1935年 ○月 ■日
今日は素晴らしい日だ。
私は今まで自分の力がずっと嫌いだった。
私の一族は力を己が欲望の為に使い、人を殺して金を得る魔女の一族だ。
私は人を殺すのがずっと嫌いだった。
初めて人を殺したのは、5歳の時。
珍しい話ではない。私の一族ではそのぐらいの年で子供が人を殺す事は当たり前で、それから本を読んだり散歩に出掛けたりするのと同じぐらいの感覚で人を殺せるように、殺しを日常の中で起こる一つの事象、常識。人を殺す事を極々自然で僅かな抵抗感すら抱かない出来事として子供の倫理観を構築させていく。
物心付かない頃の出来事だった。親にやらされた。そんなのは言い訳にはならない。
私の手はもう血塗れだ。きっとこの先、一生綺麗になる事はないだろう。
でも、それでも殺しなんてまっぴらだった。
だから、私は成長して力を十全に扱えるようになって追っ手が掛かっても撃退できるようになると、一族から逃げた。
逃げて、逃げて、逃げて。
普通の女として生きて、恋をして、結婚して、子供ができて……
夫は病気で死んでしまったけど、私はあの子に二人分の愛情を掛けて育ててきたつもりだ。
この村は良い所だ。
みんな、私達を余所者だからと差別しないし、私の過去を知る者も誰も居ないし。
でも今日、鉱山で落盤が起きて……私は初めて自分の力を、自分の意思で使った。命を奪う為ではなく、命を救う為に。
助けられなかった人も居た。
でも、助けられた人が居た。
私が魔女である事はバレてしまった。
娘と一緒にこの村を去る事を考えていたけど……
でも、村の人達は私を受け入れてくれた。
嬉しかった。
今日、初めて私は本当にこの村の一員になれた気がした。
きっとこの村で、私は一生を終えるのだろう。娘に私の力が受け継がれなかったのは、本当に良かった。私の娘はきっと普通の女として、幸せな一生を過ごすのだろう。そういう風に生きれるように、私は一生を掛けて娘を守る。私の命に代えても。
1940年 △月 ×日
ゲルマニアが、エイルシュタットに侵攻を開始したらしい。
どうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう。
私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私私私私ワタシワタシワタシワタシワタシワタシワタワタワタワタワワワワワタタタタタシシシシシシシシシ。
あの時、あいつらを殺しておくのだった。
そうしたら、こんな事にはならなかったのに。
コンナこんなこんなこんなこんあこんなナナナナナナナナナnaNAnAnaaananananwaNaNA
※ これより先は殴り書きになっており判読不能
(フルスの日記より、抜粋)
シュヴァイゼン砦から撤退してきたエイルシュタット軍と合流を果たしたイゼッタ達。
フィーネも意識を取り戻してこれでようやく一息吐ける……
とは、問屋が卸さなかった。
取り敢えずの拠点とした遺棄された館に腰を据えた一行であったが、小一時間としない内に伝令が入った。
ゲルマニア帝国軍がエイルシュタットの要地であるケネンベルクへと軍を進めた、と。
これを受けてイゼッタ、フルス、ファルシュの3名はフィーネから呼び出しを受けた。
イゼッタはどうして呼ばれたか分からないようだった。一方で、フルスはこれからフィーネが話す内容が、大体分かっていた。
そして、予想通りの内容が公女の口から語られた。
「逃げろって、何でですか!?」
「これはエイルシュタットの戦。そなたらを巻き込む訳には行かぬ」
フィーネはまだ傷も痛むだろうに、凛として言葉を紡いでいく。
「魔女の力は、人前でみだりに使ってはならぬのだろう? それをそなたらは、禁を破ってまで私の為に戦ってくれた。もう十分だ」
「でも、姫様……!!」
「聞き分けてくれ、イゼッタ。私にとって身分と関係無く友達になってくれたのは、そなただけなのだ。だから、そなたには生き延びてほしい。これは……我が儘だろうか?」
「……っ」
イゼッタは、思わず言葉に詰まった。
これは、ずるい聞き方というものだ。イゼッタには断れない。フィーネはそれが分かって、こう言っているのだ。
「あの時と……同じ事を言うんですね」
小さな声で、イゼッタが呟いた。この声は、どうやらフィーネには聞こえなかったらしい。彼女の視線は、イゼッタのすぐ隣に立つフルスへと向けられた。
「フルス殿」
「は……フィーネ様」
「貴殿もイゼッタと同じく、魔女の一族なのだろう? 貴殿もよく戦ってくれた。イゼッタとは違って、友の縁も結んでいない私の為にな……これ以上、エイルシュタットの民でもない貴殿を巻き込む事は出来ぬ。それに……」
フィーネの視線が下がって、フルスの体に隠れるように母の服の袖をきゅっと掴んでいるファルシュへと向けられた。
「貴殿には娘が居るだろう? 貴殿一人ならいざ知らず、娘を危険に巻き込むことは……してはなるまい。母親としてな」
「……」
無言ながら、フルスは痛い所を衝かれたと少しだけフィーネから視線を逸らした。
フィーネはゆっくりと立ち上がると、しゃがみ込んでファルシュと目の高さを合わせる。
「ファルシュ……であったな。私はそなたにも、助けられた。今この場に私が居るのは奇跡的……いや、奇跡そのものと言って良いだろう。感謝してもしきれない……そなたは母と共に、逃げ延びて……生きよ。出来るならこれからはこんな戦には関わらず、穏やかに……」
フィーネの白い手がそっと伸びて、ファルシュの頬に触れて撫でる。
その時だった。
「……っ!?」
びくっ、とフィーネは思わず手を引っ込めた。
「ひ、姫様?」
「どうされましたか!?」
イゼッタと軍指揮官であるハンス少佐が、ほぼ同じタイミングで声を掛ける。
「い……いや、何でもない」
フィーネはそう言うと、ついさっきまでファルシュの頬を撫でていた手を見た。
『……今のは気のせいか? たった今触れていたファルシュの肌が、氷のように冷たかったが……』
……まぁ見る限りファルシュは至って健康なようだし、体温が低めな人だって居るだろう。
「……」
ちらりとフィーネがフルスを見るが、その意味を察しているのかいないのか。ファルシュの母は何も言わずにその視線を流していた。
そして話は終わりだと場を切り上げようとしたその時……イゼッタが強い視線でフィーネを見据えて、そして言った。
「姫様……お願いがあります。私の希望になってくれますか?」
「……希望?」
「姫様の国は、私が守ります!!」
「…………」
暫くの間、フィーネはその言葉の意味が分からなかったように沈黙していたが……その意味を解したのだろう。思わず語気が強くなった。
「いかん、イゼッタ!! いくらそなたの力でも……!! 敵は万の兵を擁する大軍団なのだぞ!!」
「でも私、出来ると思います。フルスさん……」
ちらりとイゼッタから視線を向けられて、フルスは頷いた。
想定されるゲール軍の規模。そしてこちらの戦力はイゼッタと自分と、ファルシュの3名。これらの要素から考えて……
「出来る出来ないについての回答ならば……出来ると、私もそう考えます」
言外に、やるかやらないかはまた別の話だと語っている。これはフィーネにイゼッタの申し出を断れという隠れメッセージだ。
聡いフィーネは、すぐにそれに気が付いた。
「気持ちは有り難く受け取っておくが……しかし関係のないそなたらを巻き込む訳には行かぬのだ」
「でも……」
尚もイゼッタが食い下がろうとするが、そこで再び伝令が入った。
「ケネンベルクが、爆撃を受けている模様です」
この報告を受けて、もうイゼッタ達と話をしている場合ではなくなったらしい。3人は部屋の外へと締め出され、代わりに軍人達が詰め掛けてきて作戦会議が始まった。
しかし、人が住まないようになって久しく、ボロボロのこの館に防音性・秘匿性など期待すべくもなく、中で交わされている会話の内容はほぼ筒抜けで伝わってくる。
『住民を避難させる時間が稼げれば、御の字かと……』
『時間稼ぎしか出来ぬと言うのか……!! その為に、兵達の命が……!!』
フィーネの声が、壁越しでも震えているのが分かった。
「……姫様……」
壁一枚隔てた部屋の外では、イゼッタ、フルス、ファルシュ。魔女の系譜に連なる3人がそれぞれ聞き耳を立てていた。
イゼッタは壁に耳を当てていて、フルスは壁を背に腕組み。ファルシュはぽつんと突っ立ている。
「……!!」
あからさまな決意の表情になって、イゼッタが走り出そうとする。しかしその前に、フルスが立ちはだかった。
「フルスさん……」
「……イゼッタ、どこへ、何をしに行こうとするのか? そんな間抜けな質問はしないわ。でも……」
少女の小さな両肩に、フルスの手が乗せられる。
「本当に、良いのね? 今ならまだ、フィーネ様が言われた通り全てに目と耳を塞いで逃げることも出来る。でも……この戦いに首を突っ込んだら……もう戻れなくなるわよ?」
それなりに長い付き合いのイゼッタが見た事もない真剣な顔と声で、フルスは尋ねる。
しかし、フルスはすぐに自分の今の問いこそが”間抜けな質問”であると理解した。イゼッタの目が、顔が。何より雄弁に語ってくれている。
「はい……私は、姫様の国を、守ります。その為に、戦います」
「……ど……」
フルスは何事か言い掛けて、すぐに口を閉ざした。
本当は『どうしても行くというなら、力尽くでもあなたを止める。私が、そう言ったのなら?』と、そう尋ねるつもりだった。しかしフルスはまたしても自分が”間抜けな質問”をする所であった事を理解する。
イゼッタの決意は、固い。
何を以てしても誰であっても、変えることは叶わぬだろう。
「……言い出したら聞かない所は、昔からね……負けたわ」
フルスは溜息を一つ吐いて首を振り、そしてイゼッタに向き直った。
「行くと言うのなら、もう止めないわ。ただし……私も行く」
「……フルスさん?」
「言ったでしょう? 何があっても私はあなたの味方……イゼッタ、あなたがフィーネ様を……この国を守ると言うのなら。フィーネ様とこの国を守るあなたを……私が守るわ」
先程のフィーネと同じように、イゼッタは今のフルスの言葉の意味を捉えきれないように少しぼんやりしていたが……数秒掛けて全てを理解したのだろう。感極まって、涙目になって抱き付いてきた。
「フルスさん!!」
「さぁ……そうと決まったら、ぐずぐずしている時間は無いわよ。この土地は魔力が濃い……まずは、武器を用意してきなさい」
「はい!!」
そう言って走り去っていくイゼッタの姿が見えなくなった所で、フルスは傍らに立つ娘に視線を落とした。
「ファルシュ」
「はい、ママ」
「この戦いで、私やイゼッタが危険な目に遭いそうだったら……あなたが体を盾にして守りなさい」
「はい、分かりました。ママ」
およそ母親の口から出て良いものとは到底思えない言葉を受けても、ファルシュは少しも怒ったり不思議がったりせずに、淡々と返答する。まるでそれが当たり前のことであるかのように。
そんな娘の頭を、フルスはくしゃっと撫でてやる。
金属を触るようなひんやりとした心地よさが、指先に伝わってくる。
「なぁに、心配は要らないわ。これから行く所は戦場。”使い物にならなくなった所で、代わりはいくらでも用意できる”からね」
「はい、ママ」