「陛下、こちらです!! この先に車が用意してあります」
「うむ……」
炎に包まれるノイエベルリン。
皇宮の一角を、オットーは腹心の部下達に囲まれつつ足早に移動していた。
絶対の安全圏であった筈の帝都は今、突如として現れたエイルシュタットの魔女の攻撃を受けている。
これは昨日まで、どころかほんの一時間前までは想像すらもしなかった事態だった。
エクセ・コーズの活躍によってブリタニアの首都であるロンディニウムは陥落し、次にはヴォルガ連邦。更にその次は海を渡ってアトランタ合衆国を撃破して世界を大ゲールの手中に収める。
そして自分はその統一国家の唯一皇帝として君臨し続ける、永遠に。
それがオットーの思い描いていた野望であった。
自分に限ってこんな事が起こって良い訳が無い。
何百年も前から数多の権力者が望みしかし手に入れる事が出来なかった、不老不死という禁断の果実。しかし自分はそれに手を掛けている。
きっかけは辺境出身の兵士が挙げてきた報告書を読んだ事だった。現代の魔女。あまりにも現実離れしたその内容から軍司令部も世迷い言として取り合わなかったその書類が目に入ったのは、いくつかの偶然が重なった末の幸運であった。
その時点では半信半疑ながらもしかし親衛隊を動かし、魔女が隠れ住んでいた家を襲撃する。
残念ながら魔女自身を捕獲する事は出来なかったが、しかし魔女が回収出来ずに残していった研究資料が手に入った。
それに目を通した時、体に走った電気のような感覚。その興奮を、オットーは今でも覚えている。
これは自分に世界を手に入れ、永遠に支配せよという天啓であると、彼は受け取っていた。
だからこそ、こんな所で死ぬ訳には行かない。自分はこんな所で死んで良い人間ではないのだ。
「これは偶然ではない……余は運命に選ばれた人間なのだ……!!」
ぶつぶつ呟きながら、オットーは非常時の脱出用に準備された車へと急ぐ。
車の行き先は、第九設計局だ。
あそこでは「傷の娘」のデータと、ゾフィーによってもたらされたエクセニウム。そしてリッケルトが回収した魔石のデータを解析して不老不死の法の研究が、日夜進んでいる。
無論、これは未だ発展途上・研究中の技術であり今は原理を解析している段階で動物実験すら行われていない。しかし、もうそんな事は言っていられない。
オットーは決して無能・愚昧・暗愚の類ではない。寧ろ有能、特に軍事的な手腕にかけては秀でている。
そんな彼だからこそ、エリオットやベルクマンと同じものが既に見えていた。
このノイエベルリンがエイルシュタットの魔女によって陥落させられれば周辺各国へと侵攻を行っている各方面軍へと連絡や物資の補給が行き渡らなくなり、統制を欠いたそこを狙ってアトランタやヴォルガ連邦は間髪入れず攻勢に移ってくるだろう。指揮系統が乱れ、エクセ・コーズを運用する為に通常戦力が削減された今のゲール軍ではそれを止める術は無い。
ならば戦火が本格的に首都に及ぶ前に、彼は目的を遂げる必要があった。
不老不死。永遠の命を、自分に。
成功の確率などは、今の彼の頭の中からは消し飛んでいた。
百に一つ、あるいは文字通りの万に一つの可能性であろうと何の根拠も無く「上手く行く筈」「上手く行かなければおかしい」と思い込んでいた。
しかし。
「いや、偶然ですよ」
パン、パン、パン!!
冷ややかな声が聞こえて、立て続けに響く数発の銃声。
オットーの周囲を固めていた護衛達は、全員が正確に眉間を撃ち抜かれて倒れ伏した。
「なっ……」
「お久しぶりですね、陛下……」
硝煙の立ち上る銃を片手に、暗がりから姿を現したのはベルクマンだった。
「ベルクマン……き、貴様……!!」
「申し訳ありませんが、陛下……ゲールの為に、お命を頂戴いたします」
少しも感じていないだろう心痛をさも噛み締めているかのような神妙な口調でベルクマンは言うと、愛銃の銃口をオットーへ向けた。
「ベルクマン、見逃してくれ!!」
「はっ?」
さしもの特務の中佐も、この申し出には自分の耳を疑った。呆気に取られてぽかんとした顔になる。
「い、今何と……?」
「頼む、見逃してくれ!! ならば後日、貴様には重く報いるだろう!!」
「……陛下、流石にそれはあまりにも見苦しいというものでしょう……」
呆れたように頭を振ると、ベルクマンは引き金に指を掛けた。
「では、見逃せぬと」
「……仮にもあなたはこのゲルマニア帝国の皇帝なのですよ? もう少し、しゃっきりとしたらどうです」
「ぬぅっ……」
「国が繁栄してその上に皇帝が君臨していると言うなら分かりますが、国が滅んだのに、皇帝だけが永遠に生き続けているなんて滑稽でしょう。玉座の上に吊された剣が、落ちてくる時が来たという事ですよ。かくなる上は潔いご最期を……」
「黙れ黙れ……黙れっ!!」
オットーの手が懐へと動く。
しかしそれより早くベルクマンの指が動いて、皇帝の頭蓋に風穴を開けた。
どさりと、血の海に沈むオットー。
「……」
ベルクマンは懐からハンカチを取り出すと、指紋が付かないよう注意しつつオットーの懐をまさぐる。
固い感触が指先に伝わって、取り出されたのは見事な装飾が施された黄金に輝くワルサーPPだった。
ベルクマンはその黄金銃をオットーの手に握らせる。これで、傍目にはオットーが自害したように映るだろう。
「せめてもの情けですよ」
これで、エリオットから受けた任務は果たした。
後はこのノイエベルリンを脱出するのみ……
再びベルクマンが暗がりへと姿を消そうとした、その時だった。
パン!!
「あ……?」
銃声。
そして腹部に走る灼熱感。
視線を下げると、じわりと紅い色が着衣に広がっている。
急激に全身の力が抜けていくのを感じて、ベルクマンはすぐ近くの壁に体を預けてずるずるとしゃがみ込んだ。
「……」
ちらりと、首だけ動かして先ほど自分が出てきた暗がりを見る。
そこから姿を現したのは、リッケルトだった。手には、先ほどのベルクマンと同じで撃ったばかりなのだろう、硝煙が消えていない拳銃を握っている。
「あぁ、中尉……撃ったのは君か……」
撃たれたベルクマンは怒るでもなく、どこか他人事のような調子で部下へと語りかけた。
「……ここまで来て、自分一人だけ逃げ出すというのは……それは通らないでしょう、中佐……僕もあなたも、世界を滅茶苦茶にする片棒を担いだのですから。それで賭けに負けたのなら、責任は取るべきでしょう」
ゲルマニア帝国がエクセ・コーズの威力によって世界制覇を達成したのなら、それも良いだろう。払う年貢を踏み倒せるのは、勝者の特権だ。
しかし現実には、エイルシュタットの魔女によってゲルマニアの敗北は最早予定調和となってしまっている。ならば敗者は、その負債を清算せねばならない。一抜けは無しだ。
「……君が、僕を殺すのか?」
「……」
少し考えた後、リッケルトは銃を下ろした。
「いえ……僕の役目はここまで。僕たちをどうするかは、人々が決めてくれるでしょう。それに従いますよ……」
「……そう、か……」
ベルクマンは天を仰いで大きく息を吐いて、ポケットからシガーケースを取り出すと、残っていた最後の一本を咥えた。
火を付けようとしたが、ライターが寿命を迎えているのか中々点火しない。
すると、リッケルトがさっと点火したライターを差し出してきた。
「おっ、悪いね……」
火を付けたタバコを一吸いして、紫煙を吐き出したベルクマンはにやっとリッケルトに笑みを向けた。
「ま、それも良いか……」
「これで……最後!!」
フルスが発射した光り輝く槍が、最後に一人残ったクローン魔女の胸を貫いた。
何処かへと離脱したゾフィーを除いては、これでエクセ・コーズは全て倒した。
残るはゾフィーだけだが……
闇雲に逃げたとは思えない。恐らくはどこかに隠された兵器の類を起動させる為に動いているのだろうが……
そう、フルスが考えた時だった。
「!!」
遙か視界の彼方で、爆煙が噴き上がって何かが空へ向けて飛んでいく。
「あれは……!!」
フルスは今や大地そのものとなった自分の感覚を飛ばして、その場所を探る。
すぐにその場所の風景が克明に、意識の中に飛び込んできた。
上空へと凄いスピードで打上げられていく円筒形の物体。最後の一人となったゾフィーは、先導するようにその物体のすぐ傍を飛んでいる。
円筒形の物体には、飛行機のように乗員が乗り込んでいる様子は無い。恐らくは推進機構だけが組み込まれていて真っ直ぐ飛行するだけの機能しかないのだろう。それを、ゾフィーが魔法の力で軌道をコントロールして誘導し、目標地点へと着弾させるという仕組みのようだ。
「……」
更にフルスが気を尖らせてみると、円筒形の物体の先端には大量の生命エネルギーが感じ取れた。
エクセニウムだ。
しかも、その量たるやどうだ。
エクセ・コーズのクローン魔女達を稼働させる為に彼女達の胸に埋め込まれていたのはせいぜいビー玉程度の大きさでしかなかったが、あの物体の中からは人の頭ぐらい大きなエクセニウムの反応を感じる。
もしそれだけの量のエクセニウムが、内包するエネルギーを開放したらどうなるか……
フルスにもはっきりとは分からないが、恐らくは一つの都市が跡形も無く消し飛ぶには十分な破壊力が生まれるだろう。
ゾフィーの狙いはまさにそれであったのだ。
エイルシュタットへの復讐を果たす為に、首都ランツブルックへと特大のエクセニウム爆弾を撃ち込むつもりだ。
「……でも、そうはさせない、ゾフィー……私達魔女はもう……人の世界に在ってはならないのだから……」
魔女の歴史は、今日この日を以て終わらなければならない。
この先の世界に、魔法が使われてはならない。
魔法によって殺される人も、居てはならない。フルスがゲール兵達を助けたのも、それが理由だった。
特に、もうゾフィーにも一人も人を殺させてはならない。
未来を創る資格と権利を持つのは、常に今を生きている者だけ。
命とは水の如く流転するものであり、行く川の流れは絶えずとも同じ水は二度と元には戻らない。ゾフィーの命も数百年前に一度流れたものであり、決して還らない。今、ゾフィーがこの世界に在るのは奇跡なのか、あるいは彼女は……悪意によって命を得てこの世界に在るのか。
……いずれにせよ、言える事は一つ。数百年も前の因縁によって今の人が殺されるなどあってはならない。
人を殺すのも、人を守るのも、人を活かすのも。
全ては、今を生きる人の手によって為されるべき事だから。
「……過去は戻らない。喪ってしまったものは還らない……そうでしょう? メーア……ファルシュ……」
フルスはそう呟いて、彼女の中のスイッチを切り替えた。
そして、全ては流転する。
「!! これは……」
エイルシュタットの秘密基地。
車椅子に座ったイゼッタが、びくりと体を動かした。
「? どうした、イゼッタ……」
すぐ傍らに立つフィーネが、しゃがみ込んで視線を合わせると気遣わしげに尋ねた。
「レイラインが……動いています……」
「レイラインが……?」
「はい、これを見てください」
ビアンカの問いを受け、頷いたイゼッタはすっと手をかざしてみせる。
イゼッタの手の中に生まれた翠色の輝きは、いきなり風船のように膨れ上がったかと思うと、数秒後には小石ほどの大きさに縮んだ。そうしてまた十秒ばかり経つと部屋全体を覆い尽くすほどに巨大化する。
この土地に流れる魔力の総量が、信じられないほどの短時間で極度に増減している証拠だ。
「……そんな事が起こり得るのか?」
ジークの質問に、イゼッタは首を振った。
「いえ……私も聞いた事が無いです。おばあちゃんも、そんな事が起こるなんて言っていませんでした」
「それは……」
様々な要素から検証するに、まず起こりえない事ではあるのだろう。
王城地下の魔女の間に記されたレイラインの地図は、数百年前にゾフィーが一族から出奔する際に魔石と共に持ち出して、然る後にエイルシュタットの手に渡った物の模写である。模写ですら数百年前、ましてやオリジナルの地図が記されたのはそれより更に前の時代だろう。
そんな遙か過去に作られたレイラインの地図だが、現在でも実際に魔法が使える場所と地図に記された魔力の流れる場所には、少しの誤差も生じていない。
つまり少なくとも数百年程度の時間では、レイラインの位置や濃さは変化するものではないのだろう。
それが今は、数秒単位で変化を続けている。
そしてもう一つ。
レイラインの動きには、規則性があるのをイゼッタは感じ取っていた。
大地それ自体が一点に集まっていくかのように、魔力の流れが一カ所にねじ込まれていく。
きっと、その集中するポイントに居るのは……
「フルスさん……!!」
星が、啼いた。
「さぁ……この一撃を以て……魔女の歴史に……終止符を打ちましょう、ゾフィー……」
フルスの足下から、間欠泉のように膨大な魔力が噴き上げた。
大地それ自体が輝いているのかと錯覚するような光量を持ったその輝きは、ゾフィーも、彼女が誘導するエクセニウム爆弾をも包み込んでいく。
飛翔するフルス。
それに続くようにして、大地から無数の光の帯が伸びていく。
星から生じた光の帯はやがてフルスの体を核として絡み合い、束ねられ。
天地を貫く巨大な光槍の穂先へと姿を変えて、ゾフィーへと向かっていく。
「これは……」
自分の体も、エクセニウム爆弾をもその影すら残さず消し去るであろう膨大な熱と光。
しかしそれに包まれながらも、ゾフィーは少しの恐怖も感じなかった。
感じるのは、寧ろ安心感や落ち着きという感情だった。
まるで在るべき所へ還るような、そんな安堵を覚える。
誰かに呼ばれているような、懐かしい感覚がする。
視界の全てが光に包まれていく。
そんな真っ白い世界の中で、懐かしい人影が見えた気がした。
「……マティアス……?」
気付いた時、ゾフィーは既にエクセ・コーズを率いるゲルマニア帝国の魔女ではなかった。
何百年もの時を隔てた過去。
薬草を摘みに出掛けた森で、怪我をした王子を助けた少女そのままの姿と心になって、ゾフィーは彼女が助けた王子へと駆け寄った。
「…………」
全ての感覚が消えていく中で、王子……マティアス1世の唇が動いて何事かを語りかけるのが見えた。
聞こえない筈の彼の声が、ゾフィーには伝わっていた。
「……そう……そうか……あぁ、良かった……」
呟いたゾフィーは微笑する。
彼女は目を閉じて、体の力を抜いた。
そうして彼女もエクセニウム爆弾も。
星から生まれた光の中に、命の流れの中に、全てが還っていく。
そう、全てが。
「うん……分かってたわ、ゾフィー……あなたも、きっと……大切な人を守りたかっただけなのよね……」
ゾフィーだけではない。
イゼッタがフィーネを、フィーネがイゼッタを。昔のフルスがメーアを、今のフルスがイゼッタとフィーネを守りたかったように。
誰もが、大切な人を守りたいだけだった。
時としてその想いは人の悪意に利用され、間違った方向へ進んでしまう事もあるが……それを止め、正す事が出来るのもまた人の御業であろう。
自分とゾフィーは去り、イゼッタも死んだと、フィーネは世界に公表するだろう。
これでこの世界に、魔女は居なくなる。
魔力、命の流れは残り続けるが、それを扱える者がもう居ない。魔女は滅びゆく種族だ。いつか、イゼッタに子供が産まれてもその子に魔法の力は受け継がれない。
魔法はお伽噺の彼方に消えて、人の記憶からもいずれ忘れ去られる。
魔女の居ない世界は、良い事ばかりではないだろうが……
「でも……せめて私は、良い世界であるように祈っているから……」
そう呟いたフルスは、すぐ傍らに二つの小さな人影があるのに気付いた。
「あなた達は……」
見間違える筈も無い、その少女達は……
「メーア……ファルシュ……」
同じ顔、同じ背格好の二人の娘が、微笑みながら自分に手を差し出している。
ここでフルスは、あぁそうかと頷いた。
「二人とも……迎えに来てくれたのね……」
差し出されたその手を、フルスは握り返す。
「メーア……ファルシュ……これからは私達……ずっと……ずっと……一緒よ…………うん?」
娘達を抱きしめながら、フルスはすぐ傍に新しい気配が現れたのを感じて顔を上げる。
「ロレッタ……?」
そこに在ったのは、古き友の姿だった。
数秒ばかりぽかんとした表情になったフルスは、その後で柔和な笑みを浮かべる。
「こうして見ると……イゼッタはお母さん似ね……大きくなったあの子は本当に……あなたそっくりよ……」
ロレッタも、フルスへと優しく笑い返した。
「ねぇ……ロレッタ……私、これで良かったのよね……」
そうして、フルスもまた光の中に融けていく。
これが魔女の歴史の終わり。
歴史には記される事の無い戦い。
ゲルマニア帝国の敗北を決定付けた、エイルシュタットの魔女の最後の戦い。
その終わりであった。