三ヶ月前。
ゲルマニア帝国首都、ノイエベルリン。
軍庁舎の中でも、誰も好き好んで立ち入りたがらない地下の一角。諜報活動や特殊作戦を任務とする「特務」の為に割り当てられた一室にて、部屋の主であるベルクマンはリッケルトがエイルシュタットから持ち帰った成果を検分していた。
先にスパイとして潜入していたローレンツが、旧都の王城地下に隠された魔女の間で発見した「魔力の地図」の写真と、半分に割れた「紅い石」。残念ながら彼は城からの脱出時に近衛隊によって始末されてしまったが、彼が回収した物は同時期にエイルシュタットに潜入していたリッケルトの手に渡り、ゲルマニアにもたらされていたのだ。
「いや……お手柄だね。これは素晴らしい功績だよ、少尉……いや中尉」
リッケルトは単独で敵国に潜入し魔女に関わる情報を持ち帰った功を評価され、昇進していた。
「いえ……」
少し居心地が悪そうに、若い中尉は体を揺すった。家柄に頼らず自分の力だけで身を立てようと軍に入った彼であったが、まだ昇進するという感覚に慣れてはいないのだろう。ベルクマンは少しだけ優しい目になって、若く初々しい部下を見据えた。
「”彼女”が言っていた、紅い石と魔力の地図。この二つが揃った今……『エクセ・コーズ』は確実に成功する」
「は……少佐、お聞きしてよろしいでしょうか?」
「何かな? 可能な範囲で、答えさせてもらうが」
「では……『エクセ・コーズ』とは何なのですか?」
部下の質問に、ベルクマンはにやっと笑う。これは何か悪い事を考えている時の顔だと、リッケルトにはピンと来た。
「僕に聞かずとも……大体の想像は付くのではないかな?」
「は……?」
「名は体を表すと言うが……計画の名前を良く考えれば、その全貌は自ずと分かるさ」
「……計画の……名前、ですか?」
そう言われて、リッケルトは計画名を頭の中で幾度か呟いて……そして、さあっと顔色が蒼くなった。
「ま、まさか……!!」
部下が正しい結論に至った事を察して、ベルクマンが頷いた。
「そう……『エクセ・コーズ(魔女の兵団)』……我が大ゲールの科学力と「傷の娘」の体を調べて得られたデータ。それに魔力の地図と紅い石……これらを以て、この計画は真の完成に至るのさ」
「ゾフィー……伝説の白き魔女……迷って出たの?」
現在のケネンベルク。全周囲に大剣を盾としてぐるぐる旋回させつつフルスは、眼前に現れた銀髪の魔女を油断無く睨み付ける。
「幽霊ではありません。私は、科学の力によって蘇りました。あなたを止める為に」
「……止める、とは?」
「かつて私は、魔女の力で人の争いに関与しました。けれどそれは、正しい行いではなかった。あなたも、師匠となる人から教わったのではありませんか? 魔女の力は人の世に、その運命に、関与してはならないものなのです」
「…………」
「あなたには、私と同じ過ちを繰り返してほしくはない。だからお願いで……」
「お芝居は、もう良いわ」
「え?」
涙ながらにせつせつと訴えるゾフィー。しかしフルスは、冷たい一言で切って捨てる。
「ここは戦場、私は三文芝居を見る為に居る訳じゃないの」
「芝居って……そんな、私は!!」
ゾフィーは、動揺した様子であったがまだ何事か弁明しようとする。しかし、フルスの言葉の方が早かった。
「じゃあ、一つ聞くけど」
「え?」
「……気付いてない? 今、私が風上に居る事を。そしてあなたが話をしている間に私の魔法で空気を操って、あなたの周囲の空気を極端に薄くしている。いくら魔女であろうとこれだけ薄い空気の中で、平気で居られる訳はない。頭痛や吐き気など、高山病の徴候が出て良い筈……なのにあなた、気分が悪くなるどころか息苦しくなった様子すら無いわね?」
「!!」
はっ、とゾフィーの顔に「しまった」とでも言いそうな驚愕が浮かぶ。
そこで一度言葉を切って……次の瞬間、フルスの眉間にシワが寄って、表情が信じられないくらい険しくなった。
「ファルシュと同じその体……!! 誰だ!! 誰がお前にその体を与えた!!」
ドライで淡々とした普段の彼女からは想像も付かないほど激昂し、声が荒くなる。
「へえ……!!」
これを受けてゾフィーの方も表情が一片。口角が上がって、唇が三日月のように歪んだ。
「侮れないわね。あなた。まさか私が気付かない内に、そんな手を打っていたなんて……じゃあ……」
ゾフィーが従えていた大剣の切っ先が、全てフルスに向いた。あからさまに、戦闘態勢に入った事の証だ。
「ここで死んでもらうしかないわねぇ!!」
「来るか!!」
ゾフィーの大剣が飛ぶ。フルスも大剣を操って迎撃。
持ち手の居ない剣が剣戟を演じ、空中に無数の火花が散る。
同時に操り手である二人、フルスとゾフィーも動いていた。
フルスは高速で飛んでゾフィーを引き剥がそうとするが、同じ魔女であるゾフィーの速力も早く振り切れない。
ならばと、フルスは攻撃に意識を集中した。幸いな事に、操っている武器の数では彼女の方がゾフィーを上回っていた。更には魔法の才や習熟度に於いても、どうやら彼女はゾフィーの上を行っているようだった。
フルスが操る大剣はゾフィーが操るそれよりもずっと速く、鋭く動く。
飛剣のぶつかり合いでは、フルスの方に軍配が上がりつつあった。ゾフィーが操る大剣が1本、激突した瞬間に砕かれた。それを見たゾフィーは「ちっ」と、舌打ちする。
「やるじゃないの」
形勢不利と見てか、フルスに背を見せて後退するゾフィー。
「逃がすか……!! お前には聞きたい事が山ほどある……!!」
フルスも風を操り、ゾフィーを追撃する。同時に大剣を2本、手元へと引き寄せる。
「さぁ……墜ちろ!!」
大剣を矢の如く、ゾフィーへと向かわせるフルス。飛来する大剣の速度は、ゾフィーが飛ぶ速さを明らかに上回っている。後2秒で、大剣はゾフィーの体と彼女が跨るポールウェポンのような杖を貫いて、ダメージを与えると同時に飛べなくして墜落させる。
『……そうした上で、ゾフィーを捕縛して情報を引き出す。後1秒で命中……当たる!!』
そう、フルスが考えた瞬間だった。魔力によって操られていた剣がいきなり彼女のコントロールを離れ、勢いを失って落下したのである。
「!!」
反射的にフルスはゾフィーの追撃を中止してその空間に静止した。
この反応の早さは、考えてから動いたのでは決して出来ないものがあった。ソグネ・フィヨルド海戦で周囲に浮かべた岩を魔力の切れ目の感知器として使ったように、自分の周囲の魔法で動かす物体が落ちたら、すぐに止まるかそのコースを変える。そう体に覚え込ませて訓練されているフルスであるからこそ出来た事だった。
「……!!」
もしや自分も落下するかと思われたが、その心配は無いようだった。今、フルスが居る空域では魔力を流した風は彼女の意の侭に動き、彼女の体を空中に支えてくれている。
フルスは念の為、5メートルほど空中をスライドするように後退した。
「へえ……引っ掛からないか」
ゾフィーの方も後退を止めて、再びフルスに相対した。その表情には圧倒的優位から来る、先程までは無かった余裕が見られる。彼女はもう、自分の勝利を微塵も疑ってはいないようだった。
「この空域に誘い込んで墜落させられればと思っていたのだけど……流石に大人の魔女。そう甘くはないわね」
「……貴様……!!」
ぎりっと、フルスの口から噛み締めた奥歯が軋む音が聞こえる。
フルスは剣の一本を手元に引き寄せると、ゾフィーに向けて飛ばす。しかし、やはりと言うべきか先程の2本が落下したのと同じぐらいの空域に差し掛かった瞬間、見えない力が消失して頼りなく落下していった。まるで記録映像をリプレイしているかの如くである。
「……魔石を使ったな……!! 事前に、この一帯の魔力を吸い上げていたか……!!」
隠そうともしない怒りを込めたフルスの言葉を受け、ゾフィーは今度は「へぇ」と感心した顔になった。
「そこまで分かっているとはね。でも……じゃあ、私に勝てない事も分かっているでしょう?」
「……」
「さぁ、分かったなら大人しく……」
「ク……ククク……」
ゾフィーの言葉を遮ったのは、フルスの喉が鳴らす笑い声だった。俯いたフルスは、肩を震わせて笑っていた。恐怖のあまり気でも触れたかとゾフィーは思ったが……違うようだった。フルスはすぐ笑い声を止めると、先程までの激昂が嘘のように、穏やかな微笑さえ浮かべてゾフィーを見ていた。
「『今、自分が居る空域では魔力が枯渇していて、普通の魔女は魔法が使えない。これでこいつは飛べる範囲も攻撃を届かせられる範囲も限定される。この魔女はもう自由には飛べないし、攻撃も当てられない。だが自分は自由に飛んで一方的に攻撃を当ててこいつを嬲り殺しに出来る』……」
「……!!」
ゾフィーの表情が、笑みから驚きに変わる。たった今フルスの口から語られたのは、自分が心中でまさに思い浮かべていた事と同じだったからだ。しかし、分かったからと言って対処出来なければ同じ事だと動揺を抑える。
「そう、思ってるんでしょう」
言った瞬間、フルスは右手を挙げる。瞬間、彼女の服の袖口からゾフィーへ向けて何かが飛び出した。
「!?」
ゾフィーは反射的に腕で体を庇うが、それは悪手だった。
フルスの袖口から飛び出したのは、ワイヤーだった。それは先端に重しが付いていて、慣性でくるくると回ってゾフィーの腕に巻き付いた。
「そんな……どうして……!?」
ゾフィーの表情が、先程に倍する衝撃と驚愕に塗り潰される。
「『どうして、さっきの剣のように勢いを失わない? 何故自分に届いた?』かしら? 魔法の使い方で、最も初歩であり基本である『念動』……でも、『念動』にも二種類あるのよ」
「なっ……!?」
「さっきまで、私やあなたが使っていたのは魔力によって常にその物体の動きをコントロールする『誘導』。対して、今私が使ったのは銃弾や弓矢のように、最初の一瞬にだけ爆発的なエネルギーを与える『射出』……」
たとえ魔力の無い場所に入ろうと、魔法によって既に与えられていた運動エネルギーは消えない。魔法それ自体が使えないエリアでも「魔法の効果」は消滅しない。これなら魔力の無い位置に居る相手であろうと、フルスにも攻撃する事が可能だった。
「残念だけど、ゾフィー……あなたの戦い方が通用したのは数百年前の話……私の一族は魔力を武器として、どうすればより効率良く使えるのかをずっと考えてきた。当然、魔力の切れ目……境界での戦い方ぐらい、私はダース単位で教えられ、訓練されているわ。そして……!!」
風によってフルスの袖がまくられ、手首の部分が露わになる。彼女の手首には腕時計のように、釣り竿に付けるリールを思わせる形状の機械が装着されていた。ゾフィーの腕に巻き付くワイヤーはそこから伸びている。
「!! しまっ……!!」
「遅い!!」
「う……きゃあっ!!」
相手の意図を悟ったゾフィーが大剣を操って攻撃しようとするが、フルスの方が早かった。
フルス自身が居る空間には、まだ魔力がある。当然、そこではフルスは魔法を使える。魔力を付加されたリールが回転し、ワイヤーが巻き取られる。すると必然、それに伴ってゾフィー自身も杖から引き剥がされてフルスへと引き寄せられた。
そして、間近にまで近付いた所でフルスはゾフィーの胸ぐらを掴むと、力任せに服を引っぺがす。
「やはり……!!」
苦虫を噛み潰したような顔で毒突くフルス。
白磁のような柔い肌が露わになって、そしてゾフィーの鎖骨の下辺りにはビー玉よりやや大きいぐらいの、紅い石が埋め込まれていた。
フルスは手を伸ばして、ゾフィーの胸の紅石を摘むと力任せに引っ張る。
ぶちっ、ぶちっ……!!
嫌な音がして、ゾフィーの体から石が離れ始める。
だがゾフィーも、自分の体の肉が千切られているのにまるで痛みを感じていないかのように無造作に手を伸ばすとフルスの首を掴み、凄い力で締め上げてきた。これは窒息死させるのではなく、首の骨をへし折るつもりの力の込め方だ。
「ぐっ……!!」
フルスの口角から泡が零れ目が裏返りかけるが、しかし彼女の方が早かった。
最後の筋繊維が千切れて、石が完全にゾフィーの体から離れる。
「っあ……!!」
と、同時に先程までは到底女性のものとは思えぬ剛力を発揮していたゾフィーから全ての力が失せた。
両手両足がぶらんとぶら下がる。首も産まれてすぐの赤子のように据わらず、ぐわんと投げ出された。瞳は焦点が合っておらず、口もぼんやりと半開きになる。
まるで、人間がいきなり人形に入れ替わったようだ。
「……」
フルスは、そんなゾフィーの体にもう興味は失せたようだった。ぽいと投げ捨ててしまう。人形のようなゾフィーは、重力に従い地表へ向けて何十メートルも落下していき……やがて見えなくなった。
今のフルスの視線は、彼女の掌中。ゾフィーから摘出した小さな紅玉へと注がれている。
「小さいとは言え、魔力結晶(レイマテリアル)を造れるという事は……魔石と魔女……その双方がゲールに渡ったのか……!!」
とんでもない事になったと頭を抱えるが……しかしそれも一時だった。
今のゾフィーは魔石を持っていないようだった。彼女が魔力の枯渇した土地で魔法を使えていたのは体内に埋め込まれた魔力結晶によるものだったのだろう。つまり、事前にこの土地に現れて土地の魔力を吸い取っていった者が別に居た事になる。
と、いう事は……!!
「!! いけない……!!」
恐ろしい想像が頭に浮かんで、フルスはこの戦線の司令部へと飛んだ。
「魔女殿!! 一体これは……」
「説明は後!! それよりすぐ無線を!! 首都ランツブルックの司令部へ繋いで!!」
「は……しかし……!!」
「急いで!!」
「は、はい!!」
撃破したとは言え魔女がもう一人現れるという想像を超えた事態を受け、この戦線の指揮官である大佐は慌ててはいた。しかし流石は一軍の指揮を任せられるだけの事はあり、彼はフルスの剣幕を受けて事態が只事ではないのを悟った。そして、すぐにフルスを無線室へと通した。
周波数を合わせ、回線を繋ぐ。その僅かな時間すらもが、今のフルスにとってはわずらわしく、もどかしかった。
早く、一秒も早く!!
頭の中で何度も繰り返す。
ややあって、回線が繋がった。聞き覚えのある声が、受話器の向こうから響いてくる。
<フルス殿か。こちら司令室、ビアンカだ。何かあったらしいが……>
「ビアンカ女史!! すぐにファルシュを出して下さい!!」
フルスの希望もあり、ランツブルックの司令室には常にファルシュが控えている筈だ。今は、何かの所用があって部屋を離れていない事を祈るばかりだった。
<? な、何だ、どうしたと言うのだ……? 兎に角、落ち着いて話を……>
「早く!! 一刻を争うんです!! そこにファルシュが居るなら、すぐ通話を代わって下さい!! 居ないなら探してきて下さい!!」
<あ、あぁ……分かった。ファルシュはここに居るから……今、代わる>
無線機の向こうのビアンカは、今頃フルスの剣幕に面食らっているだろう。しかしこの尋常でない声色から、彼女にも容易ならざる事態が起こっている事は伝わったらしい。それ以上詰問する事は無しに、受話器を受け渡した気配が伝わってくる。どうやら、フルスの祈りは通じたらしい。ファルシュは司令室に居たようだ。
<はい、ママ……電話代わりました>
「ファルシュ、良い!? 一度しか言わないから良く聞きなさい!!」
<……はい>
流石に親子か、ファルシュは一声聞いただけでフルスが極度に焦っている事を察したようだ。声が真剣なものになった。
「あなたは今すぐ、ゼルン回廊に飛びなさい!! イゼッタが危ない!!」
<……でも、ママ……ここじゃ目に付くよ? 私の力は人目に付く所じゃ……>
「構わない!! 非常時なの、これは危険な状況なの!! いいから早く……!!」
言い掛けたフルスは、先程から魔法によって未だ自分の支配下にある空気が肌を通じて、何か危険なものが迫っている事を教えているのに気付いた。普段の彼女なら、もっと早くに接近を察知出来ていた筈だった。やはり極度の緊張と興奮によって、冷静さを失っていたらしい。
意識を切り替え、フルスは全身の触覚に神経を集中する。
接近するものは速度は戦闘機と同じぐらい、だが大きさはそれよりずっと小さい。
まるで、先程のゾフィーのように……
そしてその数は……2。
「ま、まさか……!?」
嫌な予感がして、窓を開ける。
「うっ!!」
そこには、思い描いた最悪の光景が広がっていた。
魔女が居た。
銀色の髪、紅い瞳、黒いゲルマニアの軍服、魔女の杖、使い魔のように従えた数多の大剣。
今し方倒したゾフィーと寸分違わぬ姿の魔女が、しかも二人。空から自分達を睥睨していた。
「こ、これは……!!」
「ま、魔女殿……一体何が……!?」
信じられないと、大佐が詰め寄ってくる。
だがそれにフルスが何か答える前に、二人のゾフィーが操る大剣が魔力によって誘導され、基地に殺到した。
「うわああああああーーーーっ!!!!」
<!? ママ!? どうしたの!? ママ!?>