美華お手製の双六で遊んだ翌日。
一昨日、昨日とゲーム中では敵対関係にあったにもかかわらず、部室は平和だった。部員たちは思い思いに好きなことをしており、ほんわかとした空気。俺もその空気に乗じ、椅子に座ってライトノベルを読んでいた。
と、
ムニュッ♡
魅力的な柔らかい感触が後頭部に触れた。
突然のことに驚いて振り向くと、そこには見慣れた幼馴染の顔が。
「……なんだ?」
「んー、何の本読んでるのかなぁ、って」
「詩帆も読むか?」
「いや、私はいいよ。文字がたくさんあるのって、あまり好きじゃないし。漫画だったら借りてたかもしれないんだけどね」
「そうか……」
残念だ。ちょうど1巻も持ってきてたのに。……そういえば、このラノベってコミカライズされていたな。
俺はコミック版を購入することを心に決め、読書を再開した。
しかし、その行動を邪魔するかのように、またしても柔らかい感触が後頭部に押し付けられる。それも、さっきより強く。
「何なんだよ?」
「……やっぱり、颯人の反応っておかしいと思うんだけど」
「は? ……なんで?」
おかしい。普通ではないことを意味するその言葉に、俺の本能が反応した。
「だって、同い年の女の子の胸だよ? それが頭に押し付けられているのに何もないの?」
「……ない」
「やっぱりおかしいよ! ねぇ、悠平どう思う?」
「全くもってその通りだぜ!」
詩帆の言葉に悠平が激しく同意する。こういう時は仲良いな、お前ら。
悠平は珍しく真剣な表情になり、
「いいか颯人、落ち着いて考えるんだぞ。お前は今、女の子に胸を押し当てられたんだ。身体を触られることに関して嫌がる傾向のある若い女の子が、だ!」
「いや、
「そこは関係ねーよ! 詩帆がどう思っているかはこの際無視して、巨乳の美少女に胸押し当てられているのに平気な顔していられるのがおかしいって言ってんだよ。少しは照れたり、後ろめたい気持ちがあったりするはずだろ?」
「悠平が当たり前のことを言っている……だと……!」
「なんでそこに驚く! 俺が当たり前じゃないことばかり言ってるみたいじゃねーか! ……って、当たり前だと⁉︎」
悠平が千年に一度の奇跡でも見たかのような表情になる。
……逆に聞きたい。俺が一般的な感性を持ち合わせていないとでも思ったか。
「一応言っておくが、俺にだってそういう気持ちはあるぞ?」
「なぬ……⁉︎」
「何故そこで驚く? ドキドキしても顔に出してないだけだぞ」
「……
悠平はブンブンと頭を振り、力強く机を叩いた。
「調べてやる……。颯人が本当にその心を抑えつけているのか……。詩帆も気になるよな?」
「えっ? 私は颯人がドキドキしてくれていたことがわかっただけで充分だよ」
「な、なんだと……!」
詩帆にすごく幸せそうな顔で言われ、悠平ががっくりと膝をつく。
……詩帆、ありがとう。何が起きたのかは知らんが、今の言葉でめんどくさいことに巻き込まれなくて済みそうだ。
俺は安堵し、手元の本に目を落とす。
が、
「「はい、気になります」」
声のした方に目を向けると、美華とこころが手を上げていた。
「お兄ちゃんに普通の男子高校生と同じような感性があることはわかりました。でも、それがどの程度なのかはわかっていません。だから、お兄ちゃんのドキドキしている程度が気になります」
「どのくらいまでいけば、ご主人が自身を抑えられなくなるのか知りたいです」
「そうかそうか。こうなったら、調べるしかねーなぁ」
美華とこころの合意を受け、悠平はニヤニヤと少し気持ちの悪い笑顔を浮かべた。
「私はもういいんだけど……」
詩帆は渋り、やれやれといった表情。
悠平がそんな彼女に何やら耳打ちする。
「もしかしたら、この実験の結果で颯人の好きなタイプがわかるかもしれないぜ?」
途端に詩帆の目が変わった。
「わかったよ。その実験をやろう! 今すぐに!」
「そう来なくちゃ面白くない。さすが詩帆、わかってるじゃねーか」
……めんどくさいことを回避するのには失敗したらしい。
俺は溜息を吐き、鞄に本をしまうのだった。
◇
数分後、俺は手首に腕時計のような機械をつけられて、床に敷かれた布団の上に座らされていた。かつてこの部に所属していた先輩方が泊まる時に使っていた布団らしい。
2つくっつけて並べてあるわけじゃないから変な意味はないだろう。……1つの布団に枕が2つというのは何か深い意味があるのかもしれないが。用意したのは悠平だし。
と、
「はーい、颯人くーん。準備はいいかなー?」
「準備も何も、俺はただ座らされているだけなんだが……。あと、くん付けはやめろ」
「うんうん、颯人くんの準備はいいみたいだね」
笑顔で頷く悠平。
俺の要求は無視ですか、そうですか。
「先に説明しちゃうと、颯人くんの手首についてるのは心拍数を計る機械で、手首のところの動脈が動いたのをカウントしてくれるんだ。これで出てきた数値が心拍数だから、多いほどドキドキしてるってこと。つまり、颯人くんがどれだけ恥ずかしがったり、興奮したりしてるかわかるって寸法さ」
「悠平、その話し方キモいからそろそろやめなよ」
「…………」
詩帆にひどいことを言われ、悠平は人差し指を立てた姿勢のまま固まってしまった。
「で、私たちはどうすれば良いの?」
詩帆の質問に、悠平はハッとし、
「女子たちは1人ずつ布団の上に移動して、颯人をドキドキさせられそうなことをしてくれ。何をするかは特にこれと言った制限なんてないから、基本は自由。あと、与えられる時間は1人につき5分間な。その5分間での心拍数を測定して、一番多い女子が勝ちだ。理解できたか?」
女子たちが頷く。
要約すると、俺は女子1人につき、5分間誘惑されるということだ。
何をされるかわからないが、俺は5分間も誘惑に耐えなきゃいけない。逆を言えば、俺が耐えられなかったら、女子に襲いかかってしまうということである。……気をしっかり持てよ、俺。
「それじゃ、順番は俺が勝手に決めたやつで行くぞ」
「「「ええー!」」」
「悪いとは思っているけど、勝負を公平なものにするために決めた順番だから文句は言わずに従ってくれ。順番は詩帆、美華、こころ。詩帆は布団の上に移動してくれー」
詩帆は無言で布団の上に座った。心なしか、緊張しているように見える。
詩帆に緊張されると、俺も緊張してドキドキしてくるから困る。……なるほど、これも作戦というやつか。詩帆め、なかなかやりやがるな。
そんなわけで、我慢タイムスタートである。
「は、颯人……その、よろしくね?」
「お、おう……よろしく」
やっぱり調子狂うな……。
昨日、夫婦という設定がついていた時はあんなにノリノリだったのに、今日はすごく初々しい。まるで処女だ。……いや、処女か。そう言う俺は童貞だ。
「じゃあ、早速始めるよ。……寝て。あ、向こう向いてね」
俺は無言で頷き、言われた通り詩帆とは違う方を向いて布団に横になった。同時に、後ろで布の擦れる音が聞こえる。詩帆も横になったのだろう。
横になっていたら、眠くなってきた。思わず欠伸が出てしまう。頭の動きまで鈍ってきた。掛け布団が欲しい。
しかし、ぼんやりとし始めた頭は、背中に触れる感触によって一瞬で覚めてしまった。
「颯人ぉ……」
「ん、んお……?」
俺の身体は白くて細い女の子の腕にガッチリとホールドされていた。
驚きで固まっている間にも詩帆は抱き締める力をさらに強め、背中に身体が押し当てられる。
もうだいぶ慣れた感触だけど、これはちょっとドキドキするかもしれない。シチュエーションが変わるだけで、ここまで変わるものなのか。
「颯人……好きだよ……」
「は、はいぃ⁉︎」
なんか唐突に告白された。
いや待て、落ち着け。これは作戦だ。負けず嫌いの詩帆が勝負で負けないために、直球勝負に出てきただけだ。……よし、落ち着いた。これで何も問題はないはず。少なくとも俺は何も問題ないはず、なのだが。
詩帆は離れたくとでも言うかのように、身体を密着させてくる。
「ごめん。やっぱり、こっち向いて」
恥ずかしそうな詩帆の声。俺は素直に従い、身体を回転させる。
すると、詩帆は俺の胸に顔を埋め、
「ずっとこのままが良い。私、颯人とずっとこうしてたい。颯人もギュッとして」
「……こうか?」
「うん……。そのまま、もっと抱き締めて……。もう離さないで……」
俺からも抱き締めると、また新しい注文が入った。
背中を丸め、詩帆の肩に顔を近づけるようにして、彼女を包み込むようにして抱き締める。
腹部に押し付けられる胸は大きくて柔らかくて、すぐ横に見えるうなじは白くて綺麗で、腰とか腹はすぐに折れてしまいそうなくらい細くて、身体からはなんか良い匂いがして。こうして密着していると、こいつが女の子、しかも美少女であることを改めて思い知らされる。
「颯人好き……大好き……」
……それにしても、本当に調子が狂う。
さっきみたいにノリが悪い時は調子が狂うし、こんな風に変にノリが良すぎる時も調子が狂う。特にこう言うシチュエーションだと、どちらにしてもまるで付き合いたてのカップルのような感じがして、すごくドキドキしてくる。
ただでさえ、告白っぽいことを唐突に言われてかなりドキドキしているのに、なんかそれっぽい雰囲気になっているから余計にドキドキする。……多分、勝つために詩帆がそうしているんだろうけど。
「私離れたくない。颯人とずっと一緒にいたい」
これまた本当に告白だと思えてしまいそうな発言だ。
と、俺は自分の心臓の鼓動の他に、もう1つの鼓動があることに気づいた。
俺の腹に当たっている柔らかい感触。その下で震えるそれは、紛れもなく詩帆のものだった。
……もしかして、詩帆もドキドキしている?
いやいや、そんなはずはない。このシチュエーションは詩帆の演技によって生まれたものだ。さっきの発言も演技に違いない。このドキドキも、きっと密着しているのが原因だ。……でも、もしもあの発言が演技ではなく本当の告白だとしたら。それならば、詩帆がドキドキしているのもおかしいとは思わないのだが。
「はいはーい、5分経ったので詩帆さんは離れてくださーい」
「……ん、もう5分経ったのか?」
「ああ、しっかりとストップウォッチで測っていたからな。ほれ」
確かに、悠平が見せてきたストップウォッチには5分の表示があった。
俺は身を起こそうと、布団に手をつく。しかし、詩帆にガッチリとホールドされた身体は起き上がらなかった。
「だめ……一緒にいて……」
「詩帆さーん、そろそろ夢から覚めてくださーい」
「これ夢じゃない。この颯人は現実……」
「次は私の番ということも現実ですから、早く変わってください」
「むー……」
詩帆は不満そうに唸りつつも、俺を離して布団から出て行った。入れ違いに美華が入ってくる。
「よろしくね、お兄ちゃん」
「おう。で、俺は何をすれば良いんだ?」
「私が膝枕するから、右左どっちでもいいから下にして寝て」
「オッケー」
俺は美華の太ももの上に頭を置き、彼女とは逆を向く。胸とはまた違った柔らかさだが、こっちも嫌いじゃない。スカートのおかげで生脚じゃないのはちょっと残念だけど。
「動かないでよ……」
「ああ、わかった」
言われた通りに動かないでいると、耳の穴に何かが入り込んでくる感触が。
ちょっと待て。これって、もしかして……。
「お、おい……」
「静かにして! 今耳かきしてるから!」
やっぱりかー!
心の中で絶叫する。
俺は昔から美華の耳かきをしていたからわかるが、耳かきって割と難しい。手元が狂えば、相手に怪我をさせてしまうことも、場合によっては聴力を奪ってしまうこともある。だから、美華に耳かきをしてもらうことを、俺はずっと避けてきた。おかげで、美華には他人の耳かきをした経験が一度もない。
俺、痛いの嫌だよ。
「お兄ちゃーん、ホントのホントに動かないでね……」
「あ、ああ……」
「動いたら鼓膜破っちゃうからね〜」
脅された。
手元が狂って怪我させるんじゃなくて、手元が狂う原因になるようなことをされたら怪我させるらしい。
身体を少しでも動かしたら聴力を失う恐怖。……違う意味でドキドキしてきた。
俺は指先一つ動くことがないように神経を集中させ、静かに美華の耳かきが終わるのを待つ。耳の中を綿棒が動き回る音を聞き、不要になった角質と皮脂が取り除かれていく感触を感じる。
「ねぇ、お兄ちゃん。気持ち良い?」
「……」
「お兄ちゃーん、気持ち良いですかー?」
「……」
「聞こえてますかー?」
「……」
「ふぅっ……」
ビクンッ!
耳に息を吹きかけられた。
しかし、俺は身体を動かさずに耐える。こんなくすぐったさ、聴力を失うことに比べたらよっぽどマシだ。
「良い加減答えてよ。別に喋るなとは言ってないでしょ」
「……えっ、喋っていいのか?」
「いいよ別に。そのくらい」
美華は苦笑した。その笑顔に、俺もちょっとだけ気が抜ける。
今までは恐怖でそれどころじゃなかったが、改めて耳に神経を向けるとなかなか気持ち良い。耳の中を擦る音も、その感触も、どこか心地良く感じる。
「気持ち良いぞ」
「えへへ〜、ありがとう。お兄ちゃんみたいに上手にできてると嬉しいな」
「俺が上手なのかどうかは知らないけど、美華は上手いぞ」
「お兄ちゃんは上手だよー。私、いつも眠くなっちゃうもん。あ、こっち終わったから逆向いて」
「はいよー」
耳から綿棒が抜かれ、俺は身体を回転させる。
「あっ……⁉︎」
「どしたの?」
「いや、なんでもない……」
努めて平静に返したが、俺はドキドキしている。
俺は美華とは逆を向いていたのだから、身体を反転させれば必然的に美華の方を向くことになる。そうなると膝枕をしてもらっているのだから、女の子のお腹とかアソコとかが当然のようにすぐそこにあるわけで。
匂いの発生源が近いためか、詩帆の時よりも濃い女の子の匂いがする。いや、匂いというか、これはフェロモンだな。けっこう興奮する。
……フェロモンが出るということは、我が妹も大人になっているということか。嬉しいような、悲しいような、娘の成長を見守る父親の気持ちってこんな感じなんだろうな。
「はぁー……」
「溜息なんて吐いてどうしたの?」
「……なんでもないぞ。それにしても、本当に上手いな。練習でもしたのか?」
「してないよー。でも、強いて言うなら、お兄ちゃんの真似かな」
「俺ってこのくらい上手いのか。はぁ……、気持ち良い……」
「ありがとねー。大好きなお兄ちゃんに気持ち良いって言ってもらえて嬉しいよ。お兄ちゃんは私のこと好きー?」
「おう、大好きだぞ」
兄妹としてな。
ところで、今の発言をした瞬間から詩帆とこころの顔が怖いんだが。
「大國先輩、そろそろ時間ですか?」
「そうだな。あと10秒だ」
「わかりました。じゃあ……」
美華は耳元に顔を近づけ、
「良い匂いだった? 私のお股」
「……⁉︎」
突然の発言に驚きが最大値。
俺は怒りに拳を震わせながら、
「おい……、美華に変なこと教えたやつは誰だ?」
「んー、先生にね。『先生みたいな大人の女の人になるにはどうしたらいいの?』って訊いたら教えてくれたの。『お兄ちゃんに膝枕したら言ってみて』って。他にも色々なこと聞いたよ。これで私も大人の女の人に近づいたかなぁ?」
妹よ、おまえが近づいているのは大人の女じゃなくて痴女だと思うぞ。
「さ、さぁ……どうだろうな……? 俺にはわからん」
俺は気まずくなり、目を逸らした。
……俺のプリティエンジェルはいつの間にか汚されてしまっていたらしい。なんてこった。先生には今度文句を言っておこう。
「はい、10秒経過。次の人に変わってくれ」
「わかりました。こころ交代だよー」
「よっしゃあ、ご主人をドキドキのバクバクにしてぶっ殺してやりますよ!」
美華が布団の上から立ち去ると、こころがやる気満々の様子で入ってきた。
……なんだ? こいつは俺を鼻からの出血多量で殺そうとでも思っているのか? 残念ながら、元が猫のお前でそうなることはない。俺もナメられたものだな。
「お前も、俺に何か注文あるか?」
「ご主人はそこであぐらをかいてください」
「はいよー」
俺は言われた通りにあぐらをかく。
と、こころはその膝の上に座ってきた。軽い。
こころはちょっと心配そうに、
「重かったら言ってくださいね。今は退いてもいいですから」
「いや、別に重くないぞ」
「それなら良かったです。では……!」
ギュッと、抱きしめられた。
力強く、しかし決して苦しくはない両手両足を使っての抱きしめ。こころの腕は首の後ろに回され、脚は腰に回されていた。
「んー……まだまだ平気そうですね」
「こんなの大したことないぞ?」
「そんな生意気なことを言っていられるのは今のうちですよ」
「ふーん、そうかそうか」
妖しい笑みを浮かべるこころに、俺は余裕の表情を向ける。
すると、今度は身体を押し付けられた。
詩帆に比べると一回り小さな双丘が、むにむにと形を変える。これまた柔らかく、良い感触だと思う。
俺は今まで大きい胸と小さい胸しか知らなかったからわからなかったが、今ならわかる。大きい胸にも、中ぐらいの胸にも、小さな胸にもそれぞれの個性があって、それぞれの良さを持っている。悠平が昔言っていた、どんな胸にも尊い価値がある、っていうのはそういうことなんだな。
……まだ興奮するほどじゃないけど。
「余裕ですね……」
「まぁな。どうした、策はもう尽きたか?」
「いえいえ、もちろん残ってますよ」
こころはグイッと顔を近づけて来た。
互いの息がかかるほどまで顔が近づき、俺は反射的に首を後ろに下げる。
こころは頰を膨らませ、
「もー、なんで逃げるんですか?」
「なんでって……あんなに顔近づけたら唇当たるじゃねーか。……キスしそうになってたぞ」
「あー、今顔赤くなりましたね」
「な、なってねーよ!」
俺は恥ずかしくなって下を向く。
顔なんて赤くなるに決まっている。実際、変に積極的なところさえ抜けば、こころはすごく可愛い美少女なんだから。
かわいい女の子に近づけば、ドキドキするし顔も赤くなる。本来の俺が見せる反応なんて、普通の男子高校生のそれとそうそう変わりのないものだ。
そんな俺に、こころの嬉しそうな声が飛んでくる。
「ご主人が実は私にドキドキしてくれていたなんて感激です! あ、腰振ってくれませんか?」
「……別にいいけど、なんでだ?」
「対面座位の練習です」
「お断りだボケ!」
やはり、こころはこころだった。
「えー、ダメなんですかー?」
「ダメに決まってんだろうが! 恥ずかしいわ!」
「……残念です。素直に従っていれば、こんなことにはならなかったのでしょうけど」
「は? 何言って——」
「はむっ……」
「ひゃんっ⁉︎」
変な声が出た。
……こいつ、俺の耳に噛みつきやがった。
「はむ……むみゅむみゅ……」
「や、めろ……!」
言ってもこころはやめてくれない。
噛みつく、と言っても歯を立てない甘噛みだ。故に痛みはなく、くすぐったくて変な感じがする。
こころは耳を噛みながら、体重を預けてきた。あまりのくすぐったさに力が抜けていた俺はなすすべもなく押し倒されてしまう。
「こころ……お前本当に……」
「はむはむ……んふふ、ご主人の耳美味しいです」
こころは怪しく微笑む。
この変態キャットめ……。
「美味しいから、もっと味わっちゃいます。ちゅっ……れろれろ……」
「……ぁ」
「んん? 今、声出ましたね。感じちゃいましたか?」
「そ、そんなこと……ひっ⁉︎」
「隠しても無駄ですよ。ご主人の弱いところが耳の穴ということはわかりましたから」
暖かくてザラザラした舌が俺の耳を這い回り、ぴちゃぴちゃという水音が耳に響く。舌が通った後には湿った感触が残り、周りの空気が水分と共に熱を奪っていった。
耳の端、裏、溝、穴。全体を満遍なく舐めまわされ、俺は声を漏らして身をよじらせることしかできない。
「感じているご主人可愛いです。興奮してきちゃいました」
「……だ、だから何だって言うんだ」
「私が腰を振っちゃいます」
「やめんか!」
こころは腰を持ち上げ、俺の股間目掛けて振り下ろそうとし、
「5分経過、2人は離れてくれ」
悠平がストップウォッチを止めた。
「ナイスタイミングだ!」
「ま、待ってください! 私はまだ……あ、ご主人動かないでぇ!」
「お断りだぜ! ふんっ……!」
「うわわっ⁉︎ ……あ、でも幸せです」
俺はこころが耳から離れた一瞬の隙を突いて、彼女を両腕でホールドすると、腹筋の力で無理やり身体を起こした。
そして、一番言いたかったことを叫びながら、こころを投げ飛ばす。
「普通にしてりゃ可愛いんだから、下ネタばっかり言ってんじゃねーぞコラァ!」
こころは宙を舞うが、空中で3回ほど回転して華麗に着地を決めた。見た目が人型になっているとはいえ、バランス感覚や運動能力は猫のままらしい。
「少しくらいは痛い目見てくれよ」
「私が上手く着地できるくらいの投げだったじゃないですか。そんなに言うなら全力で投げれば良かったんですよ。なんで全力で投げなかったんですか?」
「だって、全力で投げたら怪我させちゃうかもしれないだろ」
「……やっぱり、ご主人は優しいです」
そう言うこころはとても嬉しそうだった。
と、
「おい、颯人」
ストップウォッチをポケットにしまった悠平が声をかけてくる。
「ん?」
「俺もドキドキバトル参加して良いかな?」
「それはマジでやめてくれ」
全力で断らせていただいた。
……おいコラ、期待に満ちた目を向けるな女子ども。
悠平はつまらなそうに唇を尖らせるが、何か思いついたらしく、
「あ、そうだ!」
「今度は何だよ?」
「颯人、お前ドキドキさせられただろ? 今度は逆にドキドキさせ返してやるんだ」
こいつはまためんどくさいことを……。でも、悪くない。
「いいぞ。やられっぱなしは癪だからな。何をすればいいんだ?」
「うーん……まぁ、ここは無難に壁ドンでいいだろ」
「あ、壁ドン? 何だそれ?」
聞いたことのない言葉だ。
悠平は目を丸くして、
「え……知らないのか?」
「ああ、知らない。教えてくれ」
「マジか……壁ドンを知らないなんて、今時の高校生にあるまじき無知っぷりだな」
悠平はかわいそうなものを見るような目を向けてくる。
「……はぁ、仕方ねーな。わかった、お前に壁ドンを教えてやる。詩帆、手伝え」
「なんで私が?」
「颯人に壁ドンされてみたいだろ?」
「うん、わかった!」
即答だった。
2人は壁際に移動し、詩帆が壁に寄りかかると、彼女に対面する形で悠平が立つ。
「セリフは適当に考えるからな」
そう言って、悠平は1つ咳払い。ドンッと、詩帆の顔のすぐ横に手をついた。
「今夜、お前の全てをいただく」
「…………」
パァン!
詩帆の平手打ちが炸裂した。悠平が吹っ飛ぶように倒れる。
悠平は頰を押さえながら、
「こ、こんな風に女の子がキュンキュンドキドキするようなことを、壁際に追い込んで逃げられないようにしながら言うのが壁ドンって言うんだ。ほら、颯人もやってみろ。セリフは俺と同じでいいから」
なるほど、壁ドンの目的は女子から手荒に断られることなんだな。
俺、殴られたくないんだけど……。
俺は渋々ながらも詩帆の前に立つ。
「詩帆、お手柔らかに頼む……」
「え? え? 何が?」
ドンッ!
詩帆の顔の横に片手をつく。
殴られたくないと思いながら、あのセリフを吐いた。
「今夜、お前の全てをいただく」
ドンッ!
平手打ちを受けても痛くないように頰に力を入れ、さらに念には念を入れて吹っ飛ばされないようにもう片方の手もつく。
手荒なお断りを受ける準備は万端だ。さぁ、来い。
「ぜ、是非いただいてください!」
……あれ? なんか思ってた反応と違う。
詩帆は顔を真っ赤にして、どこか期待のこもったような眼をこちらに向けてきた。
「なんなら、今この場でいただいてくれてもいいから」
「……はい?」
「ん……」
詩帆は唇を突き出す。
……ファーストキスをいただけとでも言うのか?
とりあえず、多分そういう意味だろうと受け取って、片手で詩帆の顎をくいっと持ち上げる。
詩帆は一瞬驚いたように目を見開いてこちらを見たが、すぐにまた目を閉じた。
俺は詩帆に顔を近づける。近づけながら、横目で美華とこころを見るとなにやら焦った様子。
俺と詩帆の唇の距離はだんだんと近くなり、互いの息がかかるほどまで近づいて、俺は後ろに下がった。
すぐ近くにあった気配がなくなったことに詩帆も気づいたらしく、彼女は目を開いた。そして、周りを見て部員たちの視線が集まっていることに気づくと、恥ずかしそうに笑い、
「もう……本当にすると思ったじゃん。思わず身構えちゃったよ」
「まぁ、お前がして欲しそうな演技したからな。俺もちょっと本気出して演技してみた」
「そうなんだ。……本当にしてくれても良かったんだけどね」
「ほほう。それなら、今度は本当にしちゃうか?」
「い、いや、いいよ。してくれなくても。……演技じゃねえっつーの」
「あん? なんか言ったか?」
「え、何も言ってないけど」
「あ、そうですか……」
おかしいな。演技じゃないとか聞こえた気がしたんだけど……。
不思議に思いながら壁際を離れようとすると、悠平から声をかけられる。
「颯人、他の2人でもやってみようぜ」
「ええ〜」
「いいじゃねーか。減るもんじゃないし」
「まぁ、そうなんだけどさ。めんどくさいから。…………ああもう! わかった。やるよ、やりますよ。やりゃあいいんだろ!」
美華とこころから期待に満ちた目で見つめられ、もはやヤケになる俺だった。
なお、この2人に対しての壁ドンでも反応は詩帆とほとんど同じで、俺が殴られることはなかった。
……よくよく考えてみればわかることだが、悠平みたいな変態にあんなこと言われたら、そりゃあ殴るわな。
「よーし、計測終わったから発表するぞー」
悠平はノートを取り出す。
「えーと……3位は詩帆。計測時間中の心拍数はずっと高いままだったんだけど、これの争点は最大値だから3位だ」
「えぇー!」
「まぁ落ち着け。3位と言っても、平均で競ったら間違いなく1位だから、颯人が一番ドキドキしていたと言ってもおかしくはないぞ」
「あ、そうなんだ」
ホッとした様子の詩帆。
悠平が続ける。
「で、次は2位なんだけど、これ言っちゃうと1位もわかっちゃうよな? ……まぁ、いいや。とりあえず2位から発表する」
「「ドキドキ……ワクワク……」」
「効果音を口に出す必要はないぞー。悠平困ってる」
俺にツッコまれて、黙る美華とこころ。
悠平は「さんきゅー」と礼を言い、
「2位は美華。前半はすごく高かったんだけど、後半で落ちたな。多分、後半は颯人がリラックスしてたからだと思う。でも、一番高くなったのは終わる直前の一瞬なんだけどな。さては颯人になんか言ったな?」
「確かに言いましたけど……なんでわかったんですか?」
「颯人がめっちゃ驚いてたからな。何かとんでもないことを言ったんだろうな、と。まぁ、何を言ったかは今度颯人に聞くさ。答えてくれないと思うけど」
やけに爽やかな顔で苦笑する悠平。
……変態キャラを引っ込めたこいつって、こんなにイケメンだったんだな。やばい、涙出そう。
「そして最後、1位はこころだな。理由は明白、スキンシップが多くてエロかったから。……てか、颯人羨ましいぞ。なんでお前ばっかりこういうことしてもらえるんだろうな?」
逆に聞きたい。お前は普段の行動のどこに問題がないと思っているんだ、と。
「悠平さん、そんなわかりきったこと聞かないでください」
こころが笑顔で言った。
そうだ、言ってやれ。お前レベルの美少女に指摘されれば、いくら悠平でも直すはずだ。
「ご主人のことが好きだからに決まっているじゃないですか」
「そっちかよ!」
思わずツッコンでしまった。
俺は今後この変態2人とどう付き合っていけばいいのだろうか。
本気で悩む俺だった。
◇
本日の神の子の活動。ドキドキさせる方法の模索。
詩帆のやり方はまだ正攻法だったが、他の2人(特に美華)はおかしかった。絶対に何か勘違いしてると思う。
俺も参加させられて壁ドンしたわけだが、結局何が目的だったのかわからない。が、その中でも一つだけわかったことがある。
壁ドンは、身も心もイケメンなやつがやらなければ頭おかしい行動でしかないということだ。