終末のイゼッタ 偽りのフルス(完結)   作:ファルメール

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第25話 最後の戦い Ⅱ

「イゼッタ、あなたにはここで死んでもらう!!」

 

 フルスが取り出した銃は、イゼッタの胸にぴったりと照準していた。

 

「!? フルス殿……止めるのだ!!」

 

 咄嗟に飛び出したフィーネが、両手を広げてフルスとイゼッタの間に立ち塞がった。

 

 イゼッタはしばらく呆然としていたが……ややあってはっとした表情になると、ベッドの上で不自由な体を動かして何とかフィーネを庇おうとする。

 

「ひ、姫様……下がってください!! 危ないです……!!」

 

 フィーネはそんな親友を肩越しにちらりと見て、ふっと笑いかけた。

 

「良いのだイゼッタ……今までそなたには助けられてばかりであったからな……友として、これぐらいはさせてくれ……」

 

 そうして、フィーネはフルスへと向き直った。

 

「フルス殿、とにかくその銃を下ろしてくれ。これは貴殿の本心では無い事は、私もイゼッタもよく分かっている。早まって軽々に事に及んでからでは、何もかもが手遅れ……後から後悔しても始まらぬ……もう一度、冷静によく考えてくれ……」

 

 これまでの話から、フルスはイゼッタが憎くてこの様な行動に出ている訳でないのは明らかだ。

 

 現況は誰がどう見ても絶望的。

 

 そしてこれまでエイルシュタットの守護者としてゲルマニア帝国の侵攻を防いできたイゼッタは、エイルシュタットの民や反ゲールの立場にある国家やレジスタンスから高い支持を得ているがそれに比例するようにゲールからは恨みを買っている。

 

 そんなイゼッタが、ゲールに囚われの身となったらどうなるか……!!

 

 想像して、フィーネは背筋が寒くなってぶるっと体を震わせた。

 

 只でさえイゼッタは、魔女という希少な異能者。そして魔法の威力が最新鋭の兵器をも凌駕するものである事は、イゼッタやフルス、そして現在ゲールが運用しているエクセ・コーズによって証明されている。

 

 付け加えるならゲルマニア帝国の科学技術や医学は世界でも最先端のものがあり、その発展の裏側では人倫を顧みない研究が日夜行われているという話はその筋の者にとっては常識となっている。

 

 これらの要素を合わせて総合的に判断すれば、イゼッタはゲールに捕まったが最後、人体実験や陵辱で死ぬよりも酷い目に遭わされる事は火を見るより明らか。フルスはそれを憂いて、ならばせめて苦しまないよう一思いに自分の手で……と、思い詰めた末の行動であったのだろう。現在、エイルシュタットが置かれている状況からすれば、無理も無い結論ではある。

 

 だが……

 

「フルス殿、今ならこれは一時の気の迷いと、私たちだけの秘密に出来る……どうか、落ち着いてくれ……」

 

 フィーネが、なだめるように穏やかな口調で話し掛ける。

 

 フルスが理性的な人物である事はフィーネも知っているし、今イゼッタに銃を向けているのもイゼッタを想うあまりの事だ。ならば説得の目もあるとフィーネは見ていた。

 

 彼女の言葉通り、今ならばこれはフルスが精神的に追い詰められて一時的に取り乱した、この時のフルスはどうかしていたと、自分たちの胸の中だけに納める事が出来る。だがあまり事態が長引いて、部屋の外に待機しているビアンカやジークが異常を察知して中に踏み込んできて、そしてこの状況を目の当たりにすれば色々と面倒な事になる。

 

 そうなった場合には、もうフィーネも立場上フルスを許す訳には行かなくなる。

 

 今が、フルスが引き返せるギリギリのタイミング、瀬戸際、分水嶺であると言えた。

 

「……」

 

 フルスが構えた銃は、未だに動かない。

 

 フルスは銃を下ろしもしないが、引き金を絞ろうともしない。

 

 フィーネは瞬きもせずにじっとフルスと、自分に向けられた銃口を注視していた。

 

 幼い日、村人達の悪意から庇ってくれた時のように、今もフィーネに守られているイゼッタも、フィーネの肩越しにフルスの目と彼女が構える銃を交互に見ている。

 

 ファルシュは、何も言わない。ただ、この部屋に運び込んできた箱に腰掛けて事の成り行きを見守っている。

 

 心臓が痛くなるほど緊迫した十数秒間が過ぎて……

 

「ふっ……」

 

 フルスが微笑して、肘を直角に曲げるとフィーネから銃口を外した。

 

「フルス殿……」

 

 説得が通じた、分かってくれたのだと、フィーネはほっと胸を撫で下ろす。イゼッタも、ふうっと大きく息を吐いた。

 

「……と、こんな感じに私が錯乱してイゼッタを射殺した……というシナリオですよ、フィーネ様……」

 

「……フルス殿、何を?」

 

「ファルシュ、あれを」

 

 フィーネの疑問には答えずに、フルスは娘に指示を出す。

 

「はい、ママ……」

 

 ファルシュは、椅子代わりにしていた箱から立ち上がると、蓋を開けて中の物を取り出す。

 

 そして出てきた物を見て……

 

「なっ……!!」

 

「こ、これは……っ!!」

 

 イゼッタ、フィーネの二人とも絶句。

 

 ファルシュが箱の中から出したのは、イゼッタだったからだ。

 

 正確にはイゼッタそっくりの人形だった。顔立ち、背格好とも寸分変わらない。それこそイゼッタの隣に置けば、そこに姿見があると言っても信じられるだろう。それほどに精巧な人形。

 

「ううっ……?」

 

 恐る恐る、フィーネがイゼッタ人形に触れてみる。

 

 蝋人形か何かだと思っていたが、触れた指先に伝わってきたのは体温こそ感じられないが、確かに人肌の感触だった。

 

「フ……フルスさん、なんでこんなものを……?」

 

「魔法で作ったのよ」

 

「ま……魔法で?」

 

「そうよ、イゼッタ……あなたにも出来るでしょう? 雪や土を固めて、針のように射出したりとか……魔法の応用の一つである『成型』……私たち、魔女の魔法は生物には直接作用しないけど死んだ人間ならそれは既に只のタンパク質とカルシウム……私は以前、ベアル峠での戦いで死亡したゲール兵の死体を何体か回収して、それに魔法を使ってこのイゼッタ人形を作ったのよ」

 

「そ、そんな……」

 

 自分にはやるやらない以前に方法論として想像する事すら出来ない、おぞましく業深い所行に、イゼッタは再び絶句。

 

「だが……重要なのはそこではない」

 

「姫様……」

 

「フルス殿……貴殿は一体、何の為にこんなものを作ったのだ?」

 

 まさか観賞用でもあるまい。

 

「……簡単な事ですよ、フィーネ様……イゼッタが、生き残る為です」

 

「……生き残る為……?」

 

 頷くフルス。

 

「フィーネ様……仮にこの戦争、同盟諸国によるゲールの包囲網が完成してゲルマニア帝国を倒すもしくは和平協定を締結する事が出来たとして……その後、何が起こると思いますか?」

 

「何が……って……」

 

「……そうか」

 

 呆けたようなイゼッタに比べて、フィーネはすぐにフルスの言わんとする事を悟ったらしい。「なるほど」と頷く。

 

「ゲールという脅威が取り除かれた後は……今度は魔女の力を有するエイルシュタットが世界の脅威となる……その世界で……魔女は排斥されるという事か……」

 

 フィーネのその予想は、正解だったらしい。「そうですね」と頷くフルス。

 

「……そうなったらエイルシュタットは世界の敵となる事を避ける為に、私やイゼッタを差し出すでしょう?」

 

 数百年前のエイルシュタットが、異端の国とされる事を避ける為に救国の英雄たるゾフィーを売り渡したように。歴史は繰り返すとは、よく言ったものだ。

 

「フルス殿、そんな事には私の名にかけて……」

 

「……それは、フィーネ様……あなたがイゼッタに個人的な好意を抱いているからに過ぎません……それでは、ゾフィーの時と何も変わらない……あなた自身、心の奥底では理解されている筈でしょう? たった一人の感情では、国という巨大で得体の知れない怪物機械はどうしようもないと……」

 

「う……」

 

 論破されて、フィーネは言葉に詰まる。

 

「でも、フルスさん……私ならどうなっても……」

 

「……イゼッタ、私はあなたにそれはさせられない……ロレッタの為にも……」

 

 フルスにとってイゼッタは姉妹同然だった親友の忘れ形見であり、彼女が生まれた時からの付き合いで娘も同じ。そんな彼女を犠牲にするなど、論外であった。

 

「だからと言って、逃げる事ももう出来ない。エイルシュタットから魔女は居なくなったからそれでお終い、で済まされるには、私たちは自分の力を世界に示しすぎた……」

 

 生身で近代兵器を凌駕する魔女の力。これはゲールという覇権国家を取り除いた後に、それがアトランタだろうがヴォルガ連邦だろうがロムルス連邦であろうが、自分がその後釜に座って世界の盟主たらんとする国家にとってあまりに魅力的であろう。彼らはイゼッタとフルス、二人が生きている限り二人を追い続けるだろう。そしてどれだけ逃げ続けても、いつかは捕まる。そして捕まったら、後はお約束というヤツだ。違いは、それを行うのがゲールか他の国かというだけ。

 

 フルスには既にその未来が見えていた。

 

 負ければ死ぬか、ゲールに囚われて死よりも辛い目に遭わされる。

 

 勝てばエイルシュタットに売り渡されるか、逃げ続けた先で捕まってどこかの国に、死よりも辛い目に遭わされる。

 

 結論。フルスもイゼッタも、魔女はこの戦争に関わった時点で既に詰んでいたのだ。

 

「……そんな……」

 

 改めて聞かされると、報われないにも程がある酷い話だ。

 

 国を救う為に戦った者に、救われる道が用意されていないなど。

 

 改めて、自分が友をどれほど酷い運命に引き込んだのかを思い知らされて、フィーネはうなだれる。

 

「……フィーネ様……一度、整理してみましょうか……この状況で、私たちが為すべき事は……三つ」

 

 

 

 ① ゲルマニア帝国が保有する魔女兵団を撃破する。

 

 ② 全ての魔石とエクセニウムを破壊し、抽出された生命エネルギーの全てを大地に還す。

 

 ③ 条件①と②を満たした上で、イゼッタの安全が保証される。

 

 

 

「うむ……」

 

 条件①は、同盟各国がゲールの包囲網を完成させて大陸への出兵を行う為に必要な条件だ。現在の世界はエクセ・コーズの脅威に晒されている状況ではあるが、しかしエクセ・コーズはゲールの最強戦力であるが故に、それを維持する為にゲールは多大な労力を裂いているとは、諜報部からの報告にもあった。陸海空軍など通常戦力については、戦力・予算共にむしろ削減傾向にあるらしい。

 

 だからエクセ・コーズを撃破もしくは無力化出来れば、アトランタやブリタニアが大陸への出兵を決意してゲールを追い詰める事が出来るだろう。

 

 そして条件②。

 

 これはある意味、戦争の勝敗よりも重要な事だ。

 

 魔力は大地に流れる無色の命。それを枯渇するまで吸い上げられた土地は、死ぬ。その死んだ土地では人も獣も草木も微生物も、一切の新しい命が生まれなくなる。それが数万年も続く。

 

 その前に全ての魔石とエクセニウム、大地から吸い上げられて結晶化し、実体を持つに至った魔力を全て破壊して大地に還さねばならない。

 

 それが出来ない場合はゲルマニアは魔石の秘密、環境兵器としての使い方に気付いて、完璧に近い形で世界支配を完成させる。そうなったら手遅れ。何もかもが終わる。

 

 故に何としても、条件②を達成しなければならない。

 

「……だが、今のこの状況では……!!」

 

 条件①も条件②も、達する事が出来るとはとても思えない。

 

 条件③に至ってはこれはもう……実現は不可能と言って、差し支えないだろう。

 

「……手は、ありますよ」

 

 意外な事に、それを言ったのはこの絶望的な条件を提示したフルスだった。

 

「……まず条件③、ですが、これは……その為の、この人形なんですよ」

 

 フルスの視線が、ベッドに横たえられたイゼッタ人形へと移った。

 

「人形が……?」

 

「フルス殿、それはどういう……」

 

「……死んだ者を、それ以上追う事はしないでしょう?」

 

 フルスのその言葉を受けて、フィーネが「あ……」と声を上げる。

 

 つまりはこのイゼッタ人形は、イゼッタの死を偽装する為の小道具だったのだ。

 

「フィーネ様はこの後、フリードマン女史からマスコミに働きかけてもらって、イゼッタの死を大々的に報道し……世間的にイゼッタを死んだ事にしていただきたい……」

 

「……それは請け負うが……しかし……フルス殿……」

 

「条件①と②は、私が果たします。私の一族の永きに渡る研究の結晶……最後の魔法を使って……!!」

 

「最後の……」「魔法……?」

 

「そう……魔女の魔法とは、魔力……大地に還った命を使って、奇跡を起こす異能……最後の魔法とはその到達点……人としての生と死を捨て……自分の命が大地に還った後も、自分という『個』を保ち続ける事……それが、最後の魔法」

 

「「……」」

 

 その話を聞いたフィーネとイゼッタはしばしポカンとしていたが、数秒の時差を置いてほぼ同じタイミングで、

 

「ま、待ってください!!」「ま、待たれよ!!」

 

 声を揃えて、フルスに詰め寄った。

 

「人としての生と死を捨てるって……そ、そんな事をしたら、フルスさんはどうなるんですか?」

 

「それにそもそも……いくら魔女とは言えそんな事が簡単に出来るとは思えぬ……その為に、貴殿は何をするのだ?」

 

「……二人とも、良い質問ですね……まず、イゼッタ……最後の魔法を使ったら、私の命は大地に還り、レイラインと一体になる。私は命の流れそのものとなって……普通の生き物が言う生と死の概念から外れる事になるわね……そしてフィーネ様……最後の魔法を使う為の条件は、まず自分の命を大地に還す事……つまり……」

 

 フルスは持っていた拳銃の銃口を、自分のこめかみに押し当てた。

 

「私が、死ぬ事なのですよ」

 

「なっ……!!」

 

「だ、ダメですよフルスさん……そんな事……」

 

「……じゃあ、聞くけどイゼッタ……あなたは普通に戦ってあの恐ろしいエクセ・コーズをどうこう出来ると思っているの?」

 

「う……それは……」

 

「相手はエクセニウムで武装した魔女が、どんなに少なく見積もっても数十人、恐らく百人以上は居る。要するに単純に考えて私たちの二十倍から五十倍の戦力がある計算になるわね」

 

 質が同じか上回っていて、その上でこれほど物量差があればランチェスターの法則も兵法もへったくれもない。単純に数が多い方が絶対に勝つ。

 

「つまり……私が最後の魔法を使わない限り、エイルシュタットを救う手段は無いという事よ……最後の魔法を使えば、レイラインそのものとなった私は、膨大な魔力を自在に行使出来るようになる。そうなれば、エクセ・コーズ相手にも勝つ事は可能です……フィーネ様、ご決断を」

 

「……フルス殿……」

 

 残酷な決断と言える。

 

 フルス一人を喪えば、国は救われるのだ。

 

 だがその為に、フルスに死んでくれと言うのは……辛い。

 

 でも……それこそ先ほどのフルスの台詞ではないが本当は心の奥底で分かっている。為政者として、エイルシュタットを治める者として、それをしなくてはならないと。他に道は無いと。

 

「……フルス殿、一つだけ聞かせてくれ……」

 

 やっと絞り出したその声は、消え入りそうだった。

 

「……何でしょうか、フィーネ様……」

 

「……貴殿は、何故そこまでしてくれるのだ……? イゼッタのように、私と個人的に親交がある訳でも無い貴殿が、何の為にここまで……」

 

「……そうですね……」

 

 フルスは困ったような、それでいて少し哀しそうな笑顔を見せた。

 

「理由はいくつかあります……唯一残った同族であるイゼッタを助ける為……この戦争を引き起こしてしまった身として、エイルシュタットの人たちへの償いの為……お金の為……それらしい理由は……いくつも用意出来るけど……でも、それらは本質ではありません……本当は……ホントのホントは……」

 

 フルスはちらりとファルシュを見やって、そしてイゼッタとフィーネへと視線を順番に移動させていく。

 

「……昔、私はメーアを喪った。次に、亡くした者は戻らないと……ファルシュに教えられた……そしてイゼッタ、フィーネ様……あなた達はまだ喪っていないから……だから、私は……」

 

 一度顔を伏せて、フルスは二人へと笑いかける。その笑顔は、今にも泣き出しそうに見えた。

 

「フィーネ様……あなたにイゼッタを……そして、イゼッタ……あなたにフィーネ様を……喪ってほしくなかったのよ」

 

 それが、フルスの答えだった。

 

 親友も娘も、助けられなかった彼女の答え。喪ってばかりの人生で、喪う辛さを誰より知っているから。だから、大切な人を喪っていないイゼッタとフィーネに、喪わせない為に。

 

 それが、戦う事を決めた本当の理由。

 

「……そんな、それだけの為に……フルスさんは……」

 

「……フルス殿……貴殿は……!!」

 

 フルスの決意は、固い。もう、イゼッタもフィーネも彼女を止めようとはしなかった。止めても無駄だと、理解したからだ。

 

 そして……フルスはもう一度だけ、これから喪う事になる。

 

「ファルシュ……」

 

「はい、ママ……」

 

 手招きされたファルシュが、母の元へと近づいていく。イゼッタとフィーネは、この親子の意図を測りかねているようだ。当惑して、顔を見合わせる。そんな二人を見て、フルスは僅かに笑いを漏らした。

 

「……言ったでしょう? 全ての魔石を破壊せねばならないと……」

 

 全ての魔石。エイルシュタットにも魔石は、二つある。一つは数百年前にゾフィーが持ち出した物の片割れで、ジークの家に伝わっていた物。そしてもう一つは……

 

「ファルシュちゃんの、体の中に……フルスさんが埋め込んだ……だ、ダメですフルスさん!! そんな事……!! どうして、フルスさんばかりが……!!」

 

「イゼッタ……これは私が始めた事……ならば終わらせるのも……私の義務なのよ……」

 

「そう……それに私も、いつかはこんな日が来ると、思っていたから……動く死体が、動かない死体に戻るだけだから……気にしないで」

 

 ファルシュが、いつも通りの無表情で言った。その言葉は嘘ではないのだろう。

 

 娘が母と過ごす時間。それは多くの人にとって昨日も今日も明日も続いてく、当たり前の時間であろう。

 

 だがファルシュにとってはフルスと過ごす一日一日が、贈り物……あるいは、オマケに過ぎなかったのだ。その、天あるいは運命から許された残り時間が尽きる時が、とうとうやって来たのだ。

 

 ファルシュは、母に向き直った。

 

「ファルシュ……」

 

 フルスにとって、娘の喪うのはこれで二度目になる。そして今度は、自分の手で娘の時間を止める事になるのだ。

 

 もう、触れる事も、言葉を交わし合う事も出来なくなる。だから、ここで何か……最後の言葉を、残したかった。

 

 たとえファルシュの時間がその一分後に止まるとしてもだ。それが無意味な行いだとは、フルスは思わなかった。

 

 何を言えば良いのか。考えて、考えて、考えて……そして、出た言葉は。

 

「……ありがとう……ファルシュ……あなたのママでいられて……幸せだったわ」

 

「……私も、ママと一緒にいれて、楽しかったよ。本当に……」

 

 ファルシュはそう言って、隻腕を自分の胸に突き入れた。

 

 耳障りな肉を抉る音が聞こえてくる。

 

 しかしフルスも、そしてイゼッタもフィーネも、目を逸らそうとはしなかった。

 

 そしてファルシュは、血塗れになった手を胸から引き抜いて、フルスに差し出す。その掌には、血に濡れてしかし血よりも更に深く更に鮮やかな紅に輝く、魔石があった。

 

「ママ……ありが」

 

 それが、最後だった。

 

 言葉を紡ぎ終わらない内に、ファルシュの体から全ての力が失せて倒れる。フルスは素早く、その体を抱いて支えてやった。

 

「ファルシュ……」

 

 もう、ファルシュは動いていなかった。

 

「……今まで、ありがとう。ゆっくりお休み……メーアと一緒に……」

 

 フルスは開いたままになっていた瞳を閉ざしてやると二人分の娘の体を丁寧に、そして注意深く抱き上げて、そっとベッドに寝かせてやった。眠っているようなその額にキスをする。それが、二人目の娘との決別の儀であった。

 

「うっうっ……どうして、こんな事に……!!」

 

 いつしか、部屋には嗚咽が木霊していた。イゼッタの泣き声だ。

 

「……気にしないで、イゼッタ……全てが……あるべき所に還るだけなのよ……」

 

 フルスは掌中の二つの魔石へと意識を集中し、魔力を集中させる。

 

 魔石が紅く輝き始め……そしてやがて、実体を保てなくなって砂のように崩れて、空気に融けていく。

 

 ほんの一分ほどで、魔石はフルスの手から消えていた。

 

 そこに在った全ての命が今、大地へと還った。何億年も前から繰り返されてきた命の流れ、大いなるサイクル、輪廻の輪の中に、再び組み入れられたのだ。

 

 これで、魔石はこの地上に最後の一つ。ゾフィーが持つ魔女の一族に伝わっていた片割れだけとなった事になる。

 

「さぁ……エクセ・コーズと魔石の破壊は私が。フィーネ様は……イゼッタの事を……頼みますよ」

 

 フルスはイゼッタを車椅子に移すと、たった今まで彼女が居たベッドの上にイゼッタ人形を設置して上手くポーズを取らせた。

 

「フルスさん……逝かないで……」

 

 未だ泣いていて、震えながらイゼッタが訴えてくる。

 

「……大丈夫よ。また、会えるわ……きっとね……」

 

 フルスは手を伸ばす。彼女の指が、イゼッタの頬を伝う涙に触れた。

 

「イゼッタ、私は……あなたと一緒に戦う事にして……良かったと思っているわ。私は今まで……何もかも中途半端で何も手に入れられずに全てを喪うだけの人生だったけど……最後に、本当に喪ってはいけない者を、守る事が出来るんだから」

 

「……っ……フルスさん……!!」

 

 フルスとイゼッタは、固く抱きしめ合った。

 

 イゼッタは、フルスの胸の中で幼子のように泣きじゃくった。フルスは、そんな彼女を安心させようとするように優しく頭を撫でてやっていた。幾度も、幾度も。

 

 数分ほどそうしていて、やっと落ち着いたイゼッタから離れたフルスは、今度はフィーネへと向き直る。

 

「……貴殿には、何もかも世話になったな……」

 

「……お互い様ですよ、フィーネ様……どうか……いつまでもイゼッタと幸せに……ビアンカさんやロッテさんには……よろしくと言っておいてください……」

 

 そっと差し出されたフルスの手を、フィーネは固く握りしめた。掌と掌をしっかりと合わせて。

 

 そして手を離すと、3人はそれぞれ頷き合う。

 

 イゼッタは車椅子を動かして、ベッドから離れる。フィーネも数歩後ずさって、万一にも跳弾などで怪我しないよう距離を取った。

 

 フルスは拳銃に弾丸を装填すると、ベッドに寝かされたイゼッタ人形へ向けて狙いを付ける。つまり、先程イゼッタに銃を向けた時は弾丸が入っていなかったという事だ。最初から撃つ気など無かったのだ。

 

 至近距離で、標的は動かない人形。外れる訳は無い。後は引き金を引くだけ……

 

 その時だった。

 

『頑張って』

 

 声が、聞こえた。

 

 ファルシュの声が。

 

「「「……っ!?」」」

 

 3人が視線を向けると、ファルシュは先ほどと同じ姿勢のままでベッドの上に横たわっている。

 

 今のは幻聴だったのか、それとも……?

 

 3人は顔を見合わせる。

 

 答えは出ない。だが……

 

「……」

 

 ややあって、フルスは眠っているような娘に目を向けて、微笑した。

 

「ええ……頑張ってくるわ……ファルシュ……私の、出来る限りを……尽くすわ」

 

 そう言って、フルスはイゼッタとフィーネに向かい合う。魔女と大公は、それぞれもう一度頷き合った。

 

 そしてフルスは……先ほどと同じようにイゼッタ人形に拳銃の狙いを付けて、引き金を引いた。

 

 パン、パン、パン!!

 

 乾いた銃声が鳴って、本物の人体よろしく白いシーツの上に鮮血の華が咲く。

 

 これで、『イゼッタは死んだ』。フルスは頷くと、自分のこめかみに銃口を当てる。

 

「フルス殿……幸運を」

 

「あの、フルスさん……どうか、お元気で」

 

 二人の言葉を受けて、フルスは少しだけ驚いたように目を丸くした。その後で、優しく微笑む。

 

「あなた方も」

 

 そう言って彼女は引き金を引いて、自分の頭を撃ち抜いた。

 


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