「消えろ!! エイルシュタットを滅ぼす前に、まずはあんたから血祭りに上げてやる!!」
ゾフィーが魔石の嵌め込まれた杖を、旗のように振るう。
百人以上の魔女は、その動きを合図としてそれぞれ掌中に紅い輝きを発現させた。
フルスの一族では魔力結晶(レイマテリアル)、ゲルマニア帝国ではエクセニウムと呼ばれる高密度の圧縮魔力だ。
魔女は物体に魔力を流す事で、その物体を動かしたり変形させたり出来る。一般的にイゼッタやフルス達魔女が「魔法」と定義するのはこの技術の事だ。しかし魔石を持つ魔女は魔力を自在に操り、結晶化させてエクセニウムを精製出来る。そしてエクセニウムは純粋魔力として還元しレイラインが通わない土地で魔法を使うという使い方の他に、蓄積された魔力を爆発的に開放する事で膨大なエネルギーを発生させる事が出来るのだ。
その破壊力たるや、TNT火薬を遙かに凌ぐ。小石ほどの大きさのエクセニウムで、軽く家が一つ吹っ飛ぶほどの威力が出る。
ブリタニア王国首都であるロンディニウムを陥落させたのは、このエクセニウムを転用した兵器の破壊力に依る所も大きい。
そんな恐ろしい破壊力が百以上も、フルスへ向けて一斉に解き放たれた。
爆発、爆発、爆発。
局地地震かと錯覚するような激震。鼓膜が破れる事を真剣に危惧するような轟音。目も眩むような閃光。
ゲルマニア兵達は口々に悲鳴を上げながら、何とか爆心地を確認しようと顔を向ける。
「こ……これで仕留めたか……!!」
「……恐らく……」
例え何らかの手段で爆破の破壊力から身を守ったとしても爆心地は呼吸するだけで肺が焼け爛れるような焦熱地獄であり、更には爆炎によって酸素が燃やし尽くされた酸欠地獄。
如何に魔女であれ……否、この環境下で生きていられる生物など存在し得ない。
確認するまでもなく、即死。
その時、不意に突風が吹いて、もうもうと立ち込めていた煙を吹き飛ばす。
そうして開けた視界に映ったのは……
「!! あ、あれは……」
誰あろう、フルスその人であった。
大量の魔力放出による膨大な熱量によって融け出し、赤熱化した大地の中心で、しかし彼女は汗一つ掻いてはおらずその肌には火傷の跡も無く、着衣にすら焦げ目や破れも無い。
涼風が吹き抜ける平原に立つように、彼女はそこに在った。
「なっ……!?」
さしものゾフィーも、絶句する。
絶対にかわせない筈の攻撃、防御する事も絶対に不可能だった。
されど実際に、フルスは全くの無傷でそこに居る。
「くっ……なら……!!」
ゾフィーが杖を振って、エクセ・コーズが再び結晶化させた魔力をフルスへと放つ。
しかし、いくら通用しないからと言って二度も無防備に攻撃を許すほどにフルスも甘くはなかった。
「少しばかり……大地(パーツ)を、借りるわね」
誰にともなくそう呟いて、しゃがみこんだフルスの掌が大地を撫でるように触れる。
大地が、蠢き始める。
土が、砂が。
否、大地そのものがフルスの武器として起動した。
剣、槍、斧、弓矢、槌、ジャマダハル……他にも挙げればきりが無いが、大地の一部がフルスが操る千差万別の武器へと姿形を変える。
「こ……これは……っ!!」
魔法の一つである「成型」。しかしこれほどの規模で行われるものは、ゾフィーとて見た事が無かった。
しかも数多の武器は一つ一つが恐るべき精度を持ち、膨大な魔力を充填されて肉眼でも見えるほど光り輝いていた。
ひゅっ、とフルスが横薙ぎに手を振る。
一刹那の間を置いて、幾百の切っ先が射出される。
降り注ぐ結晶魔力と、フルスの撃ち出した武器が衝突。
瞬間、空中に無数の光の華が咲いた。
襲ってくる爆音と衝撃。ゲール兵は赤ん坊のように頭を抱えて身を守ろうとする。
空中に、もうもうと立ち込める爆煙。
それを切り裂いて、銃弾よりも速くフルスの武器が飛来し、十名以上のクローン魔女に突き刺さった。
それらの武器は全て肉体に埋め込まれたエクセニウムを的確に破壊し、活動を停止したクローン魔女は次々と墜落していく。
「くっ……!! それなら……」
ランダムに飛行して攻撃を避けつつ、ゾフィーは魔石に意識を集中した。
にわかには信じがたいがフルスは、今の自分は大地に流れる魔力と一体化した存在だと言っていた。ならば、魔石によってこの一帯の魔力を吸い上げてしまえば……!!
魔石が、励起状態となって不気味な紅い輝きを放つ。
しかし、いくら待っても魔力の吸引現象は起こらない。
「!? そんな……?」
ゾフィーは自分の命だけが魔石に吸われる倦怠感だけを感じながら、思わず目を剥いた。
「……残念だけど……あなたが魔石で土地の魔力を吸う事は、もう出来ないわよ」
「!?」
すぐ後ろから掛けられた声に、ゾフィーは反射的に振り返る。
そこには、フルスが居た。
有り得ない。
近づいてきたならば、絶対に気付いていた筈。こいつはどうやって、自分の背後に回り込んだのだ?
まるで風や空気のように気配を感じなかった。空間を越えていきなり後ろに現れたようだった。
「……この大地……いや、この星に流れる魔力は、今や全て私の意志によって封じられている。もう……あなたは魔石で魔力を吸収する事は出来ないし、レイラインの通る土地で魔法を使う事も出来ない……降伏しなさい。最早、あなたに勝ち目など無い……!!」
「なあっ……そ、そんなバカな……!!」
ゾフィーの顔が蒼白になる。
フルスの言葉が事実ならば、百名以上の魔女がしかも魔石・エクセニウムで武装して圧倒的な戦力を保持する筈の自分達はその実は蟷螂の斧、眼前のフルスよりも遙かに劣る力しか持っていない事になる。
如何に魔石が膨大な魔力の結晶であり、吸い上げた魔力を結晶化したエクセニウムがあると言ってもそれらは大地全体に流れる魔力の総量からしてみれば、ほんの1パーセントにも満たない微量でしかない。無論、その微量ですらケネンベルクやゼルン回廊のように魔力が潤沢な土地で使える魔力量よりもずっと多いし、才能の多寡にもよるが魔女が操る事が出来る魔力量のほぼ限界点と言える。
しかし今のフルスは、残り99パーセント以上の魔力を自在に操れる。
更にゾフィー達はもう魔力を補給する事も出来ないし、レイラインの通っている地で普通の魔法を使う事すら封じられた。
これは例えるならたった一小隊のライフル程度の装備で、大国の火力全てを相手にしているようなもの。戦力とか作戦とか、それ以前の問題だと言える。
詰み、であった。
「……私の……負けか……!!」
ゾフィーも認めた。
フルスの言葉は嘘ではない。
現に魔石にどれだけ力を込めても魔力吸引が起こらないし、掌にはほんの小さな翠色の輝きすらも生まれない。フルスの言葉通り、大地全ての魔力が彼女のコントロール下にあるのだろう。
こちらは豆鉄砲ほどの火力でしかも弾切れがあるのに、フルスの火力は戦車でしかも弾切れが起こらない。
勝ち目は、一片の欠片も無い。
水が上から下に流れるような自明の理として、その事実が突きつけられた。
「……」
フルスは油断した様子は無いが意外そうな様子ではある。
てっきり、最後の抵抗をしかけてくるものだとばかり思っていたが……
「では、ゾフィー……あなたは……」
「だが!! 私一人では死なないわよ!!」
うなだれていたゾフィーがばっと顔を上げて、杖を大きく降る。
この動きに連動し、エクセ・コーズが再び動いた。
無数の魔力結晶を発生させて、一斉にフルスへ向けて発射してくる。
「無駄な事を……!!」
フルスは避けようという素振りすら見せずに、大地から無数の武器を発射して魔力爆弾を迎撃する。
再び、大爆発。
熱と衝撃がやってくるが、フルスは僅かな反応も示さない。
今のフルスは肉体を捨てた、大地を巡る命の流れの一部。風や水のように、いかなる攻撃をも受け流す。
爆発の向こう側から、完璧に無傷のフルスが姿を現した。
「ゾフィー、あなたは……」
説得を続けようとして、フルスは違和感に気付いた。
ゾフィーが、居ない。
ここに残っているのは全て、薬物や手術で自我を焼かれて唯々諾々と命令に従うだけのクローン魔女のみ。
司令塔であったゾフィーの姿が、何処かへと消えている。
「どこへ……?」
考えて、結論はすぐに出た。
ゾフィーは自分一人では死なないと言っていた。そして彼女はエイルシュタットに深い憎しみを抱いている。更に今の彼女はあらかじめ魔石に備蓄していた分しか魔法が使えないから、あまり遠くまでは飛べないし大規模な攻撃魔法も使えない。ならば……
恐らくだが、大量のエクセニウムを一点に固めた爆弾のような兵器がどこかにあるのだろう。小石ほどの大きさのエクセニウムでも、爆裂させれば恐ろしい破壊力を発生させる。もしそれが、砲丸ほどの大きさを持っていたら……!! その一撃を、エイルシュタットへと放つつもりだ。
「させない……!!」
フルスはゾフィーを追跡しようとするが、しかしすぐには無理そうだった。
「……まずは、彼女たちを何とかしなければ……」
百名弱となったエクセ・コーズは、一心不乱にフルスへ向けて魔力放出を続けている。
既に何人かは、魔力を使い切って活動を停止、落下している。
クローン魔女達には死の恐怖も、命令に逆らうという思考すらも無いようだった。
ゾフィーによってフルスの足止めを命じられている彼女たちは、それが良い事とも悪い事とも考えずに、ただ命令を遂行するだけだ。その先に、自分達の死が待っていようとも。
しかもゾフィーが居なくなった今、命令を撤回したり別命令を出す者も居ない。彼女たちは機械に組み込まれた、回り続けるだけの歯車のようだった。全ての魔力と命が尽きるまで攻撃を繰り返す、それだけを実行する歯車。
滅茶苦茶に発射される魔力は当然ながら狙いも滅茶苦茶で、何発もフルスから逸れてノイエベルリンにも着弾し、あちこちで火の手が上がった。
「う、うわあああっ!!」
一発でも当たれば自分の体など、ミンチを通り越して跡形も無く消滅する。
そんな恐るべき破壊力が下手な鉄砲のようにバラ撒かれる悪夢のような現実に、まだ若いそのゲール兵は敵前逃亡は銃殺という軍規も忘れて走り出した。
とにかく、今はここから1メートルでも遠ざかりたかった。
ちらっと、肩越しに空を見上げる。
ちょうど、エクセ・コーズの一人が放った紅い輝きが自分に向けて降ってくるのが見えた。
「ひいっ……!!」
死んだ。
それが分かった。
一秒後には、自分の体は爆発によって木っ端微塵になってこの世から消えるだろう。
だが、その時だった。
横合いから飛来した槍が、エクセニウムを空中で撃ち落として爆発させた。
衝撃を受けて彼は地面を転げ回る。
「う……うぐ……痛ぅ……!!」
体中に擦過傷を作る羽目になったが、骨折など致命的な怪我は避けられたようだ。何とか、立ち上がる。
「お、おい!! フリッツ!! 大丈夫か!!」
同僚の兵士が、駆け寄ってくる。
「あ……あぁ……」
彼は、あんぐりとしてもう一度空を見た。
「なぁ……あれを見ろよ……」
「……あれ??」
今、飛んでくる紅い光を撃ち落とした槍の動きは流れ弾などではなく、明らかに意図されたものだった。
「あの……エイルシュタットの魔女……俺たちの魔女と戦いながら……俺たちを守ってる……」
精強な守備隊によって守られた内地、安全な後方。
永遠に続くであろう、ゲルマニア帝国の栄光の象徴。
そんな絶対安全圏だった筈のノイエベルリンが今、戦いに巻き込まれて炎に包まれている。
こんな事が起こるなど頭の片隅にも思い浮かべた事が無く、どこへ向けて逃げれば良いのかすら分からずに右往左往する人々の中を、ベルクマンは歩いていた。
「……ああ、ここに居られましたか」
「あぁ、君ですか。まだ、残っていたのですか。てっきりもう逃げ出したのかと思っていましたよ。でも、助かりました」
やや皮肉気な言葉を掛けてくるのは、帝国の摂政であるエリオットであった。
「……中佐、君に一つ頼みたい事があるのですが」
「私に、依頼ですか?」
「えぇ、人を一人……消していただきたいのです」
「ほう、殺しの依頼ですか。しかしそんな御方が、このノイエベルリンに居られたでしょうか?」
とぼけるように言うベルクマンだが、しかし言葉の節々から彼が既にエリオットが依頼する殺しのターゲットが誰であるかは、既に察しが付いている事が伺い知れた。
「そうです。君もよく知っている人物ですよ」
「……良く知っています。しかし、閣下の最高の上官でしょう? 今、あなたがされようとしているのは明白な裏切り行為ですよ?」
今のベルクマンの口調は、どこか試すようでもあった。
それを受けてエリオットは少しだけ躊躇ったように沈黙し、そして首を振った。
「……陛下が今、どこへ行かれようとしていると思いますか?」
「? それは当然、宮殿地下のシェルターに……」
「いえ……陛下は今、第9設計局へ向かおうとされています」
「!! ……第9設計局……確か、あそこは……」
「えぇ……」
エリオットが頷く。
「あそこでは、不老不死の研究が行われています……無論、まだ実用化にはほど遠いものですが……陛下は今すぐ、自らの肉体にその施術を行わせるつもりです」
「ふん……」
ベルクマンが、嘲笑するように鼻を鳴らした。
「滑稽ですね。国が滅ぶと言うのに、その国の代表だけが永遠に生き存えようなど」
ともすれば敗北主義者の烙印を押されても仕方ないベルクマンの暴言だが、エリオットがそれを咎める事はしなかった。
「えぇ……正直言って、陛下を見損ないました」
首都近郊にエイルシュタットの魔女が現れて、エクセ・コーズとの戦闘の余波で守備隊は壊滅状態。そして戦火は帝都全体にまで広がっている。指揮系統はズタズタに分断され、各地に派遣している軍との連絡も取れてはいるまい。いわば今のゲールは、いきなり頭部に一撃を食らって半身不随の状態に追い込まれたに等しい。
そしてこんな好機を、アトランタ合衆国もヴォルガ連邦も、座視している訳が無い。一気呵成に攻め込んでくるだろう。更に今のゲルマニア帝国はエクセ・コーズの戦力を維持する為に多額の予算が割かれていたので、陸海空軍の通常戦力は寧ろ減少傾向にある。この状態でアトランタとヴォルガの二大大国を相手に、二正面作戦をして勝利する事など絶対不可能。
戦線は蹂躙され、ゲルマニア帝国は敗北する。
ベルクマンとエリオットには、その未来が既に見えていた。
ならばどうすべきか。
事ここに至っては、帝国の敗北は最早不可避。後はどれだけ傷口を小さくするかの問題になる。
少なくとも、列強諸国に食い荒らされるような事態だけは絶対に避けねばならない。
その為の手段として手っ取り早いのは……分かりやすい責任者の首を差し出す事だ。そしてそれを行うのは、ゲルマニア帝国の人間である事が望ましい。内部告発という形になって、この事態を引き起こしたのはあくまで責任者とその側近連中が勝手にやった事で、ゲルマニア帝国人全体の責任では無いという事に出来るからだ。
その為に手を汚す役として、ベルクマンは選ばれたのだ。
「これを、持って行きなさい」
エリオットは懐から、フィルムを取り出した。それをベルクマンへと差し出す。
「これは……?」
受け取ったベルクマンはしげしげとそのフィルムをかざして、何が記されているかを見ようとしている。
「そこには、我が軍がサハラ砂漠の基地に運び込んだ金塊のありかが記されています。依頼を果たした後は、あなたの好きにすると良いでしょう」
「感謝します、閣下……しかし……本当によろしいので?」
「帝国を救う為です。行きなさい。この先の隠し通路を抜けていけば、陛下の先回りが出来ます」
「……はい、閣下……それでは、お元気で」
「ええ、ベルクマン……もう会う事は無いでしょう」
一礼したベルクマンは、フィルムをポケットにしまうとエリオットの脇を通り抜けて進んでいく。
そうして数歩ばかり進んだ所で……
パン!!
「!!」
後ろから銃声が聞こえてきて、振り返る。
そこにはエリオットが、血を流して倒れていた。
右手にはまだ硝煙が立ち上る銃を握っていて、血は頭から出ている。彼はこの銃で自分のこめかみを撃ち抜いたのだ。
けじめ、であったのだろう。
たとえ国の為とは言え彼の行動は臣下として主への背信、人としての悪である。
「だから……これがあなたなりの、責任の取り方という訳ですか……閣下……」
どこか哀れむように、そして蔑むようにも聞こえる口振りでそう呟いた後、ベルクマンは懐に手を入れて愛銃の感触を確かめる。
そうして彼は、エリオットに指示された秘密の通路を進んでいった。