終末のイゼッタ 偽りのフルス(完結)   作:ファルメール

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第02話 無手勝流

 

「……私が、私が分かる? ■■■」

 

 目を開けた時、私を覗き込む女の人の両目からは涙がぼろぼろと伝っていた。

 

 そっと私の頬を撫でる手は、どんな宝物を扱うよりも繊細に、でもしっかりと力を入れているのが分かった。

 

 私は、女の人にこう答えた。

 

「はい……分かるよ、ママ」

 

 そう答えて、女の人は最初に笑って……そして何かに気付いたようにはっとした顔になって、その後でずっと悲しそうな顔になった。

 

「……う……あ…………ああああああああっ!!!!」

 

 泣き崩れるその人の顔に、起き上がった私はそっと手を添えた。

 

 顔を上げた女の人……ママに、私は出来うる限りの笑顔を浮かべて、言った。

 

「ママ……どうか……泣かないで」

 

 

 

 

 

 

 

 火照った肌に心地良い風を受けながら、空飛ぶ椅子にふんぞり返ったフルスは周囲を見渡した。

 

 上は雲一つ無い蒼穹、下は緑なす大地。

 

 一言で言い表すなら絶景。人間などとてもちっぽけな存在だと、実感させてくれるような景色だ。

 

 しかし今は、のんびりと風景を見物している訳には行かなさそうだった。

 

 下から、空飛ぶライフルに跨って傍らにフィーネを抱えたイゼッタが上がってきていた。

 

「フルスさん!!」

 

「イゼッタ、大丈夫?」

 

「は、はい。私は……でも、姫様が……!!」

 

 フィーネの右上腕部の衣服は紅く染まっていて、そのシミは徐々に面積を広げている。銃創からの出血が、止まっていないのだ。

 

「早く、下に降りて手当を……!! 姫様……」

 

「待て……降りるなら、あの山を越えてくれ……我がエイルシュタットの砦がある……」

 

 そう指示するフィーネの声は途切れ途切れで、弱々しい。と、フィーネの視線がフルスへと向いた。

 

「そなたは……イゼッタの他にも……魔女が……居るのか……?」

 

「お初にお目にかかります、フィーネ公女。私の名はフルス。遠い昔にイゼッタの一族とは袂を分かった……傍流の魔女にございます。こちらは私の娘で……」

 

「……ファルシュ」

 

 母の膝の上で、小さな女の子はぺこりと頭を下げた。が、いきなりびくりと顔を上げて明後日の方向を睨み据えた。

 

「どうしたの? ファルシュ」

 

「……ママ、ひこーきが来る」

 

 すっと小さな指が差した先の空に、数個の点が浮かんでいた。その点は、段々と大きくなってきている。近付いてきているのだ。こっちに向かってくる。

 

 さっきまでは風の音に掻き消されて聞こえなかったが、エンジンの爆音が聞こえてきた。

 

「ゲールの……戦闘機だ」

 

「……恐らく、さっき輸送機が落ちたのを察知して来たのね」

 

 難しい顔でフルスが言う。とすれば、あの戦闘機からは自分達は輸送機を落とした敵という事になる。

 

「……!!」

 

 イゼッタはきゅっと唇を一文字に結ぶと、すっと手をかざした。その掌の中に、宝石のような黄緑色の輝きが生まれる。フルスも同じように手をかざす。彼女の掌の中にも、イゼッタのものと同じぐらいの大きさの光が生まれた。

 

「ここなら……やれる!! フルスさん、力を貸して下さい!!」

 

「……あれを落とすのは構わないけど……でも、敢えて戦う必要も無いかも知れないわよ。イゼッタ」

 

 協力を求めるイゼッタの視線を受けて、しかしフルスは面倒臭そうに頬杖を突いたままで応じた。

 

「え?」

 

「……イゼッタ、ここからはなるべくゆっくり飛びなさい」

 

「え? そ、そんな!! 速度を落としたら追い付かれて……」

 

「私を信じなさい」

 

「……は、はい」

 

 どっしりとした態度と同じく、自信を感じさせる声でそう言われたイゼッタは納得は未だ半分という所ではあるが、ひとまずフルスを信じる事にしたらしい。跨ったライフルの速度を緩める。同じようにフルスも、ふんぞり返っている椅子の飛行速度を落とした。

 

 高速で飛行するゲールの戦闘機は簡単に二つの飛行物体を追い抜いて、大きくターンしてまた戻ってくる。

 

 しかしイゼッタのライフルとフルスの椅子、そのどちらも捉えられずに、何度もゆっくり飛ぶ二人の周りをぐるぐる飛ぶだけだ。

 

「フルスさん、これは……」

 

「イゼッタ、覚えておきなさい。飛行機が……特に近代の戦闘機が空を飛ぶには、一定以上のスピードが出ていなくてはならないの。今の私達のカタツムリのような速度に飛行機が付き合おうとすれば、連中は失速して墜落してしまうわ」

 

 どやっ、とでも言いたげな得意げな顔になるフルス。しかしすぐ真顔に戻って解説を続ける。

 

「そして飛行機が飛び続ける為には燃料が必要。燃料をギリギリまで使い切る事は出来ない。少なくとも基地に戻るまでの燃料は温存しておかなくちゃいけないからね」

 

「……このまま頑張っていれば、勝手に連中は帰っていく?」

 

 母の体に掴まりつつ、ファルシュが尋ねる。しかし、それに否を唱えたのはフィーネだった。

 

「……ゲールは、そこまで甘くは……あるまい……」

 

 そう言われても、フルスは少しも慌てた様子を見せなかった。

 

「で、しょうね。連中としてはこんな物珍しい手合いは強制着陸させて捕虜にしたい所ではあるでしょうが……それが出来ぬとあらば……」

 

「……ママ、奴等の動きが変わったよ」

 

 先程までは大きく円を描く軌道で自分達の周りを周回するだけだったのが、旋回角度が目に見えて鋭くなった。そしてまっすぐこちらへと向かってくる。

 

「フルスさん、これは……!!」

 

「……私達を撃ち落とす気になったようね」

 

 捕らえられないなら、殺す。実に分かり易い。

 

 淡々とフルスにそう告げられて、イゼッタは顔を引き攣らせた。

 

「そ、それじゃ今度こそ戦わなきゃ……!!」

 

「必要無いわ」

 

「で、でも!!」

 

「私を信じろと、そう言ったわよ? イゼッタ」

 

「けど……このままじゃ……!!」

 

「イゼッタ、それより私が合図したら、上下左右のどっちかに思い切りそのライフルの軌道を振りなさい」

 

「フルスさん!!」

 

「いいから、私の言う通りにしなさい」

 

「……っ、分かりました」

 

「ん、いい子ね」

 

 イゼッタの了承の返事を受けると、フルスは体を大きく捻って背もたれ越しに後方から接近する戦闘機をじっと見据える。

 

 4機は、どんどんと自分達へと距離を詰めてくる。イゼッタとフィーネも、後ろを向きながら瞬きもせずに敵機を睨んでいた。

 

「今よ!! 振って!!」

 

「は、はい!!」

 

 イゼッタの返事とほぼ同時にライフルは上に、椅子は左へといきなり十数メートルも軌道を逸らした。

 

 戦闘機の機首に据え付けられた機関銃が火を噴くが、しかしその火線はイゼッタのライフルもフルスの椅子も撃ち抜く事は叶わず、虚しく空間を薙ぐだけに終わった。戦闘機はそのまま二人を追い越して遥か前方へと通り過ぎていく。

 

 すると今度はターンして前方から向かってくる。

 

「フルスさん……」

 

「まだまだ……慌てない慌てない……今よ!!」

 

 再び、今度はイゼッタは下へ、フルスは上へと乗り物を移動させた。

 

 銃撃は今回も何も無い場所を吹っ飛んでいった。

 

「……これは……」

 

 不思議そうなフィーネの視線を受け、ふふんとフルスは笑みを見せた。

 

「公女殿下。飛行機と私達魔女の飛行の一番の違いは、運動性です」

 

「運動性?」

 

「そう。あいつらの旋回半径は何百メートルかですが、私達はほぼゼロ」

 

「それは……つまり……」

 

「時速何百キロと出る近代科学の結晶が、カビが生えたお伽話のような私達を撃ち落とすのは至難の業という事ですわ。公女殿下」

 

 その後も戦闘機の攻撃は何度か続いたが、イゼッタ達は全て同じパターンで回避してしまった。

 

 そうしている間に、フルスの狙い通り燃料が尽きたのだろう。戦闘機は彼女達の周囲を飛び回るのを止めて、ゲルマニア帝国本土の方角へと飛び去っていった。

 

「……助かった……のか?」

 

「……ひとまずは、ですが」

 

 フィーネに頷いて返すと、フルスはイゼッタへ視線を向けた。

 

「ね、イゼッタ。わざわざ戦うまでもなかったでしょう?」

 

「……は、はい。フルスさんの言う通りでした」

 

「うん、ではイゼッタ……山を越えるとしましょうか」

 

「はい!!」

 

 ライフルと椅子は自転車ぐらいのスピードしか出ていなかった先程からは打って変わって、空間に影すら残さない程の速度にまで加速すると一気に山脈を飛び越えた。眼下に広がるのは一面の緑。森林が広がっていた。

 

「姫様、山を越えました!!」

 

 イゼッタは喜んだが、しかしそうしてばかりもいられなかった。がくん、とライフルが傾いてスピードが大きく落ちる。フルスの椅子も同じようだった。

 

「これは……魔力が……!!」

 

「……この辺りは薄いようね。幸い下は森だし……何とか、ゆっくり着陸させましょう。イゼッタ、公女殿下をしっかり掴んでいなさい」

 

「は、はい!!」

 

 ぐっ、とフィーネを支える手に力を込めるイゼッタ。フルスも片手は相変わらず頬杖を突きながら、もう片手ではしっかりファルシュを掴んでいた。

 

 空飛ぶライフルと椅子は徐々に高度を落としていき……やがて木立の中に隠れて、見えなくなった。

 


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