終末のイゼッタ 偽りのフルス(完結)   作:ファルメール

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第06話 傷の娘

 

「大丈夫……大丈夫だよ……■■■……!! 私が……お母さんが、必ず助けてあげるからね……!!」

 

 ベッドに横たわる娘に、私は必死に声を掛ける。

 

 娘から、返事は無い。ベッドのシーツは、真っ赤に染まっている。触れた肌は、心地良いほどに冷たい。

 

 それら事実が、一つの結論を突き付ける。

 

 私の娘は、■■■は、もう……

 

「あ……あああああああああああああああああああっ!!!!」

 

 否。否否。否否否。否否否否否否否!!!!

 

 私は机の上を勢い良く薙ぎ払った。

 

 医療器具が床に突き刺さり、薬瓶が景気よく砕けて割れて中身が飛び散って、刺激臭が部屋に立ち込める。

 

「がああああああああああっ!!!!」

 

 椅子を投げ付ける。窓がブチ割れて、外の雨が部屋に入ってきた。

 

 助けられない。助けられない。助けられない。助けられない。

 

 私はふらついて、壁に背中を預けてずるずるとへたり込む。

 

「何が……一族きっての天才だ……何が最高の魔女だ……こんな小さな……自分の娘すら救えないなんて……」

 

 私には救えない。違う、救ってみせる、必ず。救えない。違う。

 

 救えない救えない救えない救えない救えない。違う違う違う違う違う。

 

 救えない救えない救えない救えない救えない救えない。違う違う違う違う。

 

 救えない救えない救えない救えない救えない救えない救えない。違う違う違う。

 

 救えない救えない救えない救えない救えない救えない救えない救えない。違う違う。

 

 救えない救えない救えない救えない透けない救えない救えない救えない救えない。違う。

 

 救えない救えない救えない救えない救えない救えない救えない救えない救えない救えない。

 

「うおおおおおおああおああああああああーーーーーーーーーーーーーっっ!!!!」

 

 絶叫。私は本棚を掴むと、力任せに引っ張った。

 

 重い音と共に本棚が倒れて、無数の本が床に投げ出される。私は頭を抱えて、何度も壁に打ち付けた。額が割れて流れ出た血が、床に無数のシミを作った。

 

「何か……何か無いの……? この子を救う術は……それが叶うなら、私は何でもしよう……!! 地獄に堕ちる行いでも、何でも……!!」

 

 私が殺されるのは仕方が無い。私自身、今まで多くの人を殺してきたし、私の一族は何百年の昔から命を奪う事を生業とするばかりか、日々の糧を得る以外にも自分達の力の研究の為に、身寄りの無い人を攫ってきては生殺しにするような人体実験だっていくらでもやってきた。

 

 だから一族が重ねてきたカルマが私に跳ね返ってくるのはある意味当然であり必然。それならば納得は行かぬにせよまだ諦めは付く。

 

 だが■■■は、悪い事なんかしてない。誰一人とて殺してはいないのに。それどころか、私から魔女の力すら受け継いでいない。何よりこの子が産まれたのは、私が一族と袂を別って後だ。そんな因果など、何も無い筈なのに。

 

 なのにどうしてこの子が、こんな……!!

 

 何で何で何でなんでなんでなんでナンデナンデナンデNANDENANDENANDENANDEnanaNAnNnanANANn……

 

「あああああああああああああああーーーーーーーーーっ!!!!」

 

 闇雲に八つ当たりできる物を求めて周囲をまさぐったその時だった。私の指先に、固い感触が当たる。

 

「……?」

 

 中身をくり抜いた本の中に隠されていた、血のように紅い石が。今私の手にあった。

 

 

 

 

 

 

 

 ゲルマニア帝国首都、ノイエベルリン。

 

 グロスコップ陸軍中将は胸中で「こんな筈ではなかった」「どうしてこんな事に」「何で私がこんな目に」この三言だけを何百回もリピートしていた。

 

 そう、こんな筈ではなかった。

 

 本当なら次にこの謁見の間に立つ時は、エイルシュタットの要地であるケネンベルクを陥落させた勝利の知らせを意気揚々と報告する筈だったのに。

 

「もう一度言ってくれるか?」

 

 玉座から掛けられた声に、びくりと体を竦ませる。

 

「それが……生き残った兵士の話ではその……空を飛ぶライフルに乗った少女が現れただの、一人の女が地面から無数の杭を生やしただの……皆、同じ事を言うのです。魔女が現れて、部隊を壊滅させてしまったと!!」

 

 有り得ぬ敗戦の報告をせねばならない理不尽さに、やり場のない怒りと苛立ちとそれを上回る恐怖が内部からジクジクと自分を蝕んでいくのが分かる。

 

 何しろ、オットー皇帝の不興を買った者が半年以上生きていた試しが無いというのは、ゲルマニア帝国である程度の地位にある者ならば常識である。

 

 ただ敗北しただけならば、勝敗は兵家の常とも言う。あるいは許される道もあったかも知れない。

 

 しかし今回は敗報以上にその内容が酷すぎる。これは敗軍の将として責任を問われる以前に精神疾患を疑われて軍事裁判より前に精神病棟へと隔離されるような案件である。

 

 それどころか下手をすれば有無を言わさずこの場で処刑されるかも知れない。

 

 そうした事情から内心ビクビクものであったが……

 

 しかし皇帝の口から出たのは怒りでも叱責でもなく、呵々大笑の声であった。

 

「く、くははははははっ!! 聞いたかエリオット!! 魔女はやはり実在したのだ!!」

 

「まだ確定情報ではありませんが……可能性は高まったかと」

 

 玉座の傍に侍る盲目の側近は、務めて冷静に対応する。しかしオットー皇帝の目は、出来の良いオモチャを見付けた子供のように爛々と輝いていた。

 

「いや……今度こそホンモノだ。余のカンがそう告げている」

 

 オットーは、もうグロスコップからは興味を失ったようだった。適当に爵位の剥奪や収容所所長の地位を与えると言って追い払うと、次の指示を出していく。

 

「ベルクマンを呼び戻せ、報告が聞きたい。二人の魔女と……」

 

 皇帝の声には、隠しようもない喜色が現れていた。

 

「特に大人の方の魔女が連れている『傷の娘』。アレだけは何としてでも手に入れるのだ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 エイルシュタット公国首都、ランツブルック大公宮殿の一室。

 

 朝の陽光が差し込むその部屋で、ファルシュはベッドで眠る母をじっと見詰めていた。

 

「う……うう……ああ……」

 

 フルスは悪い夢でも見ているのだろうか、顔は歪み寝汗も掻いている。

 

「い……いや……メーア……いかないで……!!」

 

「…………」

 

 ファルシュがそっと母の額に、手を差し伸べようとした時だった。

 

 トントンと、ドアがノックされる。

 

「……う、ううん……」「……どうぞ」

 

「失礼する」「失礼いたします!!」

 

 開いたドアから入ってきたのは背丈の小さなメイドの少女と、近衛兵の制服をパリッと着こなし凛とした雰囲気を纏った女性の二人組だった。ファルシュは伸ばしていた手を止めて、目覚めたフルスも上体を起こす。

 

「あなた方は……」

 

「私は姫様付きメイドのロッテと申します。フィーネ様からイゼッタ様とフルス様、それにファルシュ様の身の回りのお世話を命ぜられました。どうぞ、何なりとお申し付け下さい」

 

「姫様の近衛のビアンカだ」

 

「お世話? 私達の?」

 

「あい。皆様はエイルシュタットを守って下さった英雄ですから!!」

 

「……英雄、ね」

 

 起きたばかりで寝ぼけ眼のフルスが、どこか自嘲気味に呟く。

 

「イゼッタ様はまだお休みのようなので、先にお二方の方に来させていただきました!!」

 

 見た目の印象通り明るいロッテの視線がフルスとファルシュの間を行ったり来たりして、やがて娘の方に留まった。

 

「まずはファルシュ様にお風呂に入っていただきます!!」

 

「……お風呂?」

 

「あい!! ファルシュ様、バンザイしていただけますか?」

 

「…………こう?」

 

 言われた通り、ファルシュは特に警戒する様子も無く両手を挙げる。それを見たロッテはさささっと幼女の後ろに回り込んだ。そのまま、服を掴む。

 

 これを見て、何をするつもりなのかフルスには見当が付いた。固い声で、ロッテへと告げる。

 

「……止めておいた方が良いわ。きっと……驚くから」

 

「……?」

 

 言葉の意味が掴めていないのだろう。ビアンカが首を傾げる。

 

「いえいえ、私とてプロのメイドですから!!」

 

 ロッテは務めて明るい調子で、ファルシュの衣服を思い切り引っぺがして……

 

「ひっ……!?」

 

「酷い……!!」

 

「…………」

 

 ロッテの顔が一瞬にして蒼白になった。

 

 ビアンカは口元を手で押さえて、数歩後退った。

 

 フルスは無言で、じっと娘の体を見据えていた。

 

 露わになったファルシュの体は、傷だらけだった。

 

 ……などという表現では言い表す事が出来ないほどの、大量の傷が刻まれていた。顔や手先といった露出している以外の、ほぼ全ての部位に余す所無く。

 

 ……と、いう表現ですら生温い。体に傷跡が刻まれているのではなく寧ろその逆、無数の傷跡に沿って体があるようにすらロッテとビアンカには思えた。

 

 夥しい縫合痕や茨のような腑分け痕。それに健康的な褐色の肌に雪のように白い肌や黄色い肌がくっついていて、クリームを落としたばかりのブラックコーヒーのようになっていた。ビアンカは昔読んだ小説の、フランケンシュタインの怪物を連想した。

 

 ふう、とフルスはベッドから体を起こす。

 

「だから言ったでしょう? 驚くって……」

 

「……し、失礼だがフルス殿……ご息女は……」

 

 躊躇いつつ尋ねたビアンカを振り返って、フルスはもう一度溜息を吐いて話し始めた。

 

「……この子は昔大怪我をしてね……この体は、その時の手術の痕なのよ。命は、それで助かったけど……」

 

 フルスの手が、まだバンザイしたままのファルシュの頭を撫でた。

 

「し、失礼しました!!」

 

「良いのよ、慣れてるから……でも、そういう事だからファルシュの身の回りの世話は私がやるわ……あなた達は、イゼッタの方をお願いできるかしら?」

 

「そ、そうだな……で、では後ほど……」

 

「では……フルス様、ファルシュ様……何かありましたら、遠慮なくお呼び下さい」

 

 流石にこんなものを見せられては、失礼とか悪いという気持ちが先に立ったのだろう。ビアンカとロッテは、ぎこちない仕草で退室していった。

 

「…………」

 

 二人を追い返したフルスは部屋に鍵を掛け、カーテンを閉じるとファルシュがまだ上げっぱなしにしている手を下げさせた。

 

 そして、ロッテが置いていった桶に入った水をタオルに吸わせると、娘の体を拭いていく。

 

 ファルシュはいつも通り無言・無表情でされるがままにしていた。

 

「……ねぇ、ファルシュ?」

 

「どうしました? ママ」

 

「……この体、後どれくらい動く?」

 

 不明瞭な問いだが、しかし娘にはその意味がしっかり伝わっていたらしい。頷いて、表情は変えずに返答する。

 

「……今のままなら、後一月ぐらい。ママがそれ以上私を、この体を稼働させたいなら……『命』の補充が必要です」

 


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