終末のイゼッタ 偽りのフルス(完結)   作:ファルメール

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第26話 最後の戦い Ⅲ

 

 ノイエベルリン上空。

 

「……肉体を失って……生と死を捨て……魔力そのものに……? そんな事が……!?」

 

「まぁ……信じられないのも無理は、無いわね……魔力と呼ぶものが大地に還った命である事……私達魔女がそれを操って超常を起こす事が出来る異能者である事……それらは全て、私の一族が数百年に渡る研究の末に解明したものだからね……何百年も前の魔女であるあなたは知らなくて当然ね。この最後の魔法も……理論は完成していても使えるのは私一人だったし」

 

 信じられないという表情のゾフィーに向けて、フルスは湖面のように静かな顔で応じる。

 

 ゾフィーの代では魔女が魔法を使う事は、それこそ鳥が空を飛ぶように「出来るから出来る」「出来て当たり前」な事象でしかなかった筈だ。フルスの一族とて、魔力の正体までは解明出来ていても魔女がどうして大地に還った命を操れるのかまでは分かっていない。魔女という種族が滅びつつある昨今では、その謎は恐らく解明される事は無いだろう。

 

「……いや……唯一人だけ、全てを知っていた者は居たわね……」

 

「……それは……誰だと言うの……?」

 

「……最初の魔女よ」

 

「……!!」

 

「……彼女は全てを知っていた……魔力の事も、魔石の事も……魔女に関わる全てを……だから、魔石を封印し……魔力の正体についても次代に伝えなかった……」

 

「……それは……どういう……?」

 

 今この一時だけ、ゾフィーはフルスに対する敵意もエイルシュタットへの憎しみも忘れたようだった。

 

「……ゾフィー……最後に……あなたに問おう……もう、止めにしない? 戦いを止めて、もう一度永い眠りに就く気は無い……? 勿論……あなた一人では逝かせない……私も……一緒に、逝くから……」

 

 フルスの表情と言葉は強く静かではあったが、どこか哀願するような響きがあった。

 

「……構わないわよ?」

 

「……じゃあ……」

 

 フルスの顔に、希望が生まれる。

 

 しかしそれは一時だった。

 

「エイルシュタットの国土と……その国に生きている国民全て……!! それら全てを殺した後で良ければ、私は思い残す事など何も無い……!! その後でなら、いくらでも眠ってあげるわ……!!」

 

「……あなたは何故、そこまでエイルシュタットを憎むの……? あなたは伝説に謳われる本物の白き魔女……かつてエイルシュタットを救った英雄でしょう? どんな理由があるにせよ、一度はエイルシュタットを救ったその手で、今度はエイルシュタットを滅ぼすと言うの……?」

 

「私は裏切られたのよ!! あんなに頑張って戦って……!! あんなに頑張って……殺したのに!!」

 

「……話は聞いているわ」

 

 フルスの一族にはエイルシュタットで語られているお伽噺ではない、本当の白き魔女の伝説が伝わっている。

 

 白き魔女、ゾフィーは当時のエイルシュタット王子・マティアス一世の死後、王妃から疎まれ、家臣団にも裏切られて異端審問官に売り渡されて、最後は火炙りに掛けられたと。

 

 フルスの一族には、それはゾフィーの失敗として語り継がれていた。自分たちが彼女の轍を踏まずに「もっと上手くやる」為の教訓として。

 

「違う!! 裏切ったのはマティアスよ!!」

 

「!!」

 

「あの時……王妃が言ったの……『ごめんなさい……でもこれは、あの人の遺言だから』……ってね」

 

「!! ……そう……」

 

 ゾフィーの口から語られた僅かな言葉だけで、フルスには当時のエイルシュタット王家がどのような考えを持っていたかすぐに分かった。

 

 兵器が飛躍的な進歩を遂げた現代でさえ、強い魔女が戦局を変えるほどの働きが出来る事は、既にイゼッタやフルスが実証している。ましてや数百年前でしかも魔石によって力の理を超えた力を発揮出来るようになった魔女であれば、単身で一国を滅ぼす事すら可能であったろう。

 

 それほどの力をエイルシュタットだけが保有し、しかも抑止力となる他の力も存在しないとなればどうなるか。

 

 周辺諸国にとってゾフィー、彼女が操る魔法の力はいつ頭上に落ちてくるか分からないダモクレスの剣であったのだろう。どんな手を使っても取り除かねばならないもの。

 

 もう一つ、その時のゾフィーは「利」では動いていなかった。エイルシュタット大公であるマティアス一世への、彼一人だけへの「愛」で動いていたのが事態の悪化に拍車を掛けたのだ。

 

 「利」で動いているなら金や地位、名声を与えてやればそれで懐柔出来る。だがそれ以外のもの、愛であれ友誼であれ、そういった目に見えないもので動く者は危険視される。その行動をコントロールし、予測する事が出来ないからだ。更に言えば人間の多くは「利」で動く。そうした連中は他人も同じだと思っているから、無欲な者を信用しない。必ず腹に一物隠し持っていると邪推する。

 

 闇仕事に従事するフルスの一族はそれが分かっていたから、力を貸す相手には必ず金品を要求するようにしていた。以前にフルスがフィーネに報酬の確約を求めたのも、それが理由だ。

 

 それでも、マティアス一世が存命の内はゾフィーを抑える事も出来たのだろう。ゾフィーは彼への愛で動いていたから。

 

 だが、マティアス大公は戦で受けた傷で、余命は長くなかった。

 

 マティアスが死ねば、ゾフィーがどう動くかは分からなくなり彼女の手綱を握れる者も居なくなる。そして強大な力を振るう魔女を止められる者も居なくなる。

 

 ゾフィーの行動の結果エイルシュタットが世界から孤立し、滅びの道を進むとしても止める事が出来なくなるのだ。

 

 だからそれを止める為に、暴走が始まる前に、エイルシュタット王家はゾフィーを裏切り、彼女を売り渡した。それが伝説の裏に隠されていた真実。

 

「……私は許さない……!! 私を裏切ったあの国を……!! 私の痛みを知らずにのうのうと生き続けている、裏切り者の子孫全てを……!! エイルシュタットという国も、そこに住む人間も、その形跡を全てこの世界から消し去るまで、私は止まらない!!」

 

 血を吐くように、ゾフィーは叫んだ。

 

 だが。

 

「……それは、ゾフィー……あなたの自業自得というものよ……」

 

 その悲痛なまでの叫びを、フルスは一言で切り捨てた。

 

「なっ……?」

 

「私達魔女の力は、人の域を超えたもの……そしてこの世界は、何億もの人によって動かされる人の世界……その、人の世に人以上の力を持ち込んで何かを変えたのなら……どこかで何かが歪むのは……当たり前でしょう?」

 

 ゾフィーが裏切られ、売り渡されたのはその「歪み」が回り回って自分に跳ね返ってきただけに過ぎないのだと、フルスはそう言っていた。

 

 だが、当のゾフィーはそんな言葉では納得しない。する筈が無い。

 

「当たり前だと……!? 自業自得だと……!? 私が受けた痛みを……あの国の裏切りを……そんな言葉だけで許せと言うの……!? 当たり前だったから、仕方ないと……そんな言葉だけで!?」

 

「そうよ」

 

 フルスは再び、ゾフィーの訴えを一言で切り捨てた。

 

「それに……守った筈の相手に裏切られたのが……どうだと言うの……?」

 

「なぁっ……!?」

 

「そんな痛みぐらい、私だって経験した……」

 

 フルスは瞑目する。

 

 脳裏に浮かぶのは、今尚つきまとう悪夢。

 

 旅の果てに流れ着いた鉱山の村。

 

 魔法を使って落盤から村人を救い、しかし魔女である自分を受け入れてもらって、ここが安住の地だと思って……

 

 だがその結果……家族同然だと思っていた村人に、最愛の娘を殺された時の事。

 

「いや……それどころかゾフィー……あなたは、私よりもずっとマシよ……」

 

「……マシ……ですって……!?」

 

 この言葉を受けて、ゾフィーは一瞬だけ呆然とした顔になって、すぐに烈火のような憤怒が取って代わった。

 

 マシ、だと!?

 

 この女がどんな体験をしたかは分からない。

 

 だが、私が受けたあの痛みを、言うに事欠いて「マシ」と宣ったのか、この女は!!

 

 しかしフルスの言葉には、続きがあった。

 

「……ゾフィー……あなたは確かに、本当の英雄だった……あなたが数百年前……エイルシュタットを救ったから……今もエイルシュタットは存続していて、沢山の人達が笑って過ごしている。もし、あなたが居なかったらそれも無かった……あなたにとってはマティアス大公一人を救う為だけであったとしても、あなたの行いは幾万の民を救って、彼らの未来すらも創り出した……今、エイルシュタットが存在しているのは間違いなく、あなたのお陰なのよ、ゾフィー……」

 

「それは……!!」

 

「それに比べて、私は……私の最初の娘、メーアは……私が殺してしまった……」

 

 確かにメーアが殺された時、フルスは手を下した村人を憎み、運命を呪った。

 

 どうして、何もしていないメーアがこんな目に遭うのかと。

 

 でも、違っていたのだ。

 

 悪かったのは村人達ではない。メーアでは勿論ない。運命でもない。

 

 悪かったのは、自分だった。

 

 フルスは望まなかった、強要されたとは言え、多くの人を殺してきた。そして少なくとも一度、ロレッタを救おうと大金を得る為に人を殺したあの時は、自分の意志で選んで殺した。

 

 因果は巡り巡り、回り回って応報する。

 

 母の行いのその報いを、娘が受ける事となったのだ。

 

 フルスが、メーアを殺したも同然だった。

 

 だが……それだけで終わっていたならまだ良かった。

 

 フルスはメーアの死を受け入れられず、世の理・摂理に逆らおうとした。

 

 失われた時を取り戻そうとした。逝ってしまった魂を呼び戻そうとした。死者を……蘇らせようと……

 

 その結果が……メーアを取り戻す事は叶わず。それどころか、不老不死の可能性を求めてゲルマニア帝国がエイルシュタットに侵攻する原因を作り出してしまった。

 

 この戦争は、フルスが引き起こしたものなのだ。

 

「……多くの命を救い、未来を創ったあなたと……多くの命を奪う戦争を引き起こした私……どちらが正しかったか……どちらがマシかなんて、考えるまでもないでしょう?」

 

「……あんたは……」

 

 どこか虚無的な顔のゾフィーを前に、フルスは自嘲的に微笑んだ。

 

「……きっと……最初の魔女は分かっていたんでしょうね……魔女の力を人の世に持ち込めば、必ずどこかで何かが歪む……そしてその歪みは……大抵の場合、不幸という形になって戻ってくるって……だから私達に、掟を残した……」

 

 今のフルスが言う「私達」とはイゼッタや自分、そしてゾフィーをも含む、全ての魔女を指す言葉だった。

 

「人の世の理に……関わるな……か……」

 

「そう……私達はそれを破った……だから……その報いを受けたのよ……誰も悪くはない……悪かったのは……私達なのよ……」

 

 ゾフィーは裏切られ、命を奪われた。

 

 フルスは娘を奪われて、自分のせいで多くの人の命を奪う羽目になった。

 

「じゃあ……あの娘はどうなの? 確か……イゼッタと言ったかしら? 彼女も同じように、魔女の力を戦争に使った筈……彼女は、どんな報いを受けると言うのかしら?」

 

「それは、私が清算する。イゼッタの業は……私が一緒に持って逝く……それで、何も問題は無いでしょう? 魔女と呼ぶべき者は……今日、この世界から居なくなる……あなた達も、私達も……!!」

 

 魔女が、人を超えた力を振るう者が居なくなれば、必然、世の理が歪む事も無くなる。

 

 全ての罪科、全ての業は逝く者達と共に去り、後には罪無き者が残る。

 

 今日、この日が。

 

 何千年もの間、連綿と続いてきた魔女の系譜。その歴史が終わる日なのだ。

 

「そんな事が認められるかぁっ!! 都合の悪い事は全て私に押し付けて、真実を覆い隠し、お伽噺の美談だけを語り継ぎ、繁栄を謳歌する……!? 通るかっ!! そんな話がっ……!!」

 

「だからって何百年も前の恩讐、因縁を今の世界に持ってくるなど筋違いも良い所でしょう? あなたが復讐すべき相手は、もう一人として、この世界に生きてはいないのだから」

 

「だから私は滅ぼすのよ……!! エイルシュタットを……!! かつて私を裏切った者に少しでも関係のある全てを、塵も残さずこの世界から消し去るのよ!!」

 

「……ゾフィー……あなたは……魔女として生まれなかった方が……幸せだったでしょうね……」

 

 もしゾフィーが魔女として生まれなかったら、マティアス大公とも出会わずエイルシュタットは救えなかったかも知れない。

 

 だが同時に、彼女が裏切られ、火炙りに掛けられる事も無かったであろう。そのイフの世界で、きっとゾフィーは争いに関わる事無く幸せになる事が出来た筈だ。

 

 ゾフィーが魔女であったから。人を超えた、国を救う力があったから。

 

 それが今日まで続く、全ての過ちの始まりだった。

 

 人を超えた力を振るう魔女とて、心は只の人間だ。

 

 怒り、悲しみ、迷い、懊悩する。

 

 ゾフィーという只の少女が超常の力を持って生まれてしまった事が、悲劇だったのだ。

 

「……ゾフィー……イゼッタ……メーア……ファルシュ……おばさま……ロレッタ……私にもやっと分かった……人の世に魔法など必要無い……人はただ、人であれば良い……」

 

 最初の魔女が何千年も前に至っていたその結論。

 

 フルスがここに辿り着くまでに、あまりにも永い時間と多くの血が流れてしまった。

 

 その間に、誰もが間違えてきた。

 

 マティアス1世とエイルシュタットを救ったゾフィーも。

 

 現世の欲望を求めたフルスの一族も。

 

 死者を蘇らせようとしたフルスも。

 

 フィーネと、エイルシュタットを守ろうとしたイゼッタも。

 

 皆が間違えたのだ。

 

「だがそれも……今日で終わり……!!」

 

「終わりはしないわよ!! 私がエイルシュタットを滅ぼすまでは!!」

 

 ゾフィーが杖を振ると、彼女の背後に控える百人以上のゾフィーがエクセニウムに充填された魔力を解放し、紅い光と共に魔力爆弾を生成する。

 

「終わるのよ。魔女にまつわる全てが、今日ここで……!!」

 

 今や実体を持たないフルスの全身が、淡い燐光に包まれる。

 

 その時、どこかでうなり声が聞こえたようだった。

 

 まるで、大地が啼いているかのような。

 


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