「もう一つの魔石が……ファルシュの体に……?」
「そうです、フィーネ様……ファルシュは”生きていない”。体内に埋め込まれた魔石……その中に込められた魔力を燃料として動くメーアの遺体……それがこの子の正体……思い当たるフシがあるのではありませんか?」
「あ……」
フィーネは以前、触れたファルシュの体が氷のように冷たかったのを思い出した。あれは何かの勘違いか単純に体温が低いのだと思っていたがそうではなく、実際には”生きていないから体温など無かった”のだ。
「そんな……」
イゼッタは、受けた衝撃が大きかったようだ。顔色が悪い。フィーネが、落ち着かせようと肩に手をやった。
「では……フルス殿……その、魔石を埋め込まれた体は……一体、どのようになるのだ?」
「先程申し上げたように、魔石を埋め込まれた体は生前とは全く別の人格で蘇生して、活動を始めます。元々遺体であるから、食事や睡眠、呼吸なども必要とはしません。まぁ、必要としないだけで嗜好として行う事はありますがね。他にも痛覚を感じないので、多少の怪我は影響を受けずに行動する事が可能になります」
「……他には?」
「……魔石に蓄積された魔力を利用して元々魔女ではない者でも、擬似的に魔法を使う事が出来るようになります。娘……メーアは、私から魔女の力を受け継いではいませんでしたが……あなた達も見たでしょう? ファルシュが、魔法を使う所を……それと魔法は本来自分の体や生き物を直接操る事は出来ませんが、ファルシュの場合は肉体が”生きていない”から、自分の体を物体同様に、魔力を付与して操る事が可能になります」
「あ、そうか……あの時、空飛ぶ輸送機に乗り込んできたのは、ファルシュちゃんが魔法を使えたから……それで飛んできて……」
身一つで空を飛ぶのはフルスも出来るが、彼女の場合は周囲の空気を操ってそれで自分の体に風を受けさせ、凧のように飛ぶ。対してファルシュの場合は、イゼッタがライフルを操るように、魔法で直接自分の肉体を操って”体に空を飛ばせて”いるのだ。
「確かに……それにあの、エクセ・コーズが現れて貴殿からの連絡を受けた時、ファルシュはイゼッタを助けに窓から飛び立って……魔法が使えるのは魔女の娘だからまだ分かるが、魔力の流れが無いはずのランツブルックで魔法を使ったのには、皆驚いていた……あの後、すぐに首都に空爆があったからそれどころではなくなったが……」
イゼッタとフィーネの言を受けて、頷くフルス。
魔石に蓄積された魔力を利用して、レイラインの無い土地でも魔法を使えるのはゾフィーと同じだ。ただしファルシュは本来は魔女ではないが、体内に魔石が埋め込まれた事によって肉体が変質し、魔法を擬似的に使えるようになったのではないかというのがフルスの考察だった。
「ただし、メーアは魔女の力は持っていませんでした。同じ体を使っているファルシュも、体内の魔石に溜め込まれた魔力を使う事は出来ても、私やイゼッタのように体の外の魔力を操って魔法を使う事は出来ないし、自分で土地の魔力を魔石に吸い込む事も出来ません。つまり、ファルシュが動いたり魔法を使ったり出来るのは体内の魔石に溜め込まれた魔力が枯渇するまでという事。不足した分は、その都度私が注ぎ足すようにして魔力を補充しています」
「……あ、あの、フルスさん……」
「何? イゼッタ……」
「……えっと……」
「?」
躊躇っているような様子のイゼッタを見て、フルスはしゃがみ込んで視線を合わせた。
「……聞くのが怖いんですけど……もし、ファルシュちゃんが……体内の魔石に溜まった魔力が切れたら……どうなるんですか?」
「……!!」
先程の自分の問いと同等か、それ以上に恐ろしい答えが返ってくる事が容易に予想出来るのでフィーネは聞けなかったが……しかしこれは聞かねばならない事でもあった。
「……ファルシュ」
「はい、ママ……」
フルスが顎をしゃくって合図すると、ファルシュは片手で器用に黒いローブを外していく。
ふぁさっと黒衣が落ちて、片腕を喪失した幼い裸身が露わになった。
その全身には余す所無く痛々しい傷が刻まれていて、あちこちにファルシュの本来の褐色の肌とは違う、白色や黄色の肌がくっついていて斑模様になっていた。
イゼッタもフィーネも話には聞いていたが実際に見るのは初めてで、思わず目を逸らした。
だがいつまでもそうしてはいられない。ようやく二人がまっすぐファルシュの体を見るようになったのを確かめると、フルスは話を再開した。
「ファルシュの……つまりメーアの体は本来は遺体……骸は、放っておけば土に還る……それをさせないでいつまでも瑞々しく、生きているかのように維持し続けているのは、埋め込んだ魔石に蓄積された魔力によるもの……ならばそれが切れたらどうなるかは……分かるでしょう?」
「「……!!」」
戦慄した表情になるイゼッタとフィーネ。
流石のフルスも直接的な言い回しは避けたが、その意味する所は明らかだ。
ファルシュの体は魔力が切れると劣化……要するに腐り始めるのだ。
これだけでも聞かなければ良かったと思えるような事実だが、もっと恐ろしい事が分かってしまった。
フルスは、メーアの遺体に魔石を埋め込んだのは娘の命を救う為の賭けだと言っていた。つまり成功する確信があってやった事ではない。むしろ、藁にも縋る想いで行った筈だ。……と、いう事はそれは彼女自身は勿論、彼女の一族の歴史に於いても前例の無い、全く初めての試みであったに違いない。
なのにフルスは、魔石に蓄えられた魔力が切れるとその肉体が腐り出すという事実を知っている。
……結論。つまり彼女は、実際に見たのだ。魔石に蓄えられた魔力が切れて、娘の……ファルシュの体が……”そうなる”所を。
「この傷は、全て私が付けたもの……劣化して……崩れていく肉体を繋ぎ止める為の応急措置として……古着を直すように、この子の”体を繕った”の……」
「なっ……!!」
娘の体が腐って崩れていって、母親がその体を縫っていく……
イゼッタの頭の中におぞましい光景が浮かんで、彼女は胸がむかつく気分になった。少しだが吐き気も感じる。
「で、では……ファルシュの体の……こ……この、肌の色が違う部分は……まさか……!!」
フィーネは思わず尋ねてしまったが、口にした後で聞かなければ良かったと後悔した。
どんな回答が語られるか、開示された情報からいくらかの予想は付いた。そしてそれが事実と合致するであろうという事も。それを、フルスの口からは聞きたくなかった。
「……そこは、崩れてどうにもならなくなった部分を他の人間の死体から”部品をもらって”、パッチワークのように補修したのですよ……」
ちなみにそれらの元になる死体は、戦場で調達したものだ。戦場ならば墓や死体安置所(モルグ)などよりも余程簡単に死体が手に入って、有る筈の死体が無くなったとしてもさほど不審に思われない。闇仕事を生業としていたフルスは、それを母から教えられていたのだ。
「……フルスさんが前に言ってたのは……そういう事だったんですね……」
輸送機から脱出して、ケガをしたフィーネの傷口を縫合して応急処置した時、フルスは言っていた。「人の肉を縫う事には慣れている」と。イゼッタはその時は妙な言い回しではあるがてっきり医療行為などをしていてケガを治療したりする機会が多かったのだろうと解釈していたが……事実は、想像よりよっぽど残酷だった。
思えばあの時、ファルシュが針と糸や包帯に消毒薬まで持っていたのも随分用意が良いなと、無邪気に感心していたものだったが……実際には、いつファルシュの体内の魔力が切れて肉体が崩壊し始めても大丈夫なように、常にフルスが持たせていたのだろう。
頭の中でいくつもの点が繋がって線になって、しかしイゼッタはどんどん気分が悪くなった。気を付けていないと、今にも嘔吐しそうだ。
前にどこかで「無知とは不幸であると同時に幸福だ」なんて知ったような言葉を聞いたが、今ならその言葉の意味が理解出来るような気がした。
「……話を、続けるわね」
いくらかの間を置いて、フルスは再び話し始めた。
「……メーアと、ファルシュは違う。私は色んな側面から二人を観察したけど、同じ体を使っていても二人は明らかに別の実存だった」
利き手、一人称、性格、趣味嗜好、フルスへの呼び方、エトセトラエトセトラ……
どう考えても演技とは思えない。
否応なく突き付けられる事実。メーアとファルシュ。この二人は、別人なのだと。
「それから私は……人里離れた所で隠れ住みながら、メーアを取り戻そうと躍起になって研究を続けたわ……」
メーアとの思い出の地にも行った。
日記や写真を見せた。
思い出せる限りの昔話をした。
娘の好物をいつも作って食べさせた。
「……だが、駄目だった」
先取りするようなフィーネに、フルスは首肯する。
フルスが娘(メーア)を取り戻せなかったのは、今現在ファルシュが存在している事が証明してしまっている。
「3年間……思い付く限りの方法を試したけど……メーアは戻らなかった。喪った者は、戻らなかった……何を捧げても……どんな手を使っても」
「……だから、貴殿は私にイゼッタを大切にしろと言ったのか……自分が、喪う辛さを誰より知っているからこそ……」
フィーネはかつてブリタニアに滞在していた際、レッドフォード卿の屋敷で交わした会話を思い出していた。
「……私はメーアが還らないと知って、一度はファルシュを壊そうと思った……でも、それも出来なかった……何故だか分かる?」
イゼッタは、無言で首を振った。
「……確かにファルシュはメーアとは違う……私はメーアを取り戻せなかった……だけど……ファルシュが、私を慕ってくれる気持ちは本物だったから……それだけはメーアの偽物ではなくて、確かなファルシュの心だと伝わってきたから……そんな子を殺すなんて、私には出来なかった……何より、ファルシュ自身には何の罪も無い……なのに私の勝手で生み出しておいて、思ったのと違ったら廃棄するなんて……出来なかったの……そんな事は、私には……」
「……そう、か……やはり、貴殿は善き人だよ、フルス殿……」
「ありがとうございます。フィーネ様……そうして、私はファルシュを二人目の娘として愛していこうと誓って……今後はもうイゼッタ、あなたの一族がそうであったように人の世とは距離を置いて、隠れ潜んで生きていこうと思ったの。そして、それからしばらくは静かな、幸せな生活が続いた……それは私の人生で三度目の、幸福の時間……」
だがそれも、長くは続かなかった。
平和は往々にして、唐突に破られる。
「私達の隠れ家に、ゲルマニア軍の兵士が押し寄せたのよ」
「えっ!?」
「!? フルス殿……ちょっと待ってくれ? 何でそこでゲールが出てくる?」
読んでいた小説がいきなり10ページも飛んだようなフルスの言葉に、イゼッタもフィーネも驚いたようだった。
これまでのフルスの話で、彼女とゲルマニア帝国の接点となるものなど何も無かった。なのにどうして、彼女達がゲールに襲われるのだ?
だが……フルスの表情を見ると、その理由をも彼女は知っているのだろう。フィーネとイゼッタはそれを察して、話を聞く姿勢を見せる。
「……私達は、突然の襲撃に驚いたけど……それでも、何とか逃げ延びた。だけど、ゲールはそれからも繰り返し襲ってきた」
二度目と三度目は、襲ってくるかも知れないと心構えをしていたから危なげなく逃げ延びられた。
そして四度目。
その時はフルスは反撃に転じ、襲ってきたゲール兵を全滅させた後に一人残った隊長格の男を捕縛し……その男に母親仕込みの特殊な尋問法を使って、知っている情報を洗いざらい吐かせた。
「そうして……全てが分かった」
フルスは一度言葉を切ると、懐から懐中時計を取り出してフィーネに差し出す。フィーネはその意図を図りかねたようだったが……取り敢えず蓋を開いてみる。目に入ったのは1分ばかりずれた時を刻み続ける針と、一枚の写真。
フルスとファルシュ……いや、今の話からすればメーアだろうか? いずれにせよ親子の肖像があった。
「この子が……メーアちゃんなんですね、フルスさん……」
「そう……昔、メーアと一緒に撮ったものよ、これは……」
「……ファルシュとそっくりだな……いや、同じ体なのだから、当然と言えばとうぜ……?」
そこまで言い掛けて、フィーネの表情が引き攣った。
「……姫様?」
様子がおかしい事に気付いて、イゼッタが覗き込むようにフィーネを見る。エイルシュタット大公は、愕然とした表情で悪かった顔色が更に悪くなったように思えた。
「……フルス殿、お聞きしたいのだが……」
「……何でしょうか? フィーネ様……」
「この写真は、”いつ撮られた”ものなのだ?」
問われたフルスは無表情だが、片眉がぴくりと動いた。
「その写真が撮られたのは、1935年……今から5年前のものです。メーアが死ぬ少し前に……一緒に撮ったものです」
「えっ!?」
素っ頓狂な声を挙げるイゼッタ。
さっきまで気付かなかったが、良く考えると確かにおかしい。
既に成人していて30才を越えているフルスが、5年経ってもあまり変化が無いのは分かる。
だがファルシュは、8才前後の少女。体は成長期の真っ直中である筈。その年頃の少女が5年も経っていて変化が無いのはどう考えてもおかしい。
……の、だがしかし。今までのフルスの説明からそれも納得が行く。
メーアの遺体であるファルシュは魔石に込められた魔力で動く。だから物を食べたり睡眠を取る必要も無いし、汗も掻かず呼吸もしない。代謝行動を行わない。遺体がそんな事をする訳がない。
同じように……遺体が年を取る訳もない。
だからファルシュの姿は、5年前のメーアと同じもの。彼女が死んだ時のままで、留まっているのだ。
「……ゲールが私達を襲う理由は、最初とそれ以降では違っていたのです」
「……理由?」
「そう……私とメーアが住んでいたあの村で、メーアが殺されたあの日……私は魔法を使って、村人達を殺し掛けたけど、でも出来なかった……そしてその時、魔法を見た中に里帰りしていたゲルマニア帝国の兵士が居たのです」
「……そんな……!!」
イゼッタは絶句する。
命より大切な者を奪われて、それでも一線を踏み越える事を拒んで奪った者達を殺せなかったフルス。だがそんな彼女の行いこそが、ゲルマニア帝国に魔女の存在を知らしめる事になってしまったのだ。
もしフルスが怒りに身を任せて、村人達を皆殺していれば死人に口なし。魔法の存在は、誰にも知られる事はなかったであろう。
人を殺したくなくて歩いた道の先で、人を殺さなかったから悪い結果を引き寄せたなど、何という皮肉だろう。
「……ゲールが最初に私達を襲ったのは、単なる軍事上の好奇心から。魔女が実在するなら、あるいは軍事に転用出来るかも知れない……ならばまずはサンプルを確保しよう、とね……」
「……二度目以降は違うとの事だが……」
「……先程、言いましたよね? 私は3年間、メーアを取り戻す為に研究を続けたと……最初の襲撃の時、私達は全く予期していなかった事もあって身一つで逃げ出すのが精一杯だった……その時、研究成果を纏めた資料の一部が、ゲールに奪われたのです」
「なっ……」
「ま……待ってくれフルス殿。分かってきたぞ……まさか……」
「ひ、姫様……どういう事ですか?」
「良いか、イゼッタ。フルス殿は、この戦争がどうして起こったかを話すと最初に言われただろう?」
「は、はい……」
「フルス殿の研究資料が奪われたという事は、ファルシュの存在も、ゲールに知られたという事だ。そこまでは良いな?」
「はい」
噛み含めるようなフィーネの説明を受け、イゼッタは頷く。
「そしてファルシュは年を取らない。これも肉体は元々遺体だから当然だな?」
「はい」
「フルス殿の話では、魔石の施術を行った遺体は全くの別人格で蘇るとの事だが……ならば、もし、本人の人格や記憶を全く完全に生前のまま蘇るような技術が確立されたら、どうなると思う?」
「それは……」
イゼッタは考える。
それは、生前と全く同一人物が、魔石の魔力が尽きない限り年も取らずにずっとそのままで在り続けるという事だ。
つまり……!!
「その為に、オットーは魔石と魔女が必要だったのだな……フルス殿……」
フィーネの至った結論に、フルスは頷く。
「そうです、フィーネ様……ゲルマニア帝国皇帝、オットーは魔女の力とファルシュの存在に、永遠へと至る可能性を見出した。だからそれを手に入れる為に、魔女伝説の舞台であるエイルシュタットへ侵攻したのです。同盟国であるロムルス連邦との物資や兵の流通を円滑にする為の経路の確保など、外向けのカバーストーリーに過ぎない……銃弾の矢面に立つゲール兵も、戦火に蹂躙されるエイルシュタットの民も、全ては一人の男が『永遠』を手にする為の生贄……」
「では……!!」
「そう……この戦争は、オットー皇帝が不老不死を手に入れる為に起こしたものなのです」