ああ。ただし、他の人にバレないようにな。みんなが起きる前には部屋戻れよ?」
「ありがとう。じゃあ、早く早く!」
「わかったわかった」
美華が布団に潜りながら催促してくる。
俺もその隣に潜り込み、彼女の頭に手を置いた。
「お前が眠るまで起きてるから、安心して寝ろよ?」
「うん! お兄ちゃん大好き!」
「はいはい、早く寝ような」
「えへへ〜」
俺は美華の頭を撫でながら、彼女が眠りにつくのを待つ。
美華が寝息を立て始めるには、それから1分もかからなかった。ホラーが苦手な彼女にとって、先程の怪談はそれほどに疲れるものだったらしい。
美華が眠ったのを確認してから数分後、俺も眠りに落ちていくのだった。