「……フッ。こうして見ると、壮観の一語に尽きるな」
眼前に整列した一団を見て、ゲルマニア帝国皇帝・オットーが呟く。
ゲルマニア帝国帝都・ノイエベルリン。
そのほぼ中心部に位置する宮殿の玉座の間。この大国を支える文武百官が整列して尚余裕があるように作られているその部屋には、今は異様な人間の集団が詰めかけていた。
ゲール軍の軍服を纏っている。身長は高くはなく体つきもほっそりとしていて女性に見える。
彼女たちは、先頭に立つ一人を除いて仮面を付けていた。
それだけならばまだあり得る光景ではある。
異様なのは、彼女たちは全員が全員、寸分違わず同じ背格好であったのだ。どんなに同じ年代であっても、多少の身長差や肩幅、体の発育度合いなどにはいくらかの違いがあって良い筈なのに。
まるで実際には一人しか居ないのに、それを画像処理で何十人も居るように加工した合成写真ような違和感がある。実際に軍のプロパガンダ写真でも、たった一台の戦車を何台もの戦車隊のように編集加工したものがある。
「お前にも見せてやりたい所だ。エリオット……」
「は……」
傍らに侍る盲目の宰相に、上機嫌を隠そうともせずに語るオットー。エリオットはいつも通り、淡々と返す。
「随分と楽しそうね?」
整然と並ぶ女性達の中で、たった一人仮面を付けていない者。
ゲルマニア帝国の魔女、ゾフィーと呼ばれる彼女は呆れたような顔で、皇帝を相手にするものとはとても思えないぶっきらぼうな口調で語った。
「ああ、楽しい。とても楽しい」
皮肉は、オットーには通じなかった。
「既にエクセニウムを応用した新型爆弾は、実用化の段階に入っている。そしてエクセ・コーズの威力は、ロンディニウムの陥落によって全世界が知る所となっている。この勢いに乗って欧州を制した後は、我々はヴォルガ連邦と決着を付ける」
「陛下……ヴォルガ連邦とは相互不可侵条約を結んでおりますが……」
「遅かれ早かれ破るつもりの条約だ。それは向こうも同じだろうさ。破らなければ破られる、それだけの事だ」
エリオットの諫言を受けても、オットーは少しも悪びれていないかのようにしれっとした顔で返した。
「……少し、気が早いんじゃないの?」
皮肉気に冷たく笑いながら、ゾフィーが言った。
「……ほう?」
「エイルシュタットには私と同等の存在……魔女がまだ居るのよ? この一ヶ月で……ゲリラ戦のように各個撃破された形であったとは言え「私」が15人も殺られたそうじゃない」
背後を振り返り、ゾフィーは整列する仮面の女達を見やる。
オットー、エリオット、ゾフィー。この3名は知っている。
百名は優に超える女性達の仮面の下には、合わせ鏡のように同じ顔があるという事を。
彼女たちは、ゲールのクローン技術によって生み出されたゾフィーのクローンだ。より正確には、たった一人仮面を付けていないゾフィーも、数百年前に存在したエイルシュタットの白き魔女・本物のゾフィーの遺体の一部より採取された体細胞を培養して誕生したクローン体である。
ゲルマニア帝国が誇る魔女の兵団(エクセ・コーズ)。それを構成するゾフィーのクローン達は、その牙がゲルマニアに向けられる事が無いように、薬物と手術によって自我を破壊されており、命令に唯々諾々と従うだけの人形とされている。
元々、クローンはゲールの最高科学を以てしても未だ発展途上の技術であり、それによって生み出されたゾフィー達の体は非常に不安定だ。彼女たちは投薬無くしては肉体を三日と維持できない。これだけでも鎖としては十分なものがあるが、それでも自暴自棄になって噛み付いてくる事を防ぐ為の処置だった。
自我を保ち、人間としての思考力や判断力を残しているのはゾフィー達の中でも一握りしか居ない。そしてその僅かなゾフィー達も、殆どがフルスによって殺害されており現在生きているのは一人だけ。
それが、たった今オットー達と話している仮面を付けていないゾフィーだった。魔石も、今は彼女に預けられている。
「……確かに、大人の魔女の力は恐るべきものがあるが……それでも相手は手負いである少女の方を含めても二人しか居ないのだ。エクセ・コーズ全軍を以て押し潰せば何も問題はあるまい?」
「まぁ……それは確かに」
ゾフィーは認めた。
ゲール軍が持っていた戦闘記録を見たが、大人の魔女・フルスは純粋な魔法への知識や習熟度に於いてはイゼッタや自分よりも遙かに上であろう。
しかしそれでも、十倍も二十倍も強いわけではない。”ゾフィー”が二人や三人同時に襲いかかっても倒せなかったが、エクセ・コーズ全軍と言わずとも10人掛かりで一斉攻撃を仕掛ければ問題なく撃破できるだろうとゾフィーは見ていた。
ましてやエクセ・コーズは全員がエクセニウムで武装していてレイラインの通らない土地でも魔法が使える上に、魔石によって土地の魔力を枯らす事だって出来る。総力戦になれば、負ける要素は無い。
「ヴォルガ連邦を倒した後は海を渡り、アトランタとの決戦だ。そして我がゲルマニアは、世界を手に入れる。その統一世界に、私は君臨し続ける永遠に!!」
「ふぅん……」
溜息を吐くゾフィー。
不老不死・永遠の命。昔から数多の権力者が望んだ見果てぬ夢。富と権力を持つ者の妄執が行き着く所は、数千年経っても少しも変わらないらしい。
その時だった。
部屋の扉の一つが開いて、兵士が駆け込んでくる。
「申し上げます!!」
「どうした?」
「守備隊から報告がありました。帝都外縁部に、エイルシュタットの魔女が現れたと!!」
「!!」
「……確か、この一帯は魔力の流れからは外れている筈でしたね?」
エリオットが、確認してくる。ゾフィーは「えぇ」と頷いた。
魔力の無い土地では、魔女は何の力も発揮できず只人と変わらない。それなのに帝都に攻めてくるという事は……
「……どうやら、向こうにも魔石があったようね」
手にした杖の先端に嵌め込まれた紅玉に視線をやるゾフィー。彼女の魔石は、中程から欠けていて断面が見えている。
数百年前、彼女がエイルシュタットに裏切られた時に魔石は二つに割れた。今、ゾフィーに預けられているのは旧都の王城の魔女の間に封じられていて、リッケルトが回収してゲールに持ち帰ったその片割れだ。ならばもう半分が、エイルシュタットのどこかに残されていたとしても不思議ではない。
フルスかイゼッタか。どちらかは分からないがそれを手に入れたのだろう。
もし攻めてきているのがフルスだとしたら、これは容易な事態ではない。
魔石はレイラインが通らない土地で魔法を使えるだけではなく、内部に蓄積された魔力を利用する事で、魔女本来の能力を超えた強度で魔法を行使する事を可能とする。ただでさえ恵まれた才能を持ち、魔法に習熟して高い技術を持つフルスに魔石が備わったら、恐るべき戦力となる。
これこそは、エクセ・コーズの総力を挙げて対処すべき案件であろう。
「全員出撃するわ。私たちで始末する!! 良いわね!?」
「反対する理由は無いさ。存分にやるが良い」
オットーの許可を受けて、ゾフィーは頷く。
「エイルシュタットを焼き払う前に……まずは現代の白き魔女を血祭りに上げるとしましょうか」
「間違いない。エイルシュタットの魔女……その、大人の方だ」
ノイエベルリン外縁部。
帝都守備隊の指揮官は、双眼鏡越しにしずしずとこちらへ向けて歩いてくるフルスの姿を認めた。
てっきり、魔女がこの帝都を攻めるとなれば空を飛んでくるのかと思っていただけに、これは意外だった。
「何か企みがあるのか?」
そうも考えるが、しかしこれは好機でもある。
ただでさえエクセ・コーズの存在によってゲルマニア軍正規部隊は肩身の狭い思いをしているのだ。
ここでエイルシュタットの魔女を倒せば、その功によって自分たちの立場はいくらかでも回復するというものだ。
そういう感情から、警告もそこそこに指揮官は攻撃命令を下した。
何十輛もの戦車隊の砲が一斉に火を噴く。
何十発もの発射音は、長い一発の音のように聞こえた。
数秒遅れて、爆発。
爆炎と土煙が上がって、フルスの姿がそっくり見えなくなる。
しかしそれでも、戦車隊は攻撃の手を緩めなかった。
十数分ほども砲撃が続いて、戦車の装填手は真剣に砲身が焼け爛れるのではないかと危惧した。
そこまでやった所で、ようやく指揮官は「撃ち方やめ」の命令を下した。
何秒かのタイムラグを置いて、漸く砲撃が止んだ。
これはいくら魔女とは言え、たった一人の人間を殺害するには過剰と断じられるだけの圧倒的火力であった。たとえ砲弾の爆発から何らかの手段によって身を守ったとしても、爆心地は焦熱地獄と化しており、しかも炎によって酸素がすべて燃え尽きている。
たとえ魔女であったとしても生身の人間でしかない。これで生きている事は絶対に不可能。
……その、筈であったのだが。
『……もう、止めなさい』
声が、聞こえた。
静かで、だが良く通る女の声が。
「!?」
反射的に振り返る。
そこには、フルスが立っていた。
指揮官は自分の目を疑った。フルスはついさっきまで、数キロも先に立っていた筈なのに。
この動きは煙に紛れて近づいてきたり、飛んできたのとは全く違う。
帝都の守備隊は何百人と居るのだ。それにここは見晴らしの良い平地。どんなに上手く身を隠したとしても、絶対に誰かが気づいた筈だ。しかもこれほどフルスが近づいてきているのに、指揮官は彼女の足音や息遣い、気配すら感じ取る事も出来なかった。
まるで距離を超えて、突如として自分の背後に現れたかのようだ。
しかし、考えていたのはそこまでだった。
「き、貴様っ!!」
反射的に腰の拳銃をドロウし、発砲。
フルスは指揮官のすぐ側に立っていた。これは訓練を受けた軍人には外しようのない距離である。
頭と腹に二発ずつ。
当たった。
撃つ前から、彼はその手応えを確信する。しかし。
カン!! カン!! カン!! カン!!
『……』
確かに銃弾が命中した筈のフルスはびくともしていない。それどころか、着衣にも破れすらなかった。
弾丸は、フルスのすぐ後ろのジープの車体に命中して弾痕を穿っていた。
しかしおかしい。フルスは、避けようとする素振りすら見せなかった。
彼女の体を銃弾がすり抜けでもしない限り、こんな現象は起こらない筈なのに。
「なっ……」
『無駄よ』
静かに、フルスがそう告げる。
パキン!!
すると乾いた木が割れるような音が鳴って、指揮官の手にした拳銃がバラバラに分解した。
「なあっ……?」
動揺したが、しかしそこは流石に正規の軍人である。素早く乗っていたジープから飛び降りると、周囲を固める部下達に指示を飛ばす。
「何をしている!! 撃てっ!! 撃てっ!!」
兵士達は僅かな間だけ呆気に取られていたものの、すぐに自分が居る場所と役目を思い出したらしい。ライフルを構えて、フルスに照準する。
十以上の銃口がフルスに向いて、兵士達の指が引き金を絞ろうとした、瞬間。
『無駄だと、言っているわ』
またしても静かに、しかしこの一帯すべてを覆うように、フルスの声が響く。
パキン、パキン、パキン!!
あちこちで先ほどと同じ音が響いて、兵士達の手から、解体されて鉄くずになったライフルが滑り落ちる。フルスに銃を向けている者だけではなく、その周りの何十人もの兵士も同じだった。
「こ、これは……っ、そんな馬鹿な……!!」
指揮官は絶句する。これは有り得ない事だ。
ゾフィーの口から伝えられた魔女の弱点や魔法の特性は、既にゲール軍全てが知る所となっている。
魔女はレイラインという大地に流れる魔力が通らない場所では魔法が使えない。
魔女が魔法を使う為には、必ず一度はその物に触れて、魔力を付与しなくてはならない。
しかしこのノイエベルリンの一帯はレイラインが無い場所であり、尚且つ守備隊が持つ武器は、一度としてフルスに触れられてなどいない筈だ。
なのに何故?
指揮官が考えた、その時だった。
空から、小さな赤い光が落ちる。
刹那の時間だけ遅れて、襲ってくる衝撃、爆発、熱風。
フルスの周囲の戦車もジープも兵士も、一切の例外なく木っ端のようにぶっ飛ばされる。
「あはははっ……あははははっ……あははははははっ!!」
戦場に木霊する哄笑。
それは、ゾフィーの声だった。
いつの間にか上空には、空を埋め尽くさんばかりのゲルマニアの魔女達が展開していた。
たった今の大爆発は、その中で唯一人自我を焼かれていないゾフィーがエクセニウムを爆弾として使った事によって起こったものだ。
「あっけなかったわね……これなら全員で来る事も無かったかしら?」
と、ゾフィー。
タイミングは完璧だった。あれでは、大地を操って壁とする事も空気を操って層を作り、衝撃を受け流す事も出来なかっただろう。人間に限らず、どんな生物だろうとあの爆発の中で生きている可能性はゼロだ。
たとえ魔石を持っていて、通常の魔女を超える力を持っていたとしてもそれを使えなければ同じ事。魔石を使う身として、ゾフィーも魔石を使う魔女の弱点は承知の上であったのだ。
だからこそ初手から強烈な一撃を与えてフルスを倒す為に、魔女兵団全てを動員してきたのだが……どうやら最初の一撃で、戦いは決まってしまったらしい。
「まぁ……先に地獄で待ってなさいな……すぐにあの国の人間全て、後を追わせてあげるから……」
風が吹いて、流された髪を掻き上げながらゾフィーが呟く。
だが。
『……それは、認められないわね』
「!?」
聞こえて良い筈が無いその声に、反射的に振り返る。
そこにはフルスが、幽霊のように佇んでいた。
「……なっ!?」
咄嗟に、ゾフィーは跨がる杖を動かして距離を置いた。
有り得ない。
フルスはたった今の今まで、地上に居た筈だ。そこを狙って絶対に防御も回避も不可能なタイミングで、エクセニウム爆弾を叩き込んだのだ。仮に命は助かったとしても、重傷を負ってはいる筈。そうでなければ道理が合わない。なのに今のフルスは、かすり傷一つ負っていないどころか着衣に破れ一つ、汚れすらも付着していない。
そして命が助かったとしても、地上から飛び上がってくれば、百を超える目があるのだ。ゾフィー達が見逃す筈が無い。
なのに今、フルスは突如として背後に現れた。
移動ではなく、出現したという表現が正しいか。
たった今まで離れた所に居たフルスが、いきなり空間を超えて背後に瞬間移動してきた。それが最も近い表現に思えるが……しかし、何か違和感がある。
フルスの気配だ。
確かに目の前に居る筈なのに、前からではなく四方八方から……と、言うよりも周囲の全てから弱々しくも彼女の気配を感じるように思える。
まるで、どこにでもフルスが居るような……
そんな違和感を覚えたゾフィーが、フルスに目をやる。
「!?」
一瞬、自分が見た光景が信じられなかった。ゾフィーは目を擦る。
だが……間違いない。
フルスの体を通り越して、その背後に居る幾人かの魔女と、ノイエベルリンの町並みが見えたのだ。
フルスの体は蜃気楼のように、揺らいで見えた。時々、よく見えるようになったり霞んだりする。
まるで、ここに居るのにどこにも居ないかのように。
「あなた……その体は……まさか……!!」
愕然とした表情のゾフィーの問いに、フルスは静かに首肯する。
『そう……今の私はこの大地を巡る……命の流れ……私たち魔女が魔力と呼ぶ、大いなる流れの一部となったのよ』
エイルシュタットの秘密基地。
「ノイエベルリンが炎上中だと……一体何が起こったと言うんだ……?」
イゼッタを射殺して、自分も自殺したフルス。そしてもたらされたゲール首都炎上という急報。
あまりにも多くの事が起こりすぎて、ビアンカの理解を超えているらしい。彼女は訳が分からないと言いたげな表情だ。
「……フルスさんが、戦っているんです」
「えっ!?」
物陰から掛けられた声に、ビアンカはびくっと体をすくませて、振り返る。
「なっ……? そ、そんな馬鹿な……!!」
「これは……一体……?」
彼女やジークの反応も当然である。
声の主は、イゼッタだったのだ。車椅子に乗ったイゼッタが、ゆっくりと一同の前に進み出てきた。
「イ……イゼッタが二人……? じゃあ、こっちは……?」
ビアンカは、胸を撃たれて倒れている方の”イゼッタ”に近づいて、体に触れたりする。
ひょっとして良く出来た人形か何かかと思ったが……しかし指先に伝わるのは、冷たくこそはあるが確かに人肌の感触だ。
何が、どうなっている?
分からない事が、多すぎる。
ビアンカは助け船を求めるようにジークを見るが、彼とて同じような心境なのだろう。お手上げとばかりに首を振って、自然に二人の目線はフィーネとイゼッタ、恐らくは全てを知っているであろう者達へと向けられる。
「姫様……」
「うむ、分かっている。イゼッタ……」
エイルシュタット大公と魔女は視線を交わし合い、そして強く頷き合う。
二人とも、今はとても強い目をしていた。何かを決意して、何かを乗り越えた目を。
先に話し始めたのは、フィーネだった。
「ジーク、ビアンカ、将軍……良く聞くのだ。これから……全てを伝える。フルス殿の意志を……彼女の遺言を……」