「命……レイライン、魔力の正体は命なのですか?」
私の言葉に、母は「そう」と頷く。
「フルス、この世界にあって質量やエネルギーの総量は常に一定であるという事は前に教えたわね?」
「はい、例えば水は……山の水が川になって海に注ぎ、海の水は蒸発して水蒸気になってやがて雨になって山に注ぎ、そうして同じ量の水が常に世界をぐるぐる回っているのだと」
「よろしい。では、『命』はどうかしら?」
「は……命は、ですか?」
「動物や植物が死ぬと、その体は腐ったり枯れたりして大地に還る。では『命』は? 命は死ぬと、どうなるのかしら? 死んだ命は、何処へ行くのかしら?」
「……分かりません」
「実は、命もまた同じように大地に還るの。死んで大地に還った命は人も動物も植物も分け隔て無く混ざり合い、世界を巡る。そしてやがてまた、生まれてくる。太陽が昇っては沈み、また姿を現すように……勿論、死ぬ前と同じ形であるとは限らないけど。前の生では犬だった命は、次には猫になって生まれてくるかも知れない」
「……では、私達魔女は……」
私の問いを受け、母はもう一度頷いた。
「……私達が魔力・レイラインと呼ぶのは、大地を巡る命の流れが特に太い主流の事……尤もこれには色んな呼び名があって、中国や日本では龍脈とか霊脈と呼ぶ者も居るわね。つまり私達魔女とは命の流れを操り、奇跡を起こす事ができる異能者という事ね」
母の説明を受けて私は与えられた情報を整理した後、頭に浮かんだ一つの疑問を口にした。
「……魔女の力が『命』を操るものだとするなら……生きている命、例えば草とか犬とか、そういったものの命を操る事は出来ないのですか?」
この質問を受けた母はとても良い笑顔になって、私を抱き締めた。
「ああ、ああ!! 凄く、凄く良い質問ね!! 素晴らしい!! 素晴らしいわフルス!! やっぱりあなたは素晴らしい魔女になるわ!!」
正直鬱陶しかったが、それを顔に出すのは極力抑えて私は母の説明を待つ。母はすぐに教師然とした態度に戻ると説明を続けていく。
「結論から言うと、出来ないわ。私達魔女が操れるのは、私達が「魔力」と呼ぶ、大地を巡る『誰のものでもない命』だけ。人でも犬でも花でも、既に『持ち主が居る命』を操る事は出来ないわ」
「……命の、持ち主ですか」
「色、と言い換えても良いわね。魔女が操る魔力は『誰のものでもない命』に『自分の色』を付けて、一時的に『自分のもの』としたものだけ。逆に言うと『誰かのもの』である命には既に『その人の色が付いている』から自分の色には染められない、『自分のもの』には出来ないの。だからそれで物体を動かしたりする事も出来ない」
別の例えをするなら水のようなものなのだろうか、と私は考える。
無色の水ならば飲み水としては勿論、畑仕事や洗濯・入浴にも使う事が出来る。だが既に色が染まってしまったコーヒーでは、作物は育たない。
「そしてフルス……以前の、あなたの質問に答えるわ」
「質問? 私の?」
「そう、あなたは以前私に尋ねたわね。レイラインの通っていない場所で、魔法を使う事は出来ないのか、と?」
ああ、と私は頷く。確かに前の講義で、そうした質問をしていた。
「大前提として、私達魔女はレイラインの無い所では魔法を使えない。そこには魔力……つまり『色の付いていない、誰のものでもない命』は無いからね。そして魔力が無い場所で魔法を使う為の方法は『二つ』あるの。一つはあらかじめ別の場所で魔力を貯蔵しておいて、それを魔力の無い土地で使用するか。この方法についてはまた別の時に教えるけど……そしてもう一つは……」
「…………」
この前置きを聞いた時点で、私は母の言いたい事を何となく察する事が出来た。
「もう一つの方法は、その場にある『色の付いた、誰かのものである命』を『色の付いていない、誰のものでもない命』にしてしまう事ね」
「現代に蘇った白き魔女……エイルシュタットの守護者、か……何百年もの間、伝説として闇の中に潜んでいた私達魔女の存在が、こんな形で明るみに出るとはね……」
「……ママは、こうなる事が分かっていたの?」
広げた新聞の一面記事に載った、自分やイゼッタの写真を見ながらフルスが呟く。肩越しに、覗き込むようにファルシュが顔を出してくる。これは先日、フィーネがエイルシュタット大公となった即位式で撮られたもので、同時にイゼッタとフルス、二人の魔女の存在が発表された。伝説に謳われる『白き魔女』の再来として。
「……まぁ、少なくとも可能性の一つとして想定してはいたわね。私の一族は、古くから色んな国の戦争に、首を突っ込んできたからね」
弱小国は、まともに戦っては勝てない。そもそもまともに戦って勝てるのなら魔女の力に頼る必要など無い。
この喧伝も『まともではない戦い方』の一つ。プロパガンダは昔から戦争によく利用されている。
最強の魔女の存在はゲルマニア帝国への抑止力となり、その力を示す事で同盟諸国の態度も変わる可能性がある。ここまでは概ね、ジークの言っていた通りになった。
「……とは言っても、私達は今まで勝ち馬にしか乗った事が無いのだけどね……」
「……エイルシュタットは、負ける?」
娘の問いに、フルスは「まぁね」と返す。
「戦争でものを言うのは何千年の昔から国力、物量と決まっているわ。窮鼠猫を噛む、という言葉があるけど……じゃあ猫を噛んだ鼠は、その後どうなると思う? 幸運や条件が整えば、非力なウサギでも百獣の王ライオンに一矢報いる事は出来るかも知れない。でも、一矢報いたその後は? 一体どうなるのかしらね?」
自分やイゼッタの命に関わる事であると言うのに、語るフルスの声はどこか楽しんでいるかのように弾んでいた。あるいは自信が顕れていると言っても良いかも知れない。
「……でも、それでもママはイゼッタさんやフィーネ様を守るんでしょ?」
「……ええ」
娘から目を逸らして、フルスは返事する。その手が動いて、ファルシュの髪をそっと掻いた。
「イゼッタと、約束したからね。あの子がフィーネ様を守り通せるよう、私は力の限りを尽くすと」
フルスは顔は動かさずに、目線だけが動いてファルシュを見据える。
「あなたにも、精々力を貸してもらうわよ、ファルシュ……」
「……それは勿論。でも、ママ、一つだけ教えて」
「何かしら?」
「ママはどうして、そこまでイゼッタさんに肩入れするの?」
フルス自身は同病相憐れむ、自分とイゼッタは最後に残った魔女であるからだと語っていたが……ファルシュはその説明に納得が行っていないようだった。
何かそんな建前、用意された答えとは別の本音があるのではないか? ファルシュが聞きたいのはそれだった。
「それは……」
フルスが答えようとしたその時だった。
ウウウー!! と、耳障りな警報音が鳴り響く。
「……始まったようね」
言葉を切って新聞紙を捨てると、フルスは立ち上がった。
彼女が座っていたのは屋根の上だ。ここからは眼下の街並みが一望出来る。
ルーデン湖畔・ブレストリヒ。
エイルシュタットの領地であり現在はゲルマニア軍の占領下にある町である。
白き魔女の力を実際の戦闘で証明する為の絶好の舞台として、この町が選ばれたのだ。
今回の作戦ではイゼッタがメインであり、フルスはサポートに回る手筈となっていた。まずイゼッタが湖の側から攻め込んでゲール軍の注意を引き付け、同時に前もって潜入していたフルスも町の内部から攻撃を仕掛けるという手だ。
単純な反攻作戦ではなく、白き魔女の力を世界に喧伝するという目的もあるので各国のマスコミにアピールもしなくてはならないが、その役目はイゼッタが担うという訳だ。フルスは裏方で、作戦の成功率を高める役目である。
ズガン!!
視界の彼方で、轟音と共に黒煙が上がった。
恐らくはイゼッタが一緒に飛ばしてきたランスが、戦車に突き刺さって起こった爆発だろう。
「随分と派手に始めたものね……では、私達も始めましょうか……ファルシュ」
「くそっ、くそっ、くそっ!!」
対空機銃を撃ちまくりながら、ゲルマニア兵は毒突いた。
ライフルに跨り空を飛び回るイゼッタを狙って機銃を乱射するが、イゼッタは速度は元より生身とライフルの大きさしかないので的が小さく、銃弾が当たらない。
そうこうしている間に町の外縁分に配置されていた戦車部隊が全て撃破されてしまったと、報告が入ってくる。
「おい!! ここはもうダメだ!! 一時後退して、態勢を立て直す!!」
同僚のその声を聞いた彼は、同盟国の言葉でこれは「地獄にホトケ」というのだろかと頭の中で思った。
後退して本当に態勢が立て直せるのか、そもそもこの戦いに勝てるのか、そんなものは彼には分からない。いつの時代も一兵卒というものは、自分の考えなど持っていない。何も考えずに命令に従うだけだ。
ただ訳の分からないものと戦わされているこんな場からは、一時も早く離れたい。それだけは本当だった。
「走れ、走れ!! 急げ!!」
第二防衛線まで走る中で、他の小隊も合流してきて彼等の総数は百名ほどにまでになった。
しかしこの時、このゲール兵は不思議な違和感を覚えていた。
息が苦しい、頭が重い。
最初は極度の緊張とか、魔女が攻めてくるという異常事態故に、精神面から肉体の方にも何らかの変調が出ているのかと思った。これではいけないと頭を振って、足を前に進ませる。
だが周りを見てみると、他の兵士達も頭痛や吐き気を感じているようだった。
殆どの者が顔を真っ青にしていたり頭を押さえていて、中にはうずくまって嘔吐している者まで居る。
「お、お前達!! 一体どうした……うっ……げえーっ!!」
流石に様子がおかしいと思って何事かと尋ねてみたが、それがかえって良くなかった。
堪えていた吐き気が我慢出来なくなって、彼もまた胃の内容物を石畳にぶちまける事になった。
それと同時に頭痛もますます酷くなって、立っている事も出来なくなってその場に倒れた。
「これは……一体……何が……」
ぐらぐらと揺れ始めている視界でそれでも周囲を見渡すと、いつの間にかこの場に集まっていた百名ほどの兵士の中で両の足で立っている者は唯一人も居なかった。全員が全員、うずくまっているか倒れてはいずり回っている。
明らかに異常だと、気付いた時にはもう遅かった。誰もが、動けなくなっていた。
「高山病よ」
静かな声が聞こえてくる。
ふわりと、風に舞うシーツのようにこの場に現れたのは白いローブに身を包んだ妙齢の美女だった。
フルス。先のエイルシュタット大公の即位式で、イゼッタと並んで白き魔女として紹介された女だと、新聞で読んだのをそのゲール兵は思い出した。
「知ってる? 高い山では平地に比べて空気が薄いから、頭痛や吐き気、目眩といった色んな症状が現れてくるの。場合によっては死に至る事例も報告されているわ……」
今回の作戦ではフルスはあらかじめ風上に陣取っていて、自分が魔力を付与した空気を風に乗せて風下へと大量に流していたのだ。そうして『魔法で操れる空気』を大量に用意したフルスは、風下の町のあちこちに空気の薄いエリアを作り出したのだ。
「た、助け……」
目の前に立っているのが敵だということも忘れて、その兵士は手を伸ばした。
「それは出来ないわ」
当然と言うべきか、フルスはあまりにもあっさりとその申し出を却下する。
「高山病の対策としては本来ならば高地で何日か過ごして体を希薄な大気に慣れさせる事が必要になってくるのだけど……そこへ行くとあなた達はいきなり薄い空気の中に置かれて、しかもその中で全力疾走した訳だからね……当然、こんな場所に酸素ボンベの用意などある訳が無いし……あなた達はもう、手遅れよ。助かる術は無いわ」
無慈悲な宣告が為されて、フルスはさっと片手を挙げる。
すると、既に触れて魔力を流していたのだろう。十数挺の銃が空中に浮き上がって、全ての銃口が石畳に転がっている兵士達に向いた。
「こ、こちら第四分隊……救……援を……至急……救……え……ん……」
「無駄よ」
明日の献立の事でも話しているかのようなあっさりした口調で、残酷な言葉が紡ぎ出される。
「他の部隊はもう始末してきたわ。ここが最後よ」
ぱちんと指が鳴って、空間に静止していた銃の引き金が一斉に引かれた。
無数の銃声は、長めの一発の銃声のように聞こえた。
鼻につく臭いを放つ硝煙が立ち込め、十秒ばかりしてそれが晴れた時、石畳に倒れている兵士の中で動いている者は一人も居なくなっていた。
「……終わった? ママ……」
背後から掛けられた声に振り返ると、やはりファルシュがそこに立っていた。
「ええ、全て殺したわ」
フルスがそう言って手を振ると、浮いていた銃は全て手繰り糸を切られたかのようにすとんとその場に落ちた。
ファルシュはそれ以上は何も聞かずに、倒れている兵士達の死体を担ぎ上げていく。
「……先程から、戦闘音も聞こえてこない……イゼッタの方も、ゲール軍の制圧は完了したようね……ファルシュ、私はイゼッタと合流してフィーネ様に作戦終了の報告をしなければならないから、あなたはこの兵士達を近くの倉庫まで運んでおきなさい」
「はい、ママ」
母からの命令にファルシュは頷いて、そして大の大人を3、4人もいっぺんに担ぐとそのまま運んで行ってしまう。その姿を見送るフルスは足下に転がる無数の死体へと、視線を落とした。
「これだけ魔力があれば……ファルシュの体も向こう半年ぐらいは動くでしょうね……」
数時間後。
「……ん? あそこは……?」
戦闘終了後、マスコミやフィーネ、イゼッタ達も引き上げたブレストリヒ基地を見回っていたヨナスは、同じ造りのものがずらりと並んでいる倉庫の中で、一つだけドアが開きっぱなしになっているのに気付いた。
誰かが閉め忘れたのだろうか? それとも中で何か作業をしているのだろうか?
そう思いつつ、彼は中に誰かが居てはいけないと思って、倉庫の中に足を踏み入れた。
「おーい、誰か居るんですか?」
返事は無かった。
倉庫の中はしんと静まり返っていて、人の気配は少しも無い。
「やはり閉め忘れただけだったのかな?」
そう思って倉庫から出ようとした彼は、足下に異様な物を見付けた。
「……服?」
ゲルマニア帝国の下士官へと支給される軍服が落ちていた。
ただそれだけなら別にそこまでおかしな話でもない。このブレストリヒはつい何時間か前までゲルマニアの占領下にあり、基地としても使われていたのだ。その倉庫の一つには軍服が保管されている区画だってあって不思議ではない。
異様な点は他にいくつもあった。
まずはその数。軽く数十……いや、百着以上の軍服が床が見えなくなるほどに散らばっていたのだ。
そして全ての軍服が、畳まれずに広げられていたのだ。しかも、どれも規則的に。上から上着、ズボン、ブーツと並んでいた。
「な、何だこれ……?」
恐る恐る軍服の上着を手に取ると、更に異様な事が分かった。
軍服はどれも、ボタンが締めてあった。そして、その下にシャツが入っていた。
普通服を脱ぐなら、ボタンを外して上着を脱いでその後で下着を脱ぐだろう。ボタンを締めた軍服の中にシャツが入っているのはどう考えてもおかしい。
ズボンを調べてみると更に異常な事が分かった。
床に散らばったズボンには、全てベルトが通されていてしかも締められた状態のままだった。
仮に面倒臭がってベルトを外さずにズボンを脱いだとしても、ベルトが締められたままになっているのは妙だ。更にどのズボンにも、その内側に下着が入っていた。
ブーツを調べてみると、どのブーツも紐が結ばれたままで中には靴下が入ったままになっていた。
そんな異様な着衣が、百以上も転がっている。
「ひっ……」
言い知れぬ不気味さを感じて、ヨナスは後退った。
これではまるで、服だけ残して中の人間が消えてしまったかのような……
だが、だとするならこれを着ていた『中身』の兵士は、一体何処へ行ったというのだ?
分からない。理解出来ない。
「う……うわあああああああああっ!!!!」
じわじわと染み渡るような恐怖が臨界点に達して、ヨナスは悲鳴を上げながら倉庫から逃げ出した。